皆さんこんにちは。7日土曜日にお届けしたE217系配給追っかけ記事(電車バージョン)の続きの記事となります。今回は塩尻での撮影がメインです。
これここ最近のE217系配給輸送の追っかけと何ら差異のないアレなので、我ながらアレだなって思うんですけどね。本当ならドライブも楽しみながら車で追っかけたいんですけど、ガソリン代の高騰とコマ単価に鑑みると…ってのがあるのと、休みの日ぐらい酒飲みたいじゃんって感じで結局電車でいいかってなるあたり、意識の低い撮り鉄だなと思う訳です。まあそうは言っても、元バイトがエキセンで若い子たちの前で社員を気取っているよりはましだと思うけど。あれは痛い(笑)。まあいいじゃんそういうの。早速本題に入りましょう。

塩尻に着いた。途中でぶち抜いたE217系の配給を塩尻で迎撃していきたい。甲府からであれば松本でもよかった(松本であれば改札内でタバコを吸うことができる)のだが、甲府からの特急券は塩尻で降りた方が安いのと欲しい駅弁もある上に、別に塩尻でも改札を出れば喫煙所がない訳ではないので、別に塩尻で困るということは特にない。まあ塩尻で降りて後続のローカル(中央西線からの列車)に乗って松本で撮ってもいいんだろうけど。

弘前生まれの私としてはやはり701系と似たような顔をしているのもあってE127系を撮ると懐かしいなという気持ちになる。甲府に住んでいた大学生の時にもっと撮りに来ていればよかったのにねー。バカですねー。なお例のお目当ての駅弁に関しては今回もなかった。ワンオペでお忙しいであろうから本当に申し訳ない気持ちだが、塩尻のNEWDAYSの店員さんに酒を買いつつ「終売ではないですよね?」とお尋ねしたところ、「すみません、売り切れです。ただホームの売店には在庫があるかもしれません」とわざわざ丁寧に教えてくださった。その節はありがとうございました。

程なくして1031号機牽引の配給が来る。今回はあくまで画角の中に桜をぶち込みたいので、こんな感じで撮った。今回も塩尻に来た理由はそれである。2月にも塩尻で撮っていた(というかあれ以来ほぼ毎回塩尻でも撮ってるじゃねえか)が、日が長くなったことを実感した。春へ向かっていく風が~という歌詞のある=LOVEの「この空がトリガー」が脳裏をよぎる。

E217系と桜。実は甲府城または勝沼の桜が咲いていたらそこで撮って追っかけを断念してもよかったのだけど、この日(16日)は既に大半が散って葉桜になっていたので断念。廃車回送が始まった頃から勝沼ぶどう郷で桜が散る中を走り去っていく画を撮りたかったが、大学生の時に撮らなかった当時の私が悪いのは紛れもない事実。

グリーン車と桜。E217系の車内から桜を眺めたことも何回もあったが、うち1回において大船で乗車券を紛失したのもまたいい思い出だ。いや紛失したこと自体はちっともよろしくないけど。割とマジでああしてすぐ物を失くす癖は25ちゃいの今も変わっていないので、もう少し不注意は直していきたい。そんな思い出のE217系に乗ることももうないかと思うとやはり寂しい気持ちになる。

一旦出場して一服した後に先述のNEWDAYSで酒を買って塩尻→明科で特急に課金するというマヌケな芸当を披露していく。この区間においては自由席でも750円近く飛ぶので本当にマヌケだが、しかしこれ以上の選択肢もない(松本まで先述した西線からのローカルで逃げても無駄)である上に、E217系配給の枚数も減ってしまうので、仕方がない。とはいえ私は思い入れを差し引いても383系は好きなので、サビ残した給料だと思えば全然いい。

なおかつて同じく塩尻でこのように383系を撮ったことがあった。4年前だっけ、それこそ遠距離恋愛で名古屋に通っていた時だったかな。あの時も桜が咲く音がしていたが(咲いてただろ普通に)この日も桜が咲いていた。

差分でもう1枚。なおA3編成は記憶が正しければだが、確か前回のY-140編成配給に際してしなの25号で撮影したほか、翌々日に名古屋に行った際にも見かけていたはず。最近急によく遭遇するようになったね?というか時系列順で長野、名古屋、塩尻で見かけていると思うと383系って運用範囲が広いんだなあと改めて実感する。塩尻→明科の短距離利用であっても松本までの区間を中心に爆走してくれるので乗っていて楽しいのは事実だが、振り子式特急の本領発揮という訳でもないので、また長距離で乗れたらいいなと思う。ちなみに自慢ではないが私は383系特急しなの号を乗り通したことはない(最長で千種→長野)。惜しい。

前回の配給の明科停車が所定なら?と思ってワンチャン狙いで明科で降りたらビンゴ。おいしー!それにしても日が伸びたなあ。そして温かくなった。前回長野まで追っかけた時は明科で寒くて死にそうになっていたってのに。そして私が違うベクトルで慣れ親しんだ383系とE217系がこうして並んでいるのを見ているとエモい気持ちになる。383系から見る景色もE217系から見る景色もそれぞれ好き。

