6月末にも出した令和元年過去画セット(未公開写真編)シリーズの第二弾です。同年5月以降のものを中心に今回は取り扱っていきたいと思います。過去画の再現像と再記事化ばかりではなく、新しい写真で記事も書いていきたいんだけど、なかなか忙しいもんでして…。言い訳していいわけがない。いや寒いなあ。

今回は185系の団臨からスタートです。時期も相まって恐らくは修学旅行臨で運転されていたのではないかと思う。185系10両の団体列車なんて今思うとめちゃくちゃ贅沢なもんだ。波動用の編成同士での運転だったが、少なくとも甲府エリアではとても平和に撮ることができていた。ごちそうさまでした。恐らくは千葉方面からの修学旅行臨な気がするけれど、千葉市の中学は確か信州方面に団臨で行くんだったっけ。今はE257系5000代等がその任をってのはさておき、私が高校の時からずっとリスペクトしている部活の先輩も千葉市のご出身で、中学校の修学旅行で183系または189系を利用したとおっしゃっていた。

この時の首都圏荒れたのかなあ。何で電車を撮るだけで荒れるのかが理解できないけれど、まあ世の中色々な人がいますからね。もっともこの当時はまだ特急踊り子として185系がバリバリ現役、スーパービュー踊り子号と251系も健在だったので、そこまで荒れることもなかったのだろう。何はともあれ、こういった日常の記録というのはやはり強いものだと思う。OM03編成は翌年のクリスマスイブに、後ろのB7編成はこの撮影から3年が経つ前に同僚のB5編成と共にそれぞれ長野総合車両センターに回送されて既に現存しない。どっちも撮ったのが懐かしいな。
なおOM03編成の時はお付き合いをしている彼女がいたものの、B7編成(とB5編成)の時はその彼女と別れたばかりでむしゃくしゃして荒れていたのも特筆したい。ウケる(笑)。まあアレだね、過干渉ですって表現するだけでやたらめったらと絡んできた挙句に説教してきた面倒なのと繋がる前でよかった。お相手さん野郎(笑)。お相手さん(笑)

先述の通り後ろの4両はB7編成。撮影時は令和元年5月、まだ中国の武漢で新型コロナウイルスが発生するなんて知る由もない頃のことだ。日本は美しい四季に2,000年以上の伝統に美味しい食文化に、それ以外にも沢山の守るべき素敵な文化があるが、しかし近隣の国が中国と北朝鮮とロシアというのはあんまりにもデカい代償だと思う。そういや高校生の時に偏差値も民度も人間性も全てが下の国際英語なんていう頭良さそうなクラスでイキってたチンピラも中国人って噂だったよな。あいつも野グソしているのか。汚い(笑)

続いて身延線特急ふじかわ号のF7編成。こうして過去のことを今になって書き直すと、それから色々あるということを当然今の私は知っているので、なんか不思議な気持ちになるなと思った。特急しなのに充当される383系は既に後継車種の話が出ている一方で、373系にはその類の話が一切ないのが気になるとは思う。でもまああれか、それ言ったら313系初期車の置換えについて考えているようなものだからアレか。まずは383系共々全ての編成をちゃんとしっかりときっちりと記録しておかないといけない。それ、どっちかというと甲府に住んでいたこの頃の俺がやるべきことなんだけどね。

月が変わって6月に撮ったお昼過ぎのかいじ号はS109編成だった。この編成以降のおよそ6割の編成は主に甲府またはその付近でJ-TREC出場公式試運転から出迎えたので、この写真を撮った当時も今も輝いて活躍しているのがとても嬉しい気持ちになるし誇らしいとも思う。どうか事故廃車等なく、最後まで安全に活躍してくれたらそれ以上のことはない。
それはそうと、この2日前に今も推している=LOVEのメンバーの1人でありリーダーでもある山本杏奈さん(以下あんにゃ)に初めてお会いできたのが既に懐かしい。初めての会話覚えているのは私だけでしょう、という歌詞(翌年リリースの同じく=LOVEの楽曲「青春”サブリミナル”」の歌詞)が脳裏をふとよぎった。

それがこの写真。お二人から名刺をいただいた。あんにゃに関しては直筆サインを当てるという強運も発揮したっけか。もう6年も前になるんだね。当時の認知は切れていて当然だしそれは私が悪い訳だけど、でもまた新しくイコラブの現場に時折顔を出すようになった今、これがきっと幸せだと思う。どのツラ下げてって話だけど、私は最期までイコラブのオタクでありたいし、可能な限り推しを支えていきたい。推しの負担を考えるとこんなこと言っちゃいけないのはわかっているんだけど、それでもこの頃みたいに毎月いつも直接会えていたのが懐かしいなと思ってしまう自分もいる。

