皆さんこんにちは。先日に2回ほど1030号機・1031号機でこのような記事を出していましたが、今回は既に退役してしまった1051号機・1052号機・1053号機のこれまでの写真を振り返っていきたいと思います。まああんまり写真ないんですけどね。
なお残存の可能性が高い1031号機については記事の骨格のみを組んではおりますが、まだ撮る機会があると信じてまた後日の公開といたします。主に甲府に住み始めた平成30年以降の写真でお送りいたします。
1051号機 長岡車両センター所属

平成30年、ゆうマニの廃車回送で撮っていた。長岡車両センター所属のためあんまり中央東線方面に来る機会はそう多くもなく、ぶっちゃけ中央東線で撮ったのはこれしかない。中2の6月(平成25年)に上野から乗ったあけぼのの牽引機でもあった。

ギリギリ撮っていた。まだガラケーとデジカメだった時代なので許しておくんなまし…。無論撮らないよりはよかったと思っているけど。この時は最初で最後のソロに乗ったのを覚えている。当時のSDカードさえ見つかればその時の写真でまた記事も書けるのになあ。
1052号機 長岡車両センター→高崎車両センター

元々長岡に配置された釜ながら、平成27年に同期の1053号機ともども高崎に転属したほか、末期は皆さんもご存じの通りぶどう色塗装に変更されていた。こちらは高校2年生の私が甲府に進学するなんて知る由もなかった頃に甲府で撮った甲府常駐の1052号機。なお転属に際しては、当時EF64形0代のうち4両残っていたうちの3両:36号機・38号機・39号機を置換えている。
昔のそれに関しては私も知らないことが多いのであんまり詳細なことは書けないが、末期の甲府常駐は高崎車両センターのEF64が充当されるのが基本だった。基本的にこうして甲府駅構内の留置線にいるものの、工臨等があればそれに充当されていた。

塗装変更直後、また私自身も甲府に引っ越してすぐの撮影だったが、平成30年4月にはまさに工臨にも充当されていた。確か長野工臨だったと記憶している。それまであまりJRのいわゆるネタ枠を撮ったことのなかった私が初めて撮った工臨かもしれないし、そんなこともないかもしれない。今となっては1052号機は言わずもがな、ロンチキなんかも懐かしい存在だ。

返空でロンチキを返した後に再び甲府に戻ってきた1052号機。そういえばクソほどつまらんクソ大学の授業を終えたその足で撮りに行ったんだっけか。もうそれも8年近く前になるというのだから信じられない。

同年冬にはホキの廃車回送にも充当されていた。この頃はまだホキの代替となるGV-E197系こそ存在しなかったが、この時点では確か中央東線のバラスト工臨はトラックに代替されていたと記憶している。余談ながら、そんなことを露も知らない私は「昼間に工臨なんて珍しいな~」なんて思いながら撮り、通過後に廃車回送であるということを知ったのも懐かしい思い出だ。

なお9月には、信州カシオペアとしてE26系の牽引もしていた。しかし停止位置の関係で入線を流すべきだったと今になって後悔してももう後の祭り。前出し(の可能性自体は否定しないが)というよりは所定の停目かつ12両というE26系の編成長が関係したのではないかと思うが、それでも残念だった。とはいえ、カシオペアといえば専用塗装のEF81またはEF510形500代の世代である私にとっては茶釜とカシオペアというのがなかなか新鮮だった。

翌年にもまた工臨で撮っていたらしい。そういや撮ったわ。してなんか割り込んできた当時中学生か高校生かのキッズがいたが、残念なことに工臨廃止のショックでお亡くなりになってしまったらしい。ご冥福をお祈りいたします。甲府で撮った場合に下り本線に入るとどうしても中線が目立ってしまうが、こればかりは仕方ない。

またホキ配給じゃねえか!クソ大学のしょーもない用事をブッチして甲府在住時と名古屋在住時からお世話になっているオタクと一緒に春日居町に撮りに行ったのを覚えている。信頼できる人と一緒に趣味に勤しむのって楽しいよね。

この時は2番線から撮れる場所に停車。ラッキー。停目自体はもう少し前にあるので、仮にこれよりも前に停まっても陰湿な前出しではないことに注意が必要。間違ってもそれで罵声なんて論外。
特に貨物列車に関しては前に停まることも多々ある。それ故に間違っても「鉄がいてもいなくても前出し。それがJR東日本」なんて酷いツイートをしてはいけない。いたなそんな奴。EH200を撮って貨物と間違えただけじゃん…というそういう次元ではない。※その方もお亡くなりになっています

数日後はこうして再び甲府に戻ってきていた。ホキは長野送りのはずなので、一旦高崎で交検でも受けていたのだろうか。人通りがそこそこある道でカメラを構えている不審者なので通行人から変な目で見られることは覚悟の上だし、実際見られたが、普段見慣れない車両を目にしたそのババアもビックリしてスマホを出して撮っていたのは滑稽だった。

