月初から何回も擦ってきた京急撮影記(2時間居座ったというだけ)も今回を以てようやく最終回になりそうだ。長かった。いやそれはお前がのれそれ語りすぎてるからだろうがよ。どうしても好きなことになると語りすぎてしまうあたりオタクなんだろうなあと思ってしまう。いやオタクです。それが原因で中学3年間は酷いいじめに遭いましたし、高校生の時も同級生には恵まれたものの下のクラスの底辺(例:エスカレーターで系列校の大学に進学したのに中退して歌舞伎町でホストの客引き)あたりには何かと妬まれて嫌がらせされたけどね。まあいいじゃんそういうの。
生き方の優劣はさておき、なんだかんだで人生を楽しんでいる俺の勝ちだと思っているし。それでは18日に投稿した記事からピックアップしたい写真も交えつつ、一連の京急撮影記の最終回となる記事を書いていきたいと思う。

やはりこの編成は外せない。私が中学生でいじめられっ子で病み散らかしていた頃に時折気分転換で京急に遊びに行くこともあったが、その頃に一番遭遇していたのが2133編成だった。なお平成11年製の私が中坊だった頃の2133編成は京急ブルースカイトレインではなかった上に2100形最後の歌う電車だったが、逆に最後の1本となっていた8E(2100形8両)にあそこまで遭遇していたのはある意味強運だったのかと思わないこともない。

2133編成は第5弾の記事でも取り上げたので今回はその辺にしておこう。また京急線内で会えた時に新しい写真で沢山思い出話をできればいいだろう。次に会えた時何を話そうかなってことだ*1。してこちらは1049編成の回送。回送とは書いたが、私が文庫で普通車を降りた際には品川方の留置線でおねんね(通電はしていた)状態だった編成。

一時期は1049編成が2000形代替で金沢検車区に転属したと思われる関係で、なかなか他社局線直通運用に就かなかった印象。そうなったのがある程度ちゃんと電車を撮るようになってからだったが、いつの間にかそれもなくなっていた。何なら前回撮ったのは京成本線内での快速だったしね。今って所属毎で運用は決まっているのだろうか。その辺も仕事の合間で研究していきたい。なお運番で23が表示されていることも8Vとしては珍しく思えるが(8V=1000形8両を指す)、どういった理由であるかについてはニワカなりに書いておきたい。はっきりと言おう、わからない。だって京急線内でも他社局線内でも8Vの23単体表示なんてあるわけねえもん。

よりのよって次の普通車の運番も23…ああもうめちゃくちゃだよ~!運番23の響きだけで高校生の時の私の通学電(うすい始発の朝の各駅停車)を連想するという話は今回は割愛。それ書いてたら記事終わらなくなるし、何なら過去画記事で書いてるだろうし。1000形のステンレス車(銀千・貼り千・塗り千)は全て好きだけど、自称4直オタクの私ですらまだまだ勉強不足のことは多々あるので京成記事で京成車を語る時みたいにのれそれ書けないのが残念。世間ではこういうのを自業自得という。

差分でもういっちょ行ってみませう。1000形のうち1600番台でも車体塗装がラッピングか全塗装かという違いがあることは今回はさておいて、1600番台は新車みたいな固定概念はある。ということで1625編成の竣工時期を検索!結果平成30年でした。当時19ちゃいになる前だったのでまだまだ新しい車両じゃん!と思いつつ、今の私の年齢を思い出すともうね。まあいいじゃんそういうの。何歳になっても私は撮れる時に好きなものを撮っていきたい。それでこうしていつまでも変わらずに記事を書いていきたい。

ケツうちだけど2165編成の泉岳寺行快特。この編成が2100形10編成の中で最初に機器更新対象になったというのはおそらく一連のGW京急キャンペーンで書いていると思うので、その話は今回は割愛いたします。して何を書こうとしたんだっけ。ああ思い出した。土休日は平日に比べると2100形がA快特として運用される時間が長いんだった。ちなみにA快特というのは京急線内で完結する(メインは泉岳寺・品川~久里浜または三崎口)快特のこと。京急線内の快特の中で京急車が充当される電車のうち、都営線からのものは運番末尾がSHとなる(通称SH快特)。

