おはようございます。残り少なくなった私の高校生時代の過去画です。以前も少し言及しているかもしれないんだけど、というか何なら過去記事を被っているかもしれないんだけど、平成30年3月のまあ甲府出張の記事です。
まったく行く気のなかった私の出身大学(Fラン国↑公↓立)は何故か合格していて入学手続きの締切がこの日だったのだけど、親に「スーパーあずさ乗っていいから」と上手く丸め込まれ、結局行ってきた。うまいことしおって。スーパーあずさ、というかE351系引退がもう少し遅ければ…(???)
もう1つ滑り止めで受かっていた都内の大学の方がよかったと思うが、しかし一人暮らしは今も昔も楽しいのでヨシ。…というか、ぼくセンター試験の現代文5点(1問5点)だったし、2次試験の口頭試験もボロボロだったし、何で受かったんだろう・・・。という訳で当ブログをご覧の受験生の皆さん、あと少し頑張りましょう!そして春になったら勝利の美酒…は、20歳になってからにしてね。でも応援しています。

新宿は~豪雨~。いいえ違います晴れていました。ラストランまで残りわずかとなったE351系「スーパーあずさ15号」で一路甲府を目指す。実は入試でも乗っていたのだけど、その件に関しては既に記事にしているかと思う。
これの後半がそれ。過去画を清算したかと思えば、さらーに深く2回目のリメイクをしているあたりもうね。電車を撮りに行きたい気持ちはあるんだけど、不眠も相まって休みの日ぐらいはゆっくり休みたいというか何というか。

アディダスみのあるロゴが懐かしい。もう執筆日時点でも6年半以上前というのが信じられない。
そうそう、既に高校は卒業していました。結局第一志望も第二志望も落ちてから不登校だったけど、卒業式の時に先生方がみんなすれ違うたびに卒業おめでとうと言ってくれ、後輩たちは休みにも関わらず祝福に来てくれて、私からの元主将としての最後の話に涙まで流してくれて*1、私の先代主将にあたる先輩までわざわざ来てくださっていた。本当に思い出すだけで嬉しい気持ちになる。
前にもどこかで書いたが、中学時代で人格がだいぶ歪んだ私だし正直もう修復不可能だと思っているけれど、高校時代はこうしていい3年間を送ることができた上に少しはまともになったんじゃないだろうか。
GTOのセリフを引用するのであれば、中高の6年間で何を勉強したかによってその先の生徒の人生が決まるという内山田教頭のセリフには一理ある。私がまさにそうだから。しかし、鬼塚教諭のいい友達を見つける方がよっぽどいい財産になるというのも、また一理ある。中学の同期は全員死んでいるから知らないが、高校の同期は出会って10年経っても今もつるんでくれている友達だっている。鬼塚教諭の漫画でのセリフを借りるのであれば、なかにはどうしても縁切れないような友達もできる、といったとこだろうか。漫画GTOを読んだのは中学の時だったが、アラサーになった今、鬼塚教諭の言っていたことも内山田教頭のいうこともとてもわかる。
閑話休題。新宿12時ちょうど発のスーパーあずさで甲府を目指す。無論うちの高校は在籍ちうに免許を取ると死刑だった(死刑にはならない)んで、当時は無免許だから歩くかバスかしか選択肢がなかったが。私が車ヲタクになるのはもう少し後の話。でももう少し早く免許を取りたかったかな。
そんな合宿免許と免許取得は令和3年、まだずっと先のこと。そこには上越新幹線との思い出もあるので、再来年以降かな、こうして書き直して皆さんにご覧いただけるのが楽しみだ。

自由席もスーパーあずさも懐かしい。この1年後、中央線特急のE353系への統一を以てスーパーあずさと自由席はその任務を終えることとなった。どうでもいいけどスーパーあずさの3号車は日によっては指定席ということもあって、そうなるとあそこの表示ってどうやって変えていたのかが気になる。