肝心の釜がなかなか目立たないが、同年冬には試験車両であるE995系スマート電池くん(ne@train)の廃車回送にも抜擢されていた。この頃の長野配給は長岡の双頭機が抜擢されることが多く(そりゃ配給される車両が車両ですからね)非双頭機が登板することは珍しかった…と書きたいところだけど、こうして見るとホキにスマート電池くんに案外非双頭機、それも甲府常駐の1052号機が抜擢されていたことを思い出した。

令和2年の写真はどういう訳か行方不明。いや甲府常駐は相変わらず継続していたんだけど。信州カシオペアがバイトと被ったのは覚えている。令和元年から令和3年冬の甲府常駐終了までは同じく高崎所属の37号機と共に甲府によくいたイメージ。そして甲府常駐として撮ったのはこれが最後で、1052号機としても自走で来峡したのはこれが最後だったような気がする。

同機の最後の来峡は自走ではなく、同年に登場したばかりのE493系:通称スーパークモヤの試運転に際した死重としてであった。どうせ自走しないなら他の機関車でもよかったような気もするが、オタク的には久しぶりに慣れ親しんだ機関車を見ることができただけよかったと思う。

復路は当時の家の近場で川と山を入れればいいと思っていたらしい。これ以降1052号機が来峡することはなく、同年秋に37号機共々秋田総合車両センターへと廃車回送。残念ながら令和6年初頭に解体されたため、もう現存しない機関車であるらしい。
1053号機 長岡車両センター→高崎車両センター(ぐんま車両センター)

最後にこの記事の大半を占めることになりそうな1053号機。初見ではないが、手持ちの写真に限った最初の写真は平成30年3月の甲府常駐だった。1052号機の項で書いた通り平成27年から高崎に転属していたが、長岡時代は寝台特急あけぼの・北陸の牽引機等も務めていた。この釜はEF64形1000代最後の車両にして、国鉄製の直流用電気機関車としても最後に製造された機関車でもある。

12月にはクソ寒い中単機回送を撮りに行っていた。これ何の回送だったっけ。そう思って調べたら甲府工臨の送込みだったらしい。知らなくて撮れなかったのか、バイトと被ったのか。この8年前には寝台特急あけぼのにも乗っていた私だが、この時から7年以上が経過した今、もうそれも思い出すことができない。
なおTwitterで調べたところ、同年9月に1052号機とプッシュプルする形で旧客が運転されていたことを思い出した。今となっては撮りに行くべきだったなあ。

令和元年に信州カシオペアに充当されるはずが、1053号機に故障が発生。代替で37号機が令和3年の甲府常駐廃止まで1052号機共々甲府にいることが多かった(あくまでも私のオレ調べによる)が、甲府常駐廃止後の令和4年、田端のEF65形機関車の廃車回送で再び来峡。多分おれが撮れなかっただけでそれ以外にもどこかで来ていたとは思うけど。※後述しますが、令和3年にも来峡しています

その返却は面が潰れるのを覚悟で撮りに行っていた。当時失恋して数か月でむしゃくしゃしていたが、甲府を離れる前に撮れるものをということで頑張って早起きして撮りにいったものだった。

どうせこの頃は既に免許を持っていた訳だし、最後ぐらい追っかけをしておくべきだったのではないかと思うとなんか今になって悔しいかもしれない。だから何だよって話になるが、実はこの機関車の落成日は私の誕生日と一緒。いや年は17年も違うけどね。という訳で謎に愛着があった機関車だったが、4年間住んでいた甲府を離れるにあたり、またこの時点で既に甲府常駐も終わっていたこともあり、1053号機ともお別れだ。
少ししか撮れなかったが、それでも少しでも写真を撮れただけいいだろう。双頭機のごちゃついた連結器周りもいいが、純正のこちらもよさもまた捨てがたい。

1053号機よさらば。高崎でも達者でな。いや平成27年以降の配置先自体は高崎だよ。こんなこと書いていたら家賃水道光熱費踏み倒し野郎や通称びゅう野郎にバカにされそう(笑)。前者はいつもネタにしている例のキョロ充だが、ここ最近、奴の悪い評判を募らずとも各方面から聞くようになっているのが面白い。※その方はお亡くなりになりました
もう少し撮ることができていたらと思っても、高崎の客レもあるからこの頃でいいから戻りたいと思っても、もう時は戻らない。
令和6年9月。山梨時代からお世話になっている方から「カシオペアが1053牽引で来るらしい」との一報。運転日は水曜日だったが、当時の私はE217系廃車回送がいつ施行されてもいいように毎週水曜はシフトを外していた。同じくEF64形1000代を使うとはいえ、被牽引対象は個人的に両方貴重なものであるとはいえ、これは行かない理由がない。

