皆さんこんにちは。ダイジェスト編でもお届けした通りですが、およそ2カ月ぶりに京急を撮りに行ってまいりました。前回が7月下旬、今回は9月中旬、当たり前ながら日照時間が異なり条件も異なりますが、それにもかかわらず以前と同じ撮影地に行ってきました。世間ではこれを脳死というようですが、さっそく撮影記に入ってまいります。

初手から2100形とは大変ありがたい(千葉県人並の感想)。2157編成が原色に戻ってもう10年近く、いやそれ以上だっけ?それ以上か。時の流れって早いものだと思う。青かった頃の写真なんてそれはもうドイヒーなのしかないもの。

青かった頃の2157‐をもう一度撮りに行きたいが、タイムマシンなんて持っていないのでそんなことはできない。そもそもこんなふざけたことを書くと、「素人がSNSなんて使うな」と三流反日芸人に叩かれそうだから気を付ける必要もある。相方は相方で女性蔑視らしいし、2人揃ってアフリカの川の水でも飲んでいればいい。ブログがSNSに入るのかわからないけど、情報発信の素人(笑)にこんなこと書かれちゃ困るもんな!(笑)

なんて言ってたら2発目にしてピン甘になりました(笑)。こりゃ頭ゆるゆるガバガバで知能指数低い女オタ共に弱者男性だなんだ言われそう。ヒィン(笑)。京急を撮りに来たのは先述の通り2か月ぶりなので、1619‐はじめ京急車の6両と4両を撮るのもなんか久しぶり。新1000形も好きだけど、やはりこの前の代である2000形や800形もバリバリだった頃に撮りに来たかった気はする。

まだこちらの方がマシか。八ツ山橋で撮っているとその立ち位置の関係でどうしても車両を近くで見ることになるのだけど、ステンレス車体への塗装というなかなか例を見ない珍しい塗り千にあってもその車体が綺麗に保たれているのはすごいなあと思う。少なくとも私の目視での話にはなるけども。弱者男性なので。もうやめてやれよ(笑)

続いて現在では珍しくなった品川から逗子・葉山(新逗子)へ直通する普通車。今回は1569編成だった。同編成は元1613編成だが、ご存じの方も多い通り大人の事情で改番されて今に至る。

過去画で同編成がなかったかなって思ったんだけど、弱者男性なのでありませんですた(笑)。探せばあるかも。弱者でも何でもいいけど生命力だけはそこんじょそこらに負けないので、精神を病んでいた中学生時代の過去画のうち記事を組むまでもないものからカツアゲして組込んでいくスタイル~。1500形も多少は組換えしてたでしょ。いやそういう問題ではない。
6年ほど関東を離れているうちに1500形4両が消滅してしまったのが何とも言えないアレ。およそ12年前のこの頃に戻れるなら、いじめられて人格を歪められる前に京急に通って色々と撮りたかった。仕事どころかバイトもできない上に不正乗車はしないスタイル(それが当たり前)だから、運賃どうするのって問題にはなるけど。

\キャーシーフラサーン/ 主任さんみたいに書くなって。してこの日のN台1発目はシーフラでした。まさかこの電車が30年以上前に登場したなんて俺も思いたくないし、俺も今年で27になるなんてそんな事実を認めたくない。現実って時に残酷だよね。

ここに来て京成車の急行が来た。以前から書いている通り、京成線内では見られない急行表示がそのかっこよさを引き立てていると思うので、私が京急を好きであることを差っ引いたとて、これもまた京急を撮りに来る理由の1つ。京成沿線民なのでどうしても頻繁に来られないものの、京急を撮るのも京成とは違った楽しさがあるからね。

1533編成の普通車が上ってきた。私みたいに弱者男性(もうやめてやれって笑)のキモータかつドケチな貧乏人からすると、どこぞの元京成バイト(小岩エキセンで社員気取りの痛い奴)とは違い正規運賃こそ落とせど品川から新馬場ぐらいなら歩くのにな~なんて思ってしまう。スーパーやコンビニでイキってるクソリーマンからしたら時間の価値ガーなんだろうけど(笑)。
してこの1533編成の品川行普通車の先頭に立つデハ1536だが、実はこの車両は2代目。これは平成9(1997)年4月に発生した田浦から安針塚での脱線事故の当該となり、先頭を代替新造したため。そこにある京急らしい良いエピソードは私が語るまでもないので省略するが、死人が出なかったのが何よりのこと。

私の時計基準では1分か2分後に来た覚えがある特急。平日夕方の京急は過密だからね、仕方ないね。12月1日に公開した夏の押上線撮影記以来の遭遇だった。新1000形および2100形の車体更新車である象徴たるけいきゅんステッカーが可愛らしいので、どうかこれからも掲出していてほしい。このキャラが好きだから。けいきゅんが好きだから。

※京急社員の「俺のダチ」からけいきゅんステッカーを剥がすって聞いた自慢をしていた元某私鉄バイトは死にました。口が軽いと各方面から恨みを買うからね、仕方ないね。ソイツ情報を信じると、令和8年1月の時点では1500形1707編成が廃車になっていないとおかしい上に、けいきゅんステッカーを貼っている車両は皆無のはず。あれー?おかぴーぽー?