八王子発車。基本的に大半のあずさは八王子→甲府をノンストップで走るので、なんか東北新幹線はやて・はやぶさに乗っている時に大宮を出てから仙台まで停まらないあの感じを思い出して今ちょっとエモくなっている。E351系が本当に懐かしい。波動用に2編成ぐらい残しておけば、まあ引退直後は確かにいらない子とはいえ、令和の今、びっくりするぐらい特急車両が足りていないことをいいことに中央線系統を中心に活躍で来ていたのではないだろうか。
しかし、執筆日の令和6年12月14日の前日である13日に令和7年のダイヤ改正内容が発表された。中央線関連では、中央線グリーン車の正式なサービス開始(と、早朝の甲府発かいじ)が目玉と思われる一方で、グリーン車で置換える形で特急「はちおうじ」「おうめ」は廃止とのこと。中央ライナー・青梅ライナーの流れを汲む2列車は平成31年3月から6年の歴史に幕を下ろすことになる。ライナーを廃止して快速のグリーンで代替するのはホームライナー千葉でも同じようなことがあったのは皆さんも記憶に新しいだろう。E353系は令和7年改正で運用が大幅に変わる可能性がある。その場合、運用見直しで余剰が出ないとも限らない。もしかしたら、これも特急車両の慢性的な不足を改正するためかもしれない、というのは流石に考え過ぎだろうか。

その辺は別館の記事でじっくり考察して後日記事にしたい(つってもこの記事よりは先に出ていると思うよ)が、まあとりあえずE351系との旅を続けていきましょうよ。どうせあずさ・かいじだろうがはちおうじだろうが中央ライナーだろうが現時点で無料開放されている中央線グリーン車だろうが、大して民度は変わらないだろうし正直俺には関係ないので、俺が使う時に不愉快な思いさえしなければどうでもいい。
懐かしいな。この座席。E351系といえば振り子式特急で、乗務員さんも客も酔う人間は酔うなんて話があったのも今は昔。でもその名残か、E353系に乗務される乗務員さんの一部の方は客用にエチケット袋を携帯なさっている方もいらっしゃるという。中央東線の線形からしたら仕方ないのだろうが、しかし運転士さん・車掌さん・車内販売員さんといった乗務員さんをはじめ、沢山の方がいらっしゃるからこうしてスーパーあずさはじめ各列車が運転されているという事実は忘れてはいけないものだと思う。働く全ての人にありがとうを。あなたは他の畑の仕事をできますか?そういうことだ。しかし残念ながら中央特急のバカ客の大半はそれができない。今思い出してもムカつく。まあみんんな死んじゃったけど。ち~ん(笑) ウ ン チ ー コ ン グ

懐かしのインフォメーションボード。そういえばE353系だとこういうのってあったっけか。先述のとおり日によって自由席になる3号車も懐かしい。E351系、あと1年いてくれたらマジで撮りまくっていたことだろう。

以前甲府旅行の際に乗ったS23+S3編成の時とは異なり、S24+S4編成のうちモハE350-7の場合はこのような表記だった。もっともJR内部だとEを省略している説もあるが、まあそれはさておき、E351系は乗って楽しい特急だったと思う。初の山梨旅行、行く気なんて微塵もない元弊学の入試の往路、同元弊学の入学手続きの往復。結局それしか乗れなかったのが残念だけど。

おそらくは高尾以西を走行ちう。後ろ側に乗っていたので、12両の長い特急だとこうして前も見えていいね。

車内販売では安定の桔梗信玄餅アイスを購入。当たり前だよなあ?車内販売が年々縮小傾向なのはやはり寂しいが、しかし普通列車グリーン車では頑なに維持されている(もっとも、アテンダントさんが乗務されない電車・列車もあり、その場合に持込みの酒がないと詰むのだけど)上に私以外にも一定の需要があるあたり、そういうことだと思うんだけどな。

列車は山梨県内に入りました。郡内感あふれる車窓。多分まだ大月よりは東のようが気がする。いや、大月はもう通過しているのか?でも何となくとはいえ覚えているあたり、私も本当に染まったなと思う。この時はまだまだ知らないことばかりだったし、今もそうだけど。

甲府で下車。快適な時間をありがとう。コンセントもWi-Fiもないものの、あくまでも私個人がE351系で酔ったことは一度もなかった。もう全廃から7年以上経ってからの公開かと思うが、でも惜しい車両をなくしたなあと思う。