という訳で、はるばる山梨県まで撮りに行っちゃいました。客扱いでもないので晴れ舞台という解釈は間違っているかもしれないが、最後の最後で1053号機が寝台特急の車両を牽引するところを撮ることができたのはオタク冥利に尽きる。
この時点で東のEF64は高崎に同機及び1001号機、新潟に双頭3機と1051号機が残存していた。配給ついでに双頭機の可能性もあったが、一番好きな1053号機が充当されたのはただただ幸運であった。もっとも1001号機に関してはやたらと中央東線の運用を避けていた印象すらあるので、至極真っ当な配車と言われたらそこまでなんだけど。

先述の通り、私にとってのカシオペアは専用塗装のEF81やEF510形500代(青森以北はもちろん別だよ)。青森以南は時折北斗星の機関車が充当される印象だった。それ故に東北本線とはそこまでゆかりがある訳でもないEF64形の充当は解釈違いというご意見もあるだろうし、正直否定はできない。それでも日本で最後まで残った客車寝台列車をEF64が牽引しているのも悪くないというか普通にいい。

私自身久しぶりにカシオペアを撮ったが、この時点でよく見ると既にE26系側がボロボロだったことに驚きを禁じ得なかった。青函トンネルを通らないようになって久しいのにこれだもの、きっと見えないところでは更に劣化が進んでいたのだろう。1053号機とは関係ないが、この試運転からちょうど1年が経った令和7年9月3日、1両を残したE26系カシオペアは長野総合車両センターに配給されてしまった。

なお、この時点で久しぶりの再会を果たした1053号機も負けずにパッチワークでボロボロだったようである。青いガムテープだった可能性は多分ないので、例のあの歌が竜王に流れることはない。結果として山梨方面のカシオペアの試運転だったが、なぜ甲府電留ではなく竜王で折返したのかはわからない。線路容量の関係だろうか。

あの竜王駅に1053号機とカシオペアがいたのが未だに新鮮かつ強烈だった。この時点で1053号機がボロボロで見るに堪えず、また既に高崎のELが同年秋で引退することも知っていたので、何とも言えぬ気持ちになったものだった。
余談だが、私が1053を撮ることができなかったのを明確に覚えていることがある。令和3年8月のことだが、田端のEF65の廃車回送(バイトと丸被り)の返却回送も撮れなかった。後者は免許センターに出頭して免許を取得するための試験を受けていたが、同センターの最寄りはこの竜王だった。ニアミスで撮れなかったのが残念だったのを4年半近く経って思い出した。それだけ。いや内容うっす!

地上から1枚。機器箱が被ったけどまあ仕方ない。この時は大雨で甲府~小淵沢で運転を見合わせていたものの、当初から石和以東で泣く子も黙る黄色いステッカーのカーシェアでヤリスHV(車を買う前の甲府市民時代にも乗った車)でうろちょろしていたので事なきを得たのを覚えている。
残念ながら復路は渋滞に巻き込まれて間に合わなかったものの、帰りに指定していた千葉行のあずさ50号も遅れていたので結果として都合よく乗換えなしで帰ることができた(石和→甲府で移動こそしているが)のもいい思い出だ。

もうこれで会う機会もないだろう。というわけで時系列は前後するが、猿橋で追いついた時の写真も。カシオペアはともかく、中央線E233系0代とEF64というのもなんか一昔前の感じがして懐かしいものだった。

1053号機とは関係ないが、10両ステッカーのE233系とカシオペアの共演は本当に少ない期間だったことだろう。折しも先日カシオペアまで長野送りになってしまった今、1年以上が経ってこうして書き直しているとおセンチな気分になる気がする。
1053号機の高崎地区以外での最後の晴れ舞台に立ち会えたことは本当にありがたいことだったと思う。お誘いいただき、また猿橋から春日居町まで乗せてくださった先輩格に当たる方には本当に感謝してもしきれない。この場で恐れ入りますが、改めてありがとうございました。
そして1053号機よ、永遠なれ・・・

2か月の時が経ち、感動の再会。はろ~(笑)。脳内BGMは栄光の架け橋だね。いや全然いいんだけど、これがまたマヌケな理由での再会だった。
前日、群馬県内にお住いの知人の方とSLみなかみに乗車・会食。そこまではいいんだけど、駅ビルでスマホを落としたバカがいた。まあ俺だよねそれ。して流石にそのまま帰る訳にも行かないので高崎に1泊。翌日無事にスマホは見つかったが、そのまま帰るのもなんか屈辱的。