文庫行の1465編成…だけどなんか同じような写真を第4代あたりで掲載させていただいた気がする。サーセン。個人的には銀千は銀千ならではの良さがある上に京急の伝統を最低限受け継いでいると思っている。逆に叩く理由を知りたいぐらいだ。こんなことは外様だから言えることなんだろう。なお管理人の私個人として唯一銀千の欠点を挙げるならば、重箱の隅をつついて強いて言うなら運番LEDの弱さだが、もうそれは仕方がない。LEDイキリブン流し小僧なんてどうでもいいし。

元1613編成の1569編成が入換ちう。現在京急において置換え対象となっているのが1500形だなんて未だに信じられない。大師線で1500形4両がいないなんて、そんなことあるか!あるんだなこれが。ただ京急車として最後まで110km/h制限だった1500形鋼製車が現存しない以上、急行や特急でも120km/h運転可能なダイヤにしてもいいのではないか?と思わないこともない。ただしこれはあくまでも外様の私だからこそ言えることであり、内部情報を教えてくれる「俺のダチ」がいないただのオタクでないとそんなことは書けない事情もあるのだろう。ダチって言い方(笑)

特急三崎口行の1129編成。京急車8両のうち600形8編成と1000形1121編成~1169編成は、それ以外の車両がSR無線の恩恵として停車駅予報装置の有無で京成線の本線高砂以東とアクセス線への入線が基本的にはできなかった頃(私が時折高校生の時の過去画記事で回顧している10年近く前の話)から同区間に来ていたので謎の馴染みがある。今ではその代走なんてのもなくなってしまったのが京成鉄目線では少し寂しいが、でもそれはそれでまた一興だ。

一応引きでもう1枚、でも影は駄目みたいですね…。京急の車両の記事で書くことではないが、京成線内での写真が多そうな車両を京急線内で撮ったのが新鮮だ。いやだからこの電車京急さんの持ち物なんだけど、しっかりして。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁあああ!「俺のダチ」がいないからこそのボケだ。

1649編成の普通車。恐らくは一連のどこかで浦賀行として撮っていることかと思うが、まあいいじゃんそういうの。この電が好きだから。風色の季節をありがとう。京急さんは10年前と今ではネット民の電車オタクからの評価に差異があることだろうし、私も亡き祖父がン十年前に京急の仲間たち~だった後に身体を壊して退職しているので京急全肯定という訳でもないけれど、でもなんだかんだで好き。車両が好きだからこうして撮りに来ているのも事実だけど、それ以外にも好きな所は沢山ある。一つだけ京急さんを否定するとしたら、いや京急好きだし悪く書くつもりなんて微塵もないが、京急さんの社歌「人間が好きだから」は好きだが、私は人間なんて嫌いです。

初っ端で撮った編成が帰ってきちゃったよ…。ル・シエル乗ってみたいなあ。まあウィングでもない限りはロングだろうけど、まあ多少はね。500枚近い原版からこうして厳選した写真で記事を書いていてここまでの本数の記事になるとは思わなかったが、まあでも京急が好きだからこそ、ということにしておこう。赤い電車に乗って僕はどこかに行ってしまいたい。※どこか(とりあえず三崎まぐろ食べたい)。

差分その1。ル・シエルのエア急って実現していたとしても僅かな時期だったんだろうなあ。というか今になって気が付いたけど、なんかエア急(現:急行)のうち南エア急とも呼ばれていた横浜方面の急行ってもう少し本数なかったっけ。なんか10分間隔だった気がするけど、どっかのダイヤ改正で減便でもしたのだろうか。なお羽田空港からは品川方面の電車と横浜方面の電車が存在するが、駅員さん車掌さんの案内をロクに聞けないバカが平均で1日72,364人ほど乗り間違えているという(適当)。

もう少し日が長い時期にまた遊びに来たいと思う。なおこの急行は羽田空港発なので、途中の羽田空港国際線ターミナル(ターミナルさん?!)から乗ってきた外国人、特に中国人やクルド人が車内でうんちをブリッとしている可能性がある。せっかくの新車が可哀想。そういうのを宝として大切にしているのが今の政府だ。何が観光立国だ。バカか(笑)。日本がどうやって戦後に経済成長してきたのかなんて下手すりゃ小学校の社会科で習うことだろうが。

八景を目指して歩いていこう。帰りの時間もあるので名残惜しいがこれて撮影は終了。まさか6回に分けて書くことになるとは思わなかったが、このように検車区近くの撮影地だったので記録は一気に進められたかと思うし大満足だ。奥にいる1667編成は1600番台最後の編成で、この次の1000形6両は新1501編成(1000形22次車)となっている。

手前にいるのはいずれかの記事で入換の様子を取り上げた1801編成が品川方に連結された1000形8両。1800番台が登場した際はTwitterでもかなり話題になったのを覚えている。もう京成線内で撮る機会がないのであればそれはそれで残念極まりない。部活優先だったし間違っても高校をサボってまで電車を撮ろうとは思わなかったので快速運用を逃がしてしまった。なお大学生になってからはコロナ禍となった令和2年度(大学3年生)以降を中心にオンライン授業をサボって電車を撮ったり買い物に行ったり当時の彼女と電話したりしていた。大半の授業は意味なかったし、まぁ多少はね?

