皆さんこんにちは。昨日お届けした新幹線撮影記の第2弾ということで、引き続き東京での写真をお送りいたします。どうせなら暗くなってから上野でも行っておけばなと思いますが、もう後の祭りです。また撮りにいけという神様の思召しでしょう。
あ、ぼくは某移民系一神教ではないので、撮りながら酒を飲んでいました。一日に何回も祈ってもロクに経済成長できない人たち(笑)。イスラム教徒の移民が消えて再び平和な日本になったとて、それ以前に平日の夕方に酒飲んで電車を撮っている時点で、なんか大切なものをなくしたような気はしますけどね。

第2弾1発目の写真は新函館北斗・秋田からのはやぶさ・こまち18号。折返してまた新函館北斗・秋田まで行くというんだからすごいよなと思う。いやまあこまちは秋田に戻るのが大半だから、東京で連結相手を変える訳にも行かない以上はそれもそうかって話だけど。E5系側は新函館北斗到着後、函館新幹線総合車両所に多分一度入庫し、折返し北海道新幹線上り最終列車のはやて100号になる運用だったかと記憶している。

実は私も一度乗ったことがあった。あの時は令和元年9月、まだ中国の武漢で新型コロナウイルスが発生する前のこと。キャラクターに罪はないし悪く言う気もないが、あのクソみたいなウイルスで金と利権に塗れたくだらない東京2020(笑)が延期になったのは面白かった。国民には我慢を強いて、利権のイベントは延期で開催。くっだらねえ話だよ。※利権に群がっていた組織委員会やらIOCやらの連中はコロっとお亡くなりになっています。
で、はやて100号:100Bは現在では数少ない存在となった定期はやて号。はやぶさ号との違いは日常的に320km/h運転を行う盛岡~宇都宮間を通らないためと思われ、はやぶさ料金も加算なし。逆にこれはいずれ新青森~盛岡間の東北新幹線区間、そして未開通区間を含めた北海道新幹線の最高速度が320km/hに引き上げられた場合、いよいよ定期はやて号は廃止になり臨時のみで運転される可能性が微レ存かも。

長野からのあさま618号はJR西日本のW7系が充当されていた。確かこれ所定なんだっけか。折返しはくたか号となるので、恐らくは運用の一環のバイトみたいな感じの運用なのかも。ぼくアルバイトォォォ!※エキセンで社員気取りをする元バイトとは関係ありません。そろそろこの件で京成の偉い人に情報をたれ込みたくて死にそうだ。そんなんじゃ死なねえけど。

23番線からは郡山行の261Bが発車。編成UZの17両なので多分トナラー回避はたやすいのではないかと思う。平成11年生まれの私にとってはやはりこの組み合わせには未来を感じる。平成の車両とはいえ。

後ろ10両はU29編成で、平成27年12月の竣工。その前のU28編成とは2年半近い経年差があるほか、この編成以降は普通車でも全ての座席にコンセントが設置された所謂後期車であることが特徴。恥ずかしながら初撮影ですた。いや、中学生の頃のデータを復旧したr…U29が竣工した頃ってもう俺高校生だったんだ。

明らかにボケーっとしていて撮るタイミングを間違えたのがバレバレだよ。郡山からのなすの276号は悲惨なことになってしまった。
郡山からのなすの号というと、令和4年に地震の影響で新幹線が一部運休した頃に決行した仙台遠征の帰り道を思い出す。東北本線人身事故の影響で臨時快速がウヤって、郡山からは都内を目指す我々のために臨時で設定された546号だったっけか。あの時に同列車のために尽力くださったJRおよび関係各社の皆さんには、この場で申し訳ないが改めて御礼申し上げたい。

改札にある例のあのモニターによれば9626Bとのことで、臨時でスジを引いたのかもしれないしそうでもないかもしれない回送としてU36編成が到着。
令和6年1月の帰省、公開日からは2年ほど前に福島で撮って以来の再会だったが、思えばあの時も回送だったような。3連休最終日に下り回送なんてあるものなんだ?と思ったのを懐かしく思い出した。あの時にご一緒した少年は元気だろうか。

22番線を挟んでE6系が並ぶ(時系列が前後していてセンセン)。既に不慮の事故で1編成廃車になっているのはさておき、E5系の営業開始から2年遅れて運転を開始した上に320km/h運転で車体への負荷もかかっていることに鑑みると、令和7年にE5系(とE2系)後継となるE10系の話が出たことに鑑みたら令和9年ぐらいに後継の話が出るのだろうか。あんまり考えたくないけど。
※この数日後にどさくさに紛れてで、出ましたよ…