もうこのグリーン車に乗ることもないんだなあ。幼少期から特別な時にいつも乗っていた思い出は消えないのでいいけれど、でも寂しい気持ちにならないのは難しい。寂しくなったらOEMではないにせよベースが同じマリンライナーに乗りに行こう…。いや行きたいけどだいぶ金かかるぞそれは。実は私が最後に乗ったE217系はこのY-35編成でもあるが、最後に乗った同系グリーン車も同編成で、それはY-33編成を甲府まで撮りに行った帰りに東京から千葉まで狙って乗った時のものだった。あの日はショックというか不甲斐ないこともあり、帰りはドカ食い気絶と飲酒だったので、特別な時の締めくくりとしてのとくべ酒(しゅ)って訳だ。とくべ酒(しゅ)、して。ってことだね。ちげーよ(笑)。※元ネタ:=LOVE「とくべチュ、して」
無機質さと高級感のシナプスが軋んでいたなあ(?)。いつも特別な時とガチで酒を飲みたい時は課金していたっけか。後継のE235系1000代グリーン車はWiFiとコンセントがあるので、特に車内で記事を書くのはあっちの方がいいのは否定できないんだけど、でもE217系のグリーン車が好きだ。初めての会話覚えてるのは私だけでしょう(元ネタ:=LOVEの「青春”サブリミナル”」)という訳でもないけれど、初めて乗った時のことは今でも覚えている。2ビル→佐倉での乗車で、親父が酔っていて恥ずかしかった。当時小学生の俺は酒なんて飲むもんじゃないと思っていたが、そんな私もE217系末期にはE217系車内でセルフ居酒屋をしていたので、偉そうなことは何も言えない。

閑話休題。E217系が今まで見ることもなかったであろう山々を背にその時を待っているのが何とも切なく感じてしまう。私はJRさんとは一切無関係だし、何なら内部情報を教えてくれる「俺のダチ」(何がダチだよ(笑)。)はいないので実際は知らないという前提で書くが、しかしE217系の老朽化は激しかったという噂も複数あるので、仕方ないと言えばそこまでだ。それでも、もし仮にE217系の置換え計画の決定が中国の武漢で発生した新型コロナウイルスでの一連のアレよりも後だったなら、まだまだ先になっていたのではないかとも思ってしまう。いやそもそも中国と武漢と新型コロナウイルスが悪いんだけど。

今までの配給の全てを細かく見ていた訳ではないのでアレだけど、今回はこのようにカーテンが降ろされている写真が多く、終わりの始まりを改めて実感して寂しい気持ちになったものだった。…いや終わりの始まりならY-44編成(令和3年1月上旬配給)がそうでしょうがって話だと思うけども。4年前のあの時、E217系がいなくなるんだと思ってとっても寂しい気持ちになっていた。その割にロクに撮っていなかった(当時大学生の私は資金の大半を遠距離恋愛での交通費と宿泊費に割いていた)ので、私もまた意味のないオタクなんだろう。

桜とE217系。やはり日本人にとっての春の象徴の1つである桜と、ある意味で横須賀線ー総武線を「卒業」すると解釈することもできるE217系との写真と思えば、10年経って懐かしく思い出した時にエモい気持ちになれるのではないかと思う。その頃に日本が中国に侵略されて、私みたいな反中の人間が消されていなければだけど。

しなの号の待避を終えた配給はさっさと明科を後にする。内部情報を教えてくれる「俺のダチ」がいない私は完全にギャンブルで明科に来たらビンゴだったので、このノリで宝くじでも買って新車の3シリーズでも買おうかな。勝手にしろバカ(笑)

明科で基本編成を撮るのは多分2回目だけど、日が長くなったなあ。今回のY-35編成の配給に際しては最後尾1号車の方向幕が抜かれていたが、Y-41編成(令和6年秋の施行)配給の時のように知能指数の低い電車マニアにパクられたのではないと信じたい。もしY-42編成とY-102またはY-101編成を当面の間は予備車として残したいための部品取りなのであればと思いたいが、その確率は恐らく低いのが残念だ。ただJRさんの近郊形車両としてかなりエポックメーキングかつ歴史に残す価値のある車両であるとは思うので、どこかしらで保存されてくれたらそれだけで十分だ。

後続のローカルで配給を追っていこう。以前このローカルで寝落ちして長野で折返して返品されたなんてこともあった。Y-37編成の時だったっけね。帰宅ラッシュにあたる列車なのでそこそこの人間は乗っているが、かといってトナラーせずに座ることはできることが多いので、まあ何とかって感じ。実際に中央東線・篠ノ井線・信越本線の篠ノ井~長野において、211系のロングシートとボックスシートってどっちの方が評判がいいんだろう。俺みたいに今となっては比較的中距離~長距離で利用する人間でもボックスでの相席は嫌だしロングで隣が来るのも嫌なので、2人掛け席を独占できればそれでいいいってのはあるんだけど。

姨捨で停車するのでそのすきに1枚。N608編成(2000代)が充当されていた。今でもスイッチバックを体験できるのは案外貴重なのかもしれないね。うろちょろするお察しな鉄道マニアが2匹ほど乗車していて、うち1匹が駅に着くたびにうりろちょろとしていた上に私が乗っていた最後尾車両においてずっと車掌室をのぞき込んでいた。同族嫌悪を差し引いても普通にキモかったし、車掌さんからしてもストレスだろうし、なんか奇声を上げていたので最悪。
このローカルにおいても車内で酒を飲んでいて、遅番+残業で寝不足の私はあろうことか篠ノ井から寝落ちしておりました。はたしてこの先、どうなることか…。ブログ記事の構成的には寝落ちしたまんま松本に返品された上に、既に松本から千葉方面への終車がなくて詰んだ!ってなれば俄然記事も盛り上がるんだけど、予算と翌日のスケジュールの都合もあるのでそれは流石に厳しいです。いつかやりそうだけど。でもそういう大学生・大学院生時代のノリでのやらかしは記事構成の上で絶対に面白いので、そこで私自身をオモチャにできる記事を書きたい反面、社会人なのでその手のやらかしは控えていきたい。どっちだよ…。
