皆さんこんにちは。タイトルの通りの記事です。公開は10月、来月でこれらの写真を撮ってからまもなく9年と思うと感慨深いものがあるものです。それだけの時間が経ってもそこまでの感じがしないのがまた何ともって感じで、本当に年を重ねるごとに時の流れが早くなっていくものだなと思います。そんなのいいので本題に入りましょう。

11月なのに雪の日の撮影、つっても当時の実家最寄りバス停からのバスが雪による多客で遅れていたのでうすい7時37分の通特しか乗れず、せっかくの雪なのにこれしか撮ることができなかったけれど。まあないよりはある方がマシ、そういう割り切ったスタンスで記事を書いているのでまあ多少はね?流石に電車を撮っていて遅刻したことは一度もない。寝坊で遅刻したことなら114,514回はあった。今でも実家には大量の遅刻届が眠っている(原因の欄にはねぼうと書いてある)。
普段雪と縁のない車両を雪の日に撮るのはやはり楽しい。ガッツリ積もってくれれば雪レフでかっこよさ倍増だしね。今年は積もってほしいなあ。
今のところ、11月に雪が降ったのは記憶にある限りは後にも先にもこれしかない。

そこから1週間以上して撮った朝の通特。あんたも懲りないねえ、なんて父方の祖母(以下ババア)に言われそう。この記事は多分令和7年後半の公開かと思うが、それまでにババアは死んでいてほしい。そろそろマジで殴って俺が捕まりそうで嫌だから。ババアの恨みはさておき、これは平成28年12月7日の撮影。
高校生の時に7A10レを撮っている俺へ。8年後の君はクチャラーに育ちが悪いと言われたり、借金を踏み倒すような奴に将来を心配されたりしている無職ニートキモータヒッキーになっているよ。なんて、なんて残酷なんだ。
翌日。ターボ君こと3668編成を撮れるので、帰りにユーカリでバルブしていこう。

確か記憶が正しければ停車前にご丁寧にハイビームをいただいていた記憶。当時繋がっていた成田のヲタクと一緒に撮ったなあ、懐かしい。彼のTwitterが消えてしまったので今どうしているのか不明だけど、私が嫌われただけでどこかで元気にしてくれていることを願う。
しかしまあね(笑)。この時もハイビーム(笑)。ウケる(笑)。そう考えるとハイビームも減ったよなあ。しょっちゅうだったもの、この頃は。別にハイビームでフル点灯になる電車ならサービスだと思ってしまうので、一概にハイビームが嫌だとは思っていないけどね。そもそもうちらは撮らせていただいている側だし。撮影は平成28年12月8日、ちょうどその8年後にこうして新しく記事に書いて後世へと遺せているのが嬉しいことだ。

また別の日の7A10レ。この日はご丁寧に改札を出て沿線に向かっている。だいぶ走ったんじゃない?というか暇なの?そろそろ受験勉強始めたら?という感想しか出てこないけれど、まあ常々書いている通り、撮っておいたこと自体は間違っていなかったと思っている。現に旧ROMも3818の下枠交差パンタグラフももう二度と見られないだろうし。こちらは同年12月9日の撮影。

通勤特急に比べると各駅停車の方が空いているので、この頃は朝電車を撮るとしても各駅停車を選んでいた…かどうかは不明。通勤特急も結局は20分に1本で、10分に1本来る快速特急に比べると戦力はアレだったっけ。でもそれでも、京成の朝ダイヤはよくできていると思っている。混雑の平準化なんて抜かして全ての電車を各駅停車にするなんて言語道断。そんな路線があるのかい?

また別の日の撮影。当時は京葉線と千葉支社がそんな粗相でJRファイヤーするなんて思ってもいなかったが、朝光線のうすい~ユーカリで電車を撮ってみたい!と思って行った結果がこれ。コレ。是。之(笑)。これ以上引くと影落ちするんですよ。という訳で朝7時台は失敗ということを身を以て知った。いや待て、お前高校行く前に何してんだ???というかよく起きれたな…。

まあ写真としての出来についてはさておき、撮ったこと自体は後悔していない。寒かったけどね。俺が運転士だったら、クソ寒いこの時間に制服の高校生が撮っていたら普通にドン引きする(笑)。マジで。しかしまあ冬光線っていいものだ。この記事を書いている令和6年12月8日(7日に書き始めていたんだけど日付回りました)もそのシーズンなので、できれば記事書いてないでさっさと寝て検明けの3688編成でも撮りにいってほしい。

同日の撮影。時刻と運番と当時のダイヤに鑑みると部活帰りの撮影だろう。なお陸上部主将だった私、残念ながら部活中に目が合うなって思ったことは…あったかも(照)。その話はさておき、イコラブの「部活中に目が合うなって思ってたんだ」を当時知っていたらエモかっただろうな。まだこの時点で結成されていない訳だけど。
この曲ですね。マジで高校生の時に聴きたかった。なお、リリースされた時点で既に私は大学生だった模様。残念!
話を電車に戻す。45運用なので日中の芝山シャトルをやっていたかと思うのだけど、でもそれとは別建ての宗吾出庫だったかもしれない。もう覚えていないのがよくないね。そういう意味でも、当時の記事を消してしまったことを後悔している。今の私からしたら黒歴史だと思われる記事でもこれ以上は消さないようにしているのもそれが理由。

