ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

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<元JR東日本205系> 富士山麓電気鉄道富士急行線 6000系電車全編成の記録 ※令和7年8月現在編 【最初にイコラブコラボもあるよ】

皆さんこんにちは。大学生時代の4年間を山梨県で過ごした私HGNRですが、富士山麓電気鉄道で活躍する元JR東日本205系=現富士急6000系の全ての編成をコンプリートしていたということをきれいさっぱり忘れていたので、せっかくですからこの度いつもの全編成記録シリーズで書いていきたいと思います。

また今回より、富士急タグを新設いたします。それ甲府に住んでた4年間のうちにやっておくべきだったってこれ一番言われてるから…。これより前に富士急の車両を扱った記事についてはブログ内検索及びお乗り換え用に付けた「その他私鉄」タグよりお探しください。

 

6000系について(超ざっくり)

平成24(2012)年2月29日(富士急の日ですね)から営業開始した車両で、元JR東日本205系電車を3両で運転できるように改造した車両。京葉車両センター・川越車両センターに所属していた一部の205系が平成24~令和元年にかけて運行を開始した。この他、鶴見線に所属していた3両1編成が追加で譲渡されているほか新たに部品取りとして同じく鶴見線の3両1編成が譲渡されているが、記事を書いている時点では6000系として営業開始していないため、今回は除外する。

6000番台は205系0代量産先行車、6500番台は0代量産車、6700番台は205系3000代からの改造車。

 

6001F 元ケヨ25編成

令和元年 =LOVEコラボヘッドマーク

元ケヨ25編成を改造した3両。6001Fという如何にもトップナンバーな形式名だが、運行開始は後述の6501Fの方が先だったらしい。令和元年にはアイドルグループの=LOVE(以下イコラブ)とコラボしたヘッドマークを掲出し、1か月ほど運行されていた。この際は車内の広告もイコラブのメンバーを紹介する広告でジャックされていて、当時毎週のように握手会に通っていた私にとってはただただお得でしかない神のような電車だったイメージが強い。

 

我が人生で最後の握手会となった同年12月の京都での握手会から数日後、抜け殻になりながら撮った1枚。

そういえばこの数年後、この撮影地を私の当ブログをハイエナのように参考にして「君のブログ参考に撮りに行ったよw」と上から目線で絡んできた挙句、仕事をバックレて当時学生の私の家にタダで居候したクズがいたっけか。君って何だよ(笑)。ソイツが推していたアイドルの現場をごり押しされた上に寝坊して干したら悪口を書かれたこともあったが、そのクズがイコラブというかイコノイジョイの現場に来なければいい(笑)。横取り10万円、生きる恥。この件に関しては今後も触れていくので、謝罪と返金がない限り当面終わらない。今後ともお楽しみに(笑)

 

今後またイコラブとのコラボがあればそれほど嬉しいこともないし、その際は必ず撮りに行く。それは俺の自由だけど、それは6001Fに限った話ではないし、そもそも電車から話が脱線してるよね。ごめんなさい、この人の脳内はイコラブでできてるんです。

 

令和元年6月8日撮影

イコラブちゃんとの思い出は過去画大学生時代編でもまた触れていく(年内の公開ができるかは不明)が、それでもこの時のことは忘れられない。=LOVE8枚目シングル表題曲「青春”サブリミナル”」の歌詞「初めての会話覚えてるのは私だけでしょう」という歌詞を思い出す。その話はまたその時に話してもろて。話を富士急に戻そう。いや、イコラブが好きなのは変わらないよ。本当に。

 

6002F 元ケヨ26編成

続いては元ケヨ26編成だった6002F。撮影は令和3年12月、下吉田駅の列車接近メロディーが地元出身のロックバンドであるフジファブリックさんのものに変わることを記念して掲出されたヘッドマークだったとのことだ。

こういう企画と当時大学で専攻していたことを…なんて悔やんでも今更だが、何はともあれ千葉県出身としては元京葉線の車両をこうして進学先の山梨県で撮ることができたのはありがたいことだ。あと20年ぐらいして今度はE233系5000代が富士急に譲渡される世界線は…流石にないか。もっともE233系自体は0代が定期運用で河口湖まで入線するため、乗務員訓練が実質的に不要という意味ではかなりいい後継に思えるけど。

 

 

6003F 元ケヨ27編成

元ケヨ27編成だった6003F。平成31年3月以降、リサとガスパールトレインとして運行している。これはフランス発の絵本である「リサとガスパール」の世界を再現した特別な電車。私もリサとガスパールは幼少期から大好きなのでまた乗りに行きたい。他の6000系同様に基本的に普通列車として運行されるため、乗車に際して別途特急券や整理券等は基本的に必要ないのも嬉しいポイント。

 

富士急ハイランドにはリサとガスパールタウンもあるし、この6003Fで行けたら最高だよな~と思う。

なお、訪日したリサがこの6003F車内で前の席を覗こうとしてオレンジジュースをこぼした経歴は今のところないようである。※元ネタ:「リサとガスパール にほんへいく」

 

 

