
皆さんこんにちは。昨日5日にお送りした総武線撮影記の続編ということで、帰り道に京成船橋で撮った写真を含めて(黒歴史ではありますが)記事にしていきたいと思います。完全黒歴史ですけどね。というか過去画記事に想定外の分量と本数があるので、このまま行くとまず大学生時代の過去画に触れられる日が来ない気もするが…まあいっか。
昨日の記事と比べると内容が薄くて申し訳ないんですけど、あの後船橋で京成に再び乗換えて帰路に就くことにしていました。脳内に船橋が地平駅だった時の記憶はあるんだけど、写真はないので記事で無双できないのが悔しい。くぅ~。AIくんが脳内の写真を現像してくれたらいいのになあ。でもそれ撮り鉄としてどうなんだろうって話でもあるか。

ということで3858編成の特急からスタートすることとしよう。この頃、誰が日中の本線特急がほぼなくなるということを信じたことだろうか。特急という種別自体は普通に残っているとはいえ。でもそれよりはこんなケツが巻き巻きの場所で撮っていたことについての後悔の方が大きいかもしれない。結局過去画ですかい、そんなオチだと思った。なんてどこぞのキョロ充に言われてしまいそうだ。※その方はお亡くなりになりました

当時よく遭遇していた3023編成の各駅停車。ここ最近はあんまり遭遇していないかもしれない…?3000形のうち3025編成まではかなり短期間で集中して投入していた気がするのでその後継も気になるが、それよりは松戸線用の8800形・8900形後継として転用の可能性があるのか否かの方が気になるかもしれない。もし仮に3000形数編成が松戸線に転属する場合は将来的な運用の共通化を見込んでいる可能性も微レ存?
…なんて当時の俺が考えている訳もないんだけどね。かといって当時の俺が考えていたことなんて思い出せるわけもないし、何なら写真を見るまで撮ったことすら覚えていなかった訳だけど。

私は3500形の各駅停車に乗っていたらしい。組成は違ったらごめんなさい。成田方4両の3556編成は令和7年に新3200形の置換え分としてはモハ3552-51と共に最初に廃車となってしまっている。それはそうとして、日曜夕方に船競4Tで待避する列車なんてあったんだ…?

なんか3678編成の通過待ちということで撮っていた。流石に大会終わりの疲れた体でなくともホームでダッシュはしていないと思う(中国人ではないのでうんちが漏れそうなときは走ります)けど、なんか撮ってたみたい。記憶が全然ないけど。あと3500形の方の組成は間違っていなさそうだけど、問題はうすいに帰りたいはずの当時の私が何故津田沼行の各駅停車に乗っていたのかということだろう。何がしたかったんだ…?

して津田沼で降りて(でしょうね)撮っていたのはN818編成。なんかN818編成のジェントルピンク塗装の写真が思いの外少ないまま京成塗装になってしまったことに今更焦りを覚えている気がしないこともない。やってもうた。歴史に残る記録を作ってしまった。

あとは6月かどっかで公開したであろう逆光写真。新京成線内では種別表示を行わないのが新京成らしかったと今になって思う(語彙力)。こういうことを書くとまた俺にネットリと粘着していたキッズが「「「鍵垢で」」」ヒスを起こしそう。可哀想に…

この時は私みたいな京成ファンでもないと撮っている印象がなかった3400形だが、5編成全てが現役だった。本来であれば既にいなくなっていてもおかしくない形式だが、色々あって今も残っている3448編成がアイドルになっているのは周知のとおりだ。3408編成がますます不憫で仕方ない。というかこの編成、こうして過去画を書いていると案外遭遇していたんだなあ。最後の撮影でピントを外したのは本当にすまなかった。

勝田台で降りて腹ごしらえをしていたらしい。こんなこと書いたらこの数年後に私にTwitterで噛みついて来た当時JR東日本千葉運輸区所属と思われる運転士に「ガキがいっちょ前に蕎麦食ってて草」なんて言われるのだろうか。平成30年12月24日の4053Mを船橋の時点で担当していたアイツに。私みたいな弱小オタクへのファンサ(笑)に感謝して、これから公開するであろう過去画記事でも沢山言及させていただく予定だ。大丈夫だって、JR東日本の社員がこんなブログ見てる訳ないんだから(笑)。気にすんな(笑)

