
皆さんこんにちは。昨日の記事、および17日の記事でお届けした通り、JR東日本長野総合車両センターで開催された長野鉄道フェスタにお邪魔してまいりました。今回は真打ともいえよう長野総合車両センター公開の記事を書いてまいりたいと思います。本日もよろしくお願いいたします。

北長野から歩くこと15分程度、令和元年秋以来となる長野総合車両センターに到着した。当時と今回で無論展示車両や内容等は変わるが、それでもwktkしない方が難しい。ということで、オッスお願いしまーす!
入口のテントでパンフレットをいただき、さっそくNN入場。やはり一番の目当てはE217系、というかE217系の展示があるから(たまたま休めたとはいえ)来たまであるからね。E353系や211系といったいつメンだけでも来たとは思うけど。

検修車両展示コーナーではまず入場中のおいこっとが展示されていた。たまたまタイミングが重なったのだろうけど、さっそくラッキーな気がする。おいこっとを初めて撮ったのが令和2年9月なので、そこから5年以上が経っているという現実は一旦見なかったことにしよう。何だか知らんがとにかくヨシ!

以前もお届けした通り、長野総合車両センター高尾支所みたいなことになっていた。厳密には大月から立川の各駅では毎日離合している訳だけど。奥のE233系は機器更新、手前の211系は検査入場だろうか。

廃車が決まっているというE217系のうちY-101編成の半分が落書き列車として用意されていた。流石に落書き用に供されてしまうと今後の運命は想像に難くないので悲しい気持ちになりつつ、それでもE26系カシオペアやEF64等とは異なりE217系が展示対象に選ばれただけ嬉しいことだと思う。

実質的に展示されていた211系はN327編成。1000代ということで車内はボックスシートもある編成。それは別に構わないが、なんかこの編成はやたらめったらと遭遇するイメージがないこともない。その節はどうも。どうせならまだ撮影できていない211系3両だったらと思いつつ、そもそも4年も甲府に住んでいた間に何故それをコンプリートしなかったんだって話になるんだよね。何してたんだよ。※一応4年間大学生でした

元より展示車両として案内されていたE353系のうち、まずはS105編成がこうして展示されていた。フル点灯までどこまでも美味しかったし、私が大学生だった頃から追ってきている車両の晴れ舞台に立ち会えたのはオタクとしてこれ以上ない嬉しいことだと思う。

もう1編成、付属編成のS207編成が展示されていた。こちらは尾灯+ロービーム。イキリたいお年頃の好青年たちが3灯がどうだなんだと格調高い声量でお気持ち表明をしていたのが印象的だった。なお、彼らは年を越さずに死んでしまった。E353系の前任であるE351系、およびE257系0代付属編成の後追い自殺だったか…。棺桶の前に風呂に入ってほしかったな。プーン(笑)

E353系のエクステリアデザインの説明もあった。今回は6年前に増してこういった詳細な説明が各所にあり、私自身もかなり勉強になることが多かったように感じる。そういう意味でも本当に楽しかった。

S105編成は行先表示器で試験表示を行っていた。令和元年秋公開のE257系M-106編成よろしくぶっ飛んだ表示もありよりのありだが、普段絶対に見ることのできないこの表示を見られたのはまた異なるベクトルで嬉しい限り。

特急アドレス1号。そんな列車ある訳ねえだろうってね。これはアップデートを重ねる度に進化し、15年後ぐらいにE353系が機器更新をした際にはアドレス1,919が表示されるという。※されません。

こちらもOSがアップデートされると数字が変わっていくとのことだ。だからそんなことねえから。ほんと。(話の)スケールがデカすぎます!Ver K.114.514までのアップデートに対応。だからしてねえよそんなの。

昨年はわからないが、参考までに(?)平成30年の長野鉄道フェスタにおいては485系K30編成「ゆう」がE353系S108編成と共に展示された。K30編成は前月に廃車回送されていたが、S108編成はどういう理由での展示だったっけ。もう客扱いはしていた(同編成は平成30年7月から)ので、疎開か何かしらの理由で長野に来ていたのだろうか。
時空を令和7年に戻して、

Y-101編成の片割れは先述の通り落書き用車両として展示されていた。これを遠くから蚊の羽音未満のちっせえ声でボソボソ「撮りたいからハケてくださーい」と熱心に呼びかけしていた臭いマニアがいたのもまた面白かった。もう、いくらE217系同様にこの先が長くないからって~。皆さんああいうことはやめましょう、みっともないですから。連中が写り込んだ写真はしかるべき場所に送りますん。
※その連中は残念なことに死んでしまいました←残念だと思っていない

