おはようございます。本日の更新は過去画での更新です。平成28年8月、上野で新幹線を撮っていました。その時の話です。
まずは今でも大好きなE4系Maxからスタート。下手したら引退から4年経っているのかもな、この記事が世に出るとき。4年と言われるとレンタカーの入替え時期なので、つまりMax引退時に新車だったレンタカーも次の人(車?)生に向けて売却されていることになる。会社によりけりなので一概には言えないが。もっとも、1年落ちのランドクルーザープラドをほぼ新車価格で売り飛ばして転売しているようなレンタカー会社も世の中にはあるんだけどね。今回は車の話ではないので、その話はまたいつか。

P11編成のMaxとき、またはMaxたにがわからスタート。P11編成は平成25年(2013年)2月に家族でガーラ湯沢にスキーをしに行ったときに往路で乗っていた編成。もっと前に乗っている可能性も無論ある(1ちゃいの私さんが人生で初めて乗った新幹線もE4系Maxだからね)。この編成はE4系Maxのラストランまで残っていた編成で、ラストラン当日には新潟発最終のMaxとき348号(P14編成)で発車を待っていた際に臨時回送として隣に入線して来たのが最後に見たときだった。街路樹色づく時だった。あ、元ネタは=LOVEの探せダイヤモンドリリーです。書類上廃車になったのが私の誕生日だったのも切なかった。ダイヤモンドリリーに関してはエンディング曲ということで末尾に紹介させていただきます。

思えば当時はもう最後まで山吹だったP14編成もいなかったんだっけ。いやP14編成自体は新塗装になってラストランまで活躍していたけどさ。山吹のロゴが懐かしいけど、このロゴも懐かしい。上越新幹線専属になったからこそのロゴだったと思う。マルチアメニティエクスプレス、その略称として採った通称がMaxだった訳だけど、その名に恥じない活躍ぶりだったと思っている。
今後は新規写真で記事を書けないのは残念だけど、これからも過去画でMaxについては書いていく。大切な車両だから。これ、引退前だけ最高キッズやパンハンドラーにはわからんべなあ(笑)

続いては編成UZのはやこまです。はやこまって言ったら「はやて」+こまちなんだけどね。E6系もかっこいいよなあ。JAPAN REDなんてコンセプトで華々しくデビューしたのも昨日のことのように思える。一度でいいから乗ってみたい反面、しかし2+2の座席配置(それ自体はミニ新幹線規格なので仕方がない)なので、3列席でトナラー回避も難しいのが難点。コロナ禍にZ単で東京→仙台のはやぶさ15号だっけ?を運転していたのは素直に頭おかしいと思った。いや、撮る分にはいいんだよ。だけど乗客目線でって話よ。もう令和3年の時点では普通に混む日は混んでたから(笑)。
私がなんでこんなにトナラーを嫌がるか、それは鉄道利用客の8割がバカだとわかっているからだ。駅員バイト(エキセンで社員気取り)がTwitterのbioに猿の相手をする仕事なんて書いていたこともあったけど、アレは猿への侮辱。動物愛護団体に怒られてしまえばいいと思います。

この記事を書いた時は公開されていなかったので急遽追加したのだけど、Netflixで独占配信された映画「新幹線大爆破」っぽくしてみた。ネタバレにならない程度で書くと、実際に作中で3027Bは登場する列車。もちろんE5系とE6系での運転。私は別に関係者でも何でもないが、普通に面白かったのでまだご覧になっていない方は是非ともご覧になってみてほしい。

方向幕LED。もうこれを見るだけで弘前に帰りたくなる。思えばすっかり新青森への新幹線といえばE5系になってしまった。もう一度だけでいいからE2系で青森に帰省したい一方で、しかしE5系自体も私は好きなので、まあなんか複雑だ。

それでは、新青森と秋田までどうぞお気をつけて。新幹線車両は高速走行と走行距離に鑑みても汚れやすいはずなので、人生で一度でいいから高圧洗浄機で洗ってみたい。拭き上げまでちゃんとやりますから。当時は考えられなかったJRさん公式撮影会もいいけれど、洗車体験イベントなんてのもあったらそれはそれで楽しいかも。※このブログの中の人は洗車しないと死んでしまう病気であり、また洗車をスポーツと勘違いしています。なお運動量は多めです。

続いてはまたまたMax。ここ最近は基本的に20番線を使うのは東北新幹線方面の列車ばかりなので、今思えばここでこうして撮ることができたのは幸運だったのだろう。飽きもせずに廃車回送とラストラン程度の写真で自慢してくる薄っぺらい人間(ちゃんと撮ってなかったツケ小僧)に言わせりゃ写真の質が低いから悔しくないもん!って感じかね(笑)。いいよな~パパとママの金で中学生の時から一眼レフなんてぶん回しちゃって。

