
皆さんこんにちは。本日の過去画は押上線・金町線撮影が中心です。既に出している記事との重複があるかとは思いますが、今回は未公開の写真も併せて当時を振り返ってみようと思います。
ではさっそく。この日はまず親と共に酉の市に向かっていた。

なのでモーニングライナー課金ですた。この画面表示好き。
酉の市を済ませてここから親とは別行動。

日比谷線の20000系を撮ってこれに乗っていきましょう。入谷駅だったかなあ。この先終着の北千住まで乗車し、東武伊勢崎線で曳舟まで行ってそこから京成押上線に転戦していたと思う。当時はまだ東武沼に突き落とされるとは思っていなかったが、しかし20000系はよく日比谷線で撮っていたこともあり割と好き。今は南栗橋以北に行けば会えるとのことで、新しく生まれ変わった姿も撮りに行ってみたいと思う。

という訳で八広に来ました。お目当ては3700形が代走しているアクセス特急だが、押上線自体が高校生の時はなかなか来られない場所だったこともあって、それ以外も撮っていて楽しかったのを覚えている。なお同業の方(私より年上)と京成トークに花が咲きながらの撮影で、楽しかったのを覚えている。今は何をしていらっしゃるんだろうな。

このアクセス特急は所定通り3050形での運転。確か前の日に何かしらのダイヤ乱れがあって、印西牧の原入庫のア特に3768編成が入っちゃったからこの日(11月23日)も充当されていたんだっけか。なんかうっすら覚えている気がしなくもない。3700形の代走ならまだこの先に見られる可能性も残されていない訳ではないが、この塗装の3050形はもう現存しないため逆にこちらの方が貴重になってしまった。まあこの後ご覧いただく代走は3768編成なので、どっちみちそれももう見られないとはいえ。

この日も動いていた9000形。9008編成に比べたら9018編成は長生きできたのだろうか。別にまだまだ使えない訳でもなかった気はするけれど、でも引退が残念だった。最後の1年にこうして撮ることができてよかった。もちろんこれ以外にも写真はたくさんあるが。引退から10年経ったら手持ちの写真でメモリアル記事でも書こうかな。多分忘れていると思うけど。

イエローハッピートレインこと1057編成も来ていたみたい。これは嬉しい。69Hは確か日中北総の各駅停車もやる運用だった気がする。8年前だから流石にはっきりとは覚えていないが、でもこの撮影から8年経っているのがびっくりだ。公開時には9~10年経っていたらどうしよう。その時の俺は何をしているのだろうか。普通に働いてると思うよ。

そしてお目当ての3768編成アクセス特急。絶対にもっと撮っているはずなので、写真がないのが悔やまれる。クソが!という訳で私が持っている唯一の3700形代走のアクセス特急はこれだけ。だからこそこの時に撮っておいたことは正解だったことだろう。マジでよかったー。また先述の通り3768編成は7838編成として強d…リースされているため見られないほか、当時はパンタグラフが現行のシングルアームではなく下枠交差式だったのも特筆される。
これにて撤退。やってきた青砥行に乗り、青砥では後続の快速も撮影。

急行灯が点いているのが嬉しいし、5300形自体も懐かしい。この趣味に足を突っ込むきっかけの1つであり、こうして日頃の記録をしておくことの大切さを自身の短命さを以て教えてくれた車両でもある。過ぎ去った普通の日々がかけがえのない足跡と~*1\イェッタイガー!/。サヨナラの意味でイェッタイガーは打たないと思うが…。そういえばサヨナラの意味が出たのってこの頃だったなあ。
※陸送ヤクザからの5320編成陸送自慢は受け付けておりません。ですがせっかくですし雑巾汁で淹れたお茶でも飲んでいかれますか?と思ったけど、茶葉に失礼だね。

上野からの各駅停車は6両だったターボ君。これは横で撮って正解。というのも、皆さんもご存じの通りこの数か月後にターボ君は4両となってしまうからだ。

そして面白いのは3053編成が本線特急の運用を代走していたことだ。あくまでも私のオレ調べだが、3050形が本線の運用に充当される際はK台=他社局線直通運用が多かった。現にA台=本線運用の写真はこれと、あと他にあったっけ?レベル。
避けていたとしたら、それはやはり当時のダイヤにおいてアクセス特急と本線特急が急急接続を行っていたから誤乗防止としてそれだけは…ということだろうか。まあア特に3000形が入ることもざらにあった以上、その節も確証はないけれど。何はともあれ撮っておいた私、ナイスゥ。これに乗って帰る…ことはせず、先ほどのターボ君での置換えが濃厚だった3588編成もいる金町線にも顔を出していこう。

