こんにちは。昨日11日の記事では令和元年12月のイコラブちゃん握手会をはじめとした思い出を振り返ってきた上に新幹線で新大阪に来ていたかと思います。後編として握手会のエピソードを交えつつ関西1日目の撮影・2日目の撮影からそれぞれ抜粋して700系での帰り道と後日の富士急撮影記の振返り編をお届けさせていただきたいと思います。では本日もよろしくお願いします。

この日は新大阪に宿をとっていた。といってもまあ1泊なんだけどさ。それはさておき、ホテルにスーツケースを預けて会場がある京都に向かっていきたいと思う。時間に余裕があるので、京都線の電車を少し撮っていくんだけどね。この223系はJ2編成。思えば223系自体も現時点では令和4年秋に神姫バスさんの貸切にお招きいただいた帰り以来、見ても乗ってもいないかもしれない。貸切会も楽しかったけど、今回はその更に3年前の話なので、その件についてはまたいずれ言及したい。

山崎駅に来た。当時は甲府市民だったので、ここまで来て甲府駅のこの写真かあ…と頭を抱えたものだ。まだ0代もいたしね。もっとも私は身勝手なので、この数年後に甲府を離れてから今に至る私に言わせれば「甲府だ!懐かしい!」という感想となる。人間とは身勝手なものである。

まあ、あんまり時間に余裕がないからそこまで長居できないんだけどね。J編成ならまだしもV編成での普通列車ってなんか新鮮だなあ。うわ~ほんと223系撮りたい。マジで関西遠征したい。免許を取ってから関西遠征をしていないので、あの頃よりは撮影地の選択肢も格段に広がっているかと思う。とはいえ私は岐阜県より西で運転したことがない上に土地勘もないので実際にする度胸があるかと言われたら…だが。まあ、交差点内に路駐して警察が来たけど見逃してもらった自慢をするような陸送ヤクザとは違って順法意識というものがあるので、違反で切符きられることはないと思いたいけど。

各駅停車の207系。207系も久しぶりに撮りたいなあ。やはり年内に関西に行くしかなさそうだ。万博もインバウンドもさっさと消えるなり終わるなりしてくれよな~。JR東の沿線に住んでいるせいでJR西も撮影会、それこそ207系旧塗装の撮影会なんてやったら面白いのではないかと一瞬思ってしまったが、やはりあの事故のこともあるからできないんだろうなと思う。
撮影は終了。時間に余裕をもって会場に向かおう。

京都からは烏丸線に乗車。近鉄も撮りたいな。あと京都市営地下鉄の新車も撮ってみたい。関西遠征を次に決行するとしても当時みたいに大学生ではないので2泊3日が限界だけど、まあ頑張って3泊4日ぐらいだろうけど、その間に撮りたいものを撮りきれるのかという不安はある。

会場につーきまーしたー!中に入れば推しがいる!フォウッ!そうそう、当時の握手会メモを見返すと髪色を変えたことに気が付いてくれた推し達や先述のTwitter閲覧疑惑事件に物販でのエピソードに、それはもう恥ずかしいながらもにやけてしまう私であった。

当時というかそれよりもずっと前からお世話になっている方と散策ちう。岡崎公園前の表示があるので愛知県にゆかりのある車両だろうか。京都もまた行きたい。修学旅行では市バスと京阪を駆使して観光しつつ、電車も撮ったっけ。SDカード何とかして見つからないかなあ。いじめられっ子だった私は「お前は電車がわかるって意味だけではこの班でよかった」なんて言われたっけ(笑)。ウケる(笑)。まあ中学の3年間では本当に人格が歪んだし、高校の同期の大半には出会えてよかったとも思う。なお中学の同期はもう既に全員死んでいます。ご冥福をお祈りいたします。

京都は日本のものであり日本人のものだ。オーバーツーリズムで外人風情に汚されてたまるか。令和7年時点での悪政は本当に何とかしてほしい。何なんだよマジであいつら(笑)。何が地方創生だ。

みやこめっせ付近のレストランで行動を共にしていたヲタクと会食。これが美味しかったのは覚えている。まあ見るからに美味しいとはいえさ。腹減ってきた。ぶっちゃけ私のスタンスとしては推しには会えればそれでいいので握手はなくてもいいんだけど、でもコロナ禍を経てオンラインのお話会が増えて直接会える機会が減ったのは残念。まあ会場を貸切る予算がまるっと浮くからいいのだろう。元はといえば中国の武漢で発生したコロナウイルスのせいだ。

