
皆さんこんにちは。昨日の記事の後半ということで、E217系廃車回送最終回としての最後の記事をお送りいたします。なおE217系全体としての廃車回送は確かにこの時が最終回でしたが、多分これから先もどこかで別の編成の追っかけ回を投げているので、最終回かどうかと言われるとアレですけどね。まあ何はともあれ、昨日の記事の後編ということで、長野での撮影と帰り道の話を中心に書いていきたいと思います。本日もよろしくお願いします。

ケツ打ちにはなるがSR1系のローカル。この前に出る小諸行が青い方のSR1系(100代)だったけどなんか微妙な出来だったのでボツ。せっかくの代走だったのにね。SR1系や115系もしっかりと撮りたいので、いい加減にしな鉄遠征も決行したい。路面凍結と戦う季節になる前なら車でも余裕の距離だし、どこぞのキョロ充みたいに私のような陰キャを見下してマウントを取らないと気が済まない輩に「何勝手にしな鉄撮ってんだ!」と言われることもないし。その人死んじゃったからね(笑)

なに勝手にしな鉄撮ってんだ!は本当に面白かった(笑)。見下しているのがバレバレだよ。大して親しくもないのにLINEなんて教えなければよかった。あいつ気に入らない人間を盗撮して鍵垢でドブネズミみたいにコソコソ晒しているし、どっかで俺も知らない間に盗撮して晒されていそう。あー恐ろしい。

お目当てが到着。入線は初っ端から適当でよかったのでスマホで撮影。こうして見ると廃車回送というのはわかるんだけど、いかんせん未だにもうE217系の写真を撮ることもなければ新しく記事を出すこともできないのが信じられない。

ここが長野駅でなかったら廃車回送になんて見えない。そうだ、すんげえ今更だけど、付属編成2本での廃車回送って地味に久しぶりだったね。

泣いても笑ってもこれでお別れだ。長野での停車時間は1分程度、あっという間に最終目的地の長野総合車両センターに向けて発車してしまう。今まで何回も追っかけてきたE217系廃車回送、初回Y-44編成を当時住んでいた甲府で見送ってから4年半、それもこれで終わりだ。

長い間お世話になりました、E217系。沢山の思い出があるので書いていたら記事が終わらないが、私が育った佐倉市、そして千葉県を離れる際に乗った車両の最期を見送ることができたのはいち千葉県人としてよかったのではないかと思う。まだいなくなったという実感はないし、東京からの帰りの快速でまた乗ることもできる気がするけれど、現実はそう甘くもない。E217系、今まで本当にありがとうございました。

なんか初回から4年半、あっという間だった。甲府市民時代と千葉県民に戻ってからはこうして撮ることもできていたが、でも廃車回送以外でももう少し撮りたかったと今になって悔やんでも仕方がないか。思い出は消えないし。

今回の記事以降、E217系の新しい写真で記事を書くことはもうないだろう。いや、どこかに保存されたり長野総合車両センターで開催されるであろうイベント時に残っていたりしたらまた写真を増やして新しい記事を書くこともできるんだろうけど、その可能性は残念ながら高くない。1つの時代が終わったように感じつつ、弊ブログではこれからも過去画記事においてE217系は多々登場することになっているので、今後はそれら記事でE217系が活躍していたことを後世に遺していきたい。
なお撮影に関して、立ち位置の交渉で話させていただいた数人の方とはE217系の思い出話で盛り上がる場面もあった。平和が一番。皆さんの思い出話を拝聴するのもそこから皆さんの思いが伝わってくるのも実はとても好きなので、有意義な時間となった。ありがとうございました。※例のキョロ充やちゃんと撮ってなかったツケ小僧の思い出話は受け付けておりません。お引取りください。

さて、悲しみに暮れている時間はない。ここまで来たんだから撮れるものは撮ってから帰る。こちらは平日を中心に運転される信州2号。以前2週連続でS207編成だったこともあったというのはさておき、かつて189系でおはようライナーが運転されていた時代と比べると値上げこそしつつもこうして着席通勤ができるのはいいことだと思う。8092Mはこの先明科・田沢・松本・終着の塩尻に停まるとのこと。名古屋行最終のしなの号の後に運転されるので、その救済も兼ねているのだろう。

