センター試験前ってバカなんじゃねえのコイツ。いや高2の時差受験だからいいとか悪いとか、そういう以前に。勉強ができるできない以前の問題として。
皆さんこんにちは。過去画でお届けします。10月28日公開の記事の続きのようなそうでもないような感じ~ライクリテラリ~みたいな、カリフォルニアの女並の軽いノリでお楽しみいただけたらと思います。どんな軽いノリだか。
本題。今回は平成29年1月~3月のうち、既に振返った時期のものから漏れているものをまとめて掲載していきます。

まずはこちら89Nからスタート。7818編成がもういないのは皆さんもご存じの通りだし、前2両は新3788編成としてなっているなんて、この時の私は思わないことだろう。まだ検明けから1か月なのでそこそこ綺麗。出場後にもまた来ていたので輪軸関連かクーラー清掃だろうか。そしてこれ、センター試験時差受験の前に撮ってた疑惑が出てきた(笑)。お前本当にやる気あんのかって言われても仕方ないことをやっていますからねえ。やりますねぇ!

どういう訳か早く帰れていたのか、普段部活帰りに乗っていた1725レの成田行をうすいで撮っていた。もしかしたら3034編成の運用開始日にこれも撮っていたのかもしれない。思い出の列車なので、こうして少しでも写真があるのはいいと思う。

2月10日撮影と思われる3005編成の普通。ビブレしてるけどね。この編成は私が千葉市民になってから異様に遭遇していた。でも最近急に見なくなったなあと思ったら、この間久しぶりに乗ることができたけど。ま、まあ、これからもよろしく。
3000形すべての編成を急行灯が点いた状態でも記録したいなんて書くと、急行灯点けろキッズとそれにお気持ち表明する自称中の人の双方に刺されそうだ。ナイフが俺の身体を相互直通運転、俺が都営浅草線だ!。意味が解らない。彼らの戦いを対岸からハイボール片手にゆったりと眺めている存在でありたい。

後続の特急。なんか勝田台での上り8両バルブは微妙だったかもしれない。こういうのを後の祭りという。なんかコメントに困る写真だしさあ…。ほんとしっかりして。

翌日撮影の89N。この時は2月8日に下りの目撃があったので、年に1回(多分)のクーラー清掃だったのだろう。なんで宗吾でクーラーの清掃をやっているのかは不明。人員の関係…?急行灯は点いていなくても気にしない派なのは当時から変わらないので、別にそこについて言及する気はない。

順不同になるが、同日撮影と思われる写真も。執筆日(令和6年12月12日)の時点では、新3200形で置換えられる第1号になりそうな予感がしている編成。検査期限が近い順に、3544編成、3552-51号車、3516編成…という風になっているからだ。3544編成と3516編成は4両で、3552-51は比較的検査期限が先である3548編成に挟まれている。新3200形6両3204~3201+3206-05で3548を4両にしたら3500形6両を潰せると睨んでいるが、どうだろうか。なお3552-51の相方3550-49は3520編成共々既に廃車になっている。
個人的に3544編成は一番遭遇した思い出もある編成なので、できれば新3200形が間に合わずにもう一度検査を通ってくれたらいいなと思うのだけど、どうなるんだろう。
※校正時に追記:そもそもSR無線の関係で生き残りました。おめでとう!

後ろの組成がわからない…。なんかド忘れした。一応3512編成だったとは思うんだけど、どうだったけか。この時の4両に半分の2両をくっつけた編成が懐かしい。新3200形はその点、今年度落成の3204~3201+3506-05は同様の組成なので、まさに3500形の正統進化版なのだろう。実車に会えるのがとても楽しみである。

特急編。よ~く見ると先ほどまでの写真とは違う場所で撮っていることがお分かりいただけるだろう。これは志津駅から少し歩いた踏切からの撮影。当時LEDの限界に近いSS1/500で撮っていたが、なんか怪しいかも。こりゃイキリブン流しマウンティング小僧に怒られてしまう。飽きもせずに自慢しだしたじょってな(笑)。

これまたよく遭遇する3758編成は特急に充当されていた。この時まさか誰が日中の京成から特急が消滅すると思ったことだろうか。いや空港直通が減る分にはいいとはいえさ。もうこの頃からだいぶ本線特急の治安悪かったからね。

この日唯一の快速だった3798編成の写真。おかしいな、この数だともう少し撮っていたと思うんだけど。失敗して消したのかもね。そっかーこの頃はまだイコラブちゃんに出逢う前だったのか(結成数か月前なので)。イコラブ沼に転落してからはとても楽しかったと思う。それはまた握手会に通っていた令和元年の過去記事でじっくりと語らせていただきたいと思う。
で、今回の撮影って7503編成でスタートなんだけど、皆さんあることにお気づきだろうか。そうです、3000形が1編成も来ていないのです。そんなことある?ねえ、ある?今じゃ絶対にありえないことが起きていた(のかもしれない)