飛ばしてますねえお兄さん。ま、まだ当時は二十歳だからお兄さんで通るよね?ね?実はこの数週間後の令和2年1月3日にはパシフィコ横浜で握手会があったのだけど、コミケの売り子を引き受けた際に戦利品としてインフルをもらった結果として行けなかった。いやそれはマスクして行かんかったお前のせいだろ(笑)。マジで。
結果として握手会はこれが最後となった。このおよそ5年後に推しとは再会するほかオンラインのお話会も行ってない訳ではないんだけどね。ご一緒させていただいたヲタクと共に三条京阪まで15分ほど歩いて、打ち上げの会場がある大阪府を目指していく。京阪なんてそれこそ修学旅行以来だったのではないだろうか。

その修学旅行の頃には存在しなかったプレミアムシートで終着の淀屋橋まで乗っていく。修学旅行の時は神宮丸太町がホテルの最寄りでよく使っていたなあ。京阪もゆっくりと撮りたいけれど、いかんせん時間もなければ知識もないのがね。

プレミアムな車両でプレミアムな飲み会って訳だ。ちょうどこの記事を書いていたら推しのSHOWROOMが始まったのってやっぱり運命だよね。生写真広げた後にウンヌンみたいな鍵垢でのツイート、まだ出てくるのかなあ(笑)。
【※2時間限定公開】
これみたいなね(笑)。無論この発言元の人権にも配慮しなくてはならないので、それはもう厳重に厳重にモザイクをかけさせていただいていることをご承知いただきたい。流石にノーモザイクで出すわけにもいかないからね。
この発言元はお亡くなりになったのでもうどうでもいい。淀屋橋からは大阪市内のどこかのしゃぶ葉に移動して別のグループの握手会に行っていた皆さんと合流して宴会。楽しかったー。私もまあどえらく飲んだくれたものだった。

なんか撮ってたポールスター。Osaka Metroも思えば全然と言っていいほど撮ってない。これはもう早急に関西遠征を決行したくなる。撮りたいものが多すぎる。仮に3泊4日で行ったとして記事は2週間ぐらいそれだけで書けるだろうし。さっさとインバウンドという名の公害が収まらねえかなあ。

翌朝。それはもう酷い二日酔いで頭の頭痛が痛かったが、とりあえず環状線を撮っていた模様。懐かしいなあ323系。まあそれを言ったらこの写真を撮る半年前までは201系だっていた訳だけど。なーんて思っていたら大和路線の201系も執筆日の数週間後に退役予定とのことで。もうこの記事が出る頃にはいなければそもそもこれから先撮ることもないのだろうと思うと何だか寂しい気持ちになる。となると201系も完全引退か。おまえん家セルシオばっかじゃねーか!ならぬ「おまえん家LS(編成)ばっかじゃねーか!」ってことだね。言っている意味が解らない。
大津京に移動して撮影した113系。大学生の時、つっても最初の2年はこうしてよく関西遠征を決行していたが、その頃で私の頭は止まっているので、この113系や117系ももう見られないらしいとは聞きつつも未だに信じることができない。まあ行けばわかるんだろうけどさ。思えば房総ローカルからは平成のうちに消えてしまった113系、まあこのJR西日本の113系の内装は大幅にリニューアルされているので一概に比較はできないとはいえ、しかし大学生の時にああして乗ることができていて本当によかった。遠征の度に金は飛んでいたが、しかし長い目で見れば悔いはない。
新快速の223系。私が平成11年生まれだからかもしれないが、新快速と言ったら223系だなあと個人的には思う。225系も好きだし221系のそれも見てみたかったんだけどね。これからもエースとして頑張ってほしいと思う。一方で先述の113系と117系の後継も223系余剰車らしいけれど、その点はJR西日本は爆速で動いていたよなあと思う。
京都で下車。