後続の特急は3678編成。こうして見るとやっぱ勝田台バルブも面は潰れるよね。別にそれはいいけど、多分検明けでそこそこ綺麗だった。これが平成28年で、3678編成が平成31年2月に廃車になっていることに鑑みて最後の検明けだった。3678編成と3688編成はコンプレッサーを更新していて、従来の「ドゴゴゴゴwwwww」というあの音ではない静かなものに交換されていた。だからこの2編成は当面使うのかな?と思っていたが、それは外れてしまった。いやまあこの時は知る由もないあれこれがあって3688編成は執筆日時点でも生きている訳だけど。ファイヤーの検明け撮りたい。前回の出場の試運転こそ甲府から撮りに来たとはいえ。

うすいに移動してこれまた当時撮っていた83Kの快速もバルブ撮影。3768編成、こうして見ると本当によく遭遇していたんだなあ。しかしまあ帰り道でのバルブ撮影のためとはいえ、ミニ三脚を学生カバンに忍ばせていた当時の私にはだいぶ狂気を感じる。アレだ、そういうこと書くと肉澤(KTKGN先輩)あたりがまた俺のフリ素と共に名前も住所も晒してんだろ(笑)。ウケる(笑)。別ルートで権力使って退学にされなくて本当によかったよねえ。え、何のこと?
ちなみにそいつも時折電車を撮っていてブログに公開していたけど、まあ見るに堪えない酷い写真だった。デブラーメンの食べ過ぎはああなるってことか。かくいう私も去年に比べて名古屋在住時のストレスで10㎏太っているので、偉そうなことは言えない。

翌日、12月13日の撮影。今年は今のところ確認できていないが、当時はこの時期の風物詩だった有馬記念のラッピングを施された3029編成の特急を撮っていた。有馬記念の響きだけで年末を感じられる気がしたよ。でも私、マジでギャンブルのセンスがないから競馬も競輪もできないと思う。一度ウインズで馬券を買ったことはあるけど、200円の勝ちのために500円使ってしまって、それ以降マジでギャンブルからは足を洗ってしまった。

後続の特急は3428編成。前も書いて来たが、3400形の中でいちばん遭遇していたのは多分この3428編成だった。この編成は元号が変わった令和3年秋に3100形3156編成の導入により玉突きで廃車になっている。実に3400形2番目の廃車。実はその頃の私は人生初めての彼女に夢中だったのでなかなか千葉に帰ることもなく、ろくに3428編成を最後まで撮ることができなかった。趣味と恋愛の両立って難しいね。まあでも、彼女をお相手さんって呼ぶような痛いのにならなくてよかった。お相手さん(笑)会社の研修のついでに風俗行くようにならなくてもよかった(笑)。

また別の日のターボ君。ちょっと面は薄いけど個人的に光線は許容範囲。ここまで行くと、多分3668編成を狙って撮っていたとしか思えない。しかしまあ、よく起きて撮りに行ったな、当時の私は。しかし唯一謎なのは、「唯一」を「ゆういつ」と読んでしまう人種、そしてなぜこの時に撮って、このあと撮って乗っていたのかという2つ。唯一ではないじゃないか…。それについては後の写真で書いていく。

うすいに快速ペダルライナー(自転車とも言うアレ)でワープ。折返しとなる普通に乗っていこう。個人的に懐かしいのは当時のうすいの発車標(3色LED)だろうか。

好きだったこの場所、みたいな。今でこそ千葉線・千原線には4両の運用が復活しているので、タイミングがよければターボ君に乗って連結面からしか得られない栄養素を摂取することもできるとはいえ、しかし懐かしい。

モハ3621はまあ4両化に際しても生き残ったんだけどね。あの4両化も結局は中間のサハ3608とサハ3601を抜いただけだったし。

なんか懐かしいな、ターボ君。だから今でもその気になれば乗れるだろうがってのはごもっともなんだけど、でも何だろう。やはり俺にとってのターボ君は6両なんだなあ。なんか今そう思った。
で、前述の通りこの時に何故撮って乗っていたのかは不明。定期券パワーでただ撮って乗っていたのだろうか。詳細は当時の私に聞かないとわからない。しかし土休日の撮影であることは確かで、同日に家族と当時うすいの駅前にあったカレー屋に行っていた。

それがこちら。普通に美味しくて、店で食べずとも時折テイクアウトして家族で食べていたものだった。あの頃は楽しかった。親父、無茶しやがって…。当時は今以上に仲悪かったなあ。来世はまともに生まれて来いよ~(笑)

ナン食いてえ。腹減った。普通に美味しかったし経営していたインド人も悪い人ではなかった。でもこの店は良心的なので、お冷としてガンジス川の水が出てきたりおつまみにチョコボールが出てきたりといったことはなかった。

マジで美味かったんだよな。ほんとさ。でもここの物件に入る店ってすぐ入れ替わってしまうので、この店も実はもう存在しない。私の家ではこの物件がいわくつきなのではないかと噂になっている。というかまあもう俺もあの辺には住めないだろうし…。
撮影 平成28年12月
執筆 令和6年12月7日→8日