皆さんこんにちは。過去画シリーズ高校時代編もついに高3になりました。当たり前ながら受験生だったので平成29年度の写真はかなり少なくなっておりますが、あと少し当シリーズもお楽しみいただければ幸いです。

これを撮った4月3日って何してたんだろう、部活かなあ。撮影時刻を見ると16時19分とあるので、6限+部活ナシといったところだろうか。当時部活の主将だった私も月末の大会を以て任期満了となるので、私最後の1か月ということになる。何その1か月後に死ぬみたいな書き方。
で、時刻的にこの私が81Hを撮らないなんてありえないので、ちょっと同日撮影の81Hがないか探してきます。でも受験線だったんですよこの時既に。何やってんですかね、本当に~。

その前に3月に浅草で撮っていた写真が多分まだ未掲載だったのを見つけたので、場繋ぎ要員で載せておきますね。まだ出てこないんですか?なんか近い日付の81Hはあるんだけどねー、でもなかなか出てこないねえ。何やってんすかねーんっとにー。
結局見つけることはできませんでした。なので、3月末に撮った応援ハイビームなブルースカイトレインでも貼っておきますね。もう載せている写真だけど、しかし前照灯上向で前と上を向いて歩こうというメッセージをくれる熱い漢の想いに応えずして撮り鉄は名乗れない。

当時の81Hは宗吾に入庫して出てくる運用があった。これは大佐倉付近にて平成29年3月30日に撮影したもの。こちらを見つけるや否や足元ドンで応援ハイビーム。でもこの構図だとハイビームってわかりにくいから別にそこまで気にしていないというのが本音。やれ前照灯はロービームにしろだの急行灯点けろだの言ったらまた何様って言われちゃいますからね!いやそれは正論なんだけど、1人ぐらいこうして面白おかしくコメディとして書く撮り鉄がいてもいいでしょ。
閑話休題。当時の撮影に戻る。

3438編成の特急。未だにコンデジのイメージが先行してしまうが、それは内輪ネタなので省略。3400形の廃車が始まるなんて当時の私は何も知らなかったし、まさか3448編成に動態保存の案が出ているなんて思いもしないだろう。3448編成にしろ3500形にしろ、動態保存案が出たこと自体が嬉しい。詳細については書かないが。
むろん現在明らかになっているのは「動態保存『という案も出ている』」だけなので、残念ながら全車解体という可能性も否定はできないことは事実。

影がドイヒーだけどよく撮ってたなあ。こうして見ると記事にはしていないだけで撮るだけ撮っていたんだなあと思う。無論それは受験勉強のためだけど、今思えばアレだけやっても結果なんて出せなかったのに何夢見てるんだよって思う。でも、受験期に志望校を母校にするために時には過去問で心が折れて泣きながら毎日毎日踏ん張った経験は決して無駄になっていないと25ちゃい(職業:将来が心配なニート)になると思う。
一度目標を下げたら低い方へと流れていくのは簡単なことだ。しかし最後までそれをしなくてよかったと思っている。

そうか、3658最後の検明けだったんだ。3658編成はこの後に令和2年夏に廃車となっている。3618編成、3678編成同様に編成組換えで8両になってからは最後まで8両で活躍した編成。こうしてかつて沢山お世話になってきた一昔前の京成車で今こうして記事を書けるのは懐かしい気持ちになれるしなんか嬉しい。
公開後、少しでも多くの方がかつて走っていた3658編成や先ほどの3438編成等に想いを馳せるきっかけになっていたらそれほど嬉しいことも無い。まあ廃車になっていった電車たちもまさか今になって当時からのヲタクに擦られているなんて思いもしないだろうなあ。

星神社という神社を訪れた際の写真が出てきた。猫様がくつろいでいた。この時は実家にも猫様を出迎えてすぐの時だった。残念ながら令和5年6月に亡くなってしまったが、思えば保護猫だった彼はうちに馴染むにつれて優しい顔になっていったなあと思う。その猫様がうちにきてよかったと思ってくれていたら、飼い主としてそれ以上のことはない。また会える日を楽しみにしている。不摂生が祟ったら案外5年後ぐらいかもね。
さて、どっかでも書いた通り私は当時陸上部の主将だ。春は出会いと別れと大会の季節。して私は最後の大会が近づいて来た。今回は最後の試合ではないが、天台の会場に向かうとしよう。

この8000形はパンダと称すべきかタヌキと称すべきか。真相を確かめるべく、我々はくぬぎ山の奥地へと向かった(向かってません)。思えば8000形はマジでよく千葉線で当たっていた思い出だ。今更だけど本当にお世話になり、ありがとうございました。
ほれ、育ちの悪い佐倉市民が千葉市に来てるぞ(笑)。ほら居候キョロ充よ、ほらほらほら(笑)。当時はそういうことを言う人間がいなくて平和でよかったわー。この年に入ってきた後輩はいわゆるグレちゃった系だったので辞めさせたけど、その話は別にいい。うすいから天台ってうすい→津田沼→稲毛→バスで天台だったので地味に面倒だった。モノレールにも乗れるけど。モノレールにも乗れーる街、千葉市。なんちって。

なんか撮っていたバス。バスは未だに詳しくないのだけど、この顔のバスは普通に好き。名古屋ではあんまり見なかったかもなあ。
あ、バスは1週間後の撮影です。このモノレールも。

大会に来てまで何撮ってんだよ…。まあ撮っておいてよかったとは思うんだけど。もっとも自分と後輩たちの出番以外はどうでもいいんだけどね。この年から付いた顧問、クソだったなあ。表向きはSNS禁止の高校でTwitterやって生徒と繋がって、お前絶対JK食ってただろ(笑)。バレたらクビどころじゃ済まねえよなあ。

