ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

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【平成30年】受験戦争敗北組が撮るJR。東武100系スペーシア。成田エクスプレスでの帰り道。モノサクでの209系、E217系、E257系臨時特急、E259系等総武線撮影記。友情出演:E131系(当時まだ落成していないです)

皆さんこんにちは。高校生時代の過去画もシュー・・・終盤が近づいてまいりました。

昨日の記事とは若干時系列が前後して申し訳ないのですが、今回は受験戦争にて敗軍の将となった私の2~3月の思い出をお送りいたします。公開時26ちゃいにもなっていつの話してんだって話ですけど。

 

以前の記事ではバリバリ受験期のめちゃくちゃ大切な時期に遊んでいたバカの話を書いたと思います。まあ俺なんだけど。今思えばあれだけ志望校への熱はあったのに、ああやって遊んじゃうあたり弱い人間だったと反省しています。人生ナメすぎだよ君(笑)。という訳で。受験本番の1週間は都内に滞在していたので、そこからの帰り道と受験完全敗北が決まってからの総武線撮影記について書いていきたい。果たして今回は「わたしはバカです」って書くだけでどれだけの分量になることか。

 

って言いながらラーメンの写真を貼るのはどうなんだよって話か。受験ラッシュのため、実は1週間だけ東京都民だったことがある(流石に住民票は移していない)。

これはその時に食べていたラーメンの写真だと思う。家系ラーメン食いたい。できれば次の日の予定がない時にニンニクマシマシで。濃いラーメン食った後のタバコが美味いんだよなあ。もっとも当時はそんなこと知る由もなかったけど。

というか、私の受験のためにウィークリーマンションまで借りてくれた母に対して、女手一つで育ててくれた母に対して、その受験を敗北という結果で返してしまったことが不甲斐ない。そこは本当に、人として。

 

スペーシア

全ての受験を終えて新宿から成田エクスプレスで帰ります。当時の47号は佐倉には停車しない便だったので、四街道まで乗っていた。最近東武沼に堕ちた私としては、この塗装のスペーシアも撮っておくことができていたらなあという後悔しかない。

ちなみにこの一連の写真を撮った時点で既に受験戦争の敗戦は決まっていた(第一志望落ちてたので)が、ここまで受けた大半の大学も結果として落ちるので、受かっていた甲府のFラン国公立か都内の私立への進学または浪人という選択を迫られていた。

自宅で浪人するつもりだった。12月2日の記事で書いた元弊学の入学手続きはE351系乗車と甲府旅行がしたいからという理由につられて済ませていたものの、結果として親父が勝手に向こうの民間学生寮を計画し、私は半ば強引に追い出されることとなった。それはもう少し先の話となる。

 

2247M 成田エクスプレス47号 Ne004

全ての私学受験を終えた私が乗っていくのは成田エクスプレス47号・Ne004編成。まさか当時はこの塗装が見られなくなるなんて思わなかったし、この写真を撮った新宿5・6番線を喫煙所として認識する日が来るとも思わなかった。

既に第一志望は落ちていたのだけど、ここから先、見事なまでに完膚なきまでに都内の私学は落ちまくる。一応受かっていたところもあったけど、なんか予備校代やウィークリーマンション代に受験料等を出してくれた母にはやはり申し訳ない気持ちになる。

 

このロゴもなくなってしまうなんてな。253系があの世で泣いているに違いない。いやまあ253系自体は元200代が現1000代として現存はしているけれど。今のE259系の塗装が嫌とは微塵も思っていないが、でもなんかE259系アイデンティティが失われてしまったような気がして仕方ない。なおNe004編成はこの後の撮影でも登場するらしい。

 

さて、受験戦争で敗戦となった私だが、3月15日は親に言われて出身校となる元弊学の入学手続きに行っていた。先述の12月2日の記事がそれとなる。当時は行く気なんてなかったが、しかし親にスーパーあずさに乗ってもいいとの話をされたので、それ目的でレッツゴー。

なんかこのままだと内容が薄いから、3月に敗軍の将としてモノサクに行っていた時の写真だ。当時は無論免許なんてあるはずもなかったので、うすい→バスで四街道→物井から徒歩というクッソ面倒なルートを辿っていた。自 転 車 っ て 知 っ て る ?

成田線千葉行 C611(現C444)

多分この辺も当時受験の呪縛から解放された私が記事にしているはずなんだけど、そんなのガン無視で書いていこう。当時は現役だったC611編成から撮影をスタートしていた。C611編成はじめ幕張の209系6両(何がマリCだよ爆笑)は令和3年改正で大半が編成短縮・余剰廃車・伊豆急への譲渡の道を辿ってしまっている。

JRを悪く言う気はないし、会社として東は普通に好きだけど、でも結局あれ房総ローカルの末端区間をJRがワンマンの実験台にしたいからE131系を入れたんでしょ、そう思ってしまう。日中ならまだしも通学の時間帯に2両ワンマンが足りるとも思えないし、せめて3両にしてくれよって。

 

とはいいつつ、E131系の何がいいかって真っ先に挙げるのであればそれは顔なので、許せてしまう自分もいるんですけどね(はあと)。千葉市民はなかなか撮る機会もないので、E233系で置換えきれない分の209系の後継はE131系だったらいいなあと思ってしまう自分すらいる。写真は令和2年、甲府付近にて。

※令和7年初夏校正時に追記:そうなりそうです。E233系の代替がE233系みたいな自転車操業(どこぞの113系みたいに)になる世界線は…流石にないか。それもそれで泥沼だし、他人の恋愛事情と車両計画と訴訟は泥沼が好きなので、それはそれで面白いけど。

 

総武本線千葉行 C607

閑話休題。こちらは今も6両で残っているC607編成。当時平成30年時点ではマリCの6連撮っとけーなんて言われることもありませんでした(笑)。マリCの6連、まだ公開日時点でいるといいですね!

