
皆さんこんにちは。昨日公開した記事「信越本線・しなの鉄道撮影記ry」の続編ということで、北陸新幹線あさま号での帰路および東京駅での居残りを含めた帰り道について書いていきたいと思います。昨日の記事をお読みいただかなくても楽しんでいただける記事にしたつもりですが、お時間があれば昨日のものもお読みいただければ幸いです。
NEWDAYSでお土産と予備の酒を購入し、新幹線ホームの14番線へ。連休中ということもあり、我々はかがやき号の後に出る始発のあさま号を選択した。僕が混んでいる新幹線に乗りたくないというのもあるし、東京ではない駅を始発とする新幹線のあの雰囲気が好きだからというのもあるし、自由席の方が少々安いというのもあるし、一番はW7系所定運用だったからというのもある。連休ということもあり、恐らくは運用変更でE7系での運転だったけど。

E7系がデビューしてから令和8年でもう12年か、早いものだ。なんかすっかり慣れてしまったが、中坊の頃にあれだけ新幹線を撮りに来ていた頃に飽きる程腐る程見ていたE2系N編成がいないのが信じられないと思いつつ、ぶっちゃけ居住性はE7系・W7系を上回る訳もないので、そこに正統進化ってのがあるのかななんて思った。でも一度ぐらいN編成も乗りたかったけどね。

我々が乗っていくあさま630号:630Eの4分前には敦賀からのかがやき514号:3514Eが出ていく。3514Eは最速達とも言えよう列車で、始発の敦賀を出ると福井、金沢、富山、長野、大宮のみに停まる爆速便。それもあってのことかは不明だが、全車指定とはいえかなりの乗車率だった。

余談だが、途中停車駅の福井は新幹線では珍しい島式1面2線ホーム。その辺もまた記事にしたいけど、だったら乗れよって話だよね。センセン。関西遠征の帰りにサンダーバード+北陸新幹線なんてのも楽しそうだ。

しかしまあ長野から大宮までノンストップってすごいな。先述の通りこの3514Eが上野を飛ばすことを差し引いても。そう言いたいところだが、それを言ったらはやぶさは仙台から大宮まで、のぞみは名古屋から新横浜までそれぞれ飛ばすわけだし、さほど感心する要素ではない気もする。多分。

我々が乗っていくのはこちらの630E。ホームに着いた時点で入線していたが、先にかがやきが出ることもあってか自由席は終着まで混むこともなく平和だった。朝に乗った臨時あさまとは雲泥の差。それでは東京までよろりんこ菊地凛子。

実はF29編成を初めて撮ったのはE4系Maxのラストラン当日だった。前もどこかで似たようなことを書いていたら申し訳ない(なんか書いていそう)。

あの日はMaxが出てから大変平和に撮ることができたのもまた面白いことだった。当時JRの戦略に乗せられて騒いでいた引退前だけ最高キッズや俺にクレクレしてきたパンハンドラーくんたちがE7系引退に際してどのようなお気持ち表明をするかと思うとちゃんちゃらおかしくて過呼吸になりそう。ヒッヒッフー。

E217系廃車回送の帰りに愛用していたのは長野21時17分発のあさま632号だったけど、久しぶりに夜の上りあさま号に乗って懐かしい気持ちになった。今回選んだ630Eは本庄早稲田を除いた各駅に停まる列車。なんか上田等の途中駅の発車メロディがSHシリーズじゃなくなっていて残念だった。長野の信濃の国はむしろ好きだし、着メロにしたいまである。

車内では居酒屋あさま号開店。唐揚げは長野鉄道フェスタに際して食堂で売っていたものをおつまみ用にテイクアウトしていたもの。唐揚げとレモンサワーは最強の組合せだと勝手に思っている。エキナカでもこういうセットを売ればいいのにと思いつつ、売る人間の確保の問題もあるし、多分おれみたいな素人がこうして書く以上はJリテールあたりも本心では売りたいと思っていそう。
実際どうだろう、コスト面から難しいとは思うけど、新幹線・特急の停車駅で生ビールと枝豆とかレモンサワーと唐揚げとか、そういうセットを売ったら場合によっては結構売れそうだけどな。あとは粗利益がどうなるかか。

あっという間にもう高崎なんだってさ。本当、新幹線は爆速だ。あれだけ新青森が近くなってほしいと願っている私だが、なんだかんだ新幹線ってあっという間でゆっくり乗りたくてもなかなかそうもいかない気がしなくもない。

本庄早稲田だけ飛ばして大宮に到着。一定数が降りて行った気がするがどうでもいい。そんなことより、埼玉県は大宮に新幹線の駅があって羨ましい。映画「翔んで埼玉」で埼玉県人軍に「我々には新幹線がある!」と言われた場合、千葉県人のぼくは敗走するしかないもの。いや、日本最速の在来線車両であるスカイライナーのAE形はいるからワンチャンあるのか?