この時の甲府常駐はEF64形1053号機。甲府常駐がいたという事実がもう既に懐かしい。最後の甲府常駐は37号機だったが、それも令和3年で終わってしまった。1053号機は当時の高崎の釜で一番好き(つっても同機は長岡のイメージだけど)なので、まあ甲府常駐の様子もこうして撮っておいてよかったのだろうか。

そんな1053号機だが、高崎での客寄せパンダとして令和6年まで活躍。いろいろあって横川からSLレトロぐんま横川に乗る際、そのしんがりを務めていた。というかまあ1053最後の晴れ舞台かもしれないからって撮りに行って乗ってたんだけどね。
果たしてこの記事を出す時、1053号機が現役かは不明。国鉄最後の直流型機関車という意味では間違いなく後世に遺すべきものだが、それはあくまでヲタク視線。鉄道会社は慈善ではなく利益のためにある会社なので、保存は難しいかもしれない。そんな1053号機だが、長岡時代のあけぼので幾度となくお世話になった上に1053の落成日と私の誕生日が同じということもあり、ロクヨンセンで一番好きな釜だった。
閑話休題。甲府で普通に下車。この時も信玄さんの像を拝んでいくこととする。なお信玄公像前の喫煙所には当時は流石にご縁はなかったので、ご安心を。当時18ちゃいの私が吸ったことがあるのは親父のタバコの副流煙だけ。吸ったというか吸わされていた訳だけど。

これからお世話になります、ってなるとは思っていなかった。ただ、厨房の頃から普通に信玄さんファンではあったのもまた事実。結局南口側に住んでいたこともあり、南口の信玄さんの像は旅の終わりであり旅の始まりでもあった。特にタバコを吸うようになってからは。甲府の4年間はきっと信玄さんとのご縁があったからだと勝手に思っている。
この像は今後公開予定の過去画記事大学生編(平成30年4月~令和4年2月)にて沢山登場することとなる。

時系列が前後して申し訳ないのだが、当時の甲府駅に設置されていた乗車位置目標。スーパーあずさが懐かしい。
今も停車型と速達型の2種類のあずさがある訳だろうから、別にそこで名前を分けてくれた方が個人的にはわかりやすいと、ヲタ感情抜きにいち利用客として思うけどな。例えばだけど、塩尻すら通過する列車も、峡東3駅や大月にまで停まる列車も、全て同じあずさってのも個人的にはなんか何とも言えない気がしなくもない。
とはいえ、ぶっちゃけ全席指定だから無札でもない限りは誤乗もないから…という魂胆という可能性もある。

さて、行きたくもないが結局親父のせいで母校にならざるを得なかったクソ大学の入学手続きに行った。しかしこのクソ大学は当時からクソ、駅から遠い方のキャンパスの受付にしていた。頭おかしいんじゃねえの?
という訳で、1年前の肉離れも完治しないまま歩いて手続き完了。結果として山梨での暮らしも楽しかったけど、でも手続きしたフリしてこの時点で帰って電車でも撮っていればよかった。クソが!のちのちバレて大目玉くらってそうだけど。その場合は元弊学に進学することはなかったはずなので、どんな人生になっていたのか気になるところだ。
なんて言ってももう何も変わらない。ここからは多分過去画と被っているが、まあ今の切り口で書いていっても罰は当たらないだろう。

当時引退まで秒読みだったE351系を撮っていました。この時も快速線内での輸送障害で先行のかいじが遅れていて、だいぶちんたらと来たっけか。後述するが、この折返しに乗っていく。上りが甲府時点で4分程度遅れていたが、やはり高尾の時点では定時に戻っていた。
以前も書いたかもしれないが、一番は運転士さんの技術もあろうことと思いつつ、160km/h運転を視野に開発されたE351系の性能によるものもまたあったことだろう。言っても351の上りなんて2回しか乗っていないが、どちらもその時に遅れていたものの、どちらも高尾の時点で定時に戻っていた。かつて存在していた各運輸区の走り屋運転士さんの腕もあるのだろうが、でもすげーなーって思った。

