アクセス取れる訳でもなさそうなのでカテゴライズも何もしませんが、管理人の日記として今年一年をまとめておこうかと思いまする。
1月
E217系廃車開始
わかっていても寂しかった。千葉育ちの人間としてぼくの人生を語るに欠かせない(?)E217系ですが、後継のE235系1000代の登場により段々と置換えが進んでいきました。こちらは初回のY-44編成。偶然お会いしたFFさまに寒い中雑談にお付き合いいただいたのは今でも感謝しておりますが、帰宅後に217も別れが近づいていると思い何とも言えない寂しさを感じたなと思います。千葉のいなかっぺな僕が東京に行くときって217の世話にならない時の方が少なかったですからね。
名鉄9500系との出会い?
別れがあれば...じゃないですが、個人的には初めて名鉄9500を撮ったのがこの月でした。普通にかっこよくていいなと思いました。これから先の進路を鑑みて名鉄さんのお世話になる機会がどれだけあるかはわからないものの、また機会があれば撮りたいです。かっこいいもんね。
2月
Maxのために...
E4系Maxにフルスイング...できたのかなあ。
スプリンクラー目当てという建前で2回ほど新潟へ。新型コロナウイルスの影響で収入も落ちてきつかったのは事実ですが、悔いはありません。Max懐かしいな、というよりはまだ引退の実感が沸きません。
EF64 37
最後のロクヨンゼロとして大人気であったであろう37号機が、令和元年からは当たり前のように務めていた甲府常駐の任を解かれて高崎に回送されました。当時は引退だなんだと騒がれつつ結局そこから数カ月ほどは生きていましたが、秋田に入場した彼が今後自走することがあるのか気になるところです。あと1052もね。両機ともに、寝台特急あけぼの号で多々お世話になりました。
ドゥワァセンナナヒャク!
なんか駆け込む形で名鉄1700系も撮影できました。同い年ということもありかっこいいし乗ってみたいと思ったら引退、なんてこったパンナコッタ。
3月
E257系2000代、新天地へ。
疎開等で時折長野や新潟等にも顔を見せていたE257系2000代ですが、本格的な運用開始を前に全ての車が東大宮センターに集結。新天地での活躍に期待している自分もいますが、やはり慣れ親しんだ257とのお別れは寂しいものがあるなと感じた次第です。
4月
はじめまして、E235系1000代。
217や209を撮りにいったという建前で親友と飲んだ翌日、朝からモノサクに行っていたっけ。235もだいぶ増えたと思いつつ、JR千葉がアツい今こそもっと通いたいと思いながら正直これ以来ロクに千葉の電車撮ってません。なんでだよ。
209系2000代/2100代の廃車開始
E131系導入や運用整理等の理由で余剰が出た6連の数編成の廃車が始まりました。この日は名古屋の帰りだったなと思うと余計に切ないのですが(ぼくが苦しくなるので)、それはさておきクソガキだったあの頃に113系や211系を追いだした209系が廃車だなんて未だに信じられないものです。
思えば佐倉から209系ローカルに乗って新天地・山梨に越してきた私がその山梨で(これはたまたま塩尻なので長野ですが)彼らの一部を見送ることになるとは、本当に複雑な思いです。
5月
はじめまして、スーパークモヤ
それまで常磐線等で試運転を行っていたE493系ですが、この日は先輩格のEF64 37を従えて初の中央本線にやってきました。そーいやこれも名古屋帰り...まあいいや、ぼくが山梨にいるうちはスーパークモヤ牽引の配給なんて見られないでしょうけれど、EF64が好きなのを差し引くとこの電車もかっこいいので実はまた見たかったりしまする。
まだまだ頑張るE257系0代
一応まだまだ257の臨時もありました、ってOM-93の出場日に執筆するとこの武田菱がいないのが寂しくなっちゃってアレですね。複雑かも。
6月
Maxのために...
Maxのために新潟に滞在できたらよかったのですが、そうは問屋が卸しませんよね。単に研究分野のアレがこれでそうだったので偶然にも新潟に1週間ほど滞在したのですけれど、おかげでちょっとだけMaxとの思い出を増やすことができました。そういや亀田から関越道?に乗ったときに偶然Maxと並走したこともありましたっけね。懐かしい。
以上、今年の前半の誰も得をしない振り返りでした。数時間後に7月以降のものもうpするかも。