特にこれといった遅延や輸送障害もなく、終着の東京に無事到着。快適な旅をサンキューJR。以前もどこかで書いたかと思うが、かつて東京到着前に路線ごとに番線を自動放送で案内していたのが懐かしい。その頃からお世話になっているE2系も21番線にいた。いい加減に次は乗車できる日を楽しみにしている。

お隣23番線南方にはE5系が停車していた。仙台からのやまびこ号として到着したと思われるU7編成だった。E5系の中では初期車の方だが、E5系をこれ以上作らない限りはE10系登場まで安泰…?案外来年度あたりE5系が数本できる気もしつつ、新幹線車両がタダでポンポンと大清水トンネルの水のように沸いてくるわけでもないので、流石にE5系でE5系を置換える世界線はなしか。

21世紀の夢の超特急ことE5系に後継車両の話が出ていることに色々と思う所はあるが、全ての編成がいる今を大切にしたいというのが私の本音。またE5系はじめ東の新幹線で新しい記事を書くのが楽しみだ。でもそろそろ東海道もいい加減に撮りに行きたいけど。

連結していたのは令和7年内で営業運転を終了するE3系2000代だった。400系を置換えたE3系2000代が引退だなんて信じられないし、時折Twitterに流れてくる解体画像を見てもAI生成画像か何かではないかと思ってしまうぐらいだ。もうE3系までいなくなるとは…そう思うと、E2系1000代後期車はまだ長生きできた方なんだろうか。

前7両はL72編成、つばさ、つなぐステッカーが掲出されていた。

E3系が引退か…と思ったけど、2000代と製造時期等は違えどE4系はもう4年以上前に引退している訳だし、まあ多少はね?思えば私の幼少期の「やまつば」も双方ともに引退か。E4系撤退前にプラレールでE3系2000代とE2系1000代の連結セットみたいなのが出ていて、当時実車ではありえなかったからとても新鮮だったのが懐かしい限りだ。

これまた物議を醸しそうなものがありますねぇ!そもそも東の新幹線の東京駅で三脚を使える場所がなさそうというのはさておき、この数日前に自撮り棒で音鉄が燃えたのは素直に面白かった。ヒスってるのが知能指数低いジャニオタってのも(笑)。争いは同じレベルでしか起こらない。頑張ってください。

撮ったのは覚えているけど列番も編成番号もわからないE7系。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁ~。たぶん上越系統の列車だとは思うんだけど、撮影時刻と時刻表が今一つ一致しないからよくわからないかも~。

当時の時刻表がないので列番等は不明だが、私が初めてNN入場した帰路で今は亡きF10編成を撮っていたことがあった。同編成は平成27年1月竣工、4年少々しか走ることができなかったのは不憫極まりないが、誰のせいでもない自然災害だから仕方のないことだろう。

せっかくだから同じ時に撮った写真も振返っておこう。過去画からは漏れているだろうし。W7系が充当された臨時のかがやき540号で、臨時だからか上野止だった。それでもかなりの人数が乗っていたと記憶している。これ平成30年だからもうかなり前のことになる訳ではあるけども。

上野行各種案内。E7系グリーン車も乗ってみたいな。中国の武漢で発生した新型コロナウイルス流行前だからそれもそうって話だけど、こうして見るとかがやき、はくたかがそれぞれすごいペースで運転されていたことがわかる。これに加えて、

長野始発のあさま号まで運転されていた訳で、北陸系統に加えて上越系統が加わる高崎以南、そして東北系統も加わる大宮以南の列車本数は大変なことになっていたのだろうと思う。どこぞの都知事のババアが「密です!」って叫びながらヒス起こして倒れて死にそう。そうなったら面白いのにね。
このF1編成も令和元年秋の台風で水没してしまった1本。初めて乗ったE7系も初めて撮ったE7系もこの編成だっただけに、今でも残念でやるせない気持ちだ。

せっかくだから居残りしていこう。ドリームパークが流れなくなった東京駅東海道線ホームに参戦。あの曲はこの7・8番線のメロディではなかったけどね。今でこそここでE657系を見ても何の違和感も感じないが、上野東京ライン開業前はありえなかったと思うと何とも言えない。もう違和感も何もないけど。

柵が被るのは承知の上だが、京浜東北線E233系と一緒に撮ってみた。もっとも、上野東京ライン開業前から上野日暮里間で見られた並びでしょ?って言われたらそこまでだけど。中国の武漢で発生した新型コロナウイルスがなかったら今頃京浜東北線は新型車両になっていたんだろうか。

7番線の列車は品川始発の特急ときわ79号。特急ときわとは書いたが、親会社の悪口をTwitterに書いたりアイドルを中傷したりしたバカの鍵垢とは無関係。でしょうね(笑)。びゅうタカサキくん、もう死んじゃったからなあ…
列車に話を戻すと時間帯も相まってか、柏から先の停車駅も多い印象の便。この時間からも勝田まで戻ることができるのは便利で羨ましいと思いつつ、常磐線は特急街道だからさもありなんか。どこぞの路線よろしく混雑の平準化の建前の下、特急が減車減便されぬことを願っている。