発車のお時間となった。この先盛岡で分割した後、はやぶさ側3029Bは盛岡から新函館北斗までの各駅に停まる。盛岡以北では特定特急券で普通車の空席を利用可能となっているほか、盛岡発車が17時半を回っていることもあり、盛岡以北の各駅間の通勤需要も担っているのではないかと思う。実際に新青森18時半ごろ発の3040Bは一定数それっぽい利用者もいたし。

U36の際にも触れた令和6年始の帰省に際しては新青森から仙台までお世話になっていたU17編成、この日は盛岡からの56Bに充当されていた。連休最終日ということで仙台からは満席だったと乗車していた家族から報告を受けていて、やっぱ混む時のはやぶさ・こまちを仙台以南で利用するもんじゃねえな~と改めて実感したのを覚えている。

こうしてE5系の写真もどんどん増やしていきたい反面、東京ばっかじゃねーかってなるので、いい加減にそろそろ別の駅にも撮りに行けば?と思う。上野はどっかのピンチケがいそうだから面白いし、大宮も中国の武漢で発生した新型コロナウイルスで大変だった令和2年10月以来行ってないし、エキセン以外でも撮れる場所は多々ある訳だし。
大宮で思い出したけど、大宮での撮影に関してクレクレしてきたパンハンドラーって今どうしてるんだろうな。絡みもないのにクレクレ(笑)。当ブログをよく見ています(原文ママ・謙譲語って知ってる?)なんてほざいておいて今は全然その痕跡がないあたり、やっぱE4系引退前に沸いてきていた連中ってその程度なんだなあと改めて思う。

あさまで到着したW7系は敦賀行のはくたか号として折返していった。自称新幹線オタク名乗るなって言われそうだけど、日中の下りって今思うとかがやき号がないんだね。東の意向か西の意向かはわからないけど、東京10時22分発のかがやき509号が出ると次の下りって16時24分の511号なんだって。※平日ダイヤの場合

現存するE7系としては2番目に古いF4編成は新潟からの322Cで到着。あの水没事故がなかったら、「そろそろE7系F1編成の減価償却が終わるなんていや~んwwwあーんwwwいやーんwwwアイアンマンっ!」という痛い老害「気取り」ムーブをして「若い子にオッサンの話は響かないな…」というキメ台詞まで言えたんだけどなあ…いや、誰が悪い訳でもないだろうし、あの事故でJRを批判する気はないけど。

初めてE7系を撮った、いや見たのもこの東京駅の20番線だった。あれは営業開始から2か月も経たない頃で、まだ北陸新幹線金沢開業前に先行して長野新幹線あさまの一部運用を持っていた頃だったな。もう令和8年でそれが12年前も前のことになる。

なお、F4編成ではなくF1編成だった模様ではある。同編成は人生初のE7系だったほか、この4年ハァン後に長野から高崎ではあるが初めて乗ったE7系でもあったので、あのような形での廃車は残念極まりなかった。してF4編成に関しては、E217系Y-35編成廃車回送の帰りにお世話になって以来の再会だった。

なすので到着したU25編成は折返し回送となる。それはそうって話だが、東京で全てが着折で営業に就く訳ではないだろうからね。この回送がどこまで行くのかに関しては内部情報を教えてくれる「俺のダチ」がいない以上不明だけど、多分上野か上一運(現:東京新幹線車両センター)にでも持っていくのではないかと思われる。

回送と思われる列車で到着したのはE5系で2番目に新しいU50編成。私も令和7年春の弘前帰省に際しては新青森から仙台にてお世話になった思い出の編成。8月には当時の総理だった石破とインドの首相がグランクラスに乗車したことで注目を集めた編成もこれ。グランクラスの席を回せるような設定って乗務員室でできるものなのかな。

列番に鑑みて臨時の回送とみて差し支えなさそうな感じで折返していった。56Bの折返しってやまびこ67号:67Bだった気がするんだけど、何かしらの理由でそれが変更となり、回送されていったんだと思う。でも東京でE5系を車両交換したのって何でだ?何かしらの不具合があったのかな。その割に俺が9月の帰省の帰りで利用したはやぶさはお手洗い壊れていたけどなあ。

