11月24日公開記事の続編ということで、高校生の頃の過去画の続きも書いていこう。既に高3となり一応受験生だったので、大した写真はないと思うけど。高校生の頃の過去画を焼き直した一連の記事にあっては何とかして今年中に公開できそう。まあ過去画での記事が終わるとは言ってないんですがね…。過去画頼りで2,000日連続投稿を目指した日にはネトストがまたお気持ち表明してしまいそうだ。もうTwitterのIDも忘れたし、そんなに言いたいことがあるならコメント欄(はてなIDがなくても投稿可能)に来ればいいのになあ。

これは前にも書いたと思うけど、大事なテストがあるって日に人身で京成が止まりました。この通特に乗っていたのだけど、ユーカリでどういう訳か副本線(1番線)に入線。嫌な予感がしたと思ったら人身の報。ラッシュ時の人身だけで、何も悪くない駅員さんに詰め寄る知恵遅れが脳裏をよぎる。あいつらが電車に轢かれて死ねばいいのになと思いつつ、でも乗務員さんが可哀想か。
輸送障害で思い出した。これも記事にしていたら申し訳ない。

1学期の終わる頃にこんなこともあった。北習志野行は定期では存在しない上に、お隣のA線の時刻も消えていることから全てをお察しいただけたらと思う。駅来た瞬間終わったわ👏👏 電車がないから帰れない♪ 割と笑えないんだよなあ…。

まあこれに乗ったかどうかは記憶にないけど、こっちにいるってことは北習志野経由で予備校に行っていたんだろうな。さて、だいぶ話を脱線させて時系列もぐちゃぐちゃしてきたので、そろそろ本題の話に戻ろうと思う。

という訳で、平成29年9月に午前2時のフミキリで撮っていた3718編成の快速。息抜きで撮っていたのだろう。何が正解だったのかは知らないが、まあ撮っておいて得がなくても損はしなかったんじゃないかな。この時にもう少し撮っていた気はするが、でもどこを探しても写真はないのでないのかもしれない。

って書いておきながらてめえ電車撮ってんじゃねえか!木曜日は6限目で帰ることができていた(それ以外は7限目)ので、こうして時折予備校に向かいながら81Hを撮っていたんだっけ。そしてここで大変な事実に気がついた。というのも、平成28年度のイブニングライナーの号数を見事に間違っていた。まあ最悪公開してから直してもいいか。明日は明日の風が吹く。この頃はまだ6061-のブルスカステッカーが残っていたんだなあ。
また別の日の撮影。こうしてみると、受験期なのにのんきに写真撮ってんじゃねえよって当時の私を印旛沼に沈めたくなる反面、名古屋にいる時、特に私が壊れた令和5年度はよくロクに電車を撮らないで学業とバイトに専念していたなあとも思う。

また3638編成じゃねえか。思えばさっきちょこーっとだけ貼ったイギリス旅行に際して、うすい→佐倉でファーストランナーとして3638編成にもお世話になっていたっけか。あの時は3638が廃車筆頭候補なんて言われていたっけ。結果として6両に短縮されつつも令和2年まで生き残った編成だけど。急行灯への指導が入る前なので、こうして急行灯が点灯していて何よりです。もういい加減そのネタやめろって(笑)。個人的にはTwitterでのお漏らしよりも乗務員室ミーグリ事件の方がよっぽどいじりがいがあるんだけどね。

この日の81Hはヘッドマーク付きの607編成。思い出した、6限で帰ることができた木曜は気分で時折こうして定期券パワーで81Hを撮ってそのまま津田沼まで乗っていたんだっけか。もっと勉強しておけよ、そう思ってしまう。落ちたことは今でも悔しいが、しかしあんな生半可な努力でもし志望校に受かっていたら、多分人生なめて破滅していたと思う。

さて、平成28年10月28日の改正においては81H消滅どころか土休日の京急車の快速として79Hが爆誕した。それでは美味しくいただきましょう。10月28日は私の誕生日ということもあり、予備校帰りにこうしていただいていました。こんなナメプ受験生だもの、そりゃあんた受験落ちるわ(笑)。初日は601編成でした。現行(執筆日の時点では)ダイヤではうすいで京急車をバルブできるのは土休日61Hの高砂行なので、西馬込行きのバルブもしておいてよかったと思う。まあこの記事が世に出る頃にはしれーっと復活してるかもだけど。
って言いながら翌日も撮ってるじゃないか…(呆)。受験舐めすぎだよ。当時の俺が追い詰められていて、こういう息抜きが必要だったのはわかる。正直、赤本の過去問で何回も泣いていた。法学部志望だったが、一番泣かされたのは慶應経済だった。あれはマジで心が折れた。ある意味では受験本番以上の挫折。何はともあれ、こんなの25ちゃいになった私からしたら人生舐めすぎ。とはいえ、撮っておいてよかったことだろう。どっちだよ(笑)

そんな私が当時愛用していたのが津田沼21時48分の通勤特急。先述の改正でなくなってしまった電車だが、たいてい座れる上に津田沼から勝田台までの間は八千代台しか停まらないこともあり、また補導対象の時間帯に被らないギリギリの時間の通勤特急だったこともあり、愛用していた。きっとこの記事が出る頃、新京成線ではなく松戸線となっていることだろう。それは別に今は関係ないけど。

そんなお世話になった通特の最終日は3408編成が充当されていた。こうして見ると、京成さんと京成の電車には私の高校通学のみならず受験生活も支えられていたのだなと再確認。そこに私が千葉県人に戻ってからも懲りずに京成を撮ってこうして記事にしている理由があるのだろう。