定期運用なので当たり前だが、383系がいるのが新鮮。多分これは名実ともに千葉県人に戻ったから書けることであり、6年前まだ甲府にいた頃なら特に何も書かなかったと思う。これがあれかい?バイアスってやつかい?何でもかんでもカタカナにすりゃいいと思ってるんじゃないよ。
さて、お誘いしていた親友(先に現着済)が食堂にいるとのことで、私も食堂に突撃。ここからは彼の後輩の方2名を合わせた計4名で行動開始となる。いつもぼっちウェーイな私でもやはり親友だったり同じ趣味の方だったり、そういう皆さんと行動していると楽しいのは事実だ。

211系車両展示から1枚。N327編成の中間車。ここの座席下にドアエンジンがあるんだそうだ。

ドア上の機械。悲しいぐらいに理系の知識がないので、突っ込んだことを書くことができないのが残念極まりない。ごめんなさい。一応これでも算数で1+1が2になることはわかります。

冷房関係の機械はここにあるんだそうだ。冷房なので全く関係ないが、やはり令和7年公開のNetflix映画「新幹線大爆破」のとあるシーンを思い出してしまう。気を付けてください篠原さん!のところ。

機器更新のために入場中と思われるT11編成。E233系0代は普通車とグリーン車の車齢が大変なことになっているけど、当面は転用等もなく0代が続投ということでいいんだろうか。グリーン車はE235系1000代と酷似しているから、将来的に新型車両にグリーン車だけ「よし、じゃあぶち込んでやるぜ!」する気はするけど。

211系の制御器試験も拝見することができた。ここで磁石を使っているなんて今日この日まで全く知らなかった。本当、重ね重ね勉強になりました。

さて、今日のメインとも言えようE217系展示を再び見に来てしまった。記念写真に関してはこの日の俺のビジュが死んでいて爆死したが、オタクとして最後の花道に立ち会うことができたことは光栄に思っている。Y-101編成がこの塗装で営業運転に入った時に横浜で騒いでいたバカ共が全員死んでしまったことと同じぐらい光栄である。全員ここで死ぬんだよ!(長野総合車両センターで解体)

懐かしいような、でも更新後の塗装に慣れた今となってはある意味新鮮なような、何とも言えない気持ちだ。令和6年頃の撮影会は悉く都合も合わず今に至り、Y-101編成の復刻塗装は廃車回送が最初で最後だと思っていた(それでも真ん中に挟まれてはいたが)が、今はこうして再び撮ることができただけラッキーだと思いたい。

それでも、お隣Y-102編成共々方向幕が抜かれていたことから色々と察するものがある。2月下旬まで記事が渋滞している以上(書いている今は10月)はこの記事も既に鮮度落ちではないかと思うが、その頃にE217系がいないかもしれないと思うとやはり寂しい気持ちになる。

1年と少し前なら総武快速線で走っていたのにな。そう思ってしまうとやはり寂しい気持ちになるのは不可避のようだ。きっとイベント閉幕前に叫んでいた黒パーカーのキッズも同じ気持ちだろう。プッ(笑)。小学生の頃から教室の中心で輝いている皆さんは違いますなあ。

更新後の塗装だからか比較的(といっても、Y-101と比べた場合だけど)まだ少々平和だったY-102編成。Y-101編成同様、初期の車両がこうして最後まで残ったのは意外なことだった。初期に廃車になった編成なんて車検期限の関係があれど、比較的新しい車両だったからね。

ヨリでもう1枚。もう本当にE217系をこうして撮ることもないと思うと泣けてくるものだ。でも俺は最後まで素敵な車両のオタクでいられたことを誇りに思っている。今まで本当にありがとう。

背景はさておき、ここだけ見るとまだ現役に見えてしまう。この時点で既に車籍はないので、線路閉鎖をしない限りはもう本線を自走することもできない訳だけど。機器更新後のVVVFの音は209系やE233系と同じで、後述する元209系訓練機械のあの音を聞いた時、ありえない話なのにもう一度E217系が動いたのかと思ってしまった。なんか似たようなことを廃車回送最終回記事の前半でも冒頭で書いたっけか。

この角度、このアングル、もう最後か。どうかまた機会があればと思うが、それは流石に贅沢といったところだろう。そう書いて美しく終わらせたいところだが、令和6年11月にE217系Y-30編成で寝過ごして千葉で折返した上に幕張車両センターまで回送された時のトラウマが脳裏を過った。いや、その、電車との距離感って意味でね。マジで近くで見ると電車ってでかいのよ。それはそうだけど。そりゃそりゃそうだろ♪

ファーwww京葉線のダイヤ担当くん見てる~?wwwだから種別だけで笑うのやめなよ男子ィ~。もう男子って年でもないけど。
こちらは115系に擬態した113系の生首で、元幕張所属のS62編成がこうして残っている。確か元々国府津の車両で、湘南色→横須賀色→湘南→首チョンパ後に信州色なので塗替え人形と書いた方がいいかもしれない。E653系かnあれっこんな時間に何でインターホンが鳴ったんだ?出前かな?

