皆さんこんにちは。今回は高校生の頃の過去画です。高校生の時のものもついに残すところ数回。不眠なのでこれは令和6年12月14日の3時に書き始めています。次の日休みでよかったー。令和7年5月から半年近くに渡って書いて来たこのシリーズはお楽しみいただけたでしょうか。
さて、このブログにおいて令和6年10月6日に公開した記事「最近の小ネタと(以下略)」において、大宮から上野の1駅で新幹線に乗っていたと思う。その時の写真が追加で出てきたので、今回はその話からスタートしたい。

貴重になりつつあるE3系2000代の臨時と思われるつばさ号。令和6年度分の廃車からは漏れているので令和7年度もいることかと思うが、令和6年12月13日に発表された令和7年改正のプレスリリースにおいて、引き続きE8系を増備する旨とE3系が令和7年度で引退するとの記載があった。
E3系0代こまちから続いた2代目ミニ新幹線もついにその任を終えることになる訳で、なんか1つの時代の終わりを感じる。2000代なんてついこないだデビューした新車のイメージなのに。

この時は珍しかったのかどうかはわからないが、これが平成24年~25年だと普通に代走扱いだったのでだいぶ珍しかった。多分まだその頃の思考が抜けきっていないからこうして撮っていたのだろう。もうE2系も風前の灯火。でもこの記事を書いた数か月後に発表されたE10系の置換え対象らしいので、まだあと少し楽しめそう。200系みたいに延命工事までされることは…流石にないか。

たにがわ78号に冬を感じる(定期便の号数は400番台)。要はガーラ湯沢からの列車ということだ。ガーラ湯沢、久しぶりに行きたいな。中坊の時に行ったことがあって、臨時の200系は指定が取れず往復でE4系Maxに乗っていた。
本音を書くなら、まだ乗ったことのない形式だからと片道でもいいから200系に乗りたいなんて思っていたっけ。でも今となってはMaxに乗れてよかった。往路はP11編成、復路はP13編成だった。流石にその時の写真はもう出てこないだろうな。当時のガラケーさえ実家から発掘できれば、その写真さえあれば、記事に書く可能性はなくもないけど。

傾ければスナップ(笑)。高崎の停目において8両と16両のものは既になく、大宮にも8両のものはもうないかもしれない。こうしてMaxが生きていた証もまた消えていくわけだけど、しかし思い出が消えることはない。

Maxの文字も2階建て8両編成も本当に懐かしい。でもまた見られるんじゃないかと思ってしまう自分もいる。地味にとき330号・10両編成も懐かしいポイント。なおとき330号は今でこそとき号だけど(号数と時刻はちょっと違う)、E4系Max最末期はMax担当の運用だった。
なおMaxに関しては令和8年以降も過去画記事で触れていくつもりで、それは令和3年のラストラン・翌年令和4年の最後の別れまで続くので、当ブログの記事の中でずっと輝いてくれたら幸いだ。

という訳でこれの号数はMaxたにがわ412号だったんですね。何回も出している写真で申し訳ない。クソ寒い中、待合室に行けばいいのにホームのベンチでひたすら英語のお勉強をしていたお馬鹿さんが私です。大宮の冬、寒かったぜ…(イケボ)。イケボで言ったところで結局受験は失敗しているというね。
して、この時はスーツケース+学生カバン+リュック+ボストンバッグ(ボストンバッグは合宿先でのクリスマス会で当てた)という、まあ間違っても2階建て車両に乗る装備ではない状態でMaxに乗っていた。酔狂なヲタクはやることが違う。スキルヲタク発動!※発言元の妖怪フライングヒルはお亡くなりになりました。

それはさておき、私も頭にMaxのことしかなかったので、いざドアが開いてからやっちまったなあと思った次第。普通に2階自由席に特攻したけどね。F席・E席に荷物を置いてD席に私が座るとちょうどよかった。
まあなんだ、そんなのも今となればいい思い出だ。大学生になったら絶対にMaxで遠征する!そう心に決めていた。まあ実際はしたし、なんなら運転免許も新潟での合宿免許だったから往復で乗ったし、この時から先も沢山お世話になることができてよかったと思っている。
年が明けた。平成30(2018年)になりました。新年だもの、京成鉄のはしくれとしてAE形臨時シティライナーを撮りに行くという義務がある(※ありません)。でも沿線で爆死しました。というかセンター試験前に何してるんだ自分は。

その数日前に予備校に向かいながら撮った下りのシティライナー。安全のため障検は必要だろうが、しかし交わせなかったのが残念。これ確か平成30年初撮影でこれなんだよな(笑)。大丈夫かよ(笑)。それ以前にセンター試験前だろうっていうね。そんなんだから大学落ちるんだよ。親父に見つからないかってすんげえヒヤヒヤしながら撮ったのを覚えている。

予備校に行きながら撮っていたとはたまげたなあ…。あんたほんとに受験生かよ(笑)。しかも肝心のライナーはミスってるし。極めて不愉快ですよ私は(こうしてサボっていたのが)。
もっとも、3648編成はこの年を以て8両での運用を終了しているので、そういう意味ではまあ撮っておいてよかったと今だからこそ言えるのかもしれないけど。正解が何なのかは、バカな私にはわからない。

帰りに撮った3688編成の特急。撮ったというか、これに乗って津田沼の予備校まで行った気がする。3688が令和2年にファイヤーになった時は最後の4年間が始まったものかと思ったが、様々な要因が重なった結果とはいえ、結果としてまだ元気にしているのはなんか草。人気もファイヤーだしね。
もう赤と青の3600形はターボ君こと3668編成だけだし、それこそラストランでもない限りは特急運用にも就かないと思うので、こういう日頃の記録もいずれ大切なものになるんだと改めて実感する。過ぎ去った普通の日々が~。※写真は特急です
でも3688のラストランで特急表示が見られたらいいのになあとは思う。案外似合いそうじゃあないですか?

さて、実は平成30年に雪が降っていたことがあった。流石にチャリでうすいまではいけないのでバッスでうすいへ。正直2月2日なんて本命の受験が始まるって時なのに、一体何をしていたのだろうか。いやまあ雪だったし、なんせ3778の運用終了まであと数日というタイミングだったので、今となっては後悔していない。
当初は予備車が欲しいからという理由での転属という説が有力だったが、結局値下げと北総線内完結列車等で仕事も増えたので、もう京成3778編成に戻ることはないかもしれない。なんかあんまり遭遇できない編成だったけど、残念だなあ。

予備校に向かいつつなんか撮ってた3648編成。せっかくだから載せておきましょう。懐かしいな、ほんと。なお3648編成は平成30年秋に編成短縮、平成31年春で運用自体を終了してしまっているので、残念ながら6両の姿は大して撮ることができなかった。

その6両の姿がこちら。車番さえみなければターボ君っぽいかもしれないけど、パンタの配置等は違うだろうから厳密にはそうでもないのか。これに関しては平成30年分の過去画記事で取り上げていると思うので、楽しみにお待ちいただければ幸いだ。

3648編成は本当によく遭遇したイメージだった。私がこの一連の写真の数か月後に千葉を離れて1年程度で引退となってしまったので、最後までちゃんと撮れなかったのが残念。
それを言ったら、私が高校生の時に引退した3600形は3618編成だけなので(3668編成はその数週間後に編成短縮)、3600形のほとんどをちゃんと見送れなかった訳だけど。3668編成(4両)、3688編成(6両)がそれぞれ残っているうちに千葉県に帰ってくることができたので、京成鉄のはしくれとして最後まで追っていきたいと思う。