おはようございます。本日の過去画はかつての京成撮影記の焼直しです。完全なる手抜き記事とも言います。
高校生だったこの日(平成28年度)、北総7503編成の宗吾出場があるとの報を掴んだので定期券区間内の志津に特攻。多分だけど土曜日に部活が終わってからだと思う。部活やってた時は楽しかったなあ。

なんかこの前の日に試運転をやっていたらしいけど、もう当時のことはそこまで覚えていない。急行灯は残念だけどそこで文句を付けるのはお門違い。応援ハイビームはネタにするけどね。89Nなんて最後に撮ったのはいつだろうか。大学生の時と大学院生の時は千葉県を離れていたし、今は今で千葉線民だし、内部情報を唾飛ばしてドヤ顔で教えてくれる「俺のダチ」はいないので、まあ撮りたくてもなかなか撮れないけど。

3500形の各駅停車ももちろん撮影。この時の今では組成も違うので、どの編成が生き残っていようと、結果として撮っていた者勝ちだと思っている。マジでいつどの記録が貴重になるかはわからない。もしかしたら昨日撮ったあの写真も数年後には貴重になる、そんな可能性も否定はできない。

3500形の中でも一番遭遇率が高かった3544+3546-45編成も撮っていた。今の組成では見られない組合せだし、3544編成は執筆日時点では4両で運行されているし、この記事が出る頃には廃車になっていてもおかしくない。個人的には、執筆日の少し前に車検を通った3504編成と共に最後まで残存した上でラストランで3300形よろしく4+4の8両を見られると美味しいのだけど。もっとも、それもまだまだ先の話だろうけど。

3708編成の特急。ここからは志津を出て駅から少し歩いた踏切での撮影となる。こうして高校生という少し前の写真で記事を書いていても、ROMは変わって前照灯や運番のLEDも変わっている。そう思うと、やはり日頃の記録程強いものはないと思う。これ、自称「試運転障害」の方からしたらご理解いただけないだろう。でもそれでいい。撮り鉄だって千差万別、各々が撮りたいものを撮っていればいいんだから。みんな違ってみんないい。不法行為さえしなければ。

こちらは3758編成の特急。思えば日中ダイヤから特急が消えてからもう(公開は令和7年となる予定なので)3年以上が経つんだなあ。常々書いているけれど、日中の成田発着の快速特急は特急でよかったと思うんだけどね。私が京成本線を使うのは基本的に津田沼からの上りだけど、でも千葉線から乗換えたのが快速ってのもねえ。空港発だとライナー代やスカイアクセス線の運賃すら払えない成金クソ外人で混んでるし。それを差し引いても、日中の本線優等列車の大半が快速ってのはなあ。

そんな愚痴はさておき、後続の快速も3700形でした。これは美味しい。素晴らしい。一応この3連続で登場した3700形3編成に関しては執筆日時点でも現存しているが、しかし最近はめっきりこのようなこともないので、なんか書いていて懐かしい気持ちになった。でもあれ、絶対にこれ各駅停車含めて何本か抜けているぞ…。昔の記事の焼直しだからそんなこともあるか。

4連続の3700形で草。当時の記事のカツアゲを書き直している訳だけど、この記事に乗っていたのはここまで書いた写真が全て。3788編成自体は現存しているが、高砂検車区での脱線事故による編成組換えを経て、今の3788編成はこの時の3788編成ではない。令和2年と令和4年の脱線事故で3700形が8両も廃車になってしまったのはやはり残念だ。本当に。
なお、この時の私さん(高校生)はこれらを撮ってから帰宅して爆睡していた模様。高校生の時、どうせ大学受験で事故るならもう少し色々と撮っておけばよかったなあ。
そんな後悔は簡単だが、記事が薄いのを誤魔化すのは簡単ではない。なので、残りは京成3700形の廃車になってしまった編成をはじめとして現存しない編成でお茶を濁していこうと思う。

3700形脱線事故の第1弾となってしまった3748編成。もっともその時は北総鉄道に強奪もといリースされていて7818編成だったけども。これはそんな3748編成が強奪される前の写真。これを撮った時、まだ中学生だったのになあ。俺も年取ったもんだ。

検明けなのにこの出来は事故ですね。ダメですね。某氏完全に終わってんなこりゃ。そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁぁ!!!!!

