4月の弘前帰省において、弘前1日目は家族で弘前公園の桜まつりを訪れていたのだが、翌日は家族だけが千葉に戻って私が弘前に残る形となった。して叔父叔母がわざわざ貴重な休みを費やして私の足をしてくれたので、お気持ちだけでと思いながらも可愛い甥のためと言われると断ることもできず、弘南鉄道大鰐線付近を中心に観光しようということで車まで出してもらってしまった。青森も決してガソリンは安くないのに申し訳ない限りだが、おかげでいい思い出になったのは事実でもある。
ちなみに家族の分の新幹線の手配は一括して私が行ったのだけど、家族が乗っていたのは新青森15時17分発「はやぶさ60号」だった。Netflixで配信された映画「新幹線大爆破」で爆弾がしかけられたあの列車である。今回は無事に東京まで運転されたようで何よりだ。

さて、とりあえず久しぶりに大鰐線を訪問していきたい。記憶が正しければ大鰐線はなんと高校2年生以来の訪問。その記事は改めて出すが、一応予定は年末となっていつつも予定は未定なのでそこはごめんなさい。それまでにまた弘南鉄道の記事を出したい。大鰐線における事実上の廃線が決定しているのが残念ではあるが。弘南鉄道7000系は皆さんもご存じの通り元東急7000系なのだけど、それを嗅ぎ付けてとある鉄道系バス会社社員であり「ちゃんと撮ってなかったツケ小僧」でもある誰かさんが葬式に来ないことを切に願う。E4系Maxの時も最後だけ出しゃばってマウンティングしてきたけど、山吹の塗装ないよね?の一言で黙っていて面白かったものだった。あんなゴミに我が故郷を荒らされてたまるか。

改めて中央弘前行の7039編成、この時は「りんごねぷた列車」として運行されていた。かっこいいなあ。7039編成(7040編成かもしれんけど)はなんか前にも撮った気がしつつ、どういう訳か一応過去記事・未公開記事等で一連の照会をかけたものの該当なし。まあそういうこともあるか。日中の大鰐線の運転間隔については敢えて言及しないが、しかしそれを逆手に取るという戦略があるのも事実だろう。結局は解釈の仕方次第。

基本的に大鰐線の日中の電車は次の津軽大沢で交換するということもあり、最後に乗りに来た時は松木平で降りていたっけ。あれが高校2年生の時だなんて信じられない。当時の私に会えるのであれば色々と伝えたいことはあるが、もう今更だ。過去を悔やんで金になるならいくらでも悔やむが、そう簡単にも行かないので、これからどうするかを考えられる人間でありたい。

岩木山も入れて1枚。あと数年で大鰐線が運行休止となるのはやはり寂しいが、利用状況等に鑑みたら致し方のないことなのだろうと思ってしまうのもまた事実。実際に弘前は車社会だろうし、私がいつか弘前に住むご縁があったとしても間違いなく今より格段に車に乗るようになると思う。何なら雪国だものという建前でスバルの車を2台目に買ってもおかしくない。中古のVMレヴォーグかS4あたりかな。※スバル車の良さもわからないくせにレガシィとS4だけに反応する気持ち悪い警察マニアの方はお引き取りください

差分でもう1枚。岩木山は本当に美しい山だ。前回に帰省した令和6年1月はホワイトアウトで岩木山が見えず、こうしてとっても久しぶりに生で見ることができて本当によかった。毎日見られる向こうの人が本当に羨ましい。次に私が岩木山を見られるのはいつになることだろうか。もし仮に弘前に転職・移住する場合は私の車も必然的に弘前ナンバーになるので、せっかくだから希望ナンバーで16-25にするのはありかもしれない(岩木山の標高は1,625m)。

義塾高校の駅。大鰐線はこんな感じのエモい駅舎がある駅が大半ではありつつ、並行するJR奥羽線と比べると圧倒的に駅間が短いので、やはり高校生や大学生の通学なんかも含めて利用はしやすいのではないだろうか。一応毎時1本はある訳だし。それはさておき、なんかエモくていい。ただ冬はきつそうだ。
さて、引き続き叔父と叔母のお世話になり次なる目的地である津軽大沢駅に来た。

この駅には車両基地等が併設されているので、オタクがヨダレダラダラしてwktkしてしまううきうきステーションでもある。ヨダレダラダラは汚いにも程があるので無論冗談だ。以前訪れた際に乗車した気がする7031編成は”HIROSAKI RENGA STORY”ヘッドマークを「大鰐線」表示でおねんねちう。大鰐線が実質的に廃線になってから7000系はどうなってしまうんだろうか。陸送して弘南線の予備車または増発要因にする可能性は低い。というのも、大鰐線と弘南線では同じ7000系でも電装品のメーカーを分けているからである(日立と東洋)。

改めて、おねんねもとい留置中の7031編成。前に松木平から中央弘前で乗ったのは覚えているし、多分他のタイミングでも乗っているはず。あれ?何なら初めて乗った弘南鉄道の電車ってこの車両だったかも。いや違うっけか。何はともあれ、私が弘前市民ではないが故になかなか乗れなかった大鰐線も遠くないうちに乗れなくなるのが寂しい。弘前生まれというだけの私が言うなって話にはなるが、しかしどうせ引退前だけキッズやニワカが沸いてくるかと思うと頭の頭痛は痛い。葬式鉄の皆さん、ご冥福をお祈りいたします。

