皆さんこんにちは。昨日の記事の続きをお送りさせていただきます。今日もよろしくお願いします。
では長野での撮影開始です、もうだいぶ飲んでたんで適当ですけど。

名古屋行最終列車であるしなの26号はA1編成。何がトプナンの呪いだ(笑)。この列車は終着の名古屋に23時前に着くので、その気になれば名古屋在住だった大学院生の私が利用することもできたのだけど、実際に素直にこれに乗るためにはE217系の配給を干す必要があるんで結果としてはって話でもあるか。
ただ、仮に名古屋在住時代に撮りに来ていた場合に電車利用と仮定して、E217系の配給を撮ったその足で爆速で新幹線ホームに移動してかがやき516号に乗車すると、東京駅での乗換えもレディファイッすれば名古屋行最終列車のひかり669号に乗り継ぐことも可能だったらしい。大学院生ができることではないので、非現実的ではあるんだけど。それでも1度ぐらいはそれぐらいのガッツを見せて名古屋から撮りに行けばよかったと思ってしまう。
明科から乗ってきたN608編成は折返して松本行となる。今回はY-37編成の配給の時のように寝たまま返品されずに何より。それが普通なんだバカヤロー!あれも寝過ごしに含めると、4月中旬の時点で1か月に1回は電車を寝過ごしている計算になる。ダメですね。寝過ごす心配のない車での追っかけの方が撮影地のレパートリーも増えていいのではないかとすら思う。ちなみにこの時も篠ノ井あたりで意識が他界して(意識低い系)いたが、無事に長野で目が覚めたので事なきを得ていた。絶対に覚えていないけど、年末に今年1年の寝過ごしログ記事みたいなのを出しても面白いかも。それは後から読み返すから面白いのであって、寝過ごした当時はマジで笑えないことばかりなんだけど。もう幕張本郷から歩くのは嫌だよ(1月のイコラブちゃんお話会の帰りにやりました)。

撮影に見えていた同業の皆さんと撮影位置の交渉も兼ねつつワイワイと談笑していたらあっという間にお目当てが来た。泣いても笑ってもY-35編成を撮るのはこれが最後。最後に乗った編成がこうして帰らぬ旅路についているのを見ると、改めて二度とE217系に乗ることができないことを実感して寂しくなった。改めて、Y-35編成にもお世話になりました。

突然不意に鳴り響くベルの音もなく静かに発車していく。今まで本当にありがとう。
思えば中学校を卒業して少し視野が広がった高校生の頃、いやそれ以前も幼少期から総武快速はE217系が当たり前だったんだけど、いつだって総武快速はE217系だった。横須賀線もだけど。横浜の祖父(いい人)の法事等に際して電車で横浜に行く時(親父が酒を飲むので車では行けない時ともいう)は決まってE217系で佐倉から快速に乗っていたっけ。あの頃はたまには左から抜かしてくる京急の快特にも乗りたい!なんて思っていたっけ。でもE217系も当たり前だったから、いつもの電車である上に田舎者の私を東京に連れて行ってくれる憧れの電車だったから、乗れる度にワクワクしたもんだった。
京成の電車にはないボックスシート、特別な時に家族で乗ったグリーン車、あの階段を上がる時の高揚感、静かで落ち着いた1階席。思い返すと寂しくなるが、でもいつか10年ぐらい経ったときに思い出して、温かい気持ちになれるのだろうか。
E217系を好きでいることができて、E217系が我が地元と東京を結んでくれて、それ以外でも沢山の思い出があり、それら全ては私の誇りである。でも、もう乗れないと思うと今はまだ寂しい気持ちになってしまう。

でも、そんな素敵な思い出はE217系が消えてもなくならない。最後の最後でピンボケしていることに今気が付いたあたり救いようがないけど。いつも東京駅に行く時はE217系だったな。京成沿線民が言うなって言われるとアレだけど、でも本当にさ。
映画ビリギャルで主人公の工藤さやかが東海道新幹線を見て「あの電車に乗ったら違う世界に行けるのかな」と言っていたシーンがあったけど、佐倉の片田舎で育った私にとっては東京に連れていってくれるE217系がまさにその存在だった。でもピンボケはいただけない。涙で視界が曇ってたんだね!そのギャグは本来最終回でやるべきギャグだし、何ならこの時泣いてないでしょアンタ。

