1月22日、ちょっとショックなことがあってその日行く予定だったE217系の配給輸送をいっそのこと甲府で撮ってしまおうかと思い、まあ弾丸で甲府に行ってきていた。バカなのではないかと言われそうだけど、バカだからやっていることだ。給料日前だから長野までは厳しかったけれど、新年初甲府も悪くはないだろうと。無論、今度はゆっくり行きたいと思っている。

ハロー。どうせ千葉12時19分の成田エクスプレスは間に合わないから後続の快速で行き、東京から新宿は半年弱だけできたグリーン車乞食をし、新宿でタバコを吸ってから缶ビールロング缶を買ってあずさ29号に乗車。八王子で29MがE217系の配給を追い抜いていくのは知っているので、まあどうせならって思って進行方向左側を指定していた。平日水曜昼間なので、そこまで乗車率が高くなくて平和で快適だった。大月通過便だからクソ公害インバウンドもいねえしな(笑)。特に中国大陸人に関しては頼むから出禁にしてほしいし、在日中国人も全員大陸に送り返してほしい。日本は日本人の国であり中国人の国ではない。クルドてめえらもだ。迫害されてしまえとすら思う。

ちなみにPCは開いていて、記事も書こうかなって思っていたんだけど、結局ダラダラ酒飲んでて1本どころか1記事も書けなかった。この日むしゃくしゃして1日中飲んでたし、あのメンタルで記事は書けないしな。それほどショックなことであった。案外私の心ってバリケードなんです。デリケートだろうが(笑)。バリケードだったら鋼だろ。なんでそんなことを今になって言い出したかって、
中には望ましくない、受け入れ難い事実もあるかもしれません。そんなときはどうか反射的に罵倒に走らず、ひと呼吸置いてみてください。書き手も人間ですので、書いた記事が妄想や偏見に基づいた中傷を受けるたびに傷ついています。
— 夕刊フジ運動部 (@yukanfuji_spo) 2020年10月6日
なんか今になってこれをいじるのもいいかなって思って(笑)。朝鮮中央通信、あ間違った、フジテレビではないけれど、まあ夕刊フジも似たようなもんでしょ(笑)。撮り鉄に叩かれるフジ産経一派(笑)。撮り鉄を叩くのは報道の自由だし、実際に叩かれるようなことをする知恵遅れもいるけれど、しかしまあ撮り鉄叩けば数字が取れると思っていたあのクズ共はこれから個人ブログという小さい規模ではありつつも、当ブログで沢山いじっていきたい。フジ産経一派だけだと思うなよ(笑)。
しかしまあフジテレビ社員のガキが学校でいじめられてるって(笑)。今まで自分の親がフジテレビの社員だって自慢してたんだろどうせ(笑)。
閑話休題。

LED粉砕。これはまたイキリ流しマウンティング小僧(某バス会社勤務)がヒス起こしてしまいそうだ。勝手にヒスってろ(笑)。4年売却ルール(それレンタカーやカーシェアじゃねえか)に則り4年経ったら時効ルールというものを作り、そいつから受けたマウンティングツイートを開示していきたい。バレて捕まってまたFFになったのが4年前なので、そう考えると6月ぐらいから順次そういうことをできるということになる。フフフ。次は甲府表示を見ると大学生というか甲府市民時代はそこまでwktkしなかったが、今となってはwktkする。いやだからLED切れてるから(笑)

甲斐大和→勝沼ぶどう郷のトンネルを抜けて9月以来の甲府盆地へ。それ自体は初の来峡ではないものの、大学進学にあたって甲府に引っ越してきた時(平成30年4月)にここの勝沼の桜がとても綺麗で、まるで私の門出を祝ってくれているというか甲府に歓迎してくれているというか、そう思って少し感動したのを覚えている。そして甲府盆地に降りてからの桃畑も負けず劣らずにとても綺麗で。もっとも大学受験に関しては負け組なので、門出もクソもなかった訳だけど、でも今思えばいいご縁だったと思う。大学がではなく、山梨県とって意味で。
大学はもう潰れてくれて結構です。インバウンド増加を煽るし書類ミスで学生をダブらせるし女子学生は顔採用してるし教職員間でのハラスメントやばいし。女性准教授を教授に上げない体質らしいけど、自称フェミニストの皆さんには是非とも槍玉に挙げていただきたい。