元は阪和線にいた205系1000代に乗って移動開始。奈良線も撮っておきたかったんだけど、行程の都合上で今回は断念。そんなことしてたら103系は引退してしまいました。あーあ。まあこの半年ぐらい前に撮ってはいるんだけど。執筆日の時点で既にJR東の205系は仙石線の3100代と南武支線の1本を残すのみだけど、JR西のそれはまだまだ現役で頑張ってくれることだろう。次回の関西来訪時にかっこよく撮ることができていたら幸いだ。この列車で伏見に移動し、京阪の撮影に移った模様。今行ったら伏見も公害インバウンドでひっでえことになっているんだろうなあ。
その撮影から1枚抜粋して8000系8005編成の特急を貼っておこう。先ほど中学の修学旅行において神宮丸太町がホテルの最寄りだったと書いたかと思うが、それ以外でも京阪を使うことが多かった。一度出町柳から8000系に乗った時はあの豪華さに面喰って、思わず車掌さんにこれ特急券いらないんですか?と聞いてしまったのもいい思い出だ。電車担当なのにそんなことも調べていないなんて困るんだよぬぁあああ!!!!ムキー!
時空を夜の新大阪駅に飛ばして、私に加えて私と合流した先輩と共に東京を目指していく。700系惜別乗車も兼ねていた。まあ惜別乗車自体はまたこの2か月後に行うのだけど。700系は本当にいい車両だった。帰ってきてくれないかね。16号車、15号車、10号車の3両だけでもいい。いやタバコを吸えたこと以外にも沢山思い出はあるんだけどさ。

またそういうことをする。オタクの悪い癖ってやつだ。15号車なのでタバコを吸っても怒られることはない。既に古き良き時代となっているのが悲しいね。なお当時は必死に非喫煙者アピールをしていたが、成人してからタバコを解禁したので普通にもうタバコ吸ってました。はい。でもケントの1ミリなんておっさんくさいながらも薄いタバコ吸ってたんだな(笑)
夜の東海道新幹線ってだけでシンデレラエクスプレスの響きがするよ。しねえよ(笑)。まあこの翌年から遠距離恋愛で時折新幹線を使うんですけどね。その話についてはまたいつか。もう未練も何もなくなって何年も経つから書くことができる記事にはなると思う。700系がいたのも、執筆日の時点でもう5年前というのが信じられない。

使って残そう車内販売。とちおとめアイスは販売員のおねいさんのオススメによるもの。ワインは私がただ単に飲みたかったから。新大阪→東京で新幹線に乗ったのはこの時が最後か。2時間半ぐらいならタバコの我慢はできるが、でもなんか遠征の帰りにそれってのもなんかアレだし、仮に復路で新幹線を利用するのであればこだま利用+通過待ちでタバコ吸いつつ記事を書きながら酒飲んでるかなあ。名古屋以東においては浜松、静岡、三島ならホームに喫煙所あるし。品川なら横須賀線に乗換えてそのまま帰れるし。その一方で奈良の聖地巡礼もしたいので、奈良ベースに動いて奈良まで車ってのもありか。

先程のケントとは別に持っていたハイライト。私は当時も今も別にハイライトは吸っていないが、ハイライトを選んだのは東海道新幹線の青が当時のタバコのハイライトだからだ。東海道新幹線開業以来の最後の喫煙席でタバコを吸うなら、新幹線にゆかりのあるタバコを吸ってみたいよね?というヤニカス兼電車オタクの叩き出した結論だ。

懐かしい案内だ。700系走行音を聞きながらこの記事を書くのもまた一興というもの。新幹線に限らないが、鉄道車両が運ぶのは人間や物だけではなく、人間の思い出も運んでいるのだろうと思う。

はいガッツリ吸ってきました。これ各席の清掃の手間を考えるとめちゃくちゃ非効率だったんだろうな。喫煙車の灰皿の掃除ってどうやってたんだろう。掃除機でブイーンってやってたのかな。何はともあれ東京での折返しにも余裕がある訳でもないこともあるので、清掃員の皆さんも大変だったことだろうと思う。
後輩のN700系以降はこういうのも見られなかったな。先代の300系にはあったんだろうか。300系は見かける機会こそ多かったが乗ることもできずにお別れとなった。まあ私の初東海道新幹線って平成26年だったしね、もう300系もいないという。この時から5年経って書いている今、その300系を置換えたN700系も半数以上が既に退役しているという事実に時代の流れと新幹線車両の寿命の短さを感じる。10年経ってこの記事を見返したとき(重ね重ね公開予定が決まっていないとはいえ)、N700Sにも置換えや編成短縮の話が出ていたりリニア新幹線が開業していたりするのだろうか。
列車はまもなく東京に到着。700系といえど新大阪から東京でののぞみ号として乗るなら3時間もかからない。最後のAmbitious Japanがどこか切なく聞こえたのはきっと気のせいではないと思う。