もういないんだな。この時も乗れていたらどんなによかったことか。ラストランだけ撮りにきて昔の思い出を自慢する癖に私の話は聞かないような奴とか、ラストランと廃車回送だけ撮ってマウンティングしてくるような奴(イキリ流しマウンティング小僧・ちゃんと撮ってなかったツケ小僧)とか、あの手の連中にバカにされそうで嫌だなあ。

新幹線大爆破にはやはり登場しないので適当にぶち込んでやるぜ!救出号の9014BにE4系が充当されていたらどうなっていたんだろうと思いつつ、冷静に考えたら同じE5系を使った方が確実に間違いないか。

ようつべでE4系Maxやまびこのデビュー初日の放送を聞いていたら涙がで、出そうですよ…。そうか、まあ執筆日の時点で追っているE217系のそういうのもだけど、新車だった時の写真や放送なんかを見ているとエモくなる。
先述の放送がこちらの動画だ。「本日デビューとなります、新型Max号です」の放送がエモすぎる。いちばん辛かった中学生の時、時折見に行っては写真を撮って気合いを入れていた。高校生の時、こうしてたまーに撮りに行っていた。大学生の時は鬱だから不法行為以外は何してもいいという謎論理で日帰り新潟旅行に行ったり、合宿免許で乗ったり撮ったり、何なら高速教習中に追い抜かれたり、そしてラストランに立ち会えたり。Maxが2度も延命された理由については喜べたものではない。でも結果としてあの時までいてくれたからこそ最後まで終えたのだろう。当初の報道ではこの写真を撮った年で全車引退のはずだった訳だし。何はともあれ大学生になってからの写真については大学生時代の過去画として振返っていくつもりなので、これからも時折Maxの記事を書いていこうと思う。同時にもう少し今の新幹線も撮らないとまずいんですけどね(困惑)
いや~これ、ちゃんと撮ってなかったツケ小僧もそうだけど、185系の時みたいに案の定沸いて来た引退前だけ最高キッズなんかがニワカのミーハーのくせに玄人を気取って引退前だけ最高だなんだって撮りに来ていたのを思い出すと笑えてくるね(笑)

なんていいつつ、実はこの時に撮っていたE2系0代の方が先に消えているという。もう誰も信じられなくなる。いや仕方のない事なんだけどね。J8編成・J11編成・J13編成は機器更新をしなかったので、全国1,919億人のファンを抱える美しい日立製GTOを奏でたまま廃車になった。いやまあJ2編成みたいに初期に廃車になった編成もいたけどさ。

H5系のはやぶさが登場。確かH2編成だった。そうか、JR北海道初の新幹線(つってもまあE5系のOEMみたいなところはあるが)なH5系も、多分この記事が出た時点で10年落ちになっていることだろう。マジか、信じられないな。

あさまと思われるW7系W3編成。ここでE7系ないしW7系を撮れていたのが今となっては新鮮だ。あさまのW7系は代走かと思いつつ、でも多分当時から定期で数本はあったのだろう。W7系はこの記事を原文を書いた2か月後にあさま632号(代走)で乗ったほか、多分その前にも何回か乗っているはず。

J75編成のやまびこ号またはなすの号と思われる。とき号かもしれないしたにがわ号かもしれない。めっちゃ高圧洗浄機で洗いたい顔をしているというのはさておき、この編成を語るには外せないエピソードがある。前にも書いているんだけどさ。
執筆日の翌日(公開日ではない)は東北新幹線全線開通から14年となる。青森県民(の大半)にとっては悲願だったことだ。無論新幹線延伸には光と闇があり、今回はその闇には触れないが、しかし少なくとも私は嬉しかった。実際は1時間にも満たない所要時間短縮とはいえ、精神的にはこんなに近くなったのだと感動すらした。

で、そんな平成22年12月4日の新青森からの一番列車はこのJ75編成が担当だった。当時E5系はデビューしておらず、一説ではE5系だと間に合わないからと急遽E2系1000代後期車にあたるJ70代の編成が増備されたとも言われている(し、なんかE5系より地味に内装が豪華かも)が、新青森開業当時ではJ75編成がJR東日本の新幹線で営業運転に就いている最新の編成だった。そんなJ75編成は新青森からの1番列車「はやて10号」に充当され、また当時「新青森~東京が3時間20分」というキャッチコピーを唯一体現していた新青森の始発はやてに充当されていた。これは青森生まれとしてこれ以上に嬉しいこともなく、JR東日本さんも粋なことをしてくれるなあと感動した。