懐かしの甲府盆地。定期的に来たくなる魅力があるし、千葉からもちょうどいい距離なのがまたいい。車で行っても首都高や中央道が楽しいし(ただしこの時期はスタッドレス必須)電車で行くならあずさ・かいじは最高の居酒屋だし、久しぶりに高速バスで行くのもいい。個人的には山梨交通の山交走りを久しぶりに体感したいというのもある。

もうPC畳んじゃってるよこの人。せっかくのE353系乗り初めなんだから記事書けよ(笑)。ちなみに後述するけれど、帰りは寝てました。酒のアレもあるし、ラーメンドカ食いしたのもある。

美しき甲府盆地。もう千葉を離れることはないと思うけれど、青森が生まれ故郷、千葉が育ったふるさとと考えたら山梨は第三の故郷と言ってもいいかもしれない。車があれば絶対にもっと楽しかったんだろうと思う。ワーゲンのDSGで山梨のワインディングを走りたい。国道358号線とか、武田神社の更に上の方にある県道とか、絶対に楽しい。

ああATとCVTとDCTの違いもわからない警察マニアは帰りな。そんなのもわからん奴が「俺もよく他人に車の運転任されるから」なんて自慢してきた日は心底ドン引きしたものだ。車は一歩間違えたら凶器になってしまう。記事をご覧の皆さんでまだ免許をお持ちでないお若い方々には、くれぐれも自動車は一歩間違えば凶器となり、ほんの少しのミスが取り返しのつかないことになるということを頭に入れてから免許をお取りいただき、無事故無違反で楽しいカーライフを送っていただきたい。例のクチャ男には国産車だろうがワーゲンだろうが絶対に愛車を運転させたくないと改めて思った、まあ縁切ったからもういいけどさ。なーにが車運転させて、だよ。なにが「モノを積むならSUVなのでゅわぁ?」だよ。お前に貸す車はない。

甲府に到着。甲府駅は中央東線の東京~塩尻のうち、現在は甲府と新宿のみホームに喫煙ルームがある。かつては初狩以西にも灰皿がホーム端にあったが、令和4年に廃止。クソが。ちょうど私が甲府を離れたタイミングだった。

ちょこっとだけ変わった甲府駅北口。つってもまあ私が気が付いたのは喫煙所の場所が変わったぐらいなんだけどね。8月に車で行った時とはまた変わっていた。特急アルプスは春臨でも運転されるとのことで、スタッドレスでなくても行ける季節になったら行こうかな。ああわつぃは将来が心配な無職ニートキモータヒッキーなので、いちいちスタッドレスに履き替える資金はないしスタッドレスが必要な地域に行くときはレンタカーを借りておけばいいかなと思ってます。

やっと本題。ここで最後に撮ったのっていつだっけ?ああ、諸事情で甲府に来ていた大学院1年生の9月だったか。313系8000代が身延線に来ていて、まあ身延線自体は普通にラッシュ時は山手線が真っ青になって京浜東北線に化けるレベルなので顰蹙を買っていたかと思うという件についてはさておき、せっかくだからとそれを撮っていた。

それがこちらだ。日中は南甲府に停泊してお昼寝をする運用で、しかし8000代が充当されるのはレアだった。まあ身延線3両は基本的にロングシート車両が適任だったからね。当時名古屋市民最初の1年で、私と入れ替わるように8000代が静岡に転属してしまったので、なんか不思議な気持ちになったものだった。

閑話休題。ここでE217系の配給は撮ったことがなかったっけか。金手まで歩いてもよかったのだけど、この時点でやけ酒酔いどれアラサー男と化していた私が間に合う自信もなく、また千葉からSuicaで入っていたので身延線に乗換えるぐらいなら…ということで甲府から歩いていた。さわやかウォーキング。

適当に切り取ってみる。E217系ばかりが注目されて、実際に定期運用でも今になって(笑)なんか葬式鉄が各駅に沸いているらしいが(笑)、個人的には新潟の双頭連結器のEF64形1000代3機についても個人的には今後が気になっている。
というのもE217系全廃後、EF64牽引でないと長野総合車両センターまで行くことができない直流車両は209系500代と3000代、2100代と2000代ぐらいだろう。E231系以降は狭小トンネル対応であり、それこそ常磐線や元中央総武線・現武蔵野線または八高線のE231系0代等は長野総合車両センターへの出入りに関しては自走だったので乗務員さんの訓練も必要ないだろう。そう考えると、仮に209系を長野総合車両センターに送るにあたってスーパークモヤことE493系にそれを任せてしまってもおkと判断された場合はどうなるかがわからないからだ。まあ上越カッターや信越カッターもあるだろうし、新潟支社に関してはばんえつ物語の予備もあるだろうし、そう簡単に廃車にはできない気もするけれど。ここら辺に関しても注目していきたい。