ハロー。この日は71運用に3588編成が充当されていた。・358だか35-88だかのエンジェルナンバーの車の運転マナーが光っているって話は前にもしたので割愛…だけど、京成鉄で35-88ナンバーなら間違いなくこの編成だと信じている。京成を撮っていて思うのは、まあ挨拶もできないガキは論外だけど、でもまともな会話が可能なレベルに達している方はマジでみんないい人ってことだろうか。
あ、俺まともなコミュニケーション取れないなんて暴言吐かれたっけ(笑)。私はまともなコミュニケーションが取れないので、そいつに何回も話を遮られました。いやマジで(笑)。※お亡くなりになりましたので、ご冥福をお祈りいたします。

モハ3588の運転台。ナウくていいなあ。でも3588の文字が酔っぱらった時の俺の文字みたいで何とも。こういうのも撮っておくもんだなあと思う。

年季の入った車番プレート。でも実はラストランの際にはとっても綺麗になっていて、そこに京成と宗吾の匠からの愛を感じた。いや車番プレートは知らんが、少なくとも窓枠はとても綺麗になっていた。

Keiseiプレートもこのロゴでの表記もすっかり見なくなったよなあ。勝田台北口にはまだ残っているのだろうか。

でっかい菱形のパンタグラフと車内。なんか今でも金町線にいそうだけど、ラストランから執筆日の時点で7年10か月。脳のアップデートもできないなんて、将来が心配になる。※その暴言からは9カ月となります。某氏いちいち俺の悪気のない何気のない発言で被害者ヅラされると困るんだよぬぁぁぁぁぁ!!!!!悪気ないんでしょ?ぼくも悪気ないよ。某氏botがエキセンで社員気取りをしていた話はまたいつか。
とりあえず金町まで乗っていこう。

すぐ着いた。まあそりゃ金町線って高砂を出たら柴又の次が終着の金町ですから。延伸したらどこに行くのかと思いつつ、まあまず延伸計画なんてのも聞いたことがないから考えるだけアレか。亀有まで行っていたらエモかった(こち亀ファン故に)。
向こうには常磐線E531系が見えるってのを今知った。これ上手く狙えば金町線車両と常磐線車両のコラボ写真みたいなのも撮れるのかね。知らんけど。

折返し高砂行、それはそう。今は高砂⇔金町幕になってしまったり、日中はワンマン運転を行ったり、変わってしまったけど。もし今も3588編成がいたら特徴的だった種別「板」にワンマン表示なんてやっていたのだろうか。それはそれで正直見てみたかった。

せっかくなので歩きながら沿線撮影地を探しつつ、帝釈天にも行きましょう。佐倉出身で育ちが悪いとクチャラーに言われたレベルなんで(笑)、実は当初こち亀を見始めた小学生の時は亀有が東京のどこにあるか知らなかったが、オープニング曲の葛飾ラプソディーの歌詞でどのへんなのかを知った思い出。

当時から4両のイメージな3516編成も金町線運用に入っていたんだね。この3588光軸ずれてるのかハイビームなのかは知らんけど、まあ当時は今以上に鉄を見つけるとハイビームにする運転士も多かったから仕方ないか。だからと言ってこの運転士さんがそうかどうかは不明だし、別にハイビームでもかっこいいから当時も今もあんまりきにしていないけど。

柴又駅舎。柴又といえばやはり男はつらいよの舞台でもあるからか、寅さんの銅像もあったはず。

結局なんか沿線で撮っても微妙だったので、早々に退散して帰宅したような記憶がうっすらだけどある。この看板が今もあるかは不明だが、この記事が出る頃に一番下にある新京成線は絶対に京成に吸収されているはずなので、どうなっていることだろうか←見に行けよな
撮影 平成28年11月23日
執筆 令和7年12月7日