いや本当にこれはないわ…。最後に乗った編成だからってない金をはたいて長野まで来てこれか。まあそういうこともある。でも冷静に聞いてほしいのだけど、泣いても笑っても最大でもE217系の長野配給はY-35編成を除くとあと3回しか撮れないんだよ。全国114,514億人が泣いた。泣かねえだろうが。もしE217系が客寄せパンダとして残ってくれたらそれほど嬉しいこともない反面、書いて来た通りいつもの総武快速だったE217系だからこそ、イベント用として撮るのは解釈違いという捻くれた感情も芽生えてきてしまうあたり私もなかなかひどい。カメラを降ろして頭を下げて、今回のY-35編成配給追っかけ自体はめでたく終了(何もめでたくはない)。改めて、Y-35編成にも長い事お世話になりました。ありがとうございました。

タバコを吸って(長野駅一部ホームには喫煙ルームがあります)落ち込む間もなく乗車予定の新幹線の発車時刻までの時間を潰していく。長野総合車両センターを出庫して特急信州2号に充当されるS207編成が回送で出てきた。信州2号は本年春改正を経て長野場面の発車番線が7番線から5番線に変更されたので、このように美味しくいただくことができるようになった。ありがとう。フル点灯ハイビームなのも美味しい。というか長野支社管内は国鉄時代からの歴史に鑑みて東海と近いのか、割とフル点灯ハイビームで来てくれるのでE257系やE353系を撮る時はもう感謝感激ナントヤラまである。

またS207編成か…。というのも、改正後初の信州2号を前回のY-140編成配給時に撮った時もS207編成だったもので。E353系付属の11編成の中で運用を分けている可能性は流石に低いと思うが、しかしン週間ぶりに撮りに来て被るか…と思うと、誰が悪い訳でもないとはいえ、撮り鉄目線ではちょっと残念。まあでもE353系は編成番号が目立たないので、そこまで気にしなくてもいいのかもだけど。当初は臨時特急の中でも多客臨キャラでスタートした特急信州だけど、今はこうしてホームライナーのキャラで運行されているのは面白いなと思う。中央線特急強火で生きている京成鉄(なんだそれ)なので、色々と研究していきたい。

そんな特急信州としなの鉄道SR1系の並び。完全にやらかしてますね、本当にごめんなさい。涙が透明な理由は雨に紛れられるからと思っていた(元ネタ:=LOVE/「ズルいよズルいね」)のだけど、私の心がダクダクに濁っているので紛れられませんでしたー。いやそれ以前の問題だよ。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁあああ!

差分でもう1枚。なに勝手にしなの鉄道撮りに行ってるんだよムキー!ここ信越線内ですが。そう書きたいけど。そう書くと「京浜東北線は大宮から東京が東北本線でですね」という気持ち悪い電車オタクと同じことをしてしまう可能性があるので敢えての我慢。前回に同じく2682Mを撮った際はドン引きするレベルでの混雑だったものの、今回は見ていてそこまででもなかった。だからSR1系も顔が真っ青にならず赤い純正の塗装で残れたんだね!そんな訳あるかボケが。

この日は10両で運転されていたしなの25号。タバコ吸ってたら入線に間に合わなかった。タバコの税金で国鉄の負債の返済に貢献している鉄オタの鑑なのに…グスン。いや仮にそうだとしても普通に自業自得だよ。というか10両だったんだ。既に撮ったことのある編成なので多少は妥協しつつ、しかしせっかく撮りたかった編成なのにこれは少し残念かも。そういうこともあるか。いや何を開き直ってるの?
さて、楽しい追っかけもこれにて終了。これ以上撮るものがない訳でもないものの、最終のかがやき・はくたかに乗って自由席相席(かがやきは全車指定席だけど)なんてたまったものではないので、最終のあさま号(長野始発)で帰ろう。金沢も公害と化したインバウンドでやばいというので、したら金沢からのかがやき・はくたかは全力回避したい。酒を思いのほか買いこんでいた記憶がないのが怖いけど、たまにはそういう休みもいい。不法行為さえしていなければ。

E7系の中でもベテランであるF4編成のお世話になっていきます。どうぞよろりんこ菊地凛子。E7系こそ東の新幹線の最新車両だと思っているのでなんか10年前のデビューなんて事実は国会議員の裏金はじめ各種不祥事並に隠蔽した上で見なかったことにしたいが、でももうE8系デビューから1年以上経ってるんだもんね。E7系の数年前に出たE5系初期車に関しては既にE10系での置換えが発表されている上に、一部報道においてはインドの新幹線のためにE5系が輸出されるなんて話もあるけど、私が中学生になる少し前に日本中から注目を集めたE5系が置換え対象になるなんて、当時のまま頭が止まっている私はあんまり信じたくない。

