壮大なタイトルですが正直写真のやる気はないです。6年前の俺、頼むからもっとちゃんと撮れよ。
名残惜しいですが、この日は千葉に帰る日。写真は別の車ですが、この年の春からできた(と記憶しています)五能線キハのローカルで新青森に向かいました。てっきり701系だろうと思っていたばかりに少し嬉しかった反面、祖父母や親戚とのバイバイが寂しかったのは変わりませんけどね。
で、そのローカルで寂しく新青森へと向かっていたら、車掌さんから「SLとすれ違いますのでご覧くださいな」という旨のアナウンス。あやっべ忘れてた!wとまるで宿題を忘れたかのようなノリで乗務員室の窓から一枚だけ撮りました。
SLなんて何年も撮っていませんが、またこうして青森にも来てほしいですし、願わくは僕が山梨にいる間に中央線にも来てほしいものです。
そういえば白鳥とスーパー白鳥がなくなったから青森~津軽新城のローカルが設定されたんでしたね。新青森発着でいいじゃん!と言いたいところですが、元々新青森発着の特急も一旦津軽新城に引き上げて折り返していたことを鑑みればまあいいんじゃないですか(テキトー)。
それはそうと、雲こそかかっていますが、途中岩木山と田んぼの絨毯が綺麗でした。弘前から遠ざかるにつれて見えなくなる岩木山、弘前に近づくと見えるようになる岩木山、切ないもんです。
所変わって新青森*1。連休だった上に当時は今ほどUも増えていなかった為か、臨時はやてでJを拝むことができました。元々Jを狙ってはいたものの0代が来るとは思わず、でも日立GTOじゃないんかい…ちょっと複雑な気持ちで乗り込んだのが懐かしいです。
まあ、今じゃJの新青森発着臨なんてもんがそもそも珍しいなんてもんじゃないですし、J0自体も14本すべてお亡くなりになって久しいんですけどね。
既に見ることはできませんが、八戸発着時代もその前もはやて・やまびこではJ0を引く回数が多く、それ故にこの内装には一種の実家のような安心感を覚えていました。1000代だと号車によって違うモケットも、J0やNでは座席によって違うので、どの席のどのモケットかな~なんて毎度wktkしていたのが懐かしい。座面スライドもなければ無論コンセントやWi-Fiもありませんでしたが、ある意味”乗ったときからそこは北”って感じで好きでしたね、E2系0代。
この後の管理人は受験戦争だったりなんだったりでJ0への乗車や撮影は叶わず、気づいたらすべての車が天に召されていたのが心残りです。思い出は心の中にあっても、ね。
またJのはやてを拝める日は来るのでしょうか…。来たところで乗車と撮影のどっちにしようと大いに迷ってしまうのでしょうが、それでも臨が減ってしまった昨今の現状を見ているとあと1回でいいからJのはやてが設定されてほしいと願わずにはいられません。知らんけど。
車内での僕らしい。萩原牛乳の牛乳もシャイニーのリンゴジュースも本当に美味しいので、青森にお越しの際はどうかお試しあれ。車販でりんごアイスがあったのも懐かしいですな…。
上野で降りたら反対に新しいロゴを貼ったNがいたんだっけか。この年も少しばかり新幹線は撮っていましたが、この半年後にNが完全に姿を消したのもなんというか心残りかもしれませんね。昔はあさまとして腐るほど走ってたりあの東芝とシーメンスのハーフアンドハーフインバーターを響かせてたりしたのに。
だいぶワールドカオスなアレになりましたが、以上、平成28年秋の青森帰省を振り返ってみますた。青森大好き人間なんで、この一連の記事で弘南鉄道であれ奥羽線であれ青森であれ行ってみたいと思ってくださる方がいらっしゃれば青森人冥利に尽きる...かもしれません。いや俺だって帰りたいから金をくれ金を。
過ぎ去った普通の日々が...じゃないですけど、改めてそこらに転がってる日常も大切なんだろうと思う管理人でした。まあ中央線の場合は長野入出場関連や団臨ばかり撮ってる僕に言えたもんじゃない。
ではまた。