皆さんこんにちは。昨日の記事では主に弘南鉄道大鰐線撮影記を取り上げました。今回は同時に撮った奥羽本線の特急つがる、帰り道に乗車したGV-E400系、そして青森空港で撮ったボーイング737と帰りに乗ったボーイング767を中心に書いていきたいと思います。

こちらは弘前の時点で若干遅れていたE751系特急つがる44号。正直私がJRの特急で一番好きと言っても過言ではないE751系、そして弘前市=津軽平野生まれの私にとって心の山でもある岩木山。この2つを一緒に撮るのは前回9月の帰省以来の目標だった。それがこうして叶った。こんなに嬉しいことはない。

私が知る特急つがるといえば弘前と八戸を結ぶ6両のものだが、それももうはるか昔のこととなった。現行のつがる号が運行開始してすぐにはE751系が運用に入らなかったなんてこともあった。おそらく北常盤付近の定番のものではないし、私とてこの時期なら稲刈り前に向こうでやる時間もあればと思うが、これはこれで悔いのない結果になったと思っている。もちろん、それで満足する気はない。

草がドイヒーになっているが、拡大した感じA-102編成っぽい。同編成はマイクロエースのNゲージのプロトタイプにもなったほか、私がやたらめったらと遭遇する編成でもある気がする。今回の帰省でも残念なことに乗る機会はなかったが、次回帰省では是非ともどこかしらで乗ることができたら幸いだ。またE751系で酒盛りをしたい。
あとは前回記事の第21列車(大鰐線)を撮った後に撤退。本当は乗りたかったんだけどね。時刻の都合もあるから仕方ないね。

今回指定したのはMAZDA2、一昔前であればデミオだった車両。教習車がアクセラだったこともあってか、マツダの車両のペダル配置は個人的にかなりしっくりくる気がする。無論そこには好き嫌いがあるとは思うので、あくまでも私の感想だが。以前大学院生時代のバイトでMAZDA2のディーゼルを豊川から名古屋まで回送したことがあったけど、高速でもなかなかの走りでよかったのを思い出した。もうあれも2年前か。
腐っても弘前生まれなので、復路はナビを使わずに弘前駅に到着。今まで何度も祖父や叔父叔母に運転してもらっていた道を自分で運転していたのがとても不思議な気持ちだった。今回も無事故無違反で車を返却し、あとは再び祖父母の家に戻るだけだ。美味しいご飯が大量に待っている。本当にありがたいことだ。代償として今回は2.5kg太ったが。

この時間の下りは五能線・奥羽線ともに近い時間帯にあるが、重複する区間のうち私が利用する予定の撫牛子は快速が通過するので、必然的に五能線のローカルに乗ることとなる。車内は通学利用と思われる客で大盛況、いくら地方路線とはいえ改めて鉄道も欠かせないインフラであることを実感した。
なお同じホームから出る20分後の快速に関しては、新青森経由で新幹線に乗り継ぐと思われる客も一定数見られた。これが特急ならと思いつつ、車両も人員も…というのは私だってわかっている。

鰺ヶ沢行832DはGV-E400系のGV-E400-12と思われる2両で、ワンマン運転。GVの前面のロゴがとてもかっこいいので実はかなり気に入っている。電気式気動車ということで、エンジンで発電した電気で動くのがGVな訳だが、発車時には一瞬ヒュイーンというモーターの音も聞こえたのが印象的だった。
次の撫牛子で下車。ワンマンといっても地方線区型なので毎度運転士さんが乗車券回収・定期券確認等で見えるが、モバイルSuicaで乗車しています、ありがとうございましたという旨を念のためお伝えして降りた。Suicaエリアであのワンマン体系というのも新鮮に感じつつ、その際のご対応がなんか爽やかでかっこよかった。1駅ですがありがとうございました。

この日は十五夜。綺麗な月が見えていた。
翌日。先に帰る親を送る叔母のアッシー兼アシスタントとして青森空港へ。

快晴で岩木山も綺麗に見えていた。どこから見ても綺麗な山で、そこに優劣も順位もない。だけど、やはりこの辺から見るのが落ち着くかもしれない。

国道7号と空港道路経由で青森空港に到着。7号は新潟県新潟市中央区が起点の国道で、私も仮免許期間に路上教習でお世話になったかもしれない。そんな国道が弘前を経て青森市まで繋がっているのがエモく感じる。

かつてパタパタだった青森空港の出発案内もいつの間にか液晶タイプに変わっていた。

国内線の出発案内。上段から札幌千歳、東京羽田、大阪伊丹、名古屋小牧と主要都市への便が飛んでいる。札幌まで新幹線が開業した後に札幌線が残るかは不明だけど、まあなんだかんだで残りそう。東北新幹線が圧倒的成長を遂げても、羽田線ですら普通に乗っている上に中型機が投入されることもある訳だし。

嬉しいのは国際線から毎日運航ではないとはいえ台北線が出ていること。私自身が台湾の皆さんに深い恩を感じていることもあり、台湾の皆さんが私の故郷である青森県を堪能し素敵な思い出を持って帰ってくれていたらそれ以上のことはない。
台北は台湾の首都で2つの空港がある(松山・桃園)が、エバー航空の青森線は後者・桃園空港発着。同空港から市街地は地下鉄等でアクセスできたと記憶してる。が、私が留学に際して利用したのは松山の方なので…そこはすまん。

平成29年の近い時間帯に撮ったパタパタ。私が小学1年生ぐらいまでは帰省の大半が飛行機だったこともあって、青森空港の出発ターミナル(さん?!)はこれのイメージが未だに強い。3年前、令和4年秋の帰省で久しぶりに青森空港を使ったら跡形もなくリニューアルされていて少々寂しい気持ちになったものだ。

展望デッキにて1枚。私のオレ調べだが、青森空港発着便は南向きの滑走路=RWY24(方位が240度)を使うことが多く、離陸に際しては右側の席ならこのAOMORIが見えて切なくなることもよくあった。

今回も一応は南風ということで、南から来た飛行機は北で180度向きを変えてファイナルアプローチ。今回もRWY24に着陸。基本的に青森線にはボーイング737-800が充当されるが、今回のJL147便もそうだった。後述するが、多客期等は中型機であるボーイング767-300ERが充当されることもある。
※当記事では便宜上、ボーイング737‐800を73Hまたはボーイング737、ボーイング767-300ERを763またはボーイング767と表記します

今回青森に来たのはJA345Jで、なんか1度ぐらい撮ったことがあった気がしたけどそうでもない飛行機だった。先述の通り羽田線をはじめ青森空港の定期便は小型機が中心だが、滑走路自体は3,000mあるため、ボーイング777やボーイング747といった大型機もその気になれば離着陸できる。参考までに、前政府専用機の747は青森空港に飛来したこともあったはず。

基本的にJAL便で青森空港に来た飛行機は整備の後に折返し、羽田に戻るのがデフォルト。このJL147便もそうだし、翌日に私が乗った便もそう。それはいいとして、なんかこの写真を見ていたら羽田からの青森空港行に乗って、青森空港に着陸した時のあの気持ちを思い出して切なくなった。

余談だが、JL147便を撮るのは平成29年以降2度目のこと。これは私(と妹)がまさにJL148便で帰る前、見送りに来てくれていた祖父と一緒にデッキで出迎えた時の写真。祖父の影響で飛行機も好きな私は、この時に若かりし頃の祖父が737(世代は不明)で福岡に出張した時の話を聞いたのを今でも覚えている。

なお、この時の機体はJA335Jだった。1月だったが、羽田で降りた瞬間の1番目の感想が「暑い」だったのが懐かしい。にしても発着共に青森便はじめ地方線区はいつも端っこの搭乗口だなあ。でも青森便を待つ間、周りから津軽弁や南部弁に下北弁が聞こえてくるあの雰囲気もまた好きなんだよな。
弘前滞在最終日はどこにも行かず、祖父母のお手伝い担当として祖父母宅の警備を担当。もしかして俺、ニートの素質があるのでは?(それはそう)
何かしら力になれたらと思って待機していたが、祖父母がまたしても美味しいご飯を作ってくれたのが本当に嬉しかった。幸せ太りとはこのことか。最終便を確保していたので夕方に弘前バスターミナル(以下弘前BT)さん?!を出て最終の青森空港行バスに乗ることができたらよかったのだが、これまたありがたくも申し訳ないことに仕事終わりの叔父叔母が空港まで送ってくれるとのことで、当初の予定よりも長居することができた。BTを経由する時間、というか乗車を待つ時間もないので空港に直行できるのがありがたいことだった。祖父母、そして叔父叔母に心からの御礼を伝え、保安検査を通って名残惜しいが搭乗を待つこととする。

保安検査後にも売店で生ビールが買えるとはなんと優秀な。おかげで30分弱の待機時間はあっという間だった。爪に関しては爪切りを忘れたのでお目汚し大変申し訳ない。帰ってすぐ切りました。あんま夜に切らない方がいいとは言うけどね。

私が乗るのは最終の東京羽田行JL150便、青森空港は20時45分発。空港での待機時間を保安検査等々のために1時間確保したとしても19時45分に青森空港にいれば余裕のよっちゃんイカ、東京行最終のはやぶさ42号が新青森を19時44分に出ることに鑑みるとむしろ復路は飛行機の方がいいのでは?という発見をした。
ただしこれは滞在地から空港・新青森までそれぞれの所要時間が変わらない場合の話であるほか、道中寄り道をしない場合に限った話でもある。

新しくなってしまった青森空港だが、こういうところになんか私の幼少期の懐かしいあれを思い出した。思えばA300-600Rに乗ったのももう15年ぐらい前?もっと?

今回のJL150便はJL149便の折返しで763が充当されていた。多客期のJL141~142便やこのJL149~150便ではよくあることだが、10月の何の変哲もない水曜日に何故763が充当されていたのかは不明。だが結果として73Hよりは多い座席数が用意されていて、私もトナラー回避、というか後ろの席だからガラガラの空間でゆったりとできた。ありがたや、ありがたや。

時刻通りにプッシュバック開始、離陸前にはイルミネーションのサービスで機内が青くなる。ちげえよ。離着陸時の万が一の事故に備えて暗くしてるんだって。また自称航空業界の某会社の保険証でマウンティングしてくるアホが出てくるからそういうのやめろよな。
余談だが、離着陸はパイロット・コーパイ共にかなり緊張するという話を聞いたことがある。特に着陸はやり直しができる(ゴーアラウンド)が、離陸は一定の速度を超えると滑走路内で停止できないのでやり直しができず、特に大変なんだそうだ。
無事に離陸し、雲を通る際にガタガタ揺れつつも15分程度で秋田県南部上空。当たり前だが、本当に飛行機は速い。

機内ドリンクではアップルジュースをいただいた。なお、青森空港で購入した生ビール(大)は離陸後3分で蒸発していた模様である。高度が上がると気圧も変わるからね、仕方ないね。※全く関係ありません。ぼくが全部飲みました
して離陸から30分もせずに仙台市南部付近まで来た。新幹線のおよそ3倍速である。空港まで・空港からの時間や保安検査に待機時間等々の問題はあるが、やはり飛行機の一番の強みは速達性(と値引きの幅)だろう。
あっという間にベルトサインが点灯。申し訳程度のリクライニングを直し、千葉県上空を見ながら木更津上空より進路を変更、RWY34Rに無事着陸。すんげえ衝撃で思わず意識せずとも私の声帯を通った空気から変な声が出たが、何もソフトランディングだけが全てではないだろうし、素人の私がつべこべ言うことではない。

今回お世話になったのはJA659J、平成23年度登録の機体。機種が機種とはいえお手洗い等に懐かしさを感じつつ、いつかまた乗ることができる日を楽しみにしている。当便の運航に携わられた日本航空の皆さん、快適なフライトをありがとうございました。
新幹線もいいけど、特に私単独で千葉に返品される際は今後もJL150便をご指名したい。73Hも乗りたい反面、しかし座席配置の関係でどうしても相席のリスクが格段に上がるのだけはなあ。

懐かしい羽田空港の搭乗口、、、って思ったけど、そういや南ウイングに着いたんだった。基本的にJALの青森線は第1ターミナルさん?!の北ウイング発だからね。

荷物を受け取りに向かう。ここを通るのは3年ぶり?いやもっと?なんか懐かしい気持ちになった。次に羽田空港を利用するのも青森帰省であることを切に願う。でも広島と北海道も行きたいな。

今回の帰省とは関係ないが、お手洗いを出た際に見かけた銀座ライオン。ここ洗えよという訳ではなく、思えば平成31年2月末に台湾短期留学に行く前にここで飯を食べた気がする。家族も一緒に見送るという建前で羽田に泊まったんだっけか。台湾回の過去画記事は現時点で予定していないが、それでも楽しかったのは事実。

余談だが、この前に763に乗ったのは平成28年9月のJL149便だった。この時は急遽帰ることになっていたんだった。土曜に授業を終えて帰宅した後に荷物をまとめて行ったんだったな。当該のJA8399はこの数か月後に退役してアメリカに旅立ち、その後はどうなったか不明。確か初年度登録が平成6(1994)年だから既に30年選手、さらに日本の国内線で利用されていて離着陸回数も多かったであろう以上、もうモハヴェ砂漠かどこかに散ってしまったかもしれない。

レカロシートが懐かしい。正直SKY NEXTよりこちら派だった。これ以降はもうレカロのものにも乗ってないな。この時の帰省のうち焼き直していなかった写真もこうして一部放出したが、まだまだできていないものもある。それは次回以降の弘前帰省の際、併せて放出することとしよう。
さて、羽田空港からの帰路だが、千葉市まではバスまたは電車、もしくは自家用車を羽田空港に停めておく等の選択肢がある。電車だと品川乗換えだが、この日の横須賀線は人身事故か何かで遅延。というか時間も遅いし明日も早いしさっさと帰りたいよね。という訳で、乗換えのないバスを選択した。
写真がなくて申し訳ないが、羽田空港第1ターミナルから京成バスの千葉中央行に乗車。今回は実家最寄りまで乗車し、祖父母が持たせてくれた弁当等を実家にお届けし、シャワーを浴びて寝た。運転手さん、遅い時間まで安全運転で運んでいただきありがとうございました。
なお、一人で羽田空港発のバスを利用したのは令和元年以来。あれは佐倉の実家を寝床に握手会に行った帰りだったか。京急の平和島に歩いたつもりが東京モノレールの昭和島に着いていて、もういいやって羽田に回ってバスで津田沼に抜けたんだった。

楽しかったな、この頃は。いずれこの頃の話も過去画記事でさせていただければと思う。しかしまあいくら俺が道を覚えられる方向音痴とはいえ、平和島と昭和島を間違えるとはね(笑)。
でも毎週のようにイコラブちゃんに会えたこの頃は楽しかったな。別に握手できなくても会えればいいのスタンスだしさ、身勝手だけどさ。※接触に拘った挙句に彼氏ヅラする痛いキモオタは死にました。ざまあ。イコノイジョイの現場に来ないでね♪
こうして楽しかった帰省も終わり、翌日からは現実に引き戻されてしまった。生まれ故郷の空気を吸えること、水道水なのに美味しい水を飲むことができること、撮りたい・乗りたいと思える電車もいること。それらも嬉しいことだけど、やはり祖父母や叔父叔母の力に少しでもなれていたらそれ以上のことはない。
次は年末年始だろうか、仕事柄今回のようにゆっくりと帰省できるかは不明だが、たとえ1泊2日でもまた弘前に帰ることができる日を心から楽しみにしている。