回数で言えば普通車の方が乗ってきているとは思うけれど、でも特別なときはいつもグリーン車だった。思い出のグリーン車もまもなく姿を消してしまう。座席の販売だけでも期待したいんだけどね。確かに後継のE235系1000代グリーン車はコンセントもWi-Fiもあるので、その点ではE217系のそれはどうしても見劣りしてしまうが、しかし思い出が消えることはない。厨房の頃は京急じゃなくて総武快速で横浜か~なんて思っていたこともあったけれど、今思えば沢山の素敵な思い出をもらったと自信をもって言える。

Y-33編成にも沢山お世話になってきたことだろう。長い間お疲れ様でした。そして沢山お世話になってきたこと、心から感謝。E217系なんて当たり前すぎて、正直各編成との思い出となると…と思わないこともないんだけど、でも楽しかった。佐倉の田舎に育った私からしたら、まあ最寄りが京成だったとはいえ、でも東京や横浜といった都会に出る時に乗っていたうちの9割がE217系だったと思う。この電車に乗ったら都会に行ける、この電車に乗ったら違う世界に行ける、そんなある種の憧れの存在でもあった。

そんなE217系がいなくなる日が来るなんて当時の私は思ってもみなかったっけか。10年以上前になるが、年越し家族旅行で逗子と鎌倉を訪れた際も、佐倉~逗子・鎌倉でE217系に乗っていた。あの頃はまだガラケーだったけど、新年を迎えた瞬間に電波が一気に重くなって、何回もEメールの受信サーバーを確認してたっけ。同級生ともメールでやりとりしていたのが懐かしい。中学の同期は基本的に全員死んでいるが(全員ここで死ぬんだよ!)、仲良くしてくれていた子たちとはメールしていたのを覚えている。

閑話休題。甲府では中線に入る模様。すれ違いで出てきた211系の方がよほど経年車であることがなんか何とも言えない気持ちになる。そんな211系だが、長野総合車両センター所属車両のうち6両の編成に限っては延命工事がされていないので、恐らくは近いうちに何が動きがあるのだろう。6両14編成がどうなり、後継がどうなるかについては見ていきたい。ここまで来て残りのE217系を6両14編成用意するなんてことはないだろうけれど、そういえば同じく6両14編成の布陣な形式がいたようないなかったような。

E217系初の廃車回送を見送ったのは写真にも写っている踏切。あれから既に4年が経ち、その4年の間にE217系も一気に数を減らしてしまった。一部113系のような転用もなく、また千葉以東での同僚とも言えよう209系2100代よりも短命に終わってしまったのはなんか残念だ。残した実績は決して小さいものではないと思うので、できれば1両ぐらいはどこかに残ってほしいのだけど。

なお身延線313系に関しては2編成しか存在しない313系3100代だった。この並び自体はまあ湯河原や伊東線方面への疎開等で実現していなかったとも言えないけれど、悲しいがこのような並びも廃車回送ならでは。

211系のローカルはN603編成、国鉄時代に製造されて東海道線で長らく活躍していた0代。車内はボックスシートであるほか、個人的にはN610編成(2000代)の次によく遭遇している印象の編成。その節はお世話になりました。211系のうちJR東日本に所属する車両の中で、国鉄製造とJR製造で設計が異なるかどうかは不明ながらも、あくまでも私のオレ調べでは0代・1000代のボックスシート車両の方がすきま風が寒い印象。とはいえコロナ対策の換気はバッチグーだし、冬場は私自身が防寒対策をしてさえいればすきま風で酒が温くならないので、ある意味では当たりの車でもある。

左から313系3100代、甲府下本を開けて中線にはE217系、そして上本にはE353系。廃車回送ではないと見られない並びだろう。ちなみにE217系廃車回送の初回の数回のみは深夜帯に運転されたが、その際は下本に入線していたので、恥ずかしながらE217系が中線にいるのは初撮影。今更かよとは思うが、しかし今思うとこれも撮っておいてよかったのだろう。

