ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

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【平成28年奥羽線紀行】連休での弘前帰省を決行した高校2年生の思い出。583系・キハ48・津軽路を駆けるSLとE2系臨時はやて。

おはようございます。今回の青森帰省の帰りは過去画での…間違った。今回の過去画は平成28年9月の青森帰省のうち、帰り道での写真を中心に書いていきたいと思います。なお往路・滞在中の写真については既に記事にしているので割愛。と言いたいですが、せっかくなので貼っておきます。

 

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品川から乗った京急快特。品川までは総武快速横須賀線だったのかなあ。なんかそんな気がする。

 

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翌日に大鰐温泉でたまたま撮っていた583系わくわくドリーム号。中央弘前から大鰐まで弘南鉄道大鰐線を完乗していて、JR大鰐温泉に乗換えようって時になんか遠目に国鉄型っぽいライトが見えてあれー?ってなって、なんかマジでたまたま来たのがこちらだった。結果として私はこれ以降、583系を見ていない。秋田で実質的に保存されていると思っていいのだろうか。

 

ここから本題。大鰐線に関してはまた改めて記事にしたいと思う。

名残惜しいが弘前を離れる日の写真。初孫ということもあり祖父母はマジで可愛がってくれているのは昔も当時も今も変わらない。嬉しいことだ。私が帰ると決まって手料理を沢山これでもかというほどふるまってくれて、しかもそれが本当に美味しくて、多分弘前に帰る度に私は1キロずつ太っている。肉ナントカはじめあの人種が好き好んで食べている某デブラーメンの食べ過ぎで太ることはないとしても、私もそろそろ体系管理に気を付けたいと思う。

で、これは弘前2番線に停車中のキハ48形1504。残念ながらGV-E400系に置換えられたのちに、秋田総合車両センターで解体されてしまった。同僚のように小湊鉄道への譲渡や海外売却等にならなかったのは残念なことだ。

 

五能線といえばこの塗装のキハ40・キハ48だったのにな。未だにGVしかいないのが信じられない。実際令和6年の年始の帰省で乗った後述の青森行ローカルに関してはGVだったけど、でもなんかなあ。GVはGVで面白いけど、でもなんかキハ40とキハ48とちゃんとお別れができなかったのが悔やまれる。まあ小湊譲渡組なんて車ですぐの距離にいる訳だから、それだけでも撮っておけって思うけど。

 

でももう二度と岩木山バックで撮ることはできない。このサボを見ることもできない。願わくはこの時に戻りたい。

 

見慣れた弘前駅の風景って感じ。エンジンこそ換装しているが、でも五能線でキハに乗ってみたかったなあ。大学生の時、もう少し遊んでおけばよかったかも。アホなことをした。これはまあ高校生の時に撮っている訳だけど。

 

車内の写真。これは私が新青森まで乗っていくローカルの写真だ。令和6年3月改正時点での649Dで、これは平成28年春改正で津軽線ローカルにキハの秋田車が充当されるようになった関係で設定された列車。執筆日時点でも残っている列車だけど、津軽線蟹田以北が廃線になった場合はキハだろうがGVだろうがいらなくなる上に、奥羽本線の一部区間を架線レスで復旧するとのことで、このキハないしGVの津軽線運用もなくなる可能性が高い。

 

ダ・ダ・ダ・ダウンロード!当時もSuicaのペンギンの広告があったんだね。可愛いな、Suicaのペンギンでも多分当時の運用範囲だとSuicaは使えなかったような…。

 

これは五能線が全席指定になるフラグだったから設置されていた。そんな訳あるかいボケが。

 

キハ48の1540に乗っていたみたいだ。思えば五能線キハが青森まで乗り入れるのは元々快速深浦程度だったので、この時はできて半年程度の青森ローカルに五能線キハが充当されているのがとっても新鮮だった。今思えば乗れてよかったと思う。

 

育ちの悪い撮り鉄なので時折かぶりついていました。将来が心配だね!ウケる(笑)。当時は首都圏色の復刻も新鮮だったっけか。これは紛れもなく弘前を出た時に撮っている。

 

車窓から見た津軽富士こと岩木山。我が故郷の大切な山だ。雲を被っているのが残念だけど、でも岩木山は美しいと思う。いつか愛車で岩木山スカイラインを攻めたい。

千葉県佐倉市育ちだと、そういう心の拠り所みたいな山は地元にないし、車で気軽に行けるワインディングもないからなあ。この記事を公開する頃には弘前の雪も溶けているだろうし、愛車で弘前に行った話もできたらいいなあ。実際、千葉→弘前の距離で乗って疲れるような車ではない(が、ガソリン使用量と燃費に関しては都合が悪いので割愛)ので、普通に気が付いたら大鰐弘前インターでエンブレ効かせてニチャニチャしていそう。これ、警察マニアにはわからないだろうなあ。警察マニアの趣味嗜好と思考を否定はしないが、車好き名乗ってるのを見るとなんかもうね(笑)。ご冥福をお祈りいたします。

 

さて、この日は岩手を中心に走っていたC58形239号機が青森に来ていた。ちょうど乗車中のローカルとすれ違うので、警察マニアに言われた「育ちの悪さ」を活かしてかぶりついてそれを撮っていた。なおこの日のこのローカルの車掌さんからは、「SLとすれ違いますので是非ご覧ください」といった旨の素敵な放送があった。

