ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

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AE100形シティライナー乗り納めの思い出等。友情出演:E217系・3600形。別の日の京急1000形快速。

おはようございます。平成28年2月までの過去画が終わったところではありますが、実はこの年の1月に私はAE100形の乗り納めをしておりました。その時の記事ぐらいは書いておいても損はないだろう、そう思って、AE100形の上りシティライナーの走行音(この時に私が録音したもの)を肴に当時をなるべく思い出しながら書いていきたいと思う。

 

シティライナーの停車駅は、東成田を出ると*1成田、船橋、青砥、日暮里、そして終着の上野。もう少し止めておけば多少は客がいたのかもしれないが、今更そんなことを書いても何にもならない。

なので、始発の成田から乗っていきます。実は上りに成田→上野で乗ったのは後にも先にもこれが最後だった。まあ佐倉市民(当時)が乗るとして、せいぜい船橋からだもんな。成田スカイアクセス線開業と同時にAE100形の天下りもとい再就職先として誕生したシティライナーだが、AE100形の定期運用終了と同時に不定期列車になってしまった。

もっとも毎年1月には成田山需要で運行されている訳だが、それについてはまた別の機会に。いつかAE形が第一線を退いた際もインバウンド地獄でスカイライナーが飽和状態だった場合は、十分に復活の余地があると私は思っている。逆にAE100がいる間に今みたいなインバウンド地獄だったら、AE100にも再び輝く余地はあったと思うし、それこそ3700形みたいに機器更新等をしていた可能性すらあると思ってしまう。実際、シティライナー全盛期(?)は普通に外人の利用もそこそこあったと記憶しているし。減便→客が乗らない→減便の負のスパイラルに陥っていたようにも思える。

 

シティライナー券。成田から上野は58分、950円は少々高く感じつつ、しかし今となっては雀の涙程度の小遣いを突っ込んだことは後悔していない。一番思い入れのあるAE161号車が保存してもらえたのはこの上なく嬉しいが、しかしまたあの車内でゆったりと移動したいなと思ってしまうのも事実だ。AE100形だって元スカイライナー、日本の顔だった訳だ。そこは京成鉄のはしくれとして忘れずにいたい。

 

さて、肝心の入線だが、あいにくこの時の写真がないので前年9月に乗った際の写真で代用させていただきたい。

AE51 シティライナー82号 AE-138~AE-131 ※写真はAE-168~AE-161で代用

この時は既にAE168編成が運用を離脱していたっぽい(私のオレ調べ)んで、専らAE138編成での運転だった。写真は前年にオフ会を兼ねて乗ったAE168編成の写真。マジで撮っておいて乗っておいてよかった。

なおその際はみんなでAE161号車に乗ったのだが、思えば家族で唯一みんな揃って乗ったのもAE161号車だった。私は物心ついた頃からAE100形が好きで、それこそ平成18年12月改正で大半のスカイライナーが船橋に停まるようになってからは母が何回も2ビル→船橋で乗りに連れて行ってくれていたが、家族みんなで乗ったのは後にも先にもAE形デビューの翌月のシティライナーが初めてだった。その時に船橋から乗ったのがAE161号車だったのは確か。思えば親父がジュース類自動販売機(サービスコーナー)がある4号車でお茶を買ってくれたっけ。帰りのイブニングライナーは初のAEで、八千代台で見送った時は運転士さんがミュージックホーンを鳴らしてくださったこともあった。

 

AE138に乗った時の写真だけど、まあひどい。この時は当時の習い事の先生の舞台に行くときに撮ったんだっけ。それはもうどうでもいいけど、今思えばよくガキがいっちょ前に(笑)シティライナーなんて乗ってたもんだ。この時の編成はAE138でした。

 

懐かしい方向幕

さて、閑話休題。先述の通り東成田からの回送が成田始発になるので、成田では始発駅なのにめっちゃせかせかしていた。そんな中でも方向幕は確保。今思えばあれも最末期のシティライナーらしくてよかったんだろうか。

 

横向きで申し訳ないが、AE100形の座席。現行AEがどうこうと言いたいわけではマジでないんだけど、でもフカフカかつシートピッチも広めで、多分14連勤ぐらいした後にあの頃は飲めなかったアルコール片手持って乗ったら間違いなく寝落ちしてウェルカム・トゥ・ナリタエアポートしそうな座席だった。

 

乗り納めの時とは違う車両で申し訳ないが、LEDの古き良き文面も好きだった。「シティライナー上野行。途中停車駅は船橋・青砥・日暮里」みたいな。そして何よりもこの車内が懐かしい。もう10年ぐらい前の話になるのが信じられないが、しかし10年経って懐かしいなって思い出すことができるぐらいには、やはり私にとって欠かせない存在だったんだと思う。

 

アッこれは間違いなく乗り納めの時ではない。というのも、下に写っている私が短パンをはいている以上、明らかに部活の大会帰り。そうだよ、乗ったもん。成田で大会があったからって、いい時間に乗れそうだからって船橋までの1駅だけど乗った。懐かしいな。でも楽しかったし今思うと嬉しいな。私の青春たる部活人生の中にAE100形もいるんだから。ガキがいっちょ前にライナー乗ってて草。あーはいはい。