して何がダメかって、甲府の脳内時刻表が既に飛んでいたのか、程なくして到着する2本の特急の存在をド忘れしていた。それはダメだろ(笑)。思えば最近更新を停止している妄想名古屋紀行において、N700Sに乗りたいがためにこのふじかわ7号を利用したこともあったっけ。年内は高校生の時の過去画で一通り押し通すと思うので次回の妄想名古屋紀行は令和8年以降の更新になるとは思うが、いずれその話もしたい。ふじかわ号、まあ並走する富士川の流れより遅いこともあるとはいえ、乗って楽しい特急だもの。373系ももう2年乗っていないので、また乗りに行きたい。

一応だけど373系も入れた4並び。だいぶ苦しいけどね。中線の信号が開いていることからお察しかと思うが、まあE217系配給が甲府に停まる理由は待避ではなく乗務員交代なんだろう。だったら下本じゃダメなの?と言いたいところだけど、これは配給列車に遅延が生じた場合に間もなく到着する甲府止のかいじ31号が甲府に入れなくなることを防ぐためなんだろう。逆にE217系配給の配9441レって、八王子を出ると1時間以上待避がないので、だいぶ気合いが入ってるんだよね。いや私のオレ調べだから、実際は猿橋や甲斐大和で待避をしている可能性もあるけどさ。

して最大のやらかしは、この時間ならふじかわ7号とほぼ同時にこのかいじ31号が来るってことを失念していたこと。バカじゃねえの(笑)。酒は飲んでもナントヤラ。それはそうと(マスコミみたいに都合の悪い件は臭い物に蓋)、そういやS112編成の出場試運転も撮ったなあ。うん、確か大学の授業終わりに撮ってたっけか。そんな編成が今こうして活躍しているのを見るのはやはり感慨深いものがある。E353系はこれからも中央線特急でバシバシ活躍していくことかと思うので、どうぞこれからもよろしく。
そうそう、これだ。E353系に関してはS109編成以降の出場の一部を撮ってきている上に、動きに関してもだいぶ把握していると思うので、これからも色々と追っていきたいと思う。できればあと40年ぐらい先であってほしいが、E353系引退の頃には初期からその頃までの話でいい記事を書く自信もある。問題は、私が余命30年程度であることだ(笑)

伝わっていたらとは思うが、E217系配給に関しては既に中線を出ている。中線から下り本線への出発は分岐器制限がないということに関してはさておき、甲府では珍しい同時発着が見られるという知見はE217系配給末期になってやっと得たのはここだけの話。まあ同時発着をやるようなアレではないとはいえ、できれば千葉あずさの前にかいじでも走らせて、千葉あずさを八王子・立川・新宿まで乗っていく輩を分散させてほしいとは思わないことも無いが。

Y-33編成よさらば。本当は長野まで追いたかったが、今回は無理だった。まあ行きたかったのに家庭の都合で行けなかったY-30よりはマシか。改めて本当にお世話になりました。
光線もアレだしこれ以上撮ってもって感じなんで、先述の喫煙所で一服した後に山梨交通さんのバスで武田神社に行くこととしよう。9月にカシオペア試運転を追っかけた時には訪問できなかったので、流石にもう行きたくて行きたくてって感じで。まあその後のY-41編成追っかけツアーの帰りには訪問していたとはいえ。
来てしまった。甲府に引っ越す前からのパワースポットであり、私にとっての聖地でもある。不敬罪かもしれないが、信玄公というか武田家のほうとうってどんな味だったのだろう。一応祖先を辿ると山梨にご縁がない訳ではないので、そういう意味でも気になるところではある。私の先祖も信玄さん流のほうとうを食べて戦に臨んでいたかもしれないからね。して基本的に山梨県民のほうとうは家庭の味というものがあり、正解というものもないからね。個人的にはかぼちゃを突っ込んでまろやかにして、熱燗と共にほうとうを食べるのが好きだ。

懐かしくも安心感を覚える。私が厨房時代からの信玄さんヲタクなのを差し引いても、ここには何かの安心感を覚える要素がある。

初詣ではないが、しかしお参りをさせていただきました。今年もよろしくお願いいたします。思えば数百年前のここには躑躅ヶ崎の館があったんだもんな。そう考えるともうキモータヒッキーの血が騒ぐどころではない。板垣信方氏も山本勘助氏も、時は違えど確かにここにいたのだから。それを語ると記事がマジで終わらなくなりそうだけど、言葉を返せば戦国時代における信玄さんの国内政治に関しては学ぶことも多いのではないかと思う。これ、売国奴ぞろいの現政治家にはわからんだろうな(笑)。