ごちそうさまでした。なんか書いてて腹減ってきた。なお勝田台の都そばさんだが、私が千葉県民に返り咲く前の令和5年に閉店してしまった模様。残念だ。というか久しぶりに蕎麦が食いたい。

一応執筆日の時点では数日前に駅そばでうどん食べてはいるけども。あーどっちも食いてえな、腹減ってきた。冷たいうどん・そばが食べたい。※この手の写真が飯テロ要員となる事例は多々ありますが、諸刃の剣となることも多々あり、現在私は自爆しております。ち~ん(笑)

別の日、高校に登校するにあたって乗っていく各駅停車(宗吾出庫・うすい始発)を撮っていた。当時の第722列車(23運用)は宗吾出庫、第724列車(25運用)はうすい折返しだった。今は結構違うけど。当時から6両の大半を3000形が占めていたなか、3500形同士が並んだのはなかなか美味しかったように感じる。画質はアレだけど。

という訳でみんな大好き幕回しコーナーです!拍手でお迎えください!つっても京成車の幕回しはなかなかに爆速なので、早速シャッタースピードが負けている気がするけど。宗吾→うすいで回送となるので、到着前に幕回しをしていたということになる。試運転の小岩行なんて聞いたこともないけれど、一応小岩は折返し可能な構造なので、何かあったらワンチャンありそう…?

幕ずれはごめんなさい、センセンシャル。臨時の東中山行っぽいなにか。東中山も定期列車・不定期の回送や試運転を含めて折返し列車は現存しないが、臨時列車だったりダイヤ乱れ時だったりすれば同駅での折返しもありえるので、まあ多少はね?個人的に上りの東中山行というと同駅以西のどこかで輸送障害があったんだな~という謎の偏見に満ちた印象を覚えるかも。

急行金町行(みたいな何か)。そもそも平成22年7月16日を以て京成線内の急行が廃止されている上に本線系統では平成14年10月改正で消えているが、快速より若干停車駅が多い感じのアレと思っていただければと思う。もし今の快速が当時の急行と同様の停車駅だったと思うと今以上に日中の移動が面倒くさそう。
して、うすいから金町線への直通列車なんてものは少なくとも私は知らないが、一応配線上はできる。現在の金町線は基本的に高砂では専用ホーム5番線を使用するが、地平ホームとの線路は残っているためだ。

その一例がこの回送(土休日71運用)で、金町から高砂まで回送されて来て3番線に到着する。昔のように「反対方向から(列車)が参ります」という放送は流れないが、一応金町線と本線は繋がっている。まあ繋がってなかったら車両のやりくりどうするんだって話になるからね、仕方ないね。そういえば5年ぐらい前だっけ?なんか3000形が柴又に試運転で入線していた気がするけど、あれは何だったんだろう。

話を平成28年に戻そう。こちらはエアポート快特の高砂又は青砥行。どちらかの駅で後ろの4両または2両を切り離すってはっきりわかんだね(わかんねえYO)。これが押上線・都営線・京急線方からだったらそこまでの違和感がないけど(全くないとは言ってない)、エアポート快特の幕がオレンジになってから3500形が充当されていたイメージってあんまりないんだよなあ。いや実際にされてはいるんだろうけど。

エアポート快速ならあんまり違和感がないかも。同種別は都営線内エアポート快特になるよって快速なので、押上で止めるなって話なんだけどね。ただ都営線内で何かあった場合、エアポート快速12年の歴史の中のどこかしらでこの組み合わせが実現していた可能性は無きにしも非ず。

最後にこれは今でも定期で残っている組合せ。もう3500形がイベントを除いて都営線に入ることもないとは思うけど。この頃も更新車は基本的に4両ないし6両で動いていたものの、8両が足りなくなると時折都営線にも入線していた。ただしK台にあたることも徐々に減っていき、私が知っている中では平成28年度後半の3500形8両代走は基本的に線内完結だった当時のA15運用が9割、それ以外だと一度A11に充当されたぐらいしか知らない。

そんな3500形代走に関しては平成28年度を中心に当シリーズでも扱っていく(もう公開した記事にも出ていたらサーセン)ので、是非お楽しみいただけたらと思う。その時の記事でも書くのであんまり同じ話はしたくない(どこぞの横取りキョロ充みたいになりたくないので)が、この通勤特急自体は3600形の通特を撮るべく沿線にチャリ凸した結果がこれということも特筆しておきたい。