 

そうそう、船橋までのライナー券だったから基本的にAE132号車が払い出されていたんだよな。いやほんと懐かしいな。懐かしいとは思いつつ、でもなんか昨日のことみたい。いつか、あの日みたいな空を見た時、きっと私はAE100形のことを思い出すことだろう。脳内BGM:この空がトリガー/=LOVE

 

これはその9月の撮影だけど、佐倉→うすいのカーブでの写真。まあ京成からもシティライナー運行取りやめの話もなかったしね。定期運行取りやめの2か月前だったけどマジで空気輸送でしたわ。これは東京都知事もニッコリ。ソーシャルディスタンスどころではなかった。

 

28分に510円というのが高いか安いかは知らないが、でもこの時に乗っていてよかった。私の青春のうち、最たる思い出である部活のうち、その大会の帰りにこうして乗ることができたこと、今思うと本当によかった。おかげで買い食いを何回我慢したかはわからないが、しかしこうして乗っておいたこと、絶対に無駄にならないと思う。

 

懐かしいな。10年前ならまだいたのにな。私さん世代の京成鉄にとって、AE100形はまごうことなきフラッグシップだった。AE100の車内で酒飲んでタバコ吸いたかったよ~~~~~~。

 

そうそう、こんな表示あったよね。懐かしいな。現行のイブニングライナーモーニングライナーは違うが、船橋においてシティライナーの場合は下りが8号車、上りが2号車でのみドア扱いをしていた。

 

船橋での1枚。これは恐らく大会の帰りに撮ったものだろう。高1のガキが贅沢してんじゃないよって話だけど、個人的にもそう思うけど、でも乗っておいてよかった。これは君を想い作った私だけの青春って訳だ。いや、どういうことでしょうか。しっかりしてください。

 

懐かしの車内。正直座席もシートピッチも最高だったな。

 

最後尾で撮った写真。

 

これは多分定期ラストの時に撮った写真だけど、まあAE138編成での撮影であることは間違いないのでまあいいだろう。この座席、京成さんもケチらずに売ってくれればよかったのに。正直この座席があれば私のいいオフィスになっていたかと思うが。でもそんなことをぼやいても仕方がない。

 

という訳で時空を成田駅に戻します。定期時代は84号だったが、この時は82号。時刻自体は変わらないので別に…って感じ。

 

この時に上野まで乗ったのはAE-135号車。前述の通り、上りを船橋で降りるとなると2号車ばかりだったが、この時は大奮発で上野までの乗車。M車を指定して上野までの1時間弱を楽しんでいこう。この時点でも既にかつての看板列車たるAE100形の劣化が気になるのは寂しく悲しいことだが。もっとも、それに関しては執筆時点の私が洗車しないと死んでしまう病だからという説もあるが。洗車のしすぎでこの時期はいつも指が手荒れでボロボロになる。粉雪~舞う季節は~いつも手荒れてる~~~。

 

ファッ?!これはたまげたなぁ…。最後の最後でファンサ(笑)のイブニングライナー幕を見ることができました。そんな訳(笑)。無論これは幕回しを動画として収めていた時のスクショに他なりません。AE100形のイブニングライナーに乗って街の灯を肴に酒を飲みたかった。

 

さっきも書いた通り、この時の車両はAE-135号車。船橋までの乗車では基本的に船橋でドアが開く2号車が優先的に払い出されていたので、なんか2号車以外の乗車がとても新鮮だった。でもなんか昨日のことみたいだ。

 

会えなくなるんだね。もうとっくのとうに会えなくなってますよ。AE100の自販機、懐かしいな。いつだったか家族で乗った時、親父がジャヴァティーを買ってくれたのが懐かしい。後継のAE形に自販機が受け継がれたのは利用客目線では嬉しいが、でもまあ管理は大変そう。

 

いろいろな意味で陰キャ丸出しな写真。当時も今もこれからも陰キャまっしぐらだけどさ。まあ下駄用の靴で行っていようとそうでない靴で行こうと、AE100との思い出が消えることはない。だからまあいいんじゃないですかね。知らんけど。そりゃまあ、部活中に目が逢うなって思ってた女の子すらいない弱者な男だからしかたない。それはどうでもいいが、イコラブちゃんのライブでガチ恋口上を打ちたい。この写真を撮った時は知らないが、でもイコラブのヲタクをしていた頃が一番幸せだったから。大事にしてた秘密の決心「ずっと好きでした」、そんな恋愛をしてみたかった。無論、この年になると恋愛が全てではないと思う上に、結局は自分が好きなことをやってこその人生だと悟ってしまう訳ではあるんだけどね。もはや京成関係ないのでそろそろ次の写真行けよボケが。

 