16時を回っていたので神様の定時を超えてしまっているのはアレだけど、武田神社からの望み。甲府盆地、いつかまた住むご縁があったらなあとは思う。あの頃と違って車さえあれば無敵なんだもの。近所付き合い?知るか(笑)。そういう意味では実家車のAW前期ポロが私の物になっていたらと思ってしまうけれど、まあ外車コンパクトカーなのでリセールは(検閲)なのに売却した親のことはそこだけは憎まずにいられない。

武田神社近辺の現在と当時の地図を書いたアレ。歴史上の人物とはいえ、信玄さんも信虎さんも武田二十四将の皆さんも、当時は生きていた訳だから、同じ土を踏んでいると思うともうエモいの何の。もし仮に私がいずれ死んだとして、またもし現世が空想というよくわからん説が事実だとして、あの世で転生先を選べたとした場合、信玄さんと一緒の時代に生まれたい。でも見る景色こそ違えど、みんな同じ空を見ていたのかと思うと込み上げてくるものがあった。

甲府駅までもまた山梨交通さんのバスに乗りました。そういえば山梨交通さんはキュービックもジャーニーも、高速だとガーラの中でもC774みたいな古い方もいないんだっけ。車ヲタになるきっかけの1つでもあったから残念だ。

甲府駅に到着。既に早朝かいじ70号についての宣伝が行われている。担当なさる乗務員さんからしたらお仕事が増えてしまうとはいえ、利用客目線では神だと思う存在。我儘を書いてしまって申し訳ないけれど、正直私が甲府に住んでいた4年間でこの手の特急があったらもう少し遠征の選択肢も…そう思ってしまわないことはない。

御屋形様、ご無沙汰しておりました。南口には信玄さんの像がある。この前の喫煙所を差し引いても、南口の信玄さんの像は旅の始まりであり旅の終わりでもあった。
ので、とりあえず腹が減ったので、甲府市民時代に行きつけだった家系ラーメン屋「大黒屋」さんに3年ぶりの訪問をしよう。
酒の勢いで酒を頼むあたりもう。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁああああ!!!例の気持ち悪い警察マニアのクチャ男にここを紹介しなくてよかったけれど、でも名古屋市民時代とはいえ、よくもまあ無職の分際で貧乏学生の私の家に居座って、何なら洗濯まで俺に押し付けてくれたなあとは思う。今思うと虫唾が走る。

例のクチャラー警察マニアのことばかり書いているのは写真にも失礼なので(笑)、この時に食べたラーメンについて。先述の通り、甲府駅前の大黒屋さんでいただいていた。あのクチャ男を甲府に泊めていなくてよかったなあと今になって思っている(笑)。

はい色々と追加!そうでもしないと人生やってらんねーよ。だだ腹が立つのは大黒のラーメンを千葉で食えないということ。ラーメン食いたい。もうだめだ。ちゃんと体重を落とすという条件付きで食べに行きたい。
なおそのクチャ男だが、私に対して、髪が伸びていたこと等に鑑みて、とある指名手配犯に似ていると中傷してきた。特徴的な見た目の奴にそう言われたのは悔しいが、まあそうして借金も払わずに私のことをバカにした件について、またやったことが山梨でも問題なっている件について、何も知らないのだろう。
千葉行あずさはギリギリ間に合わない上に混んでいても嫌なので、後続の新宿行かいじ52号を選択。あれはいつも空いていていいんだよなあ。とはいえ酒を飲んでいたこと、またラーメンをドカ食いしいたこともあり、無事に気絶。E353系は普通席でも十分によく眠れるので、それこそ特急アルプスはE353系でやればいいのになあとは思わないことも無い。

東京ではまもなく運転を取りやめることになる特急はちおうじ号の行先LEDを撮影。グリーン車に丸投げが正解なのかどうかは現時点ではわからないが、どのような結果になるかについては見物だと思う。もっとも客単価という意味ではグリーン車の方がいいのだろうけれど、特急はちおうじ・おうめに関しては遠近分離も兼ねていたかと思われるので、そこを通勤快速や通勤特快でどこまでカバーできるかというのも焦点だろう。
東京からは快速で帰ることとした。千葉まであずさ50号だと特急券が2,000円を超えるが、新宿までのかいじ号(値引きあり)+快速グリーン車の方が数百円安くなる。東京始発ではなく、特に総武快速で千葉に帰る層に関しては品川・新橋からの客が多いのもあるので相席にはなってしまうことは今回は覚悟の上だ。
ちゃ~んと狙って乗ってました。ええ。先ほどY-33編成を見送ったが、帰り道はY-35編成のグリーン車だ。E217系を見送った後にE217系で帰るのもあと1回できるかどうかだろう。そう思えばグリーン料金750円は…高くないとは言えないな。タバコ1箱の値段よりも高いんだもの。とはいえこうして乗って帰ることができるのはありがたいことだと思う。