その前を走っていたかいじ109号はM-103編成。M-103はあんまり遭遇していなかったようで、実は甲府に引っ越す前ならこうして遭遇していたんだなあという気持ち。今はNA-03編成として活躍しているほか、初期に改造された編成ということで、総武快速線をはじめ各線区での試運転に供された経歴もある編成。

当時の記事では載せていないV2編成の普通。JR東海のワンマン、またツーマンでは車掌さんの改札なんかもそうだけど、絶対に運賃をとり逃がさないというあの姿勢は正直めっちゃ好き。私みたいに育ちが悪い(笑)上に人として終わっているような人間が言うのもだけど、東海さんの在来ローカル線の車掌になっていたら今ほど太らなかったんだろうなあとは思う。
…いやね、記事を書いている令和6年12月の体重を見るとですね、1年前の私から10㎏太ってるんですわ。よほどストレス溜めて暴飲暴食していたのだなあと反省。

実はこの時が初撮影となったE353系でした。金手にはこれからも沢山通うことになる訳だけど、別にそれはどうでもよくて、なんかスーパーあずさが廃止されるまでは後継のE353系も特定の編成が固定で充当されていた(例外あり)のがE351系の後継らしくてエモいかも。
あと連結器カバーが白いのも懐かしい。E353系の初乗車はこの1か月後になるが、それに関してはまたいつかじっくりと語らせていただけることができればと思う。ちなみにS204+S104は一番遭遇したペアだった。多分。

さっきの19Mの後続のかいじ号。甲府市民となった大学生の時にはこのM-116編成がN102編成の代替として長野に転属するのではないかと思っていたのも昨日のことみたい。
そうか、既に酒折を出ている以上は甲府止のかいじの場合はここで既に回送になっていることもあったんだった。うわなんかめっちゃ懐かしい。何だろうな、マジでこの頃の中央線をもう一度撮りたい。

74Mというと甲府16時半のあずさだったっけ。当時は知らないが、普通に金曜日だと指定席が満席になっていることザラだった列車のイメージ。まあ自由席があると自由席の方が逆に人権を確保できていたけどね。
中央線特急は平日はビジネス需要(笑)、土休日は観光需要(笑)ということで、曜日を問わずに繁盛しているイメージ。どっちがクソかと言われると甲乙つけがたいが、まあでも平日5日と土休日2日の割合だけに鑑みたら、俺がイラっとしたのは平日の方が多かった。中央線特急の客層はゴミ。
なおこの写真が人生初のE257系フル点灯というのはさておき、元弊学の教員の一部もここの客になった瞬間、認知している学生にもそれはもう横柄でした。え、何のこと?

またN610編成じゃねえか(笑)。前に平成28年末の記事でも書いたし。なんならこの記事を書いている令和6年12月時点で過去記事でも沢山出ているであろうN610編成、この時もいたんじゃないか…(呆)。マジで腐れ縁だったんだな。長野の211系に関しては6両のみ延命が図られていないので、まあどうなるかは知らんが、とはいえ末永く活躍してほしい。
※追記 E131系200代なる車両が後継となるようです。それはそれで早く見てみたいwww
さて、この辺で撮影を切り上げて、聖地たる武田神社に向かおう。当時の記事にも書いているとは思うが、この前に甲府を訪れた際にも会っていた猫様と感動の再会を果たしていた。やはり猫って嘘つかないんだなあ。画平気で浮気をする人間とは違う(笑)

バスで武田神社に来ました。でももう16時を回っているので、正直御屋形様の定時を過ぎているので、そこは申し訳ないのですが。しかし今も昔もこの時も、武田神社は私さんのパワースポットだ。

神聖にしておかせない場所である。

懐かしの境内。半年に1回は行っていたっけ。年内にもう一度行く機会は微妙かな…残念だけど。来年もまた行けることを楽しみにしている。ちなみに8月のアルプス追っかけ遠征(という名のドライブ)では朝と昼の2回訪れたレベル。
お参りを済ませて、帰りの電車を甲府駅で待つ。