そんなJ75伝説(伝説?)に感動する前から走っているJ11編成がたにがわ405号として入線してきた。この編成は先述の通り、最後まで日立GTOで残っていた編成だ。結局E2系0代のJ編成は機器更新の有無にかかわらず引退していったので、まあ機器更新の意味があったのかどうか自体は不明。しかし、きっとこの編成にもどこかで帰省等でお世話になっていたことだろう。あの美しい日立GTOの音色は今でも耳に焼き付いている。もう一回でいいから乗りたかった。

たにがわ号なので越後湯沢行。そうか、今思ったけどもう東の新幹線で3色LEDも見られないのか。それは別にいいけど、でももう一度だけでいいからE2系の日立GTOを生で聞きたい。

それでは越後湯沢までどうぞご安全に。この頃でもいいから、昔に戻って電車を撮りたい。もしこの頃に今みたいなオッサンで、免許もあって、したらE2系なんてそれはもう撮りに撮りに撮りまくっていたことだろう。電車+レンタカーで行って、どさくさに紛れて帰りに乗っていたとも思う。E2系0代の座席によって違う座席の色とか、それ以外も含めた内装とか、ほんと好きだった。いや今も好きだけどさ。なお0代に乗るにあたっては圧倒的に7号車・8号車(内装は1000代と同等)が当たることが多かった。それもそれで面白かったけど。

そして19番線にもE2系0代。先ほどのJ11編成に続いてこちらも最後まで日立GTOを搭載していた編成。2連続で日立GTOが、しかも地下駅の上野で響いていた。なんて贅沢な時代だったことだろうか。いやまあ既に日立GTOの編成は3編成しかいなかったけどさ。

ケツうちしていたH5系。運用は決まっているので余程のことがなければ狙って乗れるが、このH2編成が地震での脱線事故で事故廃車になった関係でE5系での代走もありえる。この時はまさかそんなことになるなんて思いもしなかった。当時併結していたZ9編成もだけど、10年も経たずに廃車になるのはもったいないし、実際まだ減価償却も済んでいない車の廃車なので経営上もアレだろう。しかし当時は名古屋に住んでいた私の自宅でも揺れを感じたので、現地での揺れは相当なものがあったかと思う。
なおZ9編成の一部車両は利府の幹総で、H2編成の一部は函館新幹線総合車両所でH296として、それぞれ第二の人生を送っている。電車は人間ではないので、人生という書き方が正しいかどうかは知らん。

まだまだ撮影は続く。今度はR22編成のやまびこ215号。E3系0代が増結用車としてのみ扱われるようになってからはこのR22編成とR21編成のみが使用されていた。E3系0代のうち後期に製造されたR18編成以降の中では、こまちロゴこそ剥がされたものの、最後までこの姿で本線にいた。皆さんもご存じの通りR18編成は「とれいゆつばさ」、R19編成は黒塗りの高級車とも言われた「現美新幹線」、R23~26編成は組換えを経て1000代L54編成とL55編成に編入され、R20編成は長らく幹総で放置された後に解体。L54・L55編成は令和6年改正のE8系導入で真っ先に運用を離脱して廃車解体されているので、R編成だった車両26編成はもういない。

Maxと違って華やかに見送られることもなく、コロナ禍での減車の後に結局引退してしまったのが残念。逆にそれもあって、未だにお別れの実感がない。改造された編成、幹総で朽ちていった編成、ひっそりと姿を消した編成、どれが幸せだったのだろう。

何もなく走り去る背中を~ただここで見送る~。電車に背中ってねえだろ(困惑)。
盛岡での連結は上りはやて・はやぶさ乗車時のお約束なので今でも見に行くが、でも編成URや編成UZより、やっぱり編成JRでこそなんだよなあと思ってしまう。
何もなく~は=LOVEの10枚目シングルに収録されている「BPM170の君へ」の歌詞からの引用で、センターは私の推しの1人である瀧脇笙古さん。陸上畑で育ってきた私にもイコラブオタクの私にも色々と刺さる名曲なので、是非皆さんもご覧になってみてくださいね。なお、私が進学することになるFランゴミ国公立大学さんにあってはFラン特有のサークル・部活の少なさ故、陸上系の部活もサークルも一切なかった模様である。ち~ん(笑)

まだ塗装が変わる前だったE3系2000代L62編成。この編成も既に引退して解体されていることが俄かに信じられない。そこまでの経年車でもなくね?と思いつつ、しかし400系引退からもかなりの時間が経つことに鑑みたら妥当なのかもしれない。なんかもったいないとは思ってしまうけど。ついにフルカラーLEDかつコンセントがある世代の車両が廃車なんだもん。

という訳で、もう現存しない車両同士が上野で離合していたよって写真。E3系2000代が引退するともう本線上でE3系に乗ることもできなくなると思うと、1つの時代が終わるのだなあと思ってしまう。葬式鉄みたいなことはしたくないが、しかし私はつばさといえばE3系(まあ、1000代だけど)なので、山形に行く口実を作りたいなあと思う。3ちゃいの頃に親が買ってくれたプラレール、当時の主力だった400系ではなくてE3系1000代だったんですよ。