さて、しょうもないケガについて先ほど言及したと思う。というのも、陸上部主将のプライドにかけて間違ってもサッカー部や野球部や下のクラスの連中に負けるわけにはいかないという理由で、当時膝が痛かったのを誤魔化すために鎮痛剤を飲んでシャトルランに参戦。130回の記録(だった希ガス)と共に学年一の座を勝ち取ったというか死守したが、その代償は小さいものではなかった。いわばまさに、こんな人たちに負けるわけにはいかないというものであります。この頃に総理大臣を務めていた安倍晋三氏の語録を確かに拝借いたしました。政治家としての安倍元総理を擁護する気も批判する気もなく、あくまでも中立に申し上げるが、彼の語録は汎用性が高いので普通に好き。

悲劇が起きたのはその日の帰り道。部活を終えて八千代緑が丘から帰路についた陸上部主将は、いつも通り東葉勝田台で京成線に乗換えるために改札に向かって歩行中だった。しかし突然、左足の筋肉が文字通りストーンと落ちた。早い話、肉離れだった。最悪のタイミングでのケガ、というのも最後の大会はもう数日後。絶望しかない。普通なら棄権を選ぶレベルのケガだ。
しかし諦める訳にもいかないので、ケガだろうが何だろうが無理くりに大会に出たアホは私。しかし短距離チームがリレーのバトンを忘れてしまったことに成田で気が付いた。主将でもあり、また時間に一番余裕のあった私は爆速で緑が丘に戻る。学校に電話したところたまたま出てくれた古文の先生(顔なじみ)が愛車で駅までバトンを持ってきてくれていたので、とても助かったのを覚えている。当時の顧問よりよっぽど「先生」だし「教師」らしかった。先生ありがとう。その先生のおかげで実はセンター試験の古文漢文は満点だったが、それはもう少し後の話となる。
先生から文字通りのバトンを受け取って中台(成田)の競技場に戻る。何で今このターボ君を貼ったかというと、その時になってようやく4両になった姿を見ることができたから。その次に見るのは令和4年1月のこととなる。ターボ君も新3200形での置換え対象かと思うが、まだまだ頑張ってもらいたい。ここまで高2から一気に写真を振り返ってきている訳だけど、未公開だったor消してしまった写真を見ているとターボ君は本当によく追っていたので、4両の写真も負けないように増やしていきたいと思う。

そんな大けがをしながらの大会で自己新記録を出せる訳もなく、無残な結果となったが、でもなんか飛行機撮ってた。あんたねえ…。もちろん悔し涙での引退となった訳だけど、来られなかった先代の主将でもある先輩は大学が忙しい中わざわざ電話をしてくれるなど、とても気遣ってくださった。中学校3年間のいじめで私の人格が歪んだというのはどこかでも書いたが、高校3年で少しは元に戻った気がする。それは先輩方のおかげでもあるし、今も仲良くしてくれている同期たちのおかげでもあるし、私を慕って、なんなら何故か私の卒業式で泣いていた1つ下の後輩たちのおかげでもあり、担任の先生方や先述の古文の先生をはじめとした先生方のおかげだ。
で、こちらは多分もう来ないであろうデルタのボーイング747。この時にもこうして撮っておいてよかったと思う。成田の方が近いのはさておき、高速でドライブに行くには成田も羽田もちょうどいい距離。車なら空港以外の撮影地にも余裕で行ける。しかし747が来ないせいか、どうもモチベーションが今一つ上がらない。

こちらはMD-11。FedExの機体。3発機も今は来ないのかなあ。MD-11自体はこの10か月後に撮っているのだけど、実はその数時間後にカメラが壊れるという悲劇もあった。それはまだずっと先のこととなるが、今からしたらずっと前のこと。こうして年を取っていくんだなと思った。
というかこの記事、25ちゃいになって1か月弱のタイミングで書いているんだけど、なーんか過去記事が錬成されまくっていて下手したら公開時に26ちゃいになっているんじゃなかろうか…。まあ、秋は個人的に病んで鬱になりやすいんだけど、今年(令和6年)は何とか力業で乗り切ったからいいだろう。この一連の振返り記事はまもなく終わるかと思うが、でも実は平成28年4月の消した写真(コンデジ)がまだ大量にあるし、大学生の時のおでかけに関しても書いていきたいと思っているので、一体いつになったら過去記事が終わるのだろうかと思うとため息が出る。記事を書くのも楽しいからいいんだけどね。
そうだ、最後の2枚、要は私が小学生からの陸上人生を終えた4月28日の次の日にイコラブちゃんが結成されたのか。ちょっと運命感じる。やっぱり君で始まる運命だった物語ってことだ。節子、それイコラブちゃんの曲やない。ノイミーちゃんや。私はもう今度こそイコラブから離れず、最後までイコラブのオタクでいたい。なんかイコラブちゃんとの思い出を思い返すと切なくなる。
それでは本日のエンディング曲は=LOVEの「探せダイヤモンドリリー」でお願いします。この曲を選んだ理由は推しでありリーダーでもある山本杏奈さん(以下あんにゃ)が令和元年から令和3年までMCを務めていたラジオ番組「=LOVE 山本杏奈の真夜中Labo(通称マヨラボ)」のエンディングでも使われていたことに起因する。あんにゃと初めて会った時のことは今でも覚えている。この一連の写真を撮った時よりずっと後のことになるけれど。あの曲に出会ったのは私が大学2年生の春、それももう何年も前になるが、なんか久しぶりにミュージックビデオを見ていたら思わず泣いてしまった。うえ~ん。お前それ嘘泣きだろ・・・
撮影 平成29年4月
執筆 令和6年12月12日
