令和6年2月22日、255系「しおさい」の惜別乗車をすべく、銚子を目指すことにした。とはいえ滞在時間は僅かなので、銚子を堪能できなかったのが残念ではあるけれど。という訳で、さっそくリメイク版として銚子に向かっていきたい。
1.千葉→銚子
1)千葉→成田 E217系快速成田空港行
旅の始まりは千葉駅から。寝不足ということもあり、この酒は結局成田まで飲まず、成田からのローカルで呑むこととなるのは別にどうでもいい。
途中、鹿島川を渡ると向こうに佐倉市街地が見えないこともない。この先の短いトンネルを抜けたら佐倉駅が見えてくる。曇った空に響く電の音は、今を出発つ皆の想い。
佐倉駅の南口が見えてきた。あのパチ屋があったところはかつて安いコインパで、家族で出かける際に佐倉からJRを使う時はよく使っていた。もうあのコインパも、当時の家の車もないんだなあ。その車は時々言及するフォルクスワーゲンのトゥーランというミニバンなんだけど、なんか夢の中に出てきて運転する車ってなんだかんだあのトゥーランが多いんだよな。そしてこの写真を撮ったE217系もまもなく過去のものとなり、この後に乗る255系も考えようによっては既に過去のものになってしまったのかもしれない。星になれ君よ 君は月になれ。
成田に到着。ダイヤ乱れの影響で本来であればE235系の運用を代走していたということになる。ちなみにこの前に乗ったY-26編成は令和6年12月8日公開記事の千葉→成田空港で、その時は大変な腹痛に襲われたと書いたと思う。何を隠そう、この下車後にも腹痛に襲われた。209系のお手洗いが和式じゃなくて本当によかった。
2) 成田線銚子行 209系
209系のボックス席に乗車。今日だけ2階建てです!もういいからそういうの。
成田線佐原方面の成田以東に乗るのは、記憶が正しければ小学5年生の宿泊学習で小見川に行ったとき以来のことだ。小学校も中学ほどではないにせよゴミだったけど、あの時は113系に乗れて嬉しかったのは覚えている。そして成田線のうち小見川から先は未乗区間ということもあり、また普段は見ない景色ということもあり、なんだか心が洗われた気がする。
2.銚子駅にて
銚子に到着。
引退間近だった銚子電鉄2000系の第一編成がいた。ついでなので見物しておこう。銚子電鉄はかれこれ20年近く乗っていないのがなあ。ぬれ煎は高校生の時に勝田台でよく買ってたけど。
経年劣化というか塩害もすごかったんだろうなあというのが見ているだけで伝わってくる。銚子もまた行きたいし、前回は家族での訪問だったので銚子電鉄を撮ることもできなかった。車で行くとなると横芝から先の国道がかったるいし、電車で行くにもしおさいは混んでいるし、まあでも車かな。銚子電鉄には乗りたいけど。
引退を記念して方向幕には「ありがとう」の文字が入っている。後継は南海2200系を改造した22000系とのことで、これはまたバリエーションが増えて楽しそうだなと思う。
外川方は銚子方のそれと顔が違うんだね。銚子行きたい。
ここで私が乗ってきたローカルの209系も見ておこう。編成はC604編成だった。209系のボックスシートで酒を飲みながら、あの大きな窓から車窓を眺めるのはなかなかいいものだった。内房・外房線方面を209系で大回りするのは難しいけれど、総武本線・成田線・東金線・外房線を使えば209系での大回りもまだできる。早く実現させたいね。
イルカに逢える街、銚子。右の液晶タイプの自販機わりと好きだったんだけど、なんか減ってるよね。
乗車予定のしおさい12号は既に車内整備が済んで、ドアも開けた状態で出発を待っている。なので自由席だろうが指定席だろうがグリーン車だろうが、発車40分以上前から車内にいることもできた訳だ。なんと太っ腹なことだろう。
そう、銚子は醤油の街でもある。私も小学校4年生の校外学習では某醬油工場を見学したり、犬吠埼灯台に上ったりしたのを覚えている。あれ、3年生の時だったっけ。どっちでもいいわ(笑)。
この日のしおさい12号は255系Be-01編成が充当されていた。この編成には後日また乗ることになったが、しおさい号としては…いや別に最後じゃなかった(笑)。まあ銚子からフル区間での乗車は最初で最後だったけどね。後述するけれど、既にこの編成は満身創痍だった。結局郡山総合車両センターに配給されて、執筆日時点では一部車両が解体されてしまっている。
運転席はこんな感じ。
年季が入っているなあという感想と、でもそこまでの古さを感じるわけでもないという感想。それまでの特急とは違い前面展望も楽しむことができるのが魅力だった。後継のE259系でそれはまずできないからね。
駅名表。そりゃまあ銚子から先は銚子電鉄だから当たり前だけど、片方に駅名がないこの終着・始発駅仕様の駅名表っていいなと思う。