そんな3748編成が北総7818編成に生まれ変わっている時の写真。画質が荒くて申し訳ないのだけど、よーく見ると北総要素も既にある。まさか事故って京成に帰ってきたかと思えば、3748編成自体がなくなるとはね。この写真を撮った時はそんなこと思ってもみなかった。

そんな3748編成が北総7818編成として活躍していた時の貴重な1枚。無論当時は貴重になるなんて微塵も思っていなかったけど。日頃の記録云々というよりは、こうしていつでも見られた車両がいなくなってしまったのがなんか寂しい気がする。

先ほどのものは四ツ木、こちらは八広での撮影。思えば北総車は押上線でばかり撮っているなあ。その懺悔はさておき、しかしあんな事故が起きるなんて。青砥での脱線に関しては(無論誰を責める気もないという大前提の下で)結局何が悪かったのかは知らんが、しかし残念だし当時はびっくりした。

なおその事故の報を知った数十分後に私はE233系T71編成の試運転を撮っていた訳ですけれども…。文系大学生も3年生になれば暇だったし、当時は甲府にいたからこそ撮れたものなんだろうけど。いつか中央快速線に後継車種が導入されたらまた頻繁に見られるものだろうと思いつつ、しかし15年以上の経年差があるのにグリーン車を導入した以上、新造サロがどうなるのかは見物だと思う。E231系500代新造サロの一部みたいに早々と廃車にならないといいなと思いつつ、まずはこのT71編成の転用先が執筆中の令和6年11月時点ではやはり気になってしまうのだけど。ただ、今回は京成回な上にE233系の転用に関しては夢と希望が無限大に広がるので、今回はそこについては割愛したい。
6月14日に公開予定の記事ではT71編成試運転に密着した記事を公開いたしますので、全国114,514万人の中央線ファンの皆さんも是非楽しみにお待ちいただけたら幸いだ。

閑話休題。結局事故を起こして1年と少し、3748編成は京成に帰ってきた。印旛車両基地からスカイアクセス線経由ってのもまた面白かったけど、流石に撮れなかった。イッツ判断力足らんかった!それはそうとして、この写真は復帰後の写真ではない。京成に明るい方ならご存じだろうけれど、損傷の大きかった車両と別の車両の2両を抜いて6両として復帰した訳ですから。
その姿がこちら。この顔で6両の各駅停車というのがまた今となっては新鮮。しかもパンタ混載してるし(これは先述の事故による組換えによるもの)。撮影は令和4年1月、私が荒れていたのはさておき、同年に高砂検車区で脱線した3788編成と併せて結局は3748編成は消滅してしまった。もう少しこれも撮りたかったんだけどなあ。

そんな3788編成も今でこそ現存しているけど、当初の編成ではない。まあ京成や本件事故の関係者の方々を批判したくはないが、でも3788編成の事故がなければ…と思ってしまう私もいる。

結局6両になった3748編成(2代目)から上野方2両をもらう形で、3788編成(2代目)は復活。しかし何かしらの問題があったんだろうか、令和6年2月下旬に機器更新を行って今に至る。3748編成の成田方4両(脱線したのを含めたら6両)と3788編成(初代)の上野方2両が廃車となり、この悲しきキメラとも言えよう現行3788編成が爆誕した。でもあの新しいインバーター(名鉄3500系みたいな音)、割と好き。時折乗れると嬉しいんだよな。まあ車内だとあんまり聞こえてこないけど。
何はともあれ、3700形の末永い安全な活躍を願いたいと思う。
執筆 令和6年11月30日
