秋田新幹線こまち号に併結するやまびこ号用と長野新幹線あさま号用に増備されたE2系0代の改良版として(?)、2002年(平成14年)12月の東北新幹線八戸延伸に際してE2系1000代が増備されたことは皆様もご存知でしょう。
0代は既にN編成・J編成ともに引退してしまいましたが、執筆開始時点(令和2年末)ではJ51編成を除いた1000代はピンピンしていますので、はやて号で散々お世話になった東北生まれとして全編成をまとめてみたいと思います。まあ結局コンプリートしたのが一年ほど後なので何とも言えないんですけどね。
皆さんこんにちは。私が大学生だった令和2年末にどうやらこんな記事を書きはじめていていたようです。そして下書きに投げて放置して5年以上が経っているようです。まあ当時の記事もだいぶ黒歴史的なポジションではあるので、5年の時を経てリメイクしていきたいと思います。本日もよろしくお願いいたします。当時現役だった車両も大半が引退しているという事実に涙がで、出ますよ…。
なお本文については大半を書き直しております。余計な手間はかかるけど。
- J51編成
- J52編成
- J53編成
- J54編成
- J55編成
- J56編成
- J57編成
- J58編成
- J59編成
- J60編成
- J61編成
- J62編成
- J63編成
- J64編成
- J65編成
- J66編成
- J67編成
- J68編成
- J69編成
- J70編成
- J71編成
- J72編成
- J73編成
- J74編成
- J75編成
J51編成

1000代の量産先行車で、東京側1号車でも分割併合に対応していた。これは当初8両同士を連結しての運転を見越していたためだけど、結局はやて号を10両で運転することとなったので計画は立ち消えて、他の0代J編成同様に10両化をした。※J1編成は増結ができず、N編成N21編成となった。
余談だが、0代最後の編成よりも先にこの編成が廃車となっている。検査期限の都合か置換えの都合か、はたまた試作車ゆえに多かれ少なかれ現場からの扱いにくさがあったのか…。
J52編成

越後湯沢で撮影したJ52編成。J編成のうち、編成番号が50番台と70番台のやつらは新潟所属が多い…のかと思って調べたらそうでもありませんですた。そりゃ仙台発着のやまびこは未だE2の天下だもんね。 ご存じの通り1000代も上越運用を持っていた。記事を書き始めた令和2年末の時点で同編成は新幹線総合車両センター(以下幹総)所属だったとのことだ。
J53編成

上野で撮ったJ53編成。たぶん東北運用だったと思われる。実はE2系1000代登場時はまだ上越運用も残っていた(平成16年に一度終了)のでもしかしたらこの辺の初期に製造された編成が充当されていた可能性もある。ただ、八戸延伸対応増備はあくまでもJ56編成までらしいので、そんな余裕があったかは不明。
J54編成

個人的によく遭遇するイメージの車両です…と書いてこの写真を貼っていた当時21歳酒クズ喫煙者の私に朗報!この編成はそんなことを書いた翌年にも沢山遭遇することになるよ!

その中から1枚。合宿免許で新潟市に滞在していた時に新潟でバルブしていた。既に同編成最後の1年ではあったが、こうして記録を残しておくことができて何よりである。そのほか、同年9月にE4系Maxの記録をメインに上越のE2の記録も進めるべく1泊2日で湯沢町を中心とした遠征を決行した帰りにも乗車することができた。乗車した理由は在来線への乗り遅れだが、まさに禍を転じて福と為すといったところか。その時の記事も焼直しを予定しているので、いつか皆さんにお読みいただければと思う。

最終配置は新潟新幹線車両センターだったが、運用離脱後に幹総に回送されて廃車・解体となった。最後まで残ったE4系P82編成目当てだったが、思いがけずこうしてJ54とのお別れもできてよかったと思う。その節はお世話になりました。
J55編成

爆速で浦佐を通過しているJ55編成。この編成も当時新潟所属だったが、後述する通り元は八戸延伸時に増備された編成。J70編成以降が新青森開業に合わせて増えたように純増の形で特に置換えた車両はない(多分)。200系初期車も既に廃車になっていた車両もあったので自信はないが。
J56編成