なんか色合いが変わった気もするが、7年前の公開では車内への立入りもできたものの、今回は私が訪れた時間帯ではダメだった。そればかりは仕方ないね。そこで文句を垂れている連中のその時間を俺に欲しい。そんな人種に金は出さないが。
という話はさておき、なんか塗装変わったよね?

余談だが、平成30年に車内には行った際には運転台への立入りも可能だった。敢えて何をイメージしての画像ということは書かないが、少なくとも平成30年12月24日の4053Mを千葉新宿間で担当していたクソ運転士とは違い、私は客をTwitterで中傷することはない。アイツも災難だな、未だにこうしていじられて。安心してほしい、これからも過去画を含めて沢山使わせていただく。

スキルアップセンターへの道中から見られた廃車置き場。今回我々から見られたのは郵便車のほかEF65形1000代、そしてホキだった。E217系は先ほどの通り展示対象なので除外するとして、この時点でE26系カシオペアがこちらに来ていないのが謎だけど、まあそういうことなんだろう。

ここの廃車置き場を長野総合車両センターから見るのは3回目だが、当たり前だがメンツが色々と変わっていて色々と考えてしまった。

今回は253系0代としては唯一の保存車となっているクロ253-1も現認できなかった(この写真も平成30年撮影)。253系0代がこうして残っているのだもの、E217系の保存にも期待をしたい(震え声)。Y-140編成のモハのみならず。

6年前、令和元年にはE257系0代付属編成が見世物になっていた。当時と今で車両計画は異なることだろうし、その原因を作ったのは気持ち悪い中国の武漢で発生した新型コロナウイルスのせいだろうけれども、もし付属編成が何かしらの第二の用途があれば5500代増結用の車両として生き残ったのではないかと思ってしまう。
もっとも、これはあくまでも私のようなオタクの戯言である。

再び令和7年の画像。共同墓地。執筆日の時点ではしばらく解体がなかったようだが、今回の長野鉄道フェスタと関係あるのだろうか。もっとも当面はここ数年と比較して廃車解体となる車両が少なさそうなので、来年もしまたご縁があって再び長野総合車両センターに来ることができていたらまた違ったものを見られるのかもだけど。

スキルアップセンターにも迷うことなく訪問、当たり前だよなぁ?17日の記事でも書いたので詳細は適度に省略しつつ、ここもまた来たかったのでこうして訪れることができてよかった。

平成30年に訪問した際は原色だったけど、今の信州色も似合っていていいなと思う。保存車ではなくあくまでも訓練機械なので、10年20年したらE231系あたりに変わっていそうだが、用途に鑑みたらそれもまた仕方ないことか。

我々一行が最後の体験者だった(時刻の都合で)。E217系ありがとー!と叫んでいたクソガキが足切りで体験できなかったのはガチのマジでざまあみろと思った(笑)。車内は基本的に訓練に関係ない場所はそのまま残されている。
ご担当の社員さんからのご教授のもと、まずは放送を体験(まあ6年前もやったけど)。せっかくなので新幹線はやぶさ60号に爆弾をしかけてみました。俺は草彅さん演じる高市車掌のようはイケメンではないけど。
して、その流れでドア開閉も体験、これは初だったか。恥ずかしながら、再開閉は専用のボタンがあるということを知らなかった。本当に貴重な体験をさせていただいたと思うし、社員さんのお話があるからこそ学べることも多々あったと思う。ありがとうございました。

運転台。一応ブレーキをかけると中央の丸見えになっている機械が動くことも学べたほか、電源は通されているので前照灯の点灯・消灯、およびハイビームとロービームの切換え等もできたほか、ブレーキの緩解もできた。圧力計も生きていた。私のような巨大児が最後というのが(社員の皆さんに)申し訳ない気もしつつ、貴重なお話や体験を賜ることができて大変ありがたいことだと思う。

蛍の光が流れてそろそろ閉場の時間。ご同行いただいていた親友と共に最後はE217系で締めようと思って、もう一度車両展示を目指す。ついでにもう一度N327編成も撮っていた。次はまた本線で会いましょう、といっても流石に千葉から定期的に通うことは時間的にかなり難しいが。いやさ、俺も大学生の頃に佐倉の実家から甲府のキャンパスに登校したこともあるとはいえさ。

ところで、E353系のスノープラウってそこにあったんだね。てっきりスカートの裏にでもくっつけているのかと思ってた。まあ、変に前に付けるとしかのこのこのここしたんたんした時に大変というのはあるかもしれない(?)