こちらが67Bとして発車していった。金曜日でも最繁忙期でもない普通の平日とはいえ、2面4線でカツカツな捌き方をしている東の新幹線の東京駅においてこんな車両交換があるあたり、ダイヤを組む担当をされている社員の方ってプロなんだろうと思う。それはそうだけどさ。少なくとも俺は臨時のスジを引くなんて絶対に無理。

回送でW7系が入線してきた。列番もわかればよかったんだけど、例のモニターを撮ったものの到着側の一部が白飛びしたのでわからない。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁ~。某氏botは既に辞世の句を詠んでしまったので、そろそろそっとしておこうと思う。すると思うなよ。

W7系とE7系の違いはロゴの英字がWESTかEASTかの違い、所属、車内チャイムぐらいか。かつての700系や300系のように両社で内装等に差異を出したらそれもまた面白かったのかもしれないけど、共通のコンセプトで開発したんだろうし、そもそも個人的にはW7系とE7系はいつ乗っても現行の新幹線で一番快適だって何回も書いて来た通りだし、内装も好きだし、今のままでいいと思ってるけど。

あさま号だとグランクラスは座席のみの営業だけど、それでも全列車にあるのがいいなあと思う。E10系よろしく後継車はグランクラスがなくなるのかな?と思ったけど、金沢や敦賀、そして将来の新大阪延伸を考えたらそれはないか。まあ東北側も札幌延伸を見据えた新型車両ではグランクラスが維持されるだろうし。

ところで、このW14編成敦賀方先頭車の12号車の車番はなんとも香ばしいようでそうでもないアレだった。(例のアレ要素は)ないです。これで「(W7系で富山・石川・福井に)行ったことありますよ!」と言えたら完璧だったってはっきりわかんだね。旅行したいけどインバウンドが邪魔だからな~どうすっかな俺もな~。

E445-14…あっ(察し)先輩?!まずいですよ!これは越後湯沢から高崎でMaxに乗った時の写真。令和3年2月になけなしの金で0泊2日でMaxとスプリンクラーのアレを撮りに行った時のものだった。この辺も改めて書き直していずれ公開予定なので、といっても来年以降になるとは思うが、いずれ公開できた際にはE4系ファンの皆さんにお楽しみいただけたら幸いだ。

その時に撮って乗ったのはP14編成だった。楽しかったな、Maxがいたあの頃。今の新幹線も好きだけど、自分の原点だからね。以前も書いたかもだけど、私は中学時代に本当にひどいいじめに遭っていた。でもその頃、たまに東京に新幹線を撮りに来て元気を出していたんだよなあ。

私、本当に不憫なんです(自分で言うな)。中学時代、酷い目に遭わされてて。入学して以来、いじめられてばかり。口癖はそう…死にたい。
…と、新幹線大爆破のセリフをまたしても引用したけど、正直いまの人生はバカクソ楽しいので俺の勝ち。中学の同期はみんなジャスコから飛び降りてグチャグチャになって死んじゃったからね。世界がwひとつにwなーるまでーwww
そして、辛かった頃の支えでもあった新幹線をこうしてピチピチのアラサーになった今も変わらずオタクしている今が本当に幸せだ。いじめっこの皆さん!残念でした!ギャッハッハ(笑)ああもう死んじゃったんだった。二度と人間に生まれてくるなよ~!

塗装が変わっても気持ちは変わらない(イケボ)。そのイケボになってない、ただのキモオタボイスをイケボって書くのやめなさいよ。でもね、Maxのオタクでいられること、4年以上経った今も好きでいられること、これは本当に誇りだと思う。
話を令和7年に戻そう。好きなことになると語りすぎるのは俺の悪い癖。

322C折返しは先ほども言及したF4編成。同編成はどちらかというと当初長野新幹線に投入された編成=E2系0代N編成の代替だけど、この日は上越の運用に就いていたらしい。あさまで乗ったと書いた通り、長野・新潟車はお互いに代走をすることもあるけど、そう考えるとやっぱり車両共通化って俺みたいな素人のオタクには計り知れない部分でもメリットが多々あるんだろうなあ。

新潟までお気をつけて。いいな、また新潟にも行きたい。新幹線で2時間もあれば行けるって思えば近場だよね。だって新宿から甲府があずさで1時間半なんだし。E7系の車内で酒盛り…はもう何回もしているけれど、新潟は新幹線抜きにまた行きたい。積雪期じゃなかったらクルルァで行くにもいい距離だし。
その3に続く(明日続けて公開いたします)。