品川始発のA快特(A快特=京急線内完結の快特)の送込みとしての回送で、2100形として最後に製造された2173編成が充当されていた。2100形はあと2編成製造する予定があったというが、もし時代と各条件が異なれば、AE100形と共に関東の2大空港を結んでいた未来もあったのだろうか。いや仮に各種条件をクリアしたとしても、2100形もAE100形もあと数本いないと厳しいとは思うけどさ。あと両形式共にデッキの有無等々の差異もあるからね。
京急ファンでもある京成鉄としては、いつかトンネルの向こうで2100形に会える日を願ってやまない。

なお2173編成もかつてはドレミファインバーターことシーメンス社製のVVVF装置を搭載していたが、あくまでも私個人のオレ調べ+偏見だが、若干ながらも磁励音が他編成のそれと異なっていたように思えないこともない。
※上野の高校でピアノを任された自慢+俺のダチの京急社員自慢しかできないキョロ充のマウンティングは受け付けておりません。まずは呼吸からお引取り願います。仕事を飛ぶなとは思わんけども、PC持ってないからって委任状を代理作成させた学生の家にタダで居候って普通恥ずかしくてできねえだろ(笑)

今年で11年前となるが、平成27年3月(いや、その前の年の夏って気もするんだけど)に蒲田で同じ運番の回送を撮っていた。2165編成は2100形10編成のなかで最初に機器更新工事を施工されて歌わなくなったイメージが強い。この頃に戻りたいのはみんなそうだと思うけど、10年後の令和17年(公開日に起算すると令和18年ですね)に同じ後悔をしないように、撮れるものを撮れる時に撮っていきたいものだ。

ファッ?!とりあえず脳死で早番終わりに撮りにきたので(おい)、なんか黄色い電車が来てクリビツテンギョー。いや何やってんだHGNR、運用ぐらいホラ見ろよ見ろよ~。でもラッキー。文字通りのイエローハッピートレインだってはっきりわかんだね。1057編成が黄色くなって10年以上が経つが、赤い時代の写真が1枚しかないのは残念だと思いつつ。機器更新どころか車体更新を経ても黄色いのはありがたいこと。
※これを見て猫ミーム(死語)の真似をして「ハッピーハッピーハ~っピー」と唾を飛ばす童貞はお亡くなりになりました。失恋で凹んだ俺に説教はできても、セックスはできなかったんだね。いや、セッしか被ってないんだけど()。間違っても力になったなんて勘違いしないでもらいたい。しつこいだけだったよ。失恋(しつこい)なんちって。

ついに1057‐にもけいきゅんステッカーが掲出された。なかなか新鮮で助かるラスカル。今後どうなるかは不明だし、例のクソキョロ充の言う通りけいきゅんステッカーが剥がされる可能性もあるけど(笑)、いつ何があってもいいように撮るだけだ。けいきゅんステッカーそろそろ剥がすからァ!と聞いたのは令和6年2月末だったと思うのですが、公開日基準だとそろそろ2年になります。流れる季節の真ん中で~(笑)

1619編成の普通車。まだまだ新しい塗り千なので敢えて何年前の車両かどうかについては言及しないスタイル~(ここで両肩を上にクイックイッ)。踏切が鳴っているのにブラジルアクセルでエンジンを唸らせ爆走していった多摩ナンバーのジャパンタクシーが色々と役満で面白かった。でも運転には気を付けた方がいい、あんまり違反点数がたまると営業所にも迷惑がかかるんでしょう?

相も変わらず腰を下ろす暇もなく踏切だけが鳴り響いていた。ぼくは、片想いしている同級生と一緒に帰るだけで何もできず、今日もいつもの帰り道が過ぎ去っていくんだった…。勇気を出して手を繋げたら、一歩踏み出して二人で遊びに行けたら…
ってちょっと待ってもろて。腰を下ろす暇もなく踏切が鳴っていたのは事実なんだけど、社会人ワイに同級生はいないし片想いする余裕も気力もない。何でこうなったんだ。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁ~!

我ながら書いていて虚しくなったおふざけはさておき、平成11年生まれかつ佐倉育ちの私にとっては永遠の新形式みたいなところもある(と今命名して押し付けた)3100形の急行もまたかっこいい。いや普通に好きな車両ではあるんだけど、だが悲しいかな、3100形として2番目に竣工した3151編成が執筆日で6年目超え、公開日では7年目、ちょっと何とかなりませんか。※なりません

3100形デビューといえば私が成人する前後、令和元年、主な思い出と言えばクソ大学の文化祭をブッチしてまでも(逆にブッチしない方が頭悪いまであるので)押しかけたイコラブちゃん全国握手会と前後してたっけ。この時に戻りたいが、でもそれは数日前にも似たようなことを書いているので今回は我慢。というか、令和元年分の過去画でも触れる予定だし、それはその時でいいだろう。

初めて乗った時の写真。用途が用途なので当然だが、オレンジのモケットがとても新鮮だった。

3100形には座席を跳ね上げて荷物置き場として使える機能もあるあたり、流石は空港アクセスに特化した車両だと思う。普通に優秀だし、売国奴が愛してやまない公害インバウンドで民度が終わり散らかしているア特にはおあつらえ向きの機能だろう。まあこれでチャイニーズにケチ付けられたのを思い出す前からあの人種にはヘイトしか覚えないけど。
※そいつはお亡くなりになり、天安門で晒し首になっています。

気を取り直して、京急車の急行羽田空港行。これが3から4年ほど前ならエア急の羽田空港行で飛行機マークの位置も違ったが、今は今だし過去は過去。以前も似たようなことを書いていたら大変申し訳ないのだが、この29Hは成田空港から京成線内を快速として走り、高砂から各駅停車、押上から急行となる例のアレ。
流石に20代後半ともなるとそれが初見殺しというのは鉄オタとしての知識抜きに思うのだけど、本線沿線に育った私はそれが当たり前だと思っていたのも懐かしいかも。

1349編成の普通車はおよそ1年ぶりの撮影だったらしい。前回はE217系廃車回送の帰りに生麦で撮っていたとのことだった。
~第2回に続く~