先述の通り、新大阪から乗ってきたのはC53編成。私はこの2か月後にもう一度だけ700系に乗るチャンスがあったが、その際はC54編成だった。その時の話はまたいつか書くとして、この2編成はJR東海の700系として最後まで残った編成。令和2年3月8日に予定されていたラストランが中国の武漢で発生した新型コロナウイルスのせいで中止になるなんてまだ知る由もない。700系、いい車両だった。改めてお世話になりました。
JR東海所属の新幹線車両のうち、この頃にいた編成は全て車内チャイムとしてTOKIOのAmbtious Japanを使っていた(手動で前のチャイムがあった可能性に関しては今回はノータッチ)。あの歌の歌詞に「突き進めばのぞみは叶う 立ち止まらない振返らない」とあるが、確かにそのとおりではあるんだけど、でも700系との思い出をこうして立ち止まって振り返るのも悪くはないと思っている。あの曲は確か葛西さんがなかにし礼さんに平成の鉄道唱歌を作ってほしいって頼んだんだっけか。東海さんの偉いさんだと個人的には須田さんが好きというのはさておき、ジャニーズアンチの私もあれはいい曲だと思っている。
さて、感傷に浸っている時間はない。この日の在来線移動にあたっては青春18きっぷを利用していたが、そのままローカル縛りで帰るとギリギリで甲府に帰れない。なので別途購入した乗車券と共に、東京→大月に限って特急に乗っていくこととしよう。

編成はS119編成。なんか誰も予想していなかったS121編成とS122編成が出るなんてほざいていたのがいた気もするけれど、まあもう死んじゃった人だからいいか。誰も予測していなかったS122編成(笑)

S119編成ってなんかこう写真が少ないんだよなあ。まあそういうこともあるか。E353系はこれからも中央線特急の星として輝いているかと思うので、私が生きている限りはその動向を追っていきたい。まあ千葉からではあるけどさ。今こうして過去記事を書いていると、あの時もこうしてお世話になっていたんだなとエモい気持ちにもなる。

して先輩と私が指定した席に乗ったらこれだよ(笑)。なんで立川→甲府の未指定券が窓に刺さってるんだよ(笑)。ここからも中央線特急の客層についてはその民度のすばらしさについてお察しいただけるかと思うが、しかし立川→甲府ということは甲府または松本と新宿の最低2駅での車内整備の際に回収されていなければおかしい。アクセスさんしっかりしてもろて。

大月で降りたら雪が降っていた。イコラブちゃんとコラボしてた6000系も雪塗れ。盆地と違って郡内は雪が降りやすかったからね。雪が降っていたことにテンションが上がらない訳もないのだが、しかし強いてケチをつけるのであれば雪で=LOVEの5文字が隠れてしまったのは残念。

翌々日、クリスマスイブの撮影(笑)。2日前の雪はまだ汚れた雨に変わることなく積もっていた。積もった雪が雨に変わる訳ないもの、当然である。この日はイコラブちゃんとコラボした6000系のリベンジを果たすべく再び富士急に足を運んでいた。まあ曇ったけどね。どうでもいいけどパンピーと鉄オタで「富士急行きたい」ってワードほど意味が乖離する発言ってないよね。

そうそう、こういう企画をやってたんだよな。実に懐かしい。まあ私は握手券と遠征費で財布がファイヤーオレンジだったので、当時山梨に住んでいたにも関わらず行けなかったけど。学生なんてそんなもんだ。強いていうのであれば、国民から税金を搾り取らないと気が済まない政治家や官僚のせいだ。そうやって他人のせいにするのは簡単だけど、でも当時から政治家も官僚もゴミだと思っている。
曲がりなりにも撮っていた。まあ雪もうっすら積もってるし前々回みたいに面トップでもないし、いずれ撮っておいてよかったと思う日も来るだろう。結局私が骨を埋めるアイドルはイコラブちゃんなんだろう。でもそれが何よりもの幸せだ。ジジイになってもイコラブのことは好きなままだろう。まあ寿命診断やったら私47歳で死ぬらしいから、ジジイになってもという表現が正しいのかどうかはわからないけれど。またこういうコラボやってほしいな。
臨時と言いながらもほぼ毎日運転されていた豊田常駐のE257系500代による富士回遊も無論ちゃんと撮ってました。この頃のE257系500代のうち豊田の3編成が189系を置換えた戦犯扱いでそれはもうひどい言われようだったのも懐かしい。今になって信者が沸いてきているのも滑稽だと思いつつ、でもまあファンが増えるのは悪くないとも思いつつ、それでも手のひら返しってウケるよなあ(笑)。NB-10編成は豊田常駐の3編成の中では圧倒的に富士急直通に充当される回数が多かったが、今は5500代に改造された上に主に特急草津・四万と特急あかぎに充当されている。