なんかレンズ汚れててダメですねこれ。してこれ撮った記憶もないあたり、もっともうダメだ。JR東日本の在来線特急において自由席が廃止されて全席指定となり、まあそれに対して痛いお気持ち表明をしているアホアホマンがいることもありつつ、新幹線においてはタッチでゴー新幹線サービスのもとSuicaでスイスイできるのはマジで感謝なので、あさま号をはじめとした準速達または各駅停車ポジションの新幹線において自由席が残っているのはありがたい。

A席なだけにええ席!なんちって。とくべチュ、して(=LOVE)ならぬとくべ酒、してって訳だ。おまえちょっと黙ってろ(笑)。僕のあさま632号だけ5両編成でしたが、軽井沢あたりで意識が一旦お亡くなりになった(高崎でおはようした)ので実質的には3両編成ぐらいだった気もします。前回みたいに高崎から飲み会帰りのクソうるせえバカリーマンが乗ってこなかっただけ平和であった。高崎で意識を取り戻した私は現像に勤しみ、大宮でタバコを吸いたくなったので下車。相も変わらずE7系は本当に快適だ。総合的に考えて、特に座席が私に合うってのはあると思うんだけど、今まで乗ってきた新幹線で一番快適なのがE7系・W7系だとすら思う。またシクヨロ。
元ネタはこちらです。イコラブちゃんはこれ以外にも沢山のいい曲がありますから、ぜひ他の曲もどうぞ。

乗車位置案内を見てしまいますよねシリーズ。これを見ていると色々と新幹線の歴史と思い出もムクムクと蘇ってくる。次に東の新幹線に乗れる日が楽しみでありつつ、E2系が運用を減らしてしまった以上は狙わないと乗ることができないという訳でもあり、なんだか複雑な気持ちになる。してもうE4系Maxの乗車位置目標が既になくて、やはり寂しい気持ちになってしまった。
盛岡からの最終かもしれないやまびこ号(最終って70号では?)であるやまびこ68号に大宮から乗っていきます。東京までの3駅だけど。ネットフリックスの新幹線大爆破はこの時点ではまだ視聴していなかったんだけど、1日で2回ぐらい見てしまうぐらいハマったのでいずれその話もしたい。編成はU34編成、E5系の中では後期車になるものの平成29年製なので案外年数が経っている。そう書くのは簡単だけど、俺がその頃まだ高校生だったと思うと余計に年を感じて悲しくなる。

いつの間にか新青森への新幹線はE5系ばかりになり、この車内にもすっかりと慣れた。もうE5系デビューから14年も経つ上にS11編成(現U1編成)竣工からは16年近く経つんだもんね。一部報道であったが、来年にもE5系とE3系(後者は恐らく2000代)が1編成ずつインドに無償譲渡されるということは、今年度にE5系初期車からも引退する車両が出るということなんだろう。JRさんからしたら無償ってのもアレだと思うけど、そこはまあ政治のあれこれもあるんだろう。中国に日本が誇る新幹線の技術が流出しないことを願いつつ、東と川崎重工はE2系でやってるからなあ。

そんなこんなで東京まで帰ってきました。まだここから総武快速で帰らないといけないんだけど。次にE5系のお世話になるのが新青森までの東北新幹線はやぶさ号であったらそれほど嬉しいこともない。また会う日を楽しみに。強いていうのであれば初期車にも乗っておきたい(特にU1編成)、まあ通路側にコンセントないけどさ。U1編成、どうして内装変えちまったんだ…。メンテナンスコストの削減のためだと思うよ。

無事に千葉に着きました。サロE235-1007とあるので基本編成はF-07編成だったんだろう。わかってはいるけれど、もうE217系で帰ってくることもないんだなあと思うと寂しい気持ちになる。あれ?なんか前にもこの車両乗った気がする…高円寺で酒飲んだ時だったっけ。こうしてE235系1000代もいずれ私にとっての日常となり、ン十年して退役するその際にはE217系同様にその別れを惜しむことになるのだろう。それまで私が生きていたらだけど。