これで本当にお別れだ。閉場のため流れていた蛍の光が余計に切なく感じた。もうこれでいい加減、俺がE217系で記事を書くこともないだろう。窓の雪ィィィ!思えばメンタルを病んで千葉に帰ってきた令和6年2月、雪が降っていたっけ。乗ってたのはE257系踊り子だったけど。

Y-101編成半分もこうして撮ることができるとは思わなかった。流石に撮影会に使った車両だから展示してもY-102だけだろうと思っていたが、こうして懐かしい塗装を拝むことができたことはよかっただろう。

閉場前の一瞬を何とか抑えることができた。無論社員の皆さんのご迷惑にならない範囲でだが。まるでE217系への思い出が沢山ありそう(笑)な皆さんと共にシャッターが閉まるまでお見送り。無論その中にも沢山思い入れのある普通の方はいらしたはずだが、ありがとー!と叫んでいたクソガキ共とE217系の思い出を是非とも聞いてみたいものだ。ああ、もうそのガキ共は死んじゃったのか。

以前この2編成の廃車回送に際して泣いても笑ってもこれでお別れと書いてから3か月と少し。今度こそお別れだ。保存でもされない限りはもうE217系に会うこともないだろう。

物心がついた頃から総武快速線でお世話になってきたE217系、思えば東京に行くにも横浜に行くにもいつもこの電車だった。あの電車に乗ったら違う世界が見えるのかな?という映画ビリギャルのアレではないが、私にとって違う世界に連れて行ってくれる存在もまたE217系だった。

思えば私が高校生まで育った千葉県を離れるにあたって千葉駅から乗った快速もE217系だった。まだE235系1000代の話すら出ていなかったな。千葉県を離れて甲府に住み、名古屋に進学し、その間にあれよあれよと置換えられていったE217系。どんどん乗る機会が減っていったのは寂しいことだったが、それでもこのステンレス+横須賀色の電車を見ると、ああ千葉県に帰ってきたんだと安心したことも沢山あった。

そんなE217系とも今回で本当にお別れだろう。無論これから先、次は保存車として会える日が来るならそれほど嬉しいこともない訳だけど。寂しい寂しいばかりでは前に進めないが、まずは長い間お世話になりました。ありがとう。素敵な車両のオタクでいられることは幸せであり誇りでもあることだ。

お疲れさまでした。素敵な思い出が沢山あること、そしておそらく同形式最後であろう長野公開で撮ることができたこと、誇りに思う。今まで本当にありがとう。
そんなこんなでシャッターは閉じ、いい加減に閉場だ閉場。長野総合車両センター社員の皆さん、改めて素敵なイベントをありがとうございました。楽しかったです、ほんと。ありがとうございました。なんかありがとーだなんだ叫んでいたキッズがいた気もするが、多分この記事が出る頃にはお亡くなりになっていることだろう。ここは小学校の教室ではないんだよボク。

あ。あなたは今後ともよろりんこ菊地凛子。

E353系も次はまた本線で撮ることができる日を楽しみにしている。というか久しぶりに長時間乗りたい。長野を出る時間は早くなってしまうが、来年の公開イベントの帰りは千葉行のあずさ50号もありかもしれない。混むだろうから多分乗らないけど。満席の新幹線や特急なんて乗りたくないもの。

もう本当にE217系で新たな記事を書くことがないというのが何とも悲しいし寂しいが、俺もいい年なんだからそこは受け入れないと。まだ公開できていない大学生時代・大学院生時代の過去画記事にも沢山E217系は登場する。私の拙い写真と記事でいつまでおmE217系の活躍を後世に遺すことができるのであれば、それ以上のことはない。
あ、この写真は過去画から漏れた写真です。何やってんですかね本当に(正論)

長野総合車両センターから長野電鉄桐原駅まで歩いて、元メトロ03系だった3000系に乗ってとりあえず長野駅を目指す。17日の記事でも書いた通りメトロ車で通学をしていた私の親友と私は何とも言えない安心感を覚えたものだった。日比谷線とは関係ない路線だったけど。

長野駅で売っていたりんごジュースを購入。めっちゃ濃くて美味しかった。長野のりんごも美味しいと思っている。マジでほんとに。ごちそうさまでした。

駅前の蕎麦屋さんで打上げということで入場。皆さんが蕎麦を食べる中、私は酒とつまみでやり過ごすというね。蕎麦も好きなので次回はいただきたいが、今回は食事制限中なので我慢。
同じ趣味の人間同士ということで色々と有意義な話に花が咲き、17時ハァン頃に解散。とはいえ親友と私は乗る新幹線の時間まで少々時間があるので、長野駅で居残りをしていくこととなった。長野での撮影および帰り道等については、また次回以降の記事で書いていく。打上げもまた楽しい時間であった。皆さん、改めてありがとうございました。
末筆で大変恐れ入りますが、このような素敵なイベントに携わられた長野総合車両センターの社員の皆さんには心より御礼を申し上げます。ありがとうございました。