一部報道での伊豆急への追加譲渡が本当なのかは不明だけど、同じ6両14編成なら長野の211系の6両を一時的に置換えて、いずれ3両に寿命が来る時にまとめてE131系に統一というのもありっちゃありな気はするんだけど。でもそのために寒冷地仕様に改造するのってどう考えても無駄でしかないんだよね。

※なりませんでしたね。というか向こうの211系6両14本の後継がE131系200代3両20編成って、それもそれでまた夢と妄想が広がる。

 

快速東京 Y-137+Y-32

当時は現役だったE217系。いやこの記事を書きはじめた時点でもいるんだけどさ、でもこのY-137編成は置換え開始から早々に廃車になってしまっている。

同編成の引退は令和3年9月のことなので、まあ大体行けなかった理由について察しは付くが、それについては別に言及することもしない。今みたいにいつ配給があってもいいようにと毎週水曜は絶対に予定を空けるというとても簡単なことすら考えられないとは、将来が心配になる。将来が心配(笑)学生の家にタダで居候してしらばっくれる方が心配だっつーの(笑)

なお後ろはY-32編成。そういえばこの頃からE217系の放送も更新されていたんだっけ。もうE235系1000代(何がニサゴだよ)の噂はあったんだっけ?公式発表はこのおよそ半年後だった。E217系もあっという間にいなくなってしまった。

 

特急北総江戸紀行 NB-18

この日のお目当てだった「臨時特急北総江戸紀行」。球切れはこれから先も時折お見掛けするので、まあ500代の持病なのかもしれないし、そういう訳でもないのかもしれない。

このNB-18編成は、この時の撮影からおよそ6年してE257系500代の「下り」しおさいが復活することになり、このブログでも今まで何回もしおさい11号について言及してきているが、その初日の編成もNB-18編成だった。それについてはまあ既に記事にしているはずなので、割愛。その時は恐らくは設定ミスか何かでヘッドマークが表示されれていなかったなんてのも今となっては面白い話だと思っているので別にいいだろう。

 

成田エクスプレス36号 Ne014+000

当時はこの塗装が当たり前だったのにな。E217系の後継としてE235系1000代を作るという発表も、この半年後のものだった。執筆日の時点で7年近く経つと何もかも変わるものだ。今これを書いている令和6年12月の7年後は令和13年12月、私は32ちゃい…ぞっとしてきた。

こんな人間だから結婚はしてないと思うけど、その頃もこうしてブログを続けていることができたらと思う。E257系やE259系はまだいるのかな。流石に波動用車両としてかつての183系みたいに生き残っていると思いたい。

 

成田線千葉行 C438

4両のC438編成。やっぱ209系って超かっこいい。500代や1000代等もいいんだけど、でも一番はこの顔かもしれない。そのうち引退が近くなったらE217系Y-101編成のように旧塗装、つまり京浜東北線時代の塗装に1編成戻して撮影会なんてやるのかな。

なお209系までの直流の一般形電車は高尾以西を自走できないかと思うが、そのため彼らを長野総合車両センターで解体する場合は何らかの形での配給輸送が必要になる。逆にE231系以降の直流電車は確か狭小トンネル対応だったと思うので、もしかしたら209系完全淘汰のタイミングで長野配給というものはなくなるのかもしれない。209系の長野配給は恐らくスーパークモヤことE493系が牽引を担当するのだろう。

 

快速逗子 Y-36

もう1本、Y-36編成の快速。もうここでこうしてE217系を撮ることもないことだろう。Y-36に関しても既に令和5年に廃車となってしまっている。ちょうどあの時は千葉に帰省していたかもしれないので、そうなのであれば撮りに行けなかった自分を恨むしかない。

E217系255系ポッポの丘さんあたりに保存されてほしいが…この記事がこの世に出る時には全てが明らかになっていることだろう。もっと撮っておけばよかった。

 

最後に、撮影地までの道に落ちていた海苔巻き。何だこれは。平成30年3月17日に物井駅付近で海苔巻きを落とされた方、もしいらっしゃいましたらこの画像を参考になさってください。

 

この後に人生初の四街道バルブに行って、記憶が正しければこれもこの時の撮影ではないかと思われる。まだE235系1000代の話が出る半年前だったので当たり前だが快速なんてE217系しかいなかった。良い時代だったしできることなら戻りたい。E259系成田エクスプレスをバルブしようとしてE217系に被られたなんてのも今となってはいい思い出だ。

成田エクスプレスに関してはこの半年後?にリベンジしていて、その記事も一時期は検索からのアクセスを多数いただけていた。その節はありがとうございます。この時の他の写真と稲毛バルブの写真、どこ行っちゃったんだろう。

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