再現像版ではないものを既に過去画記事で載せている可能性があるので、重複していたらそこは申し訳ない。E231系500代として最初に黄色くなったA520編成が長野総合車両センターを出場していたのでそれを撮りに来ていたみたい。もっともこの時を以て黄色くなった訳ではないけれど。入場を撮っていないのは知らなかったか講義と被ったかだったんだろうな。壊れたスクリーンすらまともに直すこともできないゴミめいた大学で学生証での所謂ピ逃げもできないような大学だったので、大学1年生2年生の時は流石にサボりにくかったのは事実。まあいっか。千葉の電車をこうして当時住んでいた山梨で撮ることができたのは少し嬉しかった反面、2年後に始まるE217系の廃車回送は切なかった。初回は酒の勢いもあってか帰りに視界がぼやけていたし。1両ぐらいどこかに保存されてほしいけどどうなるのかな。

同日の数時間後に撮ったN601編成っぽいローカル。441Mなので長野行のアレ。今でこそ大月始発になった同列車だけど当時は高尾始発。とはいえ大月まで中央線グリーン車で441Mに乗り継ぐのもそれはそれで悪くないだろうし、それはそれで結構楽しそうだなと思ってしまう自分もいる。中央東線のローカルでも普通列車グリーン車があればそれもまた一興だけど、でも少なくとも春日居町と東山梨が最長6両しか停まれないので非現実的なんだろうか。グリーン車=増収と思いたいけれど、アテンダントさんの人件費の問題もあるし。

平成31年3月改正を以て定期運用が終了したE257系0代のうち、平成30年6月を以て運用を離脱したM-105編成と翌月に出場したM-107編成は同年9月から東大宮常駐で各種波動輸送に充当されていたが、例の改正で運用を終えた0代のうち検査期限に余裕のあるM-111編成とこのM-102編成も東大宮常駐となっていた。転属ではなくあくまでも松本所属として常駐していたので、定期的にこうして機能保全検査のために松本に返ってくるところを撮ることができていて大変美味しかった。またM-102編成に関しては0代としての写真が一番多い編成であることも特筆したいし、それ故に思い入れもあるので、こうしてまた当時の写真で記事を書けるのがなんか嬉しい。

同年8月に甲府駅構内の側線にて出区点検か仕業検査か何かをしているEF64形37号機。仕業検査に関しては電留線で行っていたので、起動してすぐってところだろうか。バイトに行く時に撮っていたような記憶がある。EF64形0代として最後まで活躍した37号機だが、この塗装に戻ってから一時期は当時の所属先であった高崎エリアでの活躍が多かったものの、同年5月の信州カシオペアに抜擢されてからはこうして甲府エリアに来ることも多くて、私も何度となく楽しませてもらったものだった。あけぼの時代の写真がないのが本当に悔しいものの、そんな私が37号機の晩年を少しながら撮ることができたのは幸せなことだったと思う。

そこからおよそ11カ月が経過した令和2年7月末、M-107編成が機能保全検査のために松本車両センターに向かってくるのを嗅ぎ付けて撮りに行った。0代のうち基本編成の11号車のLEDはこのようにバグっているのが多数だったが、2000代・5000代となった今は(なかなか撮る機会がないので実際はわからないが)この手のバグを見ることもなくなった。まあ末期の0代はボロボロだったもんね、正直。塗装が剥がれ落ちたり、客室の仕切り扉が壊れて連結部に閉じ込められたり、いい思い出とは言え見ていて可哀想だったのは事実。

0代がもういないのが信じられない。最後に撮るのはこの1年と1か月後のM-111編成だが、定期運用があった時代から色々と思い出をもらったと思っているし、その思い出はどれも素敵なものだ。2000代と5000代に見慣れた今、無論彼らもかっこいいとは思っているんだけど、でも私にとってのE257系0代はやはりこの塗装この顔なんだなと改めて実感した。願わくはまた0代で酒盛りしたい(なお私が成人して2年もせずに0代は消滅しているので、実際に飲んだ回数は10回程度)ものの、5000代の付随車に乗って当時に想いを馳せるのも悪い話ではないと思う。千葉方面での5000代の臨時運用がなさそうなのが大変残念極まりないが、どこで乗ったっていいだろう。また乗れる日を楽しみにしたいと思う。