一方で泊まっていたホテルから朝のELよこかわを見たら1053号機。ここまで来たんだからということで、ダメもとで高崎のみどりの窓口の駅員さんに復路のSLよこかわの空きがないかとお尋ねしたところ、嫌な顔ひとつなさらず最後の数席の1席を爆速で確保してくださった。したらもう乗るしかねえよな、ということで乗りに来たというのが事の顛末だ。災い転じて福となす。

唯一悔いが残っているのは、ただでさえお忙しい出札担当の高崎の駅員さんが(えきねっとでは取れない列車だから仕方ないとはいえ)爆速で嫌な顔ひとつなさらず取ってくださって、私も心から何度も御礼をお伝えはしたものの、客センにも感謝のメールを入れなかったことだろうか。令和6年11月17日に高崎駅で私の座席を確保してくださったあの駅員さんがいらしたからこそ、1053号機との最後の思い出を作ることができたのは事実。それを差し引いてもいい旅になったのも、間違いなくあの駅員さんのおかげ。ご本人に感謝の気持ちが届いていたらそれ以上のことはない。本当にありがとうございました。

1053号機が客扱いを行う列車に充当されたのは確かこれが最後だったと記憶している。翌週のレトロぐんま横川がEL充当の最終回(結果として最終回とは言ってない)だが、やはり人気のあるEF65形501号機がその任に就いていたようだ。1053号機自体はこれ以降も撮影会や試運転で横川にも入線しているが、本当に最後の晴れ舞台に立ち会えたことは一生の思い出だ。スマホをあそこで落としたせいで1万円以上が宿泊費等でぶっ飛んでいったが、これも笑い話兼いい思い出か。

211系と並ぶ。左のA33編成は私が高崎から乗ってきた挙句に寝落ちしていた車両。無論先ほど横川駅の外観を貼った通り、どこぞのキョロ充のように不正乗車はしていない。
思えば甲府で見ることばかりだった1053号機が湘南色の211系と並んでいるのがエモかった。決して珍しいものではなかったと思うけども。1053号機の長岡所属の晩年、もし新潟地区に当初の計画通り211系が転用されていた場合はまた違ったカラーリングの同系と並んでいるところも見られたんだろうか。まあその頃の俺は中学生だから、俺自身が生で見るのは無理だろうけど。

あけぼののヘッドマークをもう一度掲出してほしかったが、1053号機が晩年を過ごした群馬県のヘッドマークもまたいいものだと思う。復路の高崎行はしんがりを務めるので厳密には1053号機牽引ではないが、それでも最後に同機が携わる列車に乗ることができて本当によかった。

ボロボロの側面。私が年を重ねるごとに時の流れが加速しているだけとはいえ、改めてこうして見ると、久しぶりってほどでもない再会にもかかわらず(カシオペア試運転の前とこの時を比較しての話だが)、側面がボロボロで少々寂しい気持ちになった。

安中で撮った気がする1枚。客レ自体も普通に楽しく、令和の世にハイケンスのセレナーデを聞くことができたのもよかったので、いい思い出になったと思っている。

日付に注目。恐らくは平成28年10月28日に秋田総合車両センターで何かしらいじくったというアレなんだろうけど、この10月28日は1053号機の落成日。そして先述の通り、私の誕生日でもある。最後の最後にこんな表記があるということを知ることができてなんか嬉しかった。

楽しい時間はあっという間。同じボックス席のに居合わせた方との会話等にも花を咲かせていたらあっという間に高崎に到着。時代が違えば上野は厳しくとももう少し先まで乗ることができたのかもしれないが、そればかりは致し方ない。
回送列車として高崎車両センターに引き上げていく同列車を見送り、1053号機ともお別れとなった。これ以降も先述の通りしばらくは撮影会や文字通りの後釜となるGVの試運転等で動いてはいたものの、令和7年5月に長野総合車両センターに自走で回送され、恐らくもう車籍もなくなっている。
東のロクヨンの中でも1位・2位を争うレベルで好きだった機関車だった。思えば寝台特急あけぼのとしての写真はなく、甲府市民時代もロクに撮れなかった1053号機だが、残された最後の時期にカシオペア試運転の撮影、そして半ばノリとヤケで行った客レでは最後に1053が携わる列車にも乗れて、オタクとしてこれ以上のことはないと思う。弱冠26の私が何をって話だが、今までお世話になりました。
という訳で、東のEF64の振返りシリーズはこれにて一旦終了。37号機は気が向いたら、そして最後の1機となりそうな1031号機に関しては引退のその時、また同様の記事を書こうと思う。
なお今回取り上げた3機のうち、先述の通り1052号機は既に解体済み。しかし1051号機は秋田に、1053号機は長野にまだ車体自体は残っている。これから先、もし何かしらのイベントで再会できる日があるのであれば、私にとってそれ以上のことはない。無論この記事にも追記していることだろう。