上野に着きました。折返しは回送で高砂ないし宗吾に回送されます。記事の中で少し貼った9月ではありえないレベルでAE100形もモテモテでした。そうか。ワンチャン俺も余命数か月ってことにすれば女の子にモテるって訳か。そんな訳ねえから黙って寝ろ(笑)。

ちなみに非モテ街道をスカイライナーしている私ですが、どうせ好きな女の子に好きになってもらえない系のオワコン男子(アラサーが男子かどうかはさておいて)な以前に、平気で噓をつく人間と違って絶対に嘘をつかない自動車や電車の方を信じてしまいます。独身の今、こうして趣味に生きているのが楽しいもん。

 

後継のAE形との並び。もし今もAE100形がいた場合、AEとの並びの撮影会で一儲け…ゲホゲホ。でもなんかな。時代さえ違えばAE100形にもまた別な意味でも日の目があったのではないかと思ってしまう。

 

懐かしいな、AE100形。思えば私が本格的にこの趣味に足を突っ込んだきっかけの1つは、前にも書いた通りE4系Maxや都営5300形同様に、京成AE100形もその1つだった。私にとっての青春だった。いや、例えAE100形がいなくとも(まあ実際いないし)、AE100形がいたあの頃は私にとっての青春だった。伝わる方に伝わっていればそれでいい。

 

ってことで、本当に客扱いを行うAE100とはお別れだった。これ以降、私がAE100形に会うのは既に公開しているであろうラストランのみとなる。公開日までに宗吾訪問時の記事でも出せていたらいいのだけど、まあ可能性は限りなく低いだろう。

※公開前日夜の追記:令和7年3月の撮影会で再会しています。関連記事を末尾に貼りますので、併せてお楽しみいただけたら幸いです。

 

1620E E-06

せっかくなので少し都内で大回りでもしてから帰るか、そう思ってJRの上野駅に歩いていたみたい。ルートなんて決めていないし覚えていない。親が遊んでないで帰って来いとうるさくて、結局普通に帰ったんだけどね。実家暮らしはそういう制約があって面倒だった。思えばこの頃のことを思うと、一人暮らしをするようになってから色々と自由だと思う。オンライン授業中に酒飲んでも怒られないし、理不尽なことで親父に怒鳴られることもなかったし。

 

多分秋葉原で撮ったんじゃないかと思う。なんかラッピングをしていた模様。

 

968S? Y-16

東京から総武快速で帰った模様…だけど列番に関していえば別日の撮影?Y-16編成だとこれは平成27年8月の松井玲奈さん卒業コンサートの帰りの可能性が高い…。なんでこの時の写真でこれなのかは不明。ただ同じ時期にうpしていたことは事実の模様。イメージ画像として貼ったのかもしれない。まだE235系1000代の話なんて噂すらなかった(少なくとも私の周りでは)ので、これを撮った時の私にはもっとE217系も撮っておいてくれと伝えたい。

 

船橋で撮影したライナー券の券売機。4つある券売機はそれぞれ2つずつが下り8号車・上り1号車付近にスカイライナー・シティライナー用として置かれていたもの。当時はイブニングとモーニングでも券売機が分かれてたんだなあ。今は4つともイブニング・モーニングライナーの券売機として利用可能になっている。

 

53K 快速佐倉 3618~3611

して船橋からは3618編成で帰った?模様。でももう少し暗くなっている気もするかと思いつつ、まあもう覚えてないので何とも言えない。3618編成で帰ったからとイメージ画像で使ったのだろうか。

 

81H 快速三崎口 1145-

別の日に高校の帰りに撮っていたと思われる快速三崎口行の1145編成。高校の帰りにそれかあ。いやまあいつものことではあったけど。なんかこの翌週だっけ?に1731編成が81Hを代走(当時は停車駅予報装置の関係で600形8両と1000形1121編成以降は原則として京成本線高砂以東の営業運転はなし)した時に何故かTwitterでかみついてきたリンムー(仮名)なんてのもいたが、もうお亡くなりになっていることだろう。ご冥福をお祈りいたします。俺が何したんだ(笑)。挨拶1つできずフォロワーっぽい人に声もかけられない情けない陰キャ(笑)。くだらない存在で終わっちゃったね、また。ご冥福をお祈りいたします。

なお今でこそ京急車の快速はどの編成でも充当可能であるほか、平成27年春の時点で設定されていた高砂始発の快速に関しては停車駅予報装置が必要なかった(高砂を出ると青砥、押上に停まってあとは都営線)ので、これといって運用制限はなかったはず。私も1097編成のそれに一度乗ったことがある。

 

撮影・乗車 平成27年~28年

執筆 令和6年12月21日

 

comexp2133.hatenablog.com

関連記事として、AE100形と再会した時の記事も貼っておきますね。是非ご覧ください。BGMは=LOVEで青春”サブリミナル”かな。=LOVE=LOVEでもいいかもしれない。

*1:末期の上りは成田駅の線路容量の都合上、宗吾を出庫後に一旦東成田に回送し、折返して成田に来ていた。そのため、正確には末期のシティライナー84号、この時の臨時同82号は列車番号こそ分けられているが、書類上は東成田始発。

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