上越新幹線上り始発列車のとき300号として燕三条に到着したところを撮っていたことがあった。これは0泊2日、総所要時間17時間で当時住んでいた甲府~燕三条経由浦佐・越後湯沢を往復するというイカれた遠征を強行した時のもの。目的だったE4系・E2系のスプリンクラーを最後の最後で撮れているので、体力も金も使ったが諦めずによかったと思っている。
この編成の特徴としては、やはり上越新幹線での高速試験走行において362km/hを記録した点を忘れずに書いておきたい。走行試験において改造があったとはいえ、普段275km/h前後で頑張って爆走している感じのあるE2系がそんなスピードを出せるってすごいよなあと思う。
J57編成
この編成以降は一気に平成16年度に増備されたグループ。主に200系未更新車を置換えるために導入されたとのこと。とはいえ200系も一部がリニューアルされたので、結果として最終的に置換えたのは(間接的には)E5系のようなものだけど。確かK41編成の一部車両はかなりの初期車だったんだっけか。
J58編成

やっぱこれでしょ。という訳でJ56の項で触れた気合いと魂の爆速遠征の時に東京からの一番列車であるとき301号として撮っていたJ58編成。スプリンクラーのこの1枚のためにあそこまでして悔いはない。当時幹総所属だった気がするものの、現在のE7系よろしく所属が違う路線での運用は特に珍しいものでもなかった。それこそ、J66編成が200系カラーになってからはそれがわかりやすかったのではないかと思う。
J59編成

東京で撮ったJ59編成。確かこの編成も所属が幹総だった気がするんだけど、撮った時は上越新幹線とき号として撮っていたと記憶している。もっとも、撮影は令和4年なのでまだE2系の東北運用は多かった訳だけど。というか皆さんご存じの通り、先に上越から撤退してるぐらいだからね。
J60編成
この編成も確かこの当時は所属が幹総だったはず。記憶が正しければ最後に八戸から乗った(新青森延伸前)ってこの編成だったはず…?15年以上前だから違ったらスマン。
J61編成

大宮で撮ったJ61編成。なんでケツうちしかないのか不明だけど、撮った令和2年の時点で既に成人していた以上、酒でも買いに行っていたのではないかと思われる。結果間に合わないなんて、某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁ!某氏野郎とE2系で東北なんてことにならなくて本当によかったと思う。一度社交辞令で提案した俺もバカだけど。
J62編成

後ろがこまちじゃない…なんて当時書こうとしていたのを消したが、そんな今は編成JLですら見られなくなっているなんて、書き始めた時は思わないことだろう。しかもそのくせして最後に東北運用が残るというのもね。
J63編成

してJ63編成は新潟所属だったらしい?もっとも、書いてきた通り所属は関係あってないようなもんだし私自身正直気にしたことがないけども。もし令和7年に公開されたNetflix映画の「新幹線大爆破」がE2系全盛期に公開されていた場合はE2系が当該だったのかな~なんて思う。なお同映画では、幹総の場面でE2系も登場しない訳ではない。
J64編成

例の0泊2日弾丸遠征の際に浦佐から越後湯沢で乗っていたのがJ64編成だった。1駅しか乗らないってなかなかもったいないとは思うが、そればかりは行程の都合上致し方がない。この数か月後、合宿免許で新潟市を訪れる際にも越後湯沢から新潟でお世話になったと記憶している。その節はお世話になりました。いや、それ以外にも多分はやてでも何回も乗っていると思うけど。確率に鑑みると恐らくは全ての1000代には乗ったことがあったんじゃないかな?
J65編成

はじめての新潟遠征の時に撮ったやつかも。越後湯沢での撮影で12月下旬のものだが、トンネルを抜けてもそこまでの雪国ではなかった模様。そればかりは仕方ないね。この編成までがJ57編成と同様に平成16年度の製造だった。また結果として令和4年度までにすべての編成が廃車となって引退してる。
J66編成

高校生の時に臨時のはやて355号で乗った編成。この列車は上野で北陸新幹線かがやき、大宮ではやぶさ・こまちを先に通すという昨今ではなかなか見られない気合いの入り方をしたダイヤだったほか、大宮発車場面では北陸新幹線E7系またはW7系と同時発車。向こうの加速力に圧倒された。この時にグリーン車の写真を撮らなかったのは後悔している。いや撮ったとは思うけど、行方不明という意味で。