こちらも現在は姿を変えてしまった3788編成。この時はあんな悲劇が京成で起こるなんて思いもしなかった。あれはまあ一介のファンである自分が誰を責めることもする気はないが、エキセンで社員気取りをする痛い元バイトが「京成の不祥事でメシウマww」と不適切な発言をしていたことを書いておこう。シャイイイン。
別の日。この時の新車の1本、3033編成をいい加減に撮らないとねってことでいつもの踏切に行ってきた。佐倉出身は育ちが悪いなんてクチャラーに罵られた私だが、しかしこの撮影地が余裕でチャリ凸できたのはいいことだった。

この検明けとはまた違う輝きがいい…んだけど、なんかちょっとピントが甘いかも。まあここ京成本線の中でも特にかっ飛ばしてくるからなあ。言い訳して良い訳がないでしょ。ただ1つ言えることとして、同行者の都合に振り回されまくって撮影地が制限されることがなかったこの頃は本当に平和だったし精神的にもよかった。まあこの記事を書いている今もそうですけどね。ぼく、自己中なんで大して信用できない人間に行程をひっちゃかめっちゃかされるの無理なんですよね。
また別の日。この日は土曜授業を終えてから、3588編成さよなら運転「さようなら未更新車記念ツアー」が運転されていたのを迎撃。この間に撮った写真をどこにやったんだてめえ!と言いたい(そりゃ私一番乗りでしたから)。なお待機していたところを「もう勝田台に鉄いる」って盗撮されて晒されていたこともあった。※その方はお亡くなりになりました。こちとら遊びは本気でやるタイプなんだ、土曜授業が終わり期末試験前でテストがなくたって撮るものは撮るんだよ。

先行の特急。これが3588編成の前走りというか露払いのようなもの。無論それは全区間ではないけれど。土曜授業さえなければ押上線等でも撮りたかったが、こればかりは仕方ない。3738編成の3738編成としての撮影はこれが最後になった。多分。土曜授業は部活があれば弁当を持参する必要があり、早弁するのが楽しかったのを覚えている。先生公認だったし。

先ほどの特急からは大量に追っかけ組が放出され、大人数での撮影となった。ここで注目していただきたいのは、3588編成の窓枠。とても綺麗に磨かれていて、これはラストランのためだけと思われる。京成電鉄と宗吾の匠の情の厚さというか愛というか、なんかそういうものを感じる。

これは平成28年5月に撮影した3588編成。3600形と東急8500系のハーフではない(笑)。公開垢を持っていた時にツイートが伸びると、そういうクソ引用が付いてうざいこともあった。※その方はお亡くなりになりました。アカウント凍結の回数の多さに耐えかねたか…。で、前の写真と見比べていただくと、確かに窓枠が綺麗になっていることをご理解いただけることだろう。
この時は上り列車が勝田台にはいたのだが、何とか通過まで発車せずに被りは回避できた。それが運転士さんのお優しさによるものだったのか、はたまた鉄が多くて危険と判断して起動しなかったのか、それはわからない。後者ではないことを願いたい。

翌日。この日は日曜日で何も予定はないので、本当であればこのブログ、そして私の撮り鉄黎明期に撮ってきたこの3588編成最後の花道を見送りたい。しかし翌日から期末試験を控えた高校2年生にそんな余裕もなく、また当時の私のプライドにかけて学年で文系1位は取りたい。それならばと思い、残念ではあるが、しかしこの1年いちばん撮ったであろう「回」の板でお別れをしようということにしたんだった。※余談だが惜しくも2位だったような気がする。2位じゃダメなんですかのババアは無関係。
この時にいたなんかよくわからない自治のジジイにはご冥福をお祈りいたします。そうだよな、どういう訳か地下鉄構図ができる志津ではなくユーカリでばかり撮っていた1852レでもあるし、最後にこうして見慣れた駅でお別れできたのはよかったんだろう。今の俺なら志津で撮ると思うけど。
なお、高校生のときに進学クラスの我々、特に私(なんで?)を敵視してきていた下のクラスの連中、特に国際英語という知能指数の高そうな連中(笑)には申し訳ないが、奴らはそもそも同じ土俵にいなかった。そもそも問題のレベルが違うんだもの、勝ち負け以前の問題(笑)。国際英語なんて言いながらパリで迷子になるしな(笑)。プライドとメンタルパリーン!なんちゃって(笑)。ご冥福をお祈りいたします。