あれ?まだ2015Aが出る前に次の電車が来てたんだ。まあ上野東京ラインの品川~上野間は本数も多いだろうし、まあ多少はね?今までも新子安等でこの並びを撮ったことはあったかと思うが、番台区分の違うE233系同士の並びを撮ることができたのはラッキーかも。

10両(笑)10両って(笑)アッヒャッヒャ(笑)。運用の都合で致し方がないとはいえ、JRもやりますねぇ!宇都宮まで10両(笑)。こういうことを書くと某ユーモア欠乏症ジジイあたりがメールする訳でもなく切り取って下剤みたいにピーピー騒ぐのだろう。

親友の提案でサンライズの入線を撮っていくことにした。というか言われるまで21時50分発のサンライズがあることを忘れていたあたり、もう俺はオタクやめちまえって感じ。285系もおよそ1年ぶりぐらいに撮った気がするが、おでこの前照灯の方がすっげえ白くなってる。はっきりわかんだね。

いいなあ、サンライズもまた乗りたい。2回ほど乗ったことがあるが、どちらも楽しかった。令和の今もこうして定期寝台特急が残っているのは嬉しい反面、コロナ禍も終わり指定を取るのが死ぬほど難しいのは何とも言えない。逆に今ってサンライズに空席空室の概念なんてあるんだろうか。

運転室直後の部屋ってシングルだったっけ。いいな、あれも乗ってみたい。なお寝台特急サンライズの岡山~東京間に関しては、半ライズを除き、上下共に前が瀬戸号(高松または琴平発着)、後ろが出雲号(出雲市発着)となっている。そのため後藤を出庫した編成は1日目から順に上り出雲、下り瀬戸、上り瀬戸、下り出雲という形で運用が流れていると記憶している。

この日は連休初日ということもあってか、サンライズ瀬戸側は琴平まで延長運転されていた。高松では40分ほど停まるらしいが、それでも結構朝早い到着なので、いずれにせよ1日を有効活用するには良さそう。再び夜行列車が注目されている今、広島発着のサンライズゆめ号よろしく臨時でも夜行列車が少しずつ復活して行ったらいいなあと思う。

常磐線東京駅と言われても違和感のない並び。ここで285系を見るのは令和4年5月に出雲市から乗って以来か。そんなことを考えていたら手前がマト119編成(黄色い総武線からの転用)ということに全く気が付かなかった。まあもうだいぶいい感じに酒飲んでたしね、仕方ないね。

何かの時に成田で撮ったことがある編成だったらしい。なんだっけ。新木かどこかに10時打ちをしに行ったんだっけ。この頃まだ高1だったのか、懐かしいな。もう少しちゃんと撮ってほしいけど。

ちなみに甲府で撮って以来の再会だった。令和2年1月だから中国の武漢で発生した新型コロナウイルスが本格的に流行する少し前か。コロナで色々とあったけど、この頃はプライベートが充実していて本当に楽しかった。いずれ過去画記事として書き直す予定なので、いつか皆さんにその記事をお読みいただけるのが楽しみだ。多分来年以降になるとは思うけど。
そんなこんなでもういい加減帰ろうかという話になった。元はと言えば少し居残りして行かないかと言い出したのは私、遅い時間までお付き合いをいただいた親友には感謝してもしきれない。
疲れたしいいよねってことでグリーン車に乗ってしまいますた。疲れたもクソも、俺の場合は遊び疲れたんじゃないか(呆れ)。もう少し夜間帯の特急があればと思ってしまうが、特急1つ動かすにも乗務員さんや車両の手配等々の問題もある訳で、そう簡単に文句ばかり言えないけどさ。

E217系と比較したら明らかにE235系1000代のグリーン車は接客設備が向上しているのは明らかだけど、もうE217系が来ないという現実を改めて突きつけられたようで切ない気持ちになった。本当にこれでよかったのか?もう少しできたことがあったのではないか?悔いなく見送るのは強欲な自分にはできないと思うけど、なんかそう思ってしまったかもしれない。
電車は無事に千葉に到着、親友と解散して帰宅した。確か帰りに夜風で酔いを醒ましつつ、24時までのスーパーでお菓子だけ買って帰宅。翌日の午後はまた別の電車を撮りに行ったので、明後日以降改めて記事にしたいと思う。

それにしても楽しい遠征だった。雪が融けたら車で行くにも楽しい距離だが、やはりあさま号で2時間せずに往復できる距離だと思うと、長野新幹線開業当時の「東京は長野だ」というキャッチフレーズはその通りだと思う。E2系のあさま号やE4系の黒歴史とも言えようMaxあさま、200系の臨時あさまなんかも乗ってみたかったけど、そればかりは自分がもう少し早く生まれてこなかったことを悔やむしかないね。また長野県に遊びに行くことができる日を楽しみにしている。色々と行きたいところがありすぎる。