詳細は不明だがSR1系の回送。たぶん長野駅構内の留置線に引き上げるアレ。マジでちゃんとしな鉄も行きたい。何勝手にしな鉄撮ってんだ!ウケる(笑)。お前の軍門に下った覚えはない。115系諸共ちゃんと撮りたいね。左に写る駅そばは私が初めて長野駅を訪れた平成30年の長野総合車両センター公開イベントの際に朝飯を食べた店。多分。

こちらは妙高高原始発の軽井沢行。こちらもSR1系での運転だが、いつ見ても2両で満員となるレベルの乗車率(長野場面での話だが)で私なら乗る気が失せる列車。一説ではSR1系100代(青い塗装の車両)はあの手の混雑を見て顔面蒼白になった結果あの塗装になったとも言われている。※言われていません

左側2682Mの乗車率がえぐかった。どっかの都知事が見たらヒステリックどころか発狂しそうだ。密です!って。密ですなんてもう死語だろうがよ(笑)。なお映画「翔んで埼玉」の東京都知事ほどの権限は現実の都知事にはないので、千葉県人の私がこういう半ばおちょくったことを書いても都内から排除されることはない。言論の自由は素晴らしい。

名古屋からのしなの21号はA8編成での運転だった。同編成は初代アル中カラカラとして有名なwawawaさんが平成31年1月にうpした動画に登場する特急しなの号の後ろ6両として一瞬出演している輝かしい経歴を持つ編成でもある。
それがこちらだ。名古屋での乗換えシーンで一瞬だがA8と映るので、ご興味のある方は是非ともご覧になってみてはいかがだろうか。※僕はここまで飲めないのでwawawaさんが羨ましいです

1021Mは金山にも停まる数少ない列車のひとつ。金山は東海道線に加えて名鉄や地下鉄名城線・名港線と乗換えることができるターミナルなので(ターミナルさん?!)、通勤需要も拾っているんだろう。特急しなの号のうち名古屋~塩尻・松本の停車駅に関しては元ヘヴィユーザーなのでそこそこ把握はしているのだけど、松本~長野のそれに関しては自慢では無いが全く把握していないので有益な情報を書くことができないのが残念。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁ!
これにて撮影は終了。新幹線の改札に入り、一路東京を目指していく。

E217系廃車回送を長野まで追ったうちの電車で追っかけた際の帰りはいつもあさま632号(632E)のお世話になっていた。

上越新幹線用のE7系として落成、当初は朱鷺色の帯をまとっていたF22編成がきた。今も新潟所属の車両だったかとは思うが、代走なのかどうかこそ不明ながらもこの日は632Eに充当されていた。それでは東京までよろしくどうぞ。

新幹線大爆破風のテロップを入れたくなったのでぶちこんでやるぜ!してみました。つってもあの映画にE7系は出てこないけど。いや一応救援列車として出せないかどうかという指令員の会話では出るけどさ。
無論この日の632Eに爆弾なんて仕掛けられていないし、大前提としてテロは決して許されるものではないが、後述する通りこの日の私は高崎付近で寝落ちしていたので、仮に大宮手前がゼロ地点になっていた場合は気が付かずに吹っ飛んでいた可能性がある。

ここ数か月お世話になってきた632Eもしばらくはおさらばかなあ。長野遠征を敢行する場合、また同行者がいたとして迷惑にならない場合はまた632Eを選ぶとは思うけど。あくまでも水曜を中心に乗った同列車はそこそこ空いていて快適だったもの。下手に敦賀・金沢始発のかがやき・はくたかに殴り込むよりはいいはず。去年11月に高崎から乗った時も安心して乗れたし。

なんかこうして丸1日潰してE217系を追っかけるのも最後だと思うと色々と切ないものがある。また217と直接の関係こそないが、632Eに限らず夜の新幹線だからこその特別感、始発駅で発車を待つあの感じがしばらくは味わえないかと思うとそれもまた寂しい。次は廃車回送ではなく長野遠征でお世話になることができたらと思う。
もし今年も長野総合車両センター公開イベントがあるのであれば、その時かなあ。そういえば長野駅の駅メロが信濃の国になって久しいけど、あれもしばらくは聞かないかと思うと少々寂しさを覚える。

今回は荷物スペースの後ろの席を確保。なんだかんだでE7系以外の各新幹線も含めてこの席は初めての利用だったかもしれない。最前列特有の前が壁となるのとはまた違った感じでちょっと新鮮だったようにも思える。