6501F 元ケヨ22編成

マッターホルン号(3代目)として運行されている6501F、元ケヨ22編成。平成28年9月から3代目マッターホルン号として活躍しているとのこと。駅メモ!のでんこである大月シーナはマッターホルン号が元ネタとされているが、シーナの元ネタは多分2代目マッターホルン号の富士急1000形1201Fなので、6501Fと関係があるかどうかは不明。余談だが、一時期駅メモ!の一部でんこの声優を先ほと触れた=LOVEのメンバーが務めていたことがあった。

 

6502F 元カワ28編成

続いてはトーマスランド20周年記念号として活躍する6502F、元は埼京線205系最後の生き残りかつレジェンドと化した先輩であるカワ28(ハエ28)編成。これ以降の編成は行先表示器がフルカラーLEDに変更されているのも特徴。6502Fは平成30年3月の営業運転開始以来、トーマスランド20周年記念号として運転されている。

 

なお、トーマスとしての先代は富士急さん独自設計の5000系だった。205系=現6000系初期車との経年差は10年程度ながらも、廃車となったことには部品問題等、それなりの理由もあることだろう。そう考えると、令和8年3月改正を以て仙石線を引退する205系3100代の一部が部品取りとして富士急に譲渡されるのかどうか等もまた気になるところだ。

 

ケツうちした1枚。余談ながらこのフルカラーLEDのシャッタースピードにはかなり神経を使う必要があり、少なくともこの写真を撮った4年前はSS1/125でやっと止まっていたレベルなので、LEDを気にするのであればだが撮り鉄泣かせな被写体でもある。もっとも、富士急行線内に中央東線笹子トンネル並みの爆走区間はないので、その気になればなんとかLEDを止められそうだけど。

 

…ここまで来てようやくJR時代の写真があるあたり年がバレそうですね。カワ28編成、といってもE233系7000代へのATACS設置に際しての予備車として残存していた期間の写真なのでアレだけど、幼少期に東北新幹線の車窓から幾度となく見てきた埼京線の電車が富士急で余生を過ごすなんて、なんならカワ28まで富士急に行くなんて、昔の俺は信じないことだろう。

 

 

6701F 元カワ85編成

ここからは川越線八高線で活躍した205系3000代がベース。元々6000系はクモハで先頭車改造をしていた(顔面移植)が、6700番台は元々のクハが先頭車化改造車、そしてクモハも改造車という改造まみれの車両となっている。撮ってて全く違和感ないけどね。

 

この6701Fは元カワ85編成、出身高校の系列校が川越線沿線にあり合宿やスピーチ大会等でお世話になったかと思うが、再びこうして再会できたのは嬉しかったことだ。まあ、その系列校での勉強合宿もむなしく都内の私学にほぼ全落ちしているので、いよいよ僕の人権も怪しい訳だけど。

 

この6701Fは金キラな感じの見た目だが、これは金運向上とは特に関係がなく、令和元年6月以降富士急線90周年記念車両としてこの見た目で運用を開始して今に至る。

 

余談だが、カワ85編成として長野総合車両センターにドナドナされていくところは平成30年5月に大学終わりに撮っていたことがあった。受験戦争の敗戦でFラン国公立を出て転落人生を送っている負け組の私だが、そうなると知ってか知らずか、勉強合宿でお世話になった車両をこうして見送るのは何とも言えない気持ちになったのを覚えている。まあ山梨自体は楽しかったんだけどね、結局大学がクソってだけで。令和8年以降順次公開していく大学生時代の過去画にてその辺の話もしていくつもりだ。

 

 

6702F 元カワ81編成

こちらは元カワ81編成。他編成同様に長野総合車両センターで改造された(改造を手掛けたのはJR東日本子会社となる現JR東日本テクノロジー)が、その改造を終えて長野から大月、大月から富士急線に譲渡されるところを平成31年当時住んでいた甲府で撮っていた。

 

牽引は当時稲沢所属ながらも1049号機同様に広島更新(っぽい)塗装の1049号機が充当されていた。もうこれも令和8年に起算して7年前になるなんてあんまり考えたくないかもしれない。当時既に中央東線での定期貨物では既にEF64形の定期運用はなかったものの、どういう訳かEF64が抜擢されていた。この辺はまた過去画シリーズで触れるかも。

 

最後に、令和7年3月に八王子で留置されていた205系鶴見線車両3両×2編成の写真でお別れとしよう。今になっても詳細がわからないので、記事を書いている時点では何も断言できないが、この時に富士山方だった無塗装の3両が譲渡対象、後ろの3両は部品取りではないかと推測する。

 

 

という訳で、富士急6000系全編成の記録をお届けいたしました。甲府に住んでいる大学生の時にもう少し撮っておけばと思いつつ、もう大学を出て4年となるのでそんなことを悔いてもアレですよね(むしろその4年でロクなことをしていないのですが)。

また山梨にお邪魔した際には富士急もゆっくりと撮りたいなあなんて思います。大学生だった頃とはまた違うものを撮ることもできるでしょうし、それ以外にも色々と書けることは増えるでしょうし。

 

 

参考文献

https://www.fujikyu.co.jp/data/news_pdf/pdf_file2_1639630273.pdf

リサとガスパールトレイン | 富士山に一番近い鉄道 富士急行線 富士山麓電気鉄道株式会社

Wayback Machine

いずれも8月30日閲覧

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