前回記事の続きです。おまけに255系もあるよ。
3日目おまけ 255系のちょっとした記録
前回は255系に乗車するところまで書いた。そうですね。
自由席車両で撮っておいてもよかったんだけど、指定席のチケットレス目当てで指定席に乗ってしまったのでご容赦を。臨時しおさい81号/82号(だったっけ)あたりでまた見られそうですね。
表示が銚子行に変わる。
総武本線経由。
英字表記。方向幕ばっかじゃねえか。
スナップ風(笑)。なんか10年ぐらい前の総武線特急って3番線からだった気がするけども、でも今では2番線にいるのも違和感はなくなった。
10年前はしおさいといえばE257系だったけど、今では255系の運用にもすっかり慣れた。佐倉で分割するしおさい+あやめなんてのもありましたよね。懐かしい。
※画像は令和3年12月の臨時しおさい81号。
ビューの割に窓はそこまで大きくないのはご愛敬。でも各線の風光明媚な景色を30年近くにわたり見せてくれていたのもまた事実でありましょう。
255系の臨時運用にも期待したいと思います。できればビューかいじで(多分それは無理な気がするけど)。
4日目 帰り道は遠回りしたくなるかも
実家で休養し、今日は少し遠回りして帰ることにする。初詣だよ。フフ。はあ?
快速「エアポート成田」に乗車する(死語)。エアポート成田の名前は好きなんだけど、英語案内の ”Airport Narita for Narita Airport” って普通に何も知らないで聞いたらはあぁぁぁぁぁぁ?なのかもしれない。知らんけど。でもエアポート成田の特別感好きだったなあ。
なお帰宅ラッシュの時間帯ということで軽微な遅延が生じていた。シミュレーターで遅延したら目を三角にして鬼の回復運転をしているキモヲタの私だが、正直客として乗るときは何も気にしていないのでおk。ただし11連、あんたはダメだ。
前回の記事でまた会う日を楽しみにしていたE217系で成田空港に向かう。いないようでまだまだ乗れるのは嬉しいね。でもラッシュ時の11連で来るのはやめてください。
この列車は途中の佐倉で成田エクスプレスの待避、成田では列車行違いがあったこともあってか、結局普通に定時の運転だった。ありがたいことである。
道中、強烈な腹痛に襲われつつも成田空港まで乗車。
平成9年製、今年で27年か。27年前の電車とは思えないかっこよさがあるけれど、この記事が出るころにはまた1編成ぐらい引退していそう。思えばE235系1000代のデビューから3年が経ったが、今ではほとんどがE235系1000代となってしまった。
ボックスシートで混雑に拍車をかけるE217系をラッシュ時の11連という戦犯に等しい列車に充当してほしくないとは思いつつ、まだまだE217系にも頑張ってほしい。また会う日を楽しみにしている。
成田空港到着。お手洗いにダイバートしてからの撮影だが、これで僕も空港関係者だ。違います。
鉄路であれ車であれ成田空港に入る際には手荷物検査や検問があったが、廃止されて久しい。家族で成田空港を訪れた際、車に積みっぱなしだった花火が引っかかり、何事ならんとやってきた空港警察に預かってもらったのも懐かしい思い出だ。なんで検問廃止したのか気になる。
スカイライナーの切符売り場にて。京成パンダもびっくりだね。これは恐らくインバウンド客の需要回復に驚いているものと思われる。違います。
成田空港では地元の友人がたまたまいるとのことで、少しだけ挨拶をしていくことにした。
彼とは10月以来の再会だ。わずかな時間ながら話に花が咲く。私とは違い立派に社会人として頑張る姿がかっこいいと素直に思う。もちろん、それは彼以外の友人諸氏も含めて。
地元に帰ったとき、そうでないときも、そしてもちろん地元以外に住んでいる方も彼のように優しい言葉をかけてくれる友人諸氏がいることは本当にありがたいと心から思う。
春の改正で消滅する八王子エクスプレスを観測。高尾エクスプレスの頃に一度だけお世話になったことがあった。あれはMax狙いの遠征の時だったね。八王子始発の今ならバルブもできそうだけど、行かないまま終わりそう。
新宿から先、通しで吉祥寺・立川・八王子まで空港から乗換えることなく移動できるのはとても便利だとは思う。でも中央線特急の料金体系が二重でややこしかったり、というかそもそも(私が乗った時はコロナ禍だったとはいえ)客数がアレだったり、いろいろあるのだろう。減便にはなるが人件費も浮くだろうし。
5年前は河口湖や大宮までの運用もあった。今でも仲良くしてくださっている兄貴のように慕っているオタク氏と撮りに行ったのが懐かしく思い出される。いつもお世話になり本当にありがとうございます。