明日も休みだし(だって夜施行だと思って2連休とってたんだもん)居酒屋あさまの開店は当たり前だよなぁ?E217系でこれをして寝落ちした挙句に幕張車両センターまでドナドナされたのもいい思い出だ。いやセンターの社員さんにご迷惑をおかけしたことは反省している。

多分前にも書いたと思うのであんまり同じ話ばかりするのも気が引けるのだけど、21時を過ぎても富山や金沢ならまだしも敦賀まで行くことができるあたり、改めて新幹線ってすげえよなあと思う。じゃあ撮れって話だけど、東京以外の始発駅だからこそできる、始発駅から乗車した際の発車までの時間を車内で過ごすアレがたまらなく好きなので、なんというかセンセンシャル。

まもなく軽井沢ってところで撮っていた写真。10年前ならギリギリE2系0代も生き残っていたと思うが、流石に平日の夜の上りのあさまには充当されなかった可能性もあるんだろうか。いやまだ10年前なら定期運用はあったのか(N編成定期運用終了は平成28年3月、平成29年3月の臨時あさま655号がラストランとなるので)。E2系N編成の大半の編成に搭載されていた東芝+シーメンス製のあのインバーターの音が好きだった。

列車は高崎に到着。やっぱり最前列のクソデカテーブルに加えて壁ではない荷物置き場の仕切りなのでなんか開放感があってよかったように思えた。正直とりあえずE席に座ってD席に荷物を置いてトナラーブロックをできればよかったので何も考えずにこの席を選んだわけだけど、案外いい発見をしたかもしれない。

E7系は全席にコンセントがある上に私のオレ調べでは日本の新幹線の普通席で一番優秀だと思っているので、いわばまさにレベルの高い合格点をオールウェイズ出してくれる優秀な車両である訳でありますが、E2系あさまが帰り道の新幹線だったらそれはそれで面白かったかもしれない。
N編成がこうして並んでいた10年以上前に戻りたいという話はまたいつかするとしよう。コンセントこそなくともE2系N編成に乗れたらと思うとそれはそれで夢も広がるので、できればあさま号としてのE2系にも乗ってみたかった。いや0代J編成でも8両時代はあさま運用はあったし、J5編成は試運転で後に増備された7・8号車共々北陸新幹線金沢まで10両で入線はしているけどさ。
して気が付いたら上野に停車していた。あっぶね~。いや東京で降りる予定だしそもそもタッチでGo新幹線利用だったとはいえさ。
という訳で時刻通りに東京に到着。思えば東北新幹線内でのダイヤ乱れの煽りをくらって632Eが遅れたなんてことも何回かあったけれど、E217系最終回はそのようなこともなく時刻通りの到着となった。無論それは当たり前ではないが、ありがとうございました。

思えば0泊2日・総所要時間19時間という頭のおかしい行程で新潟遠征を決行した時に撮っていたF22編成にここで乗ることになるとは思いもしなかった。まだまだ新しい編成だからきっとこれから先もお世話になることだろう。その際はまたよろりんこ。F22はまだ新しいものの、そろそろE7系初期車の減価償却が終わりそうという事実は何も見なかったことにしたい。私は何も知らない。

一連の遠征も長野新幹線の速達性であっという間に現実に戻された。始発の快速があるので東京から総武快速線に乗車。比較的空いている付属編成では酒を飲んでいた。千葉からは歩いて帰宅、そのままバタンキュー。京葉線より便利だからね。もともと夜施行のはずだと思っていたので翌日も休みにしていたのをいいことにいい感じに飲んでいた。そんなこんなでE217系の配給の追っかけは本当にこれで終わり。あと数回ぐらいはありそうな気がするけど、もうないんだなあ。

色々あったE217系の配給も本当にこれで終わりか。なんか信じられないが、甲府に住んでいた時に色々とやらかしたり追っかけたら間に合わんかったり、色々あったけれど、こうして千葉から高い金を払ってNN入場を撮りに行くのもこれで一旦最後だろう。次は令和8年以降に予想される209系2100代の廃車回送かな?車で行ける時期は車で行きたいが、こうして電車で酒を飲みながらというのも悪い話ではないはず。これを以て一つの区切りとなったが、また次回以降のNN配給および長野遠征を楽しみにしたい。その時はその時で、きっとこれまでとはまた違ったものを見られるはず。