金沢検車区には平成24年の脱線事故で廃車となった1500形の1701編成のうち品川方で軽微な被害で済んだデハ1706が訓練車として残されている。脱線復旧訓練用とのこと。結果として1500形としては最後まで残る車両になるのだろう。あの事故においては、日本で一番クリーンで市民に寄り添った警察活動を行うと国民から大人気の神奈川県警が当該列車の運転士さんに対して業務上過失傷害の容疑で事情聴取を行ったという。運転士さんが特発を視認してすぐ非常ブレーキをかけたところで電車はすぐに止まることができないということを警察学校では教わらないもんね、うんうんそうだよねー。ウケる(笑)。もっとも特発の視認性等に関しては課題があった可能性もあるので、私もあんまり突っ込んだことは書けないが。

ちなみに普通に飲みながら撮ってました。アサヒスーパードラーイ。久しぶりにビールなんて飲みましたよ、ええ。暑かったし軽く汗ばむ陽気だったしまあ多少はね?
楽しい時間はあっという間で、家に帰る時間が近づいて来た。前にも書いたが日没前に帰るとカーテンコールの途中で帰るようでなんかこうちょっともったいない気持ちになる。

一連の記事で何回もご登場の1457編成による普通車で未乗だった逗子線に乗っていく。1番線の浦賀行と同時発車だった。全国的にそこまで珍しくはないのかもしれないが、やはり京急だとアクロバティックさに磨きがかかってwktkしてしまう。なおその浦賀行が快特の待避を行っている際に逗子・葉山行だと思って乗り込んだ挙句、LCDの乗換案内で「逗子線」と出ていたところでようやく過ちに気が付いたのが私だ。バカって書くだけでこの字数だよ。
上り線が三線軌条になっているのは、ご存じの方も多いかとは思うが、J-TREC(総合車両製作所)横浜事業所で製造された車両を神武寺まで回送することがあるため。最近であれば私が大学生時代にお世話になり、E257系の話題と共にこのブログが成長するようになったきっかけでもあるE353系なんかも横浜事業所で製造されてここを通ったかと思うとエモいなんてレベルではない。

行先が変わる前だったが無事に終着の逗子・葉山に到着。到着前に井土ヶ谷で人身事故の報を知る。そのためかすれ違った急行がそういえば金沢八景行になっていたし、この普通車も折返しが八景行になっていた(所定は文庫行)。また撮りに来られる日を楽しみにしている。京急の電車が好きだから。

これを以て長かった京急撮影も本当に終了だ。千葉市民としてはその気になれば休みの日に手軽に行ける距離なのでそこまで遠くのアレではないが、でも今まで来たことのない撮影地で普段は撮ることのできない車両の写真を増やすことができたのはよかったと思うし純粋に楽しかった。趣味と遊びとブログと仕事は全力でやらないとってはっきりわかんだね。それでは京急編は一旦終了となります。エンディングテーマは京浜急行電鉄社歌「人間が好きだから」でお願いいたします。あの曲好きなんだよな。いやぁ、ないとは思うけど、これらの記事を動画にできるならエンディングは絶対にあの曲にする。各回のお別れ曲は=LOVE5枚目シングル表題曲の「探せダイヤモンドリリー」がいいけど、今回は京急回だったからね。
なお探せダイヤモンドリリーを選曲した理由については、我が推しである=LOVEリーダーの山本杏奈(以下あんにゃ)さんがMCを務めていたラジオ番組「=LOVE 山本杏奈の真夜中Labo(通称マヨラボ)」のエンディングがそれだったから。あんにゃのラジオ番組はまたいつか聞けたらそれ以上のことはない。ちなみに私はブログを初めて9年、自分用のPCを購入して7年が経つが、タイピング能力が向上したのはマヨラボの実況を始めてからのことだった。ブログではないというね(笑)。そのことに関してはあんにゃとのお話会(本年3月幕張メッセで開催)でお伝えしたが、ウケ狙いだったのにかっこいいって褒めてもらえて思わずデュフってしまったキモータが私である。でも大丈夫、「優しくないのに優しいって言われて困る…チラッ(誰か優しいって言ってくれないかな)」みたいな勘違いは私はしていない。推しを信じていないなんてことは断じてないが。