なんとか座れました。なんか数分ほど遅れていたけれど、そこは別に気にしていない。千葉駅から歩いて帰るだけなので。一部だけ木目調、あとは無機質な感じなのがE217系らしくてこれもまたいいなあと思う。JR東日本として製造した普通列車グリーン車のうち、国鉄型の113系や211系のものを除けばE217系が最初だろう。そういう意味でも記念すべき、後世に遺すべきものだと思うんだけどなあ。長野総合車両センターにサロ1両放置プレイになったらそれはそれでシュール。ないと思うけど。

車内販売では缶チューハイを購入。4%なのでまあジュースみたいなものだけど、思えばSLレトロぐんま水上の車内販売でもこれを買ったような気がする。今はこれを売っているということだろう。ちなみにさっきの写真で左下にいた2人組が新小岩までずーっとしゃべっていてうるさかった。ご冥福をお祈りいたします。

津田沼で隣の席の客がお亡くなりになった、間違った、降りて行ったのであとは2人分独占。ピースピース。そういやこの時の俺、マフラーも上着もしたままだったのなんか草。

平屋席は荷物棚があるのがいいよね。もうそろそろいい加減にE217系の乗り納めに行かないとなあと思う。グリーン車、ボックス席車両それぞれ。グリーン車は1階席、2階席、平屋とあるほか、ボックス席に加えて付属編成(ただしオールロング)も乗っておきたいので、合計5回の乗り納めとなる。間に合うのかそれ(笑)

カーテンの柄と座席の柄。ずっと忘れずに覚えておきたいと思う。この座席、JREモールさんとかJREモールさんとかで販売してくれないかなあ。2脚1組で3万円ぐらいで残りを売ればそこそこの儲けになると思うんだけど。ダメかなあ。無理かなあ。
千葉に到着した。電車は成田空港行だけど、成田空港まで乗る訳にはいかないので名残惜しいが千葉で降りる。

方向幕。思えばエアポート成田がなくなってもう7年か。7年前は高校を卒業した時なので、もうそんなに前なんだなあと思う。家族で成田空港に遊びに行った帰り(小学校4年生だったっけか)に家族でグリーン車に乗ったのが人生初の普通列車グリーン車だったな。とてもwktkしていて、確かあの時は網ポケットに何かパンフレットか何かがあって持ち帰ったっけか。あれはいつのことだかわからないが、でも消えることのない思い出だ。

後ろはY-102編成だった。Y-101編成が実質的に本線に出てくることもない現在、本線で見られる最古のE217系はこの編成。一応は30年間に渡り活躍した長寿の編成だけど、その一方で初期に廃車になっていった後期車は…と思うと何とも言えない気持ちだ。

もしかしたら千葉で撮るのも最後かもしれない。E217系も本当に終わりが見えてきた今、この日の四街道は大盛況だったのかもしれない。しおさい11号を撮りに行くにあたってもE217系の運用がない日を狙った方がいいのかなあ、なんて性格の悪いことを考えているあたりもうね(笑)。三脚使えた時代から撮ってきてるもん、今更大衆ネタ(笑)と化してしまったところに特攻する必要はないだろう。平和にまったり撮りたいんだもの。

また別な構図で1枚。何もなく走り去る姿をただ以下略。その走り去る姿に何かこう寂しさのようなものを覚えてしまって、カメラを下げてからもずっと見送っていた。
E217系の廃車回送のために甲府に弾丸で行き、帰りにE217系で乗るという衝動的なミニ遠征はこれにて終了。改札を出て、センシティの喫煙所で一服した後に寒い中を歩いて帰宅。終電ではないにせよ遅い時間帯に帰ってきてバタンキュー。翌日からは怒涛の連勤をこなすこととなるが、連勤だろうが何だろうが無事故無違反を貫いていきたい。気が晴れたとまではいかないが、しかし気分転換にはなっただろう。次回の配給は長野まで行けたらいいなあ。
撮影等 1月22日
執筆 1月28日