E259系の「成田エクスプレス」としての運用が改正ごとに狭まっていくのは残念だけど、まあでも次の改正では銚子までの運用もできるわけだし、引退のその時*1まで引き続きその姿は記録していきたい。
アクセス特急として3157編成が来た。個人的に富士山やスカイツリー等、沿線の景色をちりばめたデザインが推せる。顔が強いのはもちろんなんだけどね。一度都営線内のエアポート快特で乗車した際には座席を跳ね上げられるアレに感謝した。まあ、赤い大陸から来たアホなインバウンド(笑)が座りたいアルよ!って喚いたからどかしてあげたけど。
気を取り直してスカイライナー70号に乗車。乗車口改札のお姉さんに英語でご挨拶をいただいたのはちょっと面白かった。悪く言う気は全くないので、どうか嫌味と捉えずにいただけたら嬉しい。でも私は何人に見えたのだろうか。
で、スカイライナーに乗りました(2回目)。AE形に乗るのは恐らく令和3年末ぶりだ。またインバウンドで盛況となった同列車は混雑の影響で、2ビルを3分遅れて発車した。
いろいろと思うところはある。でも京成の看板列車であるスカイライナーが再びこうして日本の玄関として輝いているのは、京成ファンとしては素直に嬉しく感じた。後述するが50周年を迎えたスカイライナー、そして京成電鉄の更なる飛躍を心から祈念する。
イブニングライナーで見慣れた車内に実家のような安心感を覚えながら、指定した座席に座る。硬めの座席だが、どう頑張っても2時間も乗らないような列車である上に、普通に快適なのは流石京成といったところだ。人様の座席の後ろにクソデカスーツケースを置く不届きな外人がいても、座席自体はフルに倒せる。設計が10年以上前なのに全席にコンセントもある。AE形は本当に素晴らしい。
細かいところを見ると劣化こそ目立つが、私にとっては永遠の新型スカイライナー。
これ以上の増発は現実的ではないのだろうが、飽和状態なのであれば本線経由のシティライナーの復活も視野にいれていただければ嬉しい。車両足りないだろうけど。ただ、もし今もAE100形のシティライナーが存在していたら、もしかしたら…夢と希望が広がリングです。
では上野までの40分ほどで酒盛り開始だ。スカイライナー唯一(ゆいいつ)の欠点といえば、乗車時間が短くてロクに酒盛りができないというのはあるかもしれない。言葉を返せば、それだけ速達性に優れているってことだ。スカイライナー、そして京成電鉄の更なる以下略。
上野で下車した。編成はAE3編成だった。なぜAE100がいないのかについては詳しくお尋ねしたいが、50周年に関しては本当に素直にお祝い申し上げます。そのノリでチハライナーもお願いします。
スカイライナーのフォントが初代と2代目のアレであるところに拘りを感じる。
私事だが、乗車日は弊ブログ開設8周年の日で、一番最初の写真は同じホームで撮ったAEの写真だった。偶然とはいえちょっと嬉しいかもしれない。
上野には21時前に到着。この時間なら上野からあけぼのが出ているのでまた弘前に帰省できていいですね。
そうだ、ソロならB開放と同額でプライベートと灰皿が確保できる....はぁ。
寝台特急あけぼの、普通に需要あったんじゃないかと思う。私が弘前への帰省では本当にお世話になったという思い入れを抜きに、実際に村上~弘前の各停車駅*2に乗換えることなく移動できていたわけだし。
あけぼの号もサンライズよろしく後継が出て存続してほしかった。といいつつも、深夜帯に勤務される現場の社員の皆さんのご負担に鑑みたらそうもいかないか。京葉線快速の廃止でミスを減らしたいとか紹興酒でアルハラするとかそういうのに寒い中で立哨させたら殺されちゃうからね(笑)
ぼくこっち乗りたい。
といいつつも、明日からは大学院も始まることだから、名古屋に戻ります。八事日赤駅も名古屋大学駅もクソほど不便なので、とりあえず名城線は廃線でヨシ。
ひかり667号で名古屋に向かう。N700Sは普通にいい。また着折ではないのかわからないが、ホーム到着後速やかに乗車できたほか空いていて最高だった。
以上、年始の帰省記事の最終回を1か月遅れで書き上げた。1月が忙しかったかというとそういう訳でもない。体調は崩していたけど。
次回予告
首都圏を雪が襲う。不要不急の外出?いいえ要・急の帰省です。
255系も登場するよ。
というわけで、長くなってしまいましたが最後までのお付き合いありがとうございました。
次回記事は既に完成しています(公開は未定)。千葉が中心の記事になるかもしれませんし、そうならず名古屋市営地下鉄中心になるかもしれません。なるわけねえ(笑)。もちろん車両まで嫌いってことはありません。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってわけでもないので。