
皆さんこんにちは。昨日の記事で弘前に晴れて帰ってきた私HGNRですが、祖父母の手伝いをしつつ、少しだけ大鰐線に顔を出してきました。しかし残念なことに時間の都合で撮影しただけで乗車ができなかったのが本当に残念でして、それだけが心残りです。
いや、祖父母の力になれていたのであればそれ以上のことはないですし、僕も祖父母大好きマンなのでそれが幸せなんです。今回は時間を確保できなかったのだけが申し訳ないというか何というか。
さて本題。今回は撫牛子まで歩いてそこから奥羽本線でまずは弘前駅を目指す。流石に祖父が大切にしている愛車を借りるのは気が引けるし、かといって近くにレンタカー屋もないので、したら運動量の多い人としてここは気合いで歩くしかないからね。それにしても車社会なので歩いている人間の方が圧倒的に少ない。車好きでもある以上、正直あの生活に憧れるまである。人少ないじゃんアゼルバイジャン!と好きな曲を口ずさんでいたら後ろからスーッとチャリが通って手首を切りたくなったのは公然の秘密。そんなぐらいでそんなことしねえよ。

設定を変え忘れていて大爆死。白飛びですっげえ白くなってる、はっきりわかんだね。いやこの時間帯の下りは逆光とはいえさ。お前初めてかここは?力抜けよ。いや、力というか色々と抜け過ぎた結果がこれか。おっ大丈夫か?大丈夫か?

平成28年始に?何故か撫牛子で撮っていた五能線のキハ。五能線と言えばキハだったが、それも今は昔。令和8年で後継のGV-E400系が導入されて5年になるんだから時の流れというのは早いものだ。少なくとも2回は乗っているが、それはいずれも奥羽本線内の話。せっかく同じ駅で撮ったので、何となく「よし、じゃあぶち込んでやるぜ!」してみました。

話を令和に戻して、今回の701系は3両。一部編成ではサハを先に廃車にして編成短縮したというが、それ自体はJRにも考えがあるだろうから否定はしないけど、でも新青森で新幹線から2両のローカルに乗り継いだことのない人間が机の上でPCカチャカチャしながら考えたんだろうな~とは思う。
もちろん2両も時間帯と区間によってはお誂え向きなので、一概に批判する気もないということは併せて書いておく。

ちなみに小学6年生の私がたまたま撮っていたのが701系で事故・譲渡等を除いて初の廃車となった1両、サハ701-11(N11編成)だった。同時にN12編成のサハも廃車になっている。※事故で大破したN5編成の除籍はその翌年

701系は一部から散々な言われようだけど、個人的にはかなり好きな車両。無機質とまでは言わないけど、こう飾らないシンプルさがいいなあと思う。一部では奥羽本線の719系後継車が出るとか出ないとか言われているが、その狭軌版が後継説も微レ存?

存在を知らずこれまた可哀想な感じに終わった金太郎の貨物。何やってんだHGNR、ホラ貨物ちゃんねる見ろよ見ろよ~。調べたものの詳細がわからなかったが、思えばあけぼので帰省する時もところどころで貨物を見たっけな。どっちかというと富山のEF81が多かった気もするけど。写真復元した~い。

珍しい701系100代がローカルで上ってきた。実に撫牛子に到着して40分。改めてこの辺が車社会であることを実感した。100代は0代と比べて尾灯の位置が高いのが外観上でパッとわかる特徴。大半の編成が仙台に転属したり一部編成が再び戻って来たりする中、このN101編成のみが秋田生え抜きの車両。製造は土崎工場。

この656Mはどこトレを見る限りでは数分遅れていたものの、新青森を出てからは2分以上の停車駅がないにも関わらず撫牛子では定時に戻っていた。すごい。
そうだ、N101編成といえば前回9月の帰省の際に復路のローカルに乗っていてすれ違ったんだった。今回は奥羽本線をアッシーにしてしまったまであるので、次回帰省時はこちら「も」しっかりと撮りたい。

終着の弘前に到着。電車だとすぐだけど歩こうとしたら流石の俺もちょっとなあって距離。一昔前の弘前駅も懐かしいな。日付を見て思い出したけど、これ確か翌年の1月1日に横浜にいる父方のクソ祖母の家に行くという当時のうちのくだらないしきたりのせいで帰らざるを得なかったんだっけか。いつもあのババアと親父のせいで俺たちの生活はめちゃくちゃだった。親父もう死んじゃったけどね。ざまぁ(笑)死因についてはまた今度。

当初701系の行先表示器、といっても表示しているのは種別だが、それは方向幕を採用していた。確か機器更新に際してLEDになったんだっけ。そのおかげで某バス会社勤務の「ちゃんと撮ってなかったツケ小僧(イキリ流しマウンティング小僧)」が皆さんの701系の写真を講評できるようになりました。そういう理由な訳ねえだろうが。

そんなにブレブレな写真撮られましてもね。でもこのステッカーってもうないんだっけ。あったら多分おれなら気が付くだろうし。撮影日時のデータがなくて果たしていつ撮ったのかがわからなくて残念。
さて、弘前ではSuicaでスイスイして出場。中央口でカーシェアを確保していたので中央口に降り、早速駐車場に歩きはじめた。

JRの緊急車両だと甲府に住んでいた時に見ていたセレナやデリカのイメージが強いけど、弘前だと赤灯をのっけたカローラツーリングのハイブリッドなんだね。そんな呑気なことを書くのは俺の自由だけど、確保した車の駐車場は真逆の方向。こいつは一体どこを見て歩いているのか。というか「あの駐車場か!」と思って予約したのはどうした。このアホが。
人生初弘前ナンバーはカーシェアのMAZDA2。念のためナビをセットし、スマホの充電を兼ねてUSBを繋いで好きな曲を流しながら最初の目的地である松木平へ。しかし僅差で間に合わなかった。ちなみに弘前から松木平にクルルァで向かうよりも中央弘前から大鰐線で向かった方が5~10分ほど早い。

以前訪れたようにこんな感じで撮ることができていたらよかったんだけど(写真は中央弘前行)、ぼくが到着したのと同時に中央弘前行きが到着。大変お疲れさまでした。
~終~
だと悲しいので、撮影地を変えよう。なお大鰐行はこの先の津軽大沢で交換しているので、既に松木平を出た後である。ちーん(笑)
ここからは4月に叔父叔母が連れて来てくれたこともありナビがなくとも何とかなるので、記憶と青看を頼りに次の目的地を目指す。毎時1本だからこそ、その間の時間を有効活用する形だ。

まずやってきたのはお隣の津軽大沢駅。道中の道が広くていつも以上にスピードには気を付けた。実は青森県内での運転は初めてだったが、道が広いと速度感覚が狂うのは素直に怖いと思ったかもしれない。

人生に迷ったら訪れれば何かしらの答えが見つかると定評のある大沢車両検修所に来た。周りを見るに間違いなく公道かつ敷地外だが、どこまでがそうかわからず、どこまで行っていいのか微妙。まさに「どこまで、行けるか」。それ一昔前の別の会社の求人ポスターのキャッチコピーでしょ。とりあえず全て敷地外から撮影していることをお断りしておく。

6000系は以前訪れた時と変わらず、事実上の保存車みたいな感じで今日もいつもの場所にいた。真ん中は7031編成(デハ7031+デハ7032)、弘前レンガストーリートレイン。ここ最近、俺が大鰐線に行くとやたらと動いていないか対向列車になっているかの気がするが…気のせいだろうか。
ちなみにデハ7031の前面幕は「大鰐線」表記で固定となっているようだ。現在大鰐線の大鰐方デハのそれは編成ごとに違うデザインを採用しているので、詳細は1月2日の記事も参照されたし。

除雪用のモーターカー。ABA:青森朝日放送さんによれば*1、元々はJR東日本にいたものが青い森鉄道に移籍、さらにそれが弘南鉄道に移籍したという青森の冬のプロなんだそうだ。
ということは、

このモーターカーがもしかしてそうなのか?塗装を変えたとしたら、何かしらの方法で方向転換をしたのであれば、形もぴったりだしJRロゴとモーリーがいるのも頷ける。これ以来見たことないし(その間のブランクが何年あったんだって話だけど)。もしかしてそういうこと?

ずっと謎だったこのモーターカーの正体が今になってやっとわかってすっきりだ。冬に訪れた際に活躍している姿を見ることができたらそれ以上のことはない。多分それだいぶ難しいと思うけどね。

倉庫に転生した6000系。今まで気が付かなかったけど、よく見ると黄緑と緑の帯のようなものが見えるような…。元々そうだったのだろうか。いや、そんなこともない気はする。6000系を何かしらのイベント要員に使えたらと思いつつ、電車を動かすには乗務員さんの手配をはじめ色々とある訳で、オタクは外部にいるからそんなこと…って感じか。

ちょうど9年前の9月には撮っていたどころか乗っていた。確か大鰐までフル区間乗ったと記憶している。当時の同編成のうちデハ7032はいわき大坊温泉ヘッドマークを掲出していた。
重ね重ね今回は1駅も乗ることができなかったのが悔しい。私の趣味を差し引いても、運賃を落とせなかったという意味で。

その数時間後の大沢車両検修所。当時この編成はふらいんぐうぃっち号となっていた。これもまた懐かしい。あ、そういやデハ7031+デハ7032以上にこっちのデハ7033+デハ7034の方が余程遭遇してなかったわ。いや本当に。
あと今回は検修庫に1編成もいなかったのが地味に珍しい…のかは不明だけど、個人的には初めて見られたのでいいだろう。
再び次の駅を目指してもう少し車を走らせる。

次の目的地は前回大鰐線を降りた石川駅。奥羽本線にも石川駅があるが、特にこれといって接続は取っていない。というかそもそも別の駅だからね。流石に千葉県のJR・京成それぞれの佐倉ほどは歩かないが。あのバスで移動する距離を炎天下で歩かせた当時通っていたクソ中学のクソ教員と佐倉市教育委員会のネガキャンはこれからも不定期でやっていく。死ねボケ
して9月の帰省の回でも取り上げた通り、この駅の側線にはホキ800形が常駐している。その用途から時折動いているようであるが、流石に俺が撮る機会はなさそうだ。

石川小学校PTA謹製のあの看板、以前大沢のものは撤去されたと報じたが、石川駅には残っていたようで何より。というか前回来た時に気付いておきなさいよ…。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁ~。某氏野郎が来なければまあいいか。あいつが踏み倒した金を利息合わせて回収したら大鰐線を何往復できるんだろう。気持ち悪いからアイツが東北に来なければ何でもいいけど。

目星をつけた撮影地に到着。思いの外道が狭かったが、擦ったり脱輪したりしなかっただけいいだろう。大鰐線の別名はりんご畑鉄道、折しも10月上旬の津軽平野ではりんごが色づいている。それを狙わない訳にはいかないよね。そしてせっかくこの日は岩木山も見えていた訳で、それも狙いたいよね。色々と勘案した結果、妥協案ではあるがここの撮影地を選択した。

踏切が写り込んでしまうのは諦めているが、先ほど松木平で撮ることができなかったりんごねぷた列車が中央弘前で折返して戻ってきた。りんご畑の横というのはわかりにくいが、曇天だったこの日において岩木山の頂が見えただけむしろラッキーだったのではないかと思う。

う、うーん…。もう少しSSかちあげておいた方がよかったかもわからんね。りんごねぷた列車から赤く色づいた身を擁するりんご畑を眺めたかったが、それは心苦しいが来年に持越しか。それはそうと数分ほど遅れていたけど、どうしたんだろう。大鰐線で輸送障害ってあんまり聞かないけど。いやまあ、数回の脱線事故はまた別としてさ。

4月に撮ったこの編成は華麗にミスりました。ちぇっ。もう少し時間の猶予があれば、それこそ撮影だけでなく乗車もできたことだろうに。はぁ~(クソデカ溜息)。いや祖父母のアッシー兼荷物持ちはむしろウェルカムだから、そのために自分の時間を削るのは全然いいんだよ。全然。むしろそれが幸せだし、じゃなかったら帰ってこないもん。

先述の通り今でこそ大鰐線7000系4編成の大鰐方デハの前面幕は編成ごとに異なるものを使用しているが、まだそうなる前で帯も異なる時の写真。多分1月2日の記事で取り上げてしまっているので重複はご容赦をいただきたい。
この頃と今で運用数は変わっていない(平日3運用・土休日2運用で、平日のうち1運用は1往復のみ)はずだが、今とは異なり定期か臨時かは不明ながらも5番線に留置されていたのが今となっては新鮮だ。

別の時の写真で恐縮だが(そりゃこの写真は西船橋ですからね)、あの大鰐5番線のデハ7039+デハ7040を撮った後に583系に遭遇していたのも懐かしい。わくわくドリームみたいな団体専用列車が再び設定される日は来るのだろうか。
余談だが、現時点では弊ブログで一番古い撮影日となる写真はこれかもしれない。違うかもしれない。ギリギリ小学生で、翌月から中学生だった。常々書いて来た通り地獄のような中学3年間だったが、今思えば不登校でよかったのではないかと思う。それで失ったものは決して小さくない。まあいいか、この回で書くだけ弘南鉄道にもJRにも青森県にも失礼だ。※同期は全員交通事故で全身を強く打って死にました。あと学年の教員と佐倉市教育委員会の連中も。ざまあ(笑)

詳細はまた次回以降の記事で書くとして、また石川に来ていたのでせっかくだからりんごねぷた列車の折返しを撮ろうと思ったらそっちに入るんかーい状態。でもそうだよな、思えば9月に中央弘前から乗った時も大鰐行は右側のホームに入ったもんね。

この時間でも前照灯点かないんだな~。いやまあ仕方ないけどさ。それこそお借りしていたMAZDA2(令和6年初年度登録)のオートライトも反応しなかったし。7037編成はりんご畑鉄道ラッピングも行っているので、そういう意味でもりんごねぷた列車に選出されたのは極めて真っ当なのではないかと思う。乗りたかった…いや前回乗ったからいいだろうという話ではなくね。お話の通じない方は帰った方がいいですよ。あの世に。

それでは中央弘前までご安全に。今回は乗ることができなかったのだけは本当に心残りで仕方ない。次回帰省は雪の時期になるかと思うが、雪道の運転は怖いと思いつつ(したことがないとは言ってない)今度こそ乗車もプランに組込んで撮りに行きたいと思う。
こういうことを書いた時に聞いてもいないのに「雪道の運転のコツは~」と唾飛ばしてマウントを取ってくるゴミと縁が切れて令和8年で2年、血圧が170から150まで下がったまま安定している。あんまり色々な所で仕事の愚痴を言わない方がいいよ。※既に死んでいます

りんご畑鉄道要素が欲しいので、せっかくだからと背景をりんごの倉庫にしてみた。これもやはりりんご畑がある場所ならではのもの。見ているだけで弘前に帰りたくなってくる。それこそ大学生の頃にもう少し…と思いつつ、やはり中国の武漢で発生した新型コロナウイルスって本当に迷惑な存在だと改めて思う。
今はせめて我が故郷である青森県が中国人はじめ移民や例のクチャラークソキョロ充に汚されないことを心より願いつつ、また青森県に帰ることができることを心から楽しみにしている。