それがこちら。撮っておいて損はなかったのだろう。元はと言えばSL銀河として岩手エリアで運転されていた機関車と客車だが、こうして青森まで来てくれたのは嬉しい事だった。今はそのSL銀河も運行されていないが、機関車も客車(純正の客車とは言っていない)もどうしているのだろうか。

 

川部にいたホキ。今のバラスト輸送はGV-E197に代替されてしまい、恐らくはこのホキも秋田でその役目を終えていることだろう。もう次に川部に行ったとき、ホキはいないんだろうなあ。工臨なんて大学生の時に少し撮ったぐらいでしかなかったけど、でももう少し撮っておいた方がよかったのかもなあ。新小岩操車場もだけど、当たり前だったホキが常駐していないのを見るとなんか寂しい気持ちになる。

 

再び岩木山津軽平野の田んぼ。日本の米は正直どこのも美味しいけど、個人的にはつがるロマンを推したい。マジで一番美味しいと思えるのがつがるロマン。でも品種改良なのか知らんけど、今は終売になってしまったのが悲しい。別につがるロマンじゃなくても青森の米は贔屓抜きに美味しいと思っているのでいいけど、でもなんかね。大学生以来ずっと一人暮らし(つっても千葉市民になってからは時折実家の居候もしています)しているけど、高くても青森の米を買ってしまう自分がいるのは事実。

 

そんなこんなで新青森に到着。当時はまだ新青森駅の青森方の喫煙所でタバコを吸っていなかったなあ。いや16ちゃいでタバコ吸ってたらだいぶやばいから(笑)。私も実際にタバコを初めて吸ったのは成人してからだった(親父の副流煙を吸わされていたのは中学生の時だったので、ある意味では未成年喫煙をしていたが)ので、まあそれが普通だと思うんだけどね。しかし中学の同期で未成年喫煙をしていたのは偏差値35未満の底辺高校に行った界隈だったので(笑)、あれはさもありなんと言った感じ。型落ちのセルシオとか型落ち過走行クラウンとかでイキってそう、いやもう死んでるのか。なーんだ。

 

その件についてはまたいつかいじり倒すとして、新青森からはE2系の臨時はやてで佐倉に戻るとしよう。

編成はJ15編成、既にE2系新青森入線の定期運用はなかった。そしてこれ以降、執筆日まで私は新青森発着のE2系に乗ることもできていなければE2系0代にも乗ることができていない。機器更新済なので耳が楽しいかどうかについては敢えて言及できないが、しかしそれでもE2系0代n乗れた上に一応の写真はあるだけいいのだろう。

 

懐かしいな、0代。大半の編成は機器更新をせずに廃車になるか、または機器更新したのに廃車になってしまったっけ。好きだったなあ。いや今も好きだけどさ。

 

八戸の駅名表。これを見ると、上りホームの駅メロのSee You Againが脳内に流れる。もう八戸を出てしまったら、次の停車駅が二戸だろうがいわて沼宮内だろうが盛岡だろうが、青森県ではないから。

風と共にもだけど、青森エリアの新幹線の駅メロが好き。たまにしか帰れない故郷の大切な駅メロだから。ああ、駅メロヤクザの知識マウンティングはいらないから帰れ(笑)。マジで(笑)。内心見下している対象が私なんだろうけど、でもまあ故郷の大切な思い出にまで介入されたら困るわ。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁぁ!!!!!あの発言、特大ブーメランになっていて草(笑)

 

そんなE2系から見る青森の山…だけど、この時は半分1000代な7号車ないし8号車だったんだ(笑)。でもこの柄の席が好き。E2系に乗りたい。E2系の車内で酒を飲みながら記事を書きたい。

 

そんなこんなであっという間に臨時はやては上野に到着。これ以来、私はE2系0代に乗ることも、E2系のはやてに乗ることもなかった。まさかこの時が最後になるなんて思いもしなかった。まさかアイドルになる女ヲタと普通に現場で会っていたなんてな…うわキモ!でも、正直この時が最後だなんて思わなかった。

ありがとう、何度もお世話になったE2系0代、これ以降乗れることもなかった。これが最後になるなんて当時は思わなかった。機器更新されていたとはいえ、しかしはやてと言えば0代だったまである(かもしれない)。

ちゃんとお別れできなかったけれど、でも思えば八戸開業の前後にやっと物心のついた私としては、本当に長い事お世話になったものだと思う。ありがとうございました、その一言に尽きる。

 

 

当時は臨時運用を中心に就いていたE2系0代N編成。そういえば生き残った編成にはこんなロゴが追加されていたっけ。でも結局これから1年半程度で全車廃車になっちゃったっけ。なんかなあ。この頃に戻って電車を撮れたらどんなにいいことか。あの頃は飲めなかったアルコール片手持って~。脳内BGM:海とレモンティー/=LOVE

 

 

最後に京成上野でのAE形。時刻的にまだイブニングライナーまでは2時間程度あったので、無論これには乗っていない。普通に特急ないし快速特急で帰ったことだろう。

 

思えば突発で決まった私と妹だけの弘前帰省だったが、祖父母がとっても喜んでくれたのがとても嬉しかったのは今でも鮮明に覚えている。母方の実家である弘前の祖父母にとって初孫である私を当時16ちゃい、今は25ちゃいの私を昔からずっと可愛がってくれている祖父母や親戚には頭が上がらない。この記事を公開するまでにはまた祖父母に会えることを心から楽しみにしたい。

 

撮影・乗車 平成28年9月の連休だったかも

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