最後の〆はやはりMaxで。いやたまたま来たから撮れたんだけどね。今は割と東北方向と上越・北陸方向で厳格にホームを分けている印象(ただし下りのみ)だけど、当時はそうでもなかった気がする。その気になれば上野では交互発着ができるし、大宮では同時発車もできる(E2系の臨時はやてに乗った際に大宮でE7系と同時発車で並走したことがあります。あっちの方が加速良かった)訳だけど、やはり東京駅2面4線でのあの折返しはこれ以上詰められないだろうから交互発着はよほどのことがないと無理だろう。
そういう意味でも上野発着列車にはポテンシャルもあるとは思いつつ、確か令和3年にここで撮っていた時にそんなのもあったような。合宿免許の帰りだった。新幹線のダイヤや停車駅の考察も好きなので、今度時間がある時にやってみようかなあ。※時間があるとは言ってない
せっかくなので地平ホームにも少しだけ顔を出していこう。

651系1000代「スワローあかぎ」が発車を待っていた。コンセントもWi-Fiもないけど座席の柔らかさも各部の接客設備(個人的には御手洗)もとても快適だったのを思い出す。いや草津しか1000代は乗ったことないけどね。このスワローあかぎこそ、今の首都圏のJR特急の全席指定化のパイオニア。まあ結局愛称はもうない訳だけど、個人的には全席指定になれば指定席が値下げしてくれるし、それこそチケットレス特急券+Suicaでスイスイできるし、とてもありがたいサービスだと思っている。
そうそう、651系1000代が元祖スワローサービスな訳だけど、日暮里まで並走する常磐線特急のE657系も全席指定化の対応工事のために651系0代の運用を復活させていたこともあったね。そんな時代も~あったねと~
日暮里からは当時の最寄りであったうすいを目指す。たまにはイブニングライナーに乗ってしまいましょう。

日暮里のホーム案内にある「スカイライナー」「イブニングライナー」のフォントが懐かしい。AE100時代からのものだからね。京成には「ガキがいっちょ前にライナー乗ってて草」なんて抜かす乗務員がいなくて精神衛生上楽だわ~。いや裏でドブネズミみたいにコソコソ言ってるのは構わないけど、私一度平成30年にJRでそれやられましてね(笑)。スクショしてJRのコンプラ窓口にタレこんでやればよかったわ。ねえ、平成30年12月24日に千葉から4053Mを運転していた運転士さん。このブログでこうして名指しで書くようになってからTwitterのアカウント消して逃げてんじゃねえよ(笑)

編成はわからないが、当時まだホームドアがなかった日暮里で撮影。年々スカイライナーが増発されているのは皆さんもご存じの通りだけど、この時も既に上野18時20分発のが設定されていたんだね。まあ当時の料金体系だと、スカイライナーよりイブニングライナーで成田空港に行く方が安価だったんだけど。今はそもそも成田空港行のイブニングライナー自体が少なく、またイブニングライナーも料金体系を改訂しているので、そこまでの差額にはならないけど。実際当時は空港利用客が多くて、本線民からしたら目の上のたんこぶでしかなかった。

イブニングライナー、意地でも500円以上に値上げしないところに京成のプライドを感じていたんだけどなあ。まあ事情があってのことだろうから仕方ない。京成はガキがいっちょまえにライナー乗ってて草、なんて暴言をわざわざ私のツイッターに吐きに来るようなクソ乗務員がいなくて助かるわ~(笑)。もうそっとしておこうよ(笑)。それが普通なんだよなあ。まあ未だに何度も応援ハイビームをやってくれるようなのもいるとはいえ。明日の休みはまた京成でも撮りに行きたいなあ。
冒頭で触れた探せダイヤモンドリリーのリンクも貼っておきますね。もう6年も前の曲というのが信じられない。切ない曲なのに曲調はイケイケだしオタクはガチ恋口上を移しカオスだが、私がイコラブちゃんに沼ったきっかけの大切な曲である。まあ平成28年はまだイコラブちゃんって結成されていなかったんだけどね。
この曲をエンディングテーマに選んだ理由は私の推しの1人である山本杏奈さんがMCを務めていた「=LOVE 山本杏奈の真夜中Labo」のお別れの際に流れていた印象が強いから。それだけ。いや、ヲタクくんさぁ…。
(ラジオ風に)千葉県千葉市よりお送りしてきた本日の記事も、お別れの時間がやってまいりました。…その先の挨拶が思い浮かばない。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁ!
撮影 多分平成28年8月23日
執筆 令和6年12月3日 翌年6月に加筆修正