続いて逆光だけど入換用の機関車、その奥には電気機関車のED22、その後ろはキ100形(ラッセル車)。キ100形はラッセル君のモデルにもなったと思われる。これらの車両も大鰐線が事実上廃止された後にどうなってしまうのかは気になるところだ。

大鰐線における快速運転廃止に伴って6000系はその任を解かれた車両。一部車両は倉庫に転生したり解体されたりしつつ、この編成は今でもこうして残っている。恐らく車籍は残っているのではないだろうか。この前に津軽大沢を訪れた時点(平成28年秋)では平成27年に全検を通したという表記もあったので、できれば大鰐線運行休止前にもう一度動いたらと思うが、実態は静態保存車だろうから無理か。

別角度からもう1枚。大鰐線表示って普段出してないよね。そういう意味でも美味しい収穫となりました。7031編成はいずれ公開するであろう記事でも出演しているかと思うが、しかしせっかくだから新記事として記事にしていきたい。社会人となっておよそ1年、どうせ休みが不定期である以上は金の暴力(と言えるほどの稼ぎはありません)でもっと弘前にも帰りたい。前回帰ってきた時は大学院生だったからロクに長居できなかったし。

なお津軽大沢駅には石川小学校PTA設置の有名な看板があったが、訪れた際には撤去されてしまっていた。残念。「最悪の場合、死にます」という極めて正論かつ反論の余地も何もない一言があんまりにもドストレートで大好きだった。

恐らくはその看板だろう。どういった経緯で役目を終えてしまったのかはわからんけれど、でも残念極まりない。

中央弘前で折返してきたりんごねぷた列車。ここで叔父と叔母がせっかくだから乗ってきたら?と提案してくれた。大鰐まで送ってもらうのも時間とガソリン代もかかるのでお気持ちだけでと固辞したものの、大鰐まで送ってくれたのでこの後にこのりんごねぷた列車に乗っていくこととなる。

大鰐に留置されている7037編成。あ、大鰐(大鰐温泉)に着きました。それらの話は後述するとして、大鰐線が廃止されたら大鰐でのこういった光景も見られなくなるんだろうか。普段なかなか利用できていない私がお気持ち表明をするのはお門違いなのでのれそれとしゃべれたものではないが、でも寂しくなるなとは思う。

減光してくださったのがご厚意なのであればありがとうございました。こちらは大鰐線乗車前に撮影した701系の弘前行。正直大鰐温泉・大鰐→弘前(中央弘前)という観点ではJRの方が安い上に早く着くので大鰐線に勝ち目があるかと言われたらアレだけど、でも奥羽線では拾いきれない沿線の需要もあるので、だからこそどちらにも良さと需要があったのではないかとも思う。まあ私が沿線民だったら車で行きそうではあるけど。

少し時空を戻して大鰐駅・大鰐温泉駅での1コマ。駅前に足湯(foot bath)があるのが特徴。温泉街の玄関ならではだね。高2の頃に訪れた際はこの足湯に浸かった記憶があり、確かタオルがなくて詰んでいた思い出もある。当時からバカなんだね。フットバースといえば駅メモ!の印象だけど、初代アカウントがスマホ故障と共にフットバされてからモチベが落ちて最近全く遊べていないのがいくない。でんこの声優もイコラブちゃんじゃなくなっちゃったし。

あじゃりんって言うんだね。こちらも高2以来だろう、ご無沙汰しております。笑神様は突然にの鉄道BIG4回で出てきていた気がする。テレビを売却して3年になる上にカーナビでもテレビはまず見ないし受信料も払っていないが、あの番組は面白かったなと思う。オタクとしてはね。あと松井玲奈大先生がオタク全開で暴走していたのも()。

弘南鉄道の大鰐駅としては独立した別の駅舎があることを恥ずかしながら今になって知った。エモいしナウい。普段なかなかこういう感じの駅舎や鉄道を前にエモい表情になる機会もないので、私の青森愛を差し引いてもなんか心が洗われた気がする。

それでは入場していきましょう。エモいしナウい。語彙力ないのがバレバレだ(笑)。まあセンター試験の現代文5点(1問5点、100点満点)だったし多少はね。自慢すんなそんなこと(笑)。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁあああ!代わりに古文漢文は高3の時に教えてくれた先生のおかげで満点を取れたけど(あくまでも自己採点による)。先生ありがとう、家庭も大切にしてね(笑)

まだこの看板残ってたんだね。フォントからもう国鉄の香り(かほり)がムンムンするし、大鰐温泉において山形や大阪といった地名を見られることに歴史を感じることができるのでとてもいいと思う。私世代であれば寝台特急日本海、少し前なら特急白鳥(青森~大阪)あたりが該当するのだろうか。私の親世代だと修学旅行において寝台特急日本海を利用していたという話も聞くが、今だとそうして乗換えることなく青森から関西に行くこともできないと思うと何とも言えない。まあ、間違っても修学旅行先が生きて帰って来られる保証のない中国じゃなかったら何でもいいか。

いつの間にか券売機がラーメン屋の食券機みたいになっていたが、何はともあれ久しぶりの大鰐線に乗っていきたい。最後に乗ったのすら7年と少し前、その間に色々あったなあ。大学に落ちるわ人生初彼女と2年も持たないわ大学院は中退するわ。ダメ人間って書くだけで字数を潰すんじゃあないよ(笑)。
それでは、乗車編と翌日の弘南線・E751系つがると帰路(直帰するとは言ってない)について書いていきたいと思う。明日更新の予定です。
※お知らせ 今回より701系タグを新設させていただきました。