旧駅名も表記されているんだね。京急では数年前に現逗子・葉山駅をはじめ数駅で駅名変更があったが、はっきり言おう、未だに私の脳は駅名変更に対応しきれていない。未だに羽田空港国内線ターミナル・同国際線ターミナルだと思ってるし。ターミナルさんではない。駅前のウエルシアで酒(帰宅してからのものも含む)を買い込んでJRの逗子駅に歩く。

逗子は中学2年生の時に家族旅行で訪れたことがあったのが懐かしいが、こんな感じだったなあ。いじめで人格を歪められる3年間の後半戦が始まろうとしていた頃で、E217系に佐倉から家族で乗ったのを覚えている。その次に逗子に来た時にE217系がいないなんて思いもしなかった。まあこの日に藤沢→大船の車内からY-102編成はチラッと見かけたけど。その旅行の2日目は鎌倉に行ったんだけど、元日だったとはいえ、今みたいに公害と化したインバウンドで混んでいなくてとても快適だった。誰だよ観光立国なんて進めた売国奴は。

久里浜からの君津行が到着。逗子で後ろに4両連結すると放送が入っているにも関わらず、11両と勘違いして基本編成に駆け込むマヌケでハッピーな乗客を横目に私は逗子始発の付属編成の連結を待つ。観光客と思しき集団が「すげー!連結だって!」「増えるじゃんカッケー!」と平成のギャルみたいに騒いでいたのもゴールデンウィークらしくて微笑ましかった。うんうん、そうだねー新鮮だったねー。いちいちそういうこと書くあたり私も本当に性格が悪い。

逗子の引上げ線からJ-37編成が入線。数度停止した後に連結して、それまでF-03編成に乗務されていた車掌さんが乗り込んで開扉扱いをされてから乗れる感じだ。君津行なので千葉まで乗り通してそのまま帰ってもいいのだけど、だったら文庫から京急の快特・都営線・京成線経由で帰宅した方が楽だっただろう。それに今回も一応家族旅行であり大船で家族と合流することになっていたので、一旦大船で下車。コインロッカーに突放していたスーツケースを回収して大船19時10分発の最終特急成田エクスプレス53号(横浜編成)に乗っていく。

大船場面ではガラガラのガラリンコ。素晴らしい。この時は東京から満席となり地獄を見ることになるなんてことをまだ知る由もなかった。なお座る席を間違えて車掌さんのお手を煩わせてしまうというバカっぷりを披露。散々電車移動に不慣れなバカ客を記事でおもちゃにしておいてそれかぁ…。車掌さんには改めてお詫び申し上げます。

大船発の成田エクスプレスのうち一部が停車する千葉・四街道・佐倉・成田も全て停車する。まあこの時間帯に成田空港に向かう層ってそこまでいないし、実質的に先の4駅のユーザーのための帰宅用列車みたいな性格だものね。成田空港・空港第2ビルを含まない区間では令和6年春改正以降、料金体系が変更された関係で実質的に値下げになったしね。値下げは嬉しいが、しかしその分バカも増える。中央線グリーン車が無料お試し期間の民度が終わっていたのがいい例だ。

途中の戸塚では東海道線の特急踊り子号にぶち抜かれるというスぺイベも発生し、横浜では追いつくことができた。当初えきねっとで大船→千葉の特急券を検索したところ、品川まではこの踊り子66号、品川から成田エクスプレス53号という経路も提案されていた。E257系も好きなので私一人だったらそれはもう喜び勇んで飛びついていたことだろう。踊り子が遅延したら詰むなんてリスクも考えずに。世間一般ではこういうのをバカというのだろうが、私は限界キモオタクなのでそういうことは平気でする。名古屋に住んでいた時もわざわざ小田原→東京で踊り子、東京→小田原で湘南、熱海まで踊り子みたいなことは普通にやってたしな。
続きはウェブで(死語)!何はともあれ長くなってしまいそうなので成田エクスプレス53号での帰り道と帰り道に遠回りした(してない)撮影について、後書きとしてお届けさせていただこうと思います。明日更新いたしますので是非楽しみにお待ちいただけたら幸いです。
執筆 令和7年5月上旬