ユーカリで後続の快速特急等を待避中。なんか懐かしいな、3588編成。3576編成や3592編成に3596編成も写真はあるので、せっかくだから記事の終わりにご登場いただこうかと思うが。これをユーカリで見送って、その後は家に帰って猛勉強。期末試験はおかげでそこそこの結果を出すことができた。キミ、試験は結果が全てなんだよ。そんな私はこの時から1年で志望校全滅しているのだけどね。キミ、試験は結果が全てなんだよ(2回目)。動物のお医者さんの漆原教授の名言からの引用でした。
なお3500形未更新車引退に際して、京成電鉄から記念乗車券が出ていた。

このようなデザインのものだ。実家に帰ればまだあるはずなので、次に帰った時に救出したいと思う。もっとも京成線西端の上野行で先頭になるのはモハ3585ではなくモハ3588なんだけど、まあこういうのも京成らしくていいではないか。

ご存じの方も多いかと思うが、裏の3枚ある乗車券をどこに刺すかで種別が変わる仕様。こちらは急行。まあ幕の方は普通のままだけど、これは正直とっても遊び心があって楽しい乗車券だった。

という訳で、この乗車券は普通・急行・特急の3種類を設定することができていた。懐かしいな。まあモハ3585は成田方の先頭車なので、上野行の先頭に立つことは押上線からの列車でもないと厳しいが、そこはご愛敬。そんなことをいちいち突っ込んでたら「京浜東北線という路線は厳密には存在せず大宮から東京が東北本線で東京から横浜は東海道本線でくぁwせdrftgyふじこlp」みたいなマジレスをしてしまう痛いマニアと同類だろう。
この記事が世に出るのは早くても令和7年後半になっているかと思うので、ラストランからは8年半程度が経過していることになる。もうそんなに前なんだな。3588編成を地味~に追っていたあの1年、昨日のことのように思える私と遠い昔のことのように思ってしまう自分がいる。
最後に、平成28年まで残っていた3500形未更新車3編成の写真も少しだけ貼ってお別れとさせていただく。

高1の時にスマホで撮った写真がそれかい…こりゃ将来のみならず過去の行いも心配になる。某氏、そんなんじゃ困るんだよぬぁあああ!あっはい。この頃はそういう暴言を吐くような輩とは出会っていなくてよかったし、この時に会っていた友達もそういう人間じゃなかったからよかった。もう執筆日時点で9年も経っているのが恐ろしい。まあ大学3年生あたりから適当な生活しかしていないし、努力していることも特にないので、そうやって死んでいくんだろうけど。やっぱ将来が心配だ(笑)

これも高1の時に撮った写真。3592編成もさながら、B53という運用が懐かしい。ラッシュ時に絶対に設定してはいけない千葉線・千原線4両運用だったけど、まあ津田沼・松戸方面行が千葉→みどり台で混むことを差っ引けば日中は4両でもなんとかならないことはない…のかもしれない。将来的に千葉線・千原線内のみの運用を4両ワンマンにする可能性は否定できないと思いつつ、しかしそうなると上野行として本線運用に流せなくなるので、まあないだろう。この時はまさか更新車でワンマンをやるなんて思ってもみなかったもんだ。

あ~そっか、この時(平成27年夏)は4両の本線普通があったのか。今では京成本線を走る4両というとせいぜい回送または試運転だし、強いて言うなら成田~駒井野信号場ぐらいだから、なんかこの時に一眼持って沿線に出ていたかったなあと思ってしまう。え、なんでこの写真を選んだかって?悪意なんてねえよ(笑)。ただ目には目を歯には歯を、おっとそれ以上は。私には一切の悪意はありませんし、強いて言うのであればこの時の被写体は3596だった。それ以上の何でもない。

最後に津田沼でのターボ君との並びでお別れです。もうこれも二度と見られないなんてな。個人的に京成を撮っていて一番楽しかったのはこの頃だった。できるならこの時に戻りたい、でも時は戻らない。
そういえば新3200形の置換え対象って3500形・3400形・多分3600形だと思う。彼らの総数は現時点で確か64両。3500形と3400形の一部を残しておきたいという京成電鉄社内での意見は動態保存的なものにすると仮定して、そうなると3264号車までの64両16編成が登場するのだろうか(※後日追記 96両です)。新3200形を楽しみにしつつ、同時に現行の3500形の記録もいい加減に気合いを入れなければならない訳で、また新たな記事を書ける日を楽しみにするためにも明日の休みは電車を撮りに行ってほしい。頼むぞ自分。
撮影 平成29年1~2月(3576編成以降は除く)
執筆 令和6年12月12日(校正:令和7年初夏)