皆さんもご存じの通り、令和4年には諸々の記念で200系カラーになったのも同編成だった。当時「なんだこれは…たまげたなぁ…」なんて思っていたが、初めて見た時にあの200系と本当に同じカラーであることにまず感動し、気が付けばこの姿もすっかり板について、見かける度に嬉しく思っていたものだった。

この色になった時の私は名古屋市民だったので頻繁に見られたわけではないが、それでも東京まで戻ってきた時やたまにある東北新幹線利用時に必ずと言っていいほど見かけていたので、実はこの編成以外もこの塗装になっていた可能性がある。※ありません
そんな同編成も完全に役割を終えて長らく新潟新幹線車両センターに放置されてついに解体かと思われた矢先に陸送+海上輸送で北海道へ。青函トンネル区間の速度向上用試験車両として鉄道運輸機構に譲渡されて第二の人生(人ではないが)を歩むとのこと。E2系ファンとしてはその活躍を大いに応援しているが、青函トンネル走行を視野に設計した車両ではないのでどこまで耐えられるかが不安ではある。願わくは、新青森に帰省した際にでもまたJ66編成と再会できる日があればそれ以上のことはない。
J67編成

なんか遭遇率が今一つだった印象の編成。確か新潟には転属していなかったような?これも東北新幹線のやまびこかなすのかその辺で撮った…とまで書いて思い出したけど、一度上越運用でも見かけてはいた。まあ先述の通りよくあることだからね、まあ多少はね。

令和6年、運用終了の少し前に東京で撮っていた。このまま乗ってしまいたいが、この日は弘前に帰省するために東京駅で待っていたのでこれに乗ると乗車予定のはやぶさに途中で追い抜かれるためNG。
J68編成

当時いじめでバリバリに心を病んでいた中学生の時に撮った1枚。お前ン記事東京ばっかじゃねーかよ!いや他形式よりはマシだと思いたいです(震え声)。そっか~この頃はまだまだE2系も沢山いたんだな~と思うとなんか寂しくなるかも。この頃は以前も書いた通りクソ中学でのいじめが酷かったが、こうして気分転換に東京駅に遊びに行くのが楽しかった。

そんなJ68編成は私が最後に乗った前期車だった。何でも東京方1号車の半分が新潟新幹線車両センターに保存されているとかいないとかいうが、どのような目的かは不明ながらも保存されているのは嬉しい。いつかまたどこかでお目にかかれたらと思う。
J69編成

脱線したK25編成の代替として残ったK30編成を置換えたのがこのJ69編成。末期に福島で入線が間に合わず苦肉の策で撮った1枚。この時はMagical Dream Shinkansenラッピングだった。乗れたらよかったんだけど、乗車予定の列車に当たらなかったので残念でした。

こんな感じ。やっぱ乗ってみたかったなあ。たまたま仙台で遭遇した(のを後続の臨時やまびこでぶち抜いて福島で撮ろうとして間に合わなかった)のがさっきのアレ。新潟でラッピングを剥がした後に全車解体となってしまった。

ここまでが前期車と勝手に私が分類している編成。書いて来た通り八戸延伸と200系置換え用の車両だった。それがもういないというのだから時代なんだなあと思ってしまう。新幹線の寿命が短いというのもあるとはいえ。この見慣れた車内が懐かしい。DEENさんの君の心に帰りたいをBGMにしたい。
J70編成
ここからは後期車。書いて来た通り新青森開業時に増備されたグループで、現在も後期車は6編成全てが健在。E10系の置換え対象としてE2系も名指しされたので、それまでは安泰ではないかと思う。

浦佐で撮ったJ70編成。この編成以降はコンセント・読書灯が設置されたり車内LEDが大型でフルカラーのものになったりと色々進化している。個人的には初めて乗った後期車という思い出もある編成で、震災ダイヤでの臨時はやて157号だった。また令和7年2月には東京→大宮で乗車しているが、これは長野にE217系廃車回送を撮りに行くためのものである。前者は帰省のためだが、後者はただの不審者というかもはや奇行種としか言いようがない。ただ、E217系廃車回送をE2系で撮りに行ったのは私以外にいないこともないとは思いつつ、やばい人だというご指摘は受け止める。
J71編成