そうそう、3500形の8両が代走の名目で復活したとのことで、勝田台→津田沼で乗っていたこともあったしな。予備校に向かう時に。この数日後にもまた別な組成(かもしれないけど確証はない)で3500形の8両が復活していた。その時の記事は既に書いているが、せっかくなのでその時の写真も貼っておきたい。

これは私の出身校の文化祭において高3が参加できないことを逆手にとって、また振替休日も無事にいただけていたことも逆手にとって、数日後に撮っていた代走。当時のA15運用は他社局線への直通が絡まなかったので、まさに8両が不足した際には3500形での代走にうってつけの運用だった。当時はまだ令和6年9月よりずーっと前なので、日中は急行灯を点灯しないことという指導もなく、こうして急行灯を点灯している姿を収められて何より。撮れる時に撮っておくもんだ。

して、その前の特急は今を時めく京成のアイドルと化した3688編成。こちらも令和6年9月以前の撮影なので、こうして日中の急行灯を諦める必要がなくて素晴らしい。でも流石に当時は今がこうなるなんて思ってもみなかった。思えば今年(執筆日は令和6年12月)の夏に、犬の野糞に群がるハエのごとくエキセンに終結していた勢力もいる訳だけど。
して、この時はこれで帰るというかさっさと予備校に行こうと思っていた。しかしTwitterを見ると後続の81Hが代走らしいので、仕方がないからそこまで居残り。高校で居残りさせられることもなかったのに…。まあ、私が権力を振り回したら前にも書いて来た肉澤(私の顔を晒した上に名前と住所も晒したクソ外道)は一発で退学だったろうけどね。てめえが俺の悪口をツイキャスで言ってたのも知ってるんだからな。
という訳で、まあ不可抗力で代走も撮ってました。あれだろ、5年ぐらいしたらこの一連の流れを見て「代走なんて嘘ついてる老害!」なんて騒ぎ出すのが出てくるんだろ(笑)。それはそれで高みの見物だから結構だ。実に微笑ましい。調べればわかることを(笑)。しかし、81H、というか京成本線高砂以東の快速に代走という概念があったことが昔のことになってしまうのは寂しいこと。
11月になった。お前なんもやること変わってないじゃねえか(笑)。

という訳で月は替わっても撮影よ。今はもういない編成の写真だが、しかしこうして撮っておいてよかったことだろう。この日は土曜日、既に主将を引退して受験一筋の私からしたら受験さえ受かればいいのでどうでもいい。でも5300がいた日常は大切な思い出だ。

なんて言いながら土曜から撮ってんじゃねえか。正直呆れてものも言えないが、しかしまあ。私らしいということで。ちなみにこれに乗って津田沼で降りて予備校の自習室に行ってました。そんなのもうどうでもいいんだけど、この記事を書いている令和6年12月12日時点で、私あと1か月で5年ぶりに推しに会うんですよ。え、どうしたらいいんですかね。会いたいから券を取ったとはいえ、何から話せばいいんでしょう。
バルブまでしてんじゃねえか!あのさ、あんたさ。つってもまあ、79H設定からほどなくして、もはや狙っているのかと思ってしまった代走だしな。今でこそ当たり前だが、しかしこれも貴重な記録になるかもしれない。ならなくたって別にいい。この時に撮ったという事実は消えないから。強いて懺悔するのであれば、この頃からイコラブのヲタクをしていたかった。私の恋と青春はサブリミナル。※当時はまだ青春”サブリミナル”は発売されていません
さて、それはさておいて当時の話に入りましょう。でもその当時が執筆日時点で7年前、公開するときは8年以上前かも。かなしい。

この時の被写体は5325編成だった模様。あの懐かしい走行音が今脳内に響いている。別に状態は悪くなかっただろうし、地方私鉄への譲渡が実現していたらなあと思ってしまう。まあ標準軌がネックになっていた可能性はあるのかも。辛いけど否めない。でも忘れがたい~のさ~。

3428編成の特急。急行灯が点いていて嬉しいね。一番遭遇した編成なので、こうして令和の今になってまた記事できているのが嬉しいこと。まあだいぶこの辺まで来ると消していない記事と重複しているかもだけど、どうせ過去記事が伸びるなんてめったいにないから多少はね?

この日は設定されたばかりの79Hに代走で1033編成が充当されたので、せっかくだからあの頃は常用していた単語帳片手持ってドレミファインバーターを津田沼までだが楽しんでいくこととする。しかしうぬうぬとしていた私はあろうことかパーカーを網棚に置いたまま降りてしまい、しかもJRの津田沼の方向に向かっている時にそれに気が付いて、結局高砂で回収していただくというやらかしもあった。京成の各社員さまにおかれましてはその節はご迷惑をおかけいたしました。そして見つけていただきありがとうございました。

当時はバルブできるダイヤだったので、予備校での自習室の帰りに地元うすいでバルブ。京急車の快速に代走の概念があったのが懐かしい。平成26年12月に復活して今に至る京急車の快速運用、こうして京成沿線を離れる前に一通り撮れたのでよかったと思う。やはり未練は1800の8両での快速を撮れなかったことだろうか。一応エアポート快特では撮ったんだけどね。

最後に未公開だった1161編成の快速。12月10日の撮影で11時発なので、この日も予備校に行っていたことだろう。そして今日も快速に乗り~無口な他人と~街に置き去りね~。銀千は確かにまあ良くも悪くもそれまでの京急車とは全く異なる存在だけど、こういう革新的な車両も好きだし普通にこれはこれでかっこいい電車だと思うので、個人的には好き。ボロクソ言う人もいるだろうけどね。京成の車両がいつも(もちろんいい意味で)保守的で質実剛健なのとはいい意味で対照的なので、京成車との並びなんかも撮っていきたい。これまでも、これからも。


