おはようございます。本日の過去画は平成28年5月12日に当時は代走扱いだった1033編成の81Hを撮りに行った時の話です。しかしどうしたものか、写真が3枚しかないので話のネタに困るし明らかに枚数も足りていない。これはもう他の代走も併せて誤魔化すしかないか…。
ではさっそく。この日は京急線内でダイヤが乱れた影響で、81Hは所定ではない1033編成が充当されていた。これを以前も書いた通り学校に預けていたスマホが返却されてから運用サイトとTwitterを見たところ、1033編成が充当されていた。私の所属していたクラスは他のクラスと違って7限目まであることが大半で、唯一それがなかったのが木曜日だったのだけど、この日も木曜日。81H新設と京急車の高砂以東での快速復活から半年、ようやく歌う電車こと京急1000形の1次車・2次車のうち1033編成が快速に充当された。こんなの行くしかない。学校が終わって愛車のチャリで最寄りの駅まで特急ペダルライナーを運行し、急いで志津に向かった。お小遣いもらったばかりだったし、撮影のみならず定期券区間外にも行ってしまおう。※テスト期間なので部活はありませんでした。

ギリギリでの到着だったので設定はミスっていたが、しかしこの時は嬉しかった。3600形との離合もこの姿の1033編成も過去のものとなってしまった(1033編成が京成線内に入線すれば3600形との離合の可能性はあるが、しかし8両のそれとはもう離合しない)が、MK5(マジで被る5秒前)だったなあ。志津には快速も停まるので、減速時にあの音が聞こえてきた時は内心ガッツポーズだった。これから先も何度か代走で1033編成が来ることがあったのだけど、その代走の理由について、また今は一切代走で盛り上がることがない理由は次の写真にて後述する。
しかしまぁ白飛びがもったいない。すっげえ白くなってる。はっきりわかんだね。

京急車で勝田台表示、なんて新鮮なことか。いや別に600形や1000形1121編成以降なら普通に見られたけど、当時既にそれらの編成はLCDだったからね。
ここで、代走が生じる理由と何故それが代走になるのか、それについて解説したい。もっとも、これは4直に詳しい方に説明するまでもないので、飛ばしていただいて大丈夫です。

代走が生じる理由について。これは書くまでもなく、朝の三崎口始発で朝ラッシュにぶちあたる781Hに遅れが生じてしまった関係で高砂にて運転を打ち切るから。代わりに折返しに余裕のある別の高砂行を高砂から快速佐倉行として運転し、81Hとして運転されてきた編成を高砂で折返してその運用とトレードするために生じるもの。流石に京急車以外での代走というのは余程のことがない限り、あんまり聞いたことはない。
なお現在の平日の83H等においても同様のことは普通に起こり得ることであり、今も多分やってる。しょっちゅう遅れてくるらしいからね。しかし当時とは違って今では8両ならどの編成でも高砂以東に入線できるようになったので、当時みたいに代走で沿線が沸くことはない。

では当時は何故代走で盛り上がっていたのか。これは京成線内で使用されている「停車駅予報装置」が関係してくる。京急車でこれを搭載していたのは当時600形8両と1000形8両1121編成以降で、それらがない他編成は基本的に青砥・高砂までの運用に充当されていた。入線不可の出禁ではないので、まあ結果としてああやって代走で入っていた訳だけど。
現在は無線装置の更新により、停車駅予報装置がない編成でも普通に入線できるようになった。なので現在は代走という概念は京成鉄にもなく(私のオレ調べ)、実際に車両交換はやっていてもそれが話題に挙がるということはなかなか見ない。なおここまでの説明に関してもあくまでも私のオレryなので、何か間違っていたらサーセン。

そんなこんなで志津から船橋までシーメンスの音を堪能。もう生で聴けないのが悲しく残念だけど、でもこの時に乗れたのはよかったと思っている。先述の通り6限で帰ることができる木曜日、そしてテスト期間で部活も禁止。それを逆手にとっての撮り鉄・乗り鉄だった訳だ。部活がないとつまらないけどこういうことはできるというね。
さて、絶望的な枚数の写真なので、ここからは京急車の代走「とされていた時期」の写真を貼って振返っていこうと思う。

こちらは休日79Hに充当された1017編成。多分代走だった気はするけど、令和元年の撮影なのでもう代走ではなかったかも。記憶があやふやだし、かといってググって出てくるかもわからないので割愛。