17時半過ぎの貨物、この時も撮っていたんだな。基本的にあの4年間は各貨物列車の時刻も変わらなかったので、ある種の時報みたいな存在ではあった。あーこの貨物が通ったから回なんとかMは今どこそこ…あと何分で下りあずさ…みたいな。病気かな?(そうだよ(便乗))
さて、私は今までE351系に乗ると毎回0代=量産車だったが、当時のダイヤでは19Mが松本で折返し28Mになる運用だった。先ほど撮った19Mは実は最後に1000代に乗れるかどうかというのの確認も兼ねていた訳だが、あの通りS21+S1編成だったので、最後の最後で乗ることができたということになる。

定期運用終了を翌日に控えたS21+S1編成の3号車自由席に乗車。隣も来なくて快適だった。甲府18時5分発の特急はこの1年後の白紙改正で消滅していて、そのせいで甲府17時36分のあずさの12分後にかいじが出るという少々いびつなダイヤ設定になっている。
まあ私の場合は甲府中心で見ているので、そこはアレだけど。逆に17時48分発のかいじ(現48号)の次が18時35分発の千葉行あずさ(現50号)なので、ちばあずさは甲府→八王子は特に混雑するイメージ。まじいい迷惑。
※追記:令和7年春改正以降、17時36分にあずさ46号が出ると次の特急は18時1分のかいじ48号となっています。

なぜそこでピンボケした(笑)。という訳で、今のところ人生最後の振り子式特急…いいえ全然そんなことはありませんでした。あんた383系がいたでしょうが。まあ長い事乗っていないけど。流石に383系の車内で記事を書いたらゲロ酔いしそうだなあ、そもそもコンセントないから名古屋→長野で書いているうちにスマホもPCもバッテリーが持たなさそう。

立川を発車。当時はまだ千葉県人としての意識が強かったので、もうこの旅も終わりかあ…となっていた。今は甲府市民を4年近くやったおかげで立川を出るとようやっと帰ってきたんだなあという気持ちになる。そして三鷹と中野の間には見えない壁がある気もしている。
令和8年ダイヤ改正では中央快速線の高円寺・阿佐ヶ谷・西荻窪駅が廃止になることを願っt…いや別にそこまでではないよ。あれさえなければあずさ・かいじの遅れももう少し…もう少し…諏訪エリアの単線や甲府での身延線接続待ちなんかもあるからそう簡単ではないか(笑)。
復路も車内販売ではアイスを購入。流石にE351系記念グッズは売り切れていた。

まもなくシュー・・・終着の新宿です。楽しかった1時間半もあっという間、まもなく終了。前にも書いたが、E351系はどういう訳か遅れに強く、甲府の時点でこの時も4分遅れていたスーパーあずさ28号は高尾の時点で定時に戻っていた。
私がBVEで同じ条件で運転すると、まあE257系なので曲線通過時の最高時速やそもそもの加減速性能等は異なるとはいえ、笹子トンネルでの140km/h運転と高尾→西八王子での130km/h運転をしても八王子で定時に戻るかどうかといったところだもの。
既にダイヤ改正前々日、E351系にも黒山ができていた。これ以降私はE351系に乗ることも無く、4月のさよなら運転とその返却回送を撮ってからは見てもいない。末期だけだったけど、お世話になりました。なお結果としてさよなら運転は甲府で見送っています。その記事は令和8年以降、順次公開予定。あと少し、E351系の話はさせていただければと思う。

錦糸町で撮ったスカイツリー。なんで撮ったんだろう。どうせなら錦糸町の留置線でも撮っておけよ…と思いつつ、まあラッシュだから電車いなかったかもだし、何とも言えない。
そんなこんなで親の口車にまんまと乗せられた私は日帰り甲府旅行(滞在5時間程度)をしていたのであった。ふと思ったのだけど、この論理で行けば、まあ出発地点が佐倉市か千葉市かという違いはあるけど甲府なんて余裕で日帰りで行ける訳だな。冬の甲府の空気はとても澄んでいて好きなので、久しぶりに行こうかね。
撮影 平成30年3月15日
執筆 令和6年12月14日 ※翌年11月30日 加筆修正