小学生かその頃の写真かもしれません。すみません。いや中学生かもしれない。平成25(2013)年に再びE2系の上越新幹線での運用が復活したが、当時は0代が中心で1000代、それも後期車が充当されるとネットが軽くざわついていたのを覚えている。まだ発信側になる前の時に一度撮ったことがあるんだけど、データがどこにあるのかわからず泣き崩れそうである。
J72編成

新潟でバルブしていたJ72編成。令和3年の撮影。この頃はE4系Maxの置換えが進行中で上越新幹線に3車種が存在していたので撮っていても楽しかった。それ言ったら200系やE1系がいた頃はどうすんだって話だけど。とはいいつつE7系も好きなので、個人的には全然いいんだけど。バリエーションって意味での話ね。
J73編成

大宮で撮ったJ73編成。この記事を書き始めた令和2年末からしばらくは後期車は全て新潟に所属していたが、上越新幹線のE7系統一時に仙台に再転出したのがなかなか珍しい動きで面白い気がする。これもE2系の汎用性故だろう(いい感じにまとめてみた)。

令和6年1月の弘前帰省の帰りには福島から乗っていた。15分ほど前を別のやまびこ号が走るので自由席も余裕で座れたのを覚えている。ラッキー。コンセントのない前期車もギリギリ生き残っていたしあの懐かしい内装も好きだけど、つばさ併結のやまびこでそこまでの乗車時間ではないとはいえコンセントがあればあったで助かるラスカルなのも事実。

無事に車内飲酒もできました。E2系のうち一番最初に俺が酒飲んだ編成ってどれだ?と思ったけど、令和3年のJ54編成かもしれない。またE2系であの頃(はやてで乗っていた頃)は飲めなかったアルコールを片手に旅をできる日を楽しみにしている。
J74編成

天気が残念だけど浦佐での撮影。スプリンクラーチャレンジは結局最後の最後まで勝利を勝ち取ることができなかったのも今となっては懐かしい。ちなみに後期車は全て平成22年製(一部は平成21年度)で、E5系先行試作車のS11(現U1)編成よりも新しい車両となっている。確かE5系量産が間に合わないからという理由で実績のあるE2系を作ったんだっけ。もし仮にE5系として登場していた場合はもうE2系もいないということとなる。この他、当初59編成の製造予定と報じられたE5系がU51編成までの増備で終わりそうなのも減便以外にもこれが関係しているかも?
J75編成

E2系として最後に登場した編成がこのJ75編成。つまり新青森開業時に営業をしていた編成としては最新の編成で、しかもこの編成、新青森発一番列車となるはやて12号(当時)にも充当された記念すべき編成。JRさんなりの粋な計らいだったのではないかと思っている。平成22年12月4日の朝6時31分発のはやて12号は紛れもなくこの編成が充当されていた。

執筆日の時点では最後に乗った編成で、後期車としては初のグリーン車乗車もこの編成だった。仙台から東京まで各駅に停まるやまびこ218号として乗ることができた(しかも所定はU単)ため、久しぶりの長時間乗車ができて幸せだった。この他、この時は仙台駅で買った牛タン弁当をE2系で食べるという安い夢をかなえることができていた。
そんなE2系だが、今も残る後期車との思い出と写真を沢山増やしていきたい。E5系以降の各新幹線の記録も進めないといけないので、また撮りに行かないとなあと思う。どうしても6編成しかいないのでその分遭遇できる機会が少ないのは残念だが、E10系登場までまだ時間はある。撮影乗車共にまた会える日を楽しみにしている。
末筆ながら、本日令和7年12月4日を以ちまして、東北新幹線が全線開業してから15年となりました。青森県生まれとしてはやはり新青森開業は本当に嬉しかったのを今でも覚えております。開業15周年を心からお祝い申し上げ、東北新幹線が我が故郷の更なる発展のトリガーとなることを心から願っております。