これは高2の時に撮ったと思うので、多分まだ代走。81Hも毎日撮っていればよかったのかもしれないが、先述の通り私は部活が恋人だった上にそもそも81Hの時間はまだ7限目だったので、まあ無理な話。たまーに撮るのがよかったのだろう。クソ中学(佐倉市立某中学校)の無理やり部活をやらせる文化に洗脳されていた私は、高校では大半の生徒が帰宅部だったことにびっくりしたのを覚えている。同時にあの中学ってやっぱ本当にやばかったんだなあ。

同じく1033編成の代走。この日は京成で人身があったのを覚えている(平成29年)。高3なんだからおとなしく受験勉強しておけよって話だけど、回送で事故っていた(当時の平日81Hは宗吾→佐倉で回送)リベンジは建前で、本音は当時からお世話になっているTwitterのFFさんと会っていたのが懐かしい。1033編成の代走はなんかまだあるので、次。

こちらは平成29年10月28日改正で誕生した79Hに充当された時の写真。予備校の自習室の帰りにバルブしていた。貴様はそれでも受験生か。だから都内の大学の9割に落ちたんだよ(笑)。なお予備校に行くに際してもこの79Hを撮って乗っていたのだけど、浮かれすぎて車内にパーカーを忘れるという事故をやらかした。

続いて1500形編。当たり前だけど、先述の理由から私も代走の度にそれを撮るなんてことはできていなかった。なので枚数に換算したら本当に大したもんではないが、しかし撮っておいたことに損はないと思っている。ちなみに先ほどの1033-の代走は平成29年11月4日、こちらは同年11月3日。当時のダイヤの79Hで京急車の快速があったのは土休日なので、2日連続で代走していたということになる。やりますねえ!

こちらは私が撮れた中では最古の81H代走。1731編成で、平成28年1月のことだった。この時も確か何かしらのアレで撮りに行けたんだけど、なんかこの時に噛みつかれたことがあった。これに関してはまた別の機会に触れたいと思う。

最後にこちら、同1731編成の代走。これは最初に貼った1033編成の代走から2週間して撮ったもの。これを今日の記事の〆とさせていただく。なお各代走に関しては、きっとこれから公開する過去画記事でも登場するかもしれない。で、これもテスト期間だから撮れた代物。部活は本当に楽しくて私の青春だったけど、でもたまーに部活がなくて欲求不満だった時に撮れたこういう写真は記事でこうしてアラサーになった今でも使えるので、それはそれで撮っておいて正解だったと思っている。そういえばこの時、最後尾に当時からの友達が乗っていたっけか。懐かしいな。
そう締めようと思ったのだけど、この翌月(平成28年6月)には当時の京急の注目のエース・1000形1800番台4+4両が1回だけ81Hに充当された。代走といっていいのかは知らない。しかし彼女とのデート(日本語訳:部活)の方が優先だった上に主将が電車を撮るからって休む時点でじんおわなので、無論撮りにいくことはできなかった。代わりといっては何だが、アクセス特急に充当された際にはギリ撮れていたので、その写真で締めたい。

それがこちら。これもいずれどこかの過去画記事で言及するものと思うが、しかし4+4で都営・京成・北総にも来ていた証として残しておきたい。
この年の6月だけは何故か4+4で他社局線にも入線していた1800、あれから一切こちらにも来ていない。巷で言われる変電所キラーという説はおそらく違うのだが、したら何が理由なのだろうか。連結時に連結部から流れる「オフ会するたびに『え!こんなにかわいい女の子だったの!?』って言われてそのあと無断で頭をポンポンポンポン ポンポンポンポン車両連結部です ご注意ください ポンポンポンポン ポンぐわぁぁぁああ女の子が1500の連結部になってしまっポンポンポンポン ポンポンポンポン」というアレがないのかな。いや、ありそうだけど。でも転落防止幌もないし、そこら辺が原因なのだろうか。何かしらの省令を読み漁れば答えにたどり着くかもしれない。
しかし、そのような理屈はどうでもよくて、また都営線や京成線でも1800を撮ってみたい。1890「ル・シエル」の入線にも期待したい。そういえば京成さん。次世代アクセス特急として1890+1800みたいな感じで、また名鉄特急や南海サザンのように、一部特別車のアクセス特急なんていかがですかね。その話はまたいつか書くとしよう。
※追記 一部特別車かどうかは知りませんが押上方面の新型特急が発表されていますので、楽しみに待ちたいと思います。