自由席と255系と9両のしおさいが生きていた証ということで。LED職人さんがいらっしゃるんだね。こういうの好きだな。
無論折返し乗車はいけないことなので、改札は出場。タバコも吸いたいしね。
銚子駅はこのような簡素な感じのなかなか見かけない駅舎。ちゃんとコンビニがあるのが助かりました(酒の購入ができるので)。
なかなか見かけないタイプの駅舎、いいな。また銚子にも行きたい。
よくわからないけど、なんかこんな石碑もあった。
このホームと直結した改札の向こうに特急が停まっている景色、たまらなく好きだ。E259系でもこれが見られるのはいいけれど、でも6両290人しか乗れない上に減便しているのはやはりいただけないと思ってしまう。居住性では255系より圧倒的に快適なだけに余計に残念。
このポスターが今もあるならE259系になってしまっているのかね。
3.銚子→東京 255系Be-01編成「しおさい12号」
本日のしおさい12号は僕だけ6両です。あっはい。という訳で銚子から東京までの1時間半、ガバガバ飲んでいきましょう。
2号車東京方のLEDはこのような感じ。最初は発車前でまだ時間もあるから動いていないのかなと思いつつ、しかし今まで東京始発に乗車した際にそのようなこともなかったので、変だなあと思っていた。結局故障していただけのようです。
せっかくだから沢山お世話になった洗面所も撮っておこう。今更かよ(笑)。固形せっけんが懐かしい。まあ衛生面的にはどうなのってアレもあるんだろうけどね。
255系とすれ違ったシーン。もうこれもまず見られないだろうな。もう一度ぐらい乗る機会があればいいんだけど、でもまあ激パだろうし…。
御手洗も満身創痍。31年の長い間、房総特急一筋でよく頑張ってくれたと思う。
錦糸町付近で前に詰まっていた。帰宅ラッシュを横目に飲む酒は美味い。なおこのしおさい12号だけど、2号車指定席はそこそこ良好な乗車率だった。窓側はほとんど埋まっていて、それ+αの客が乗っていた印象。私みたいなヲタだけではなく、普通にビジネス需要もあったと思う。銚子発車時点ではそこまでだったけど、千葉で降りたのを差し引いても千葉からの短距離利用もあり、なかなかの乗車率だった。当時は一応B特急券だったわけだけど、でもえきねっとチケットレスのトクだ値で銚子からも千葉からも自由席とほぼ同額か安いぐらいで利用できたからね。快速グリーン車より安いのは本当にありがたいこと。
4.東京での撮影と帰り道
1)東海道線・上野東京ライン・常磐線撮影
東京ではE257系5000代「踊り子60号」を迎撃するべく東海道線ホームで待機。ちょうど湘南7号が出て行った。湘南の増結と修善寺踊り子のために強奪された元NB-06編成が後ろでした。おかげでアレだけ余っていたE257系500代は現在運用がカツカツな上に、5両での運転が基本となってしまいました。あーあ。
8番線発の常磐線E531系。常磐線も久しぶりに撮りたいんだよなあ。どこで何を撮るか全く決めていないあたりアレだけど。E501系のバルブをしたい!と思って早5年、未だにできていません。いやまあ名古屋にいた時は難しくても、せめて千葉に帰ってきて1年近く経つんだからいい加減に行ってきなさいよ。
この時にダイヤでは品川方から回送で湘南9号が到着。2500代は一時期編成毎の差異があって面白かったんだけど、なかなか撮れないまま今に至ります。やっぱりこういうヲタクは信用できないな。ゴミしかいない。親会社にSNSの使い方について怒られて社内に恥を晒すよりゴミなのか、そうかそうか。いやあ、こないだの高崎での撮影でもE657系ときわ号でも、散々語録を使わせていただけて助かります。
折返し湘南。夢語れJR。社歌の歌詞使えばいいってもんじゃないんだよ(笑)。9号は14両でホームほぼいっぱいに停まるのでその間は8番線の電車を撮れないけど、それはまあ仕方ない。しかしまあいいですね、14両の特急で通勤ですか。羨ましい限りですよ。うち、5両306人の特急より定員が多い特急がないんですよ。いやまあ成田エクスプレスをカウントしたらもう少し乗れるけどさ。
サフィール踊り子のE261系が到着。サフィールも来年の春で5年目を迎えるんだから信じられない。乗りたい乗りたい思っているうちにこれだよ。5年経ってだいぶこう汚れてきたというか何というか。窓を高圧洗浄機で洗い流してピカピカに拭き上げたい。何であそこまで汚れるんだろうか。末期が251系や651系のようにボロボロな姿になるのだけはやめてほしい。
そういう意味ではE257系のうち東大宮に所属する車両たちも心配。踊り子運用に就けば塩害の心配もある訳だし。ちゃんとメンテナンスしてもらってね。そしてまもなくお目当ての踊り子60号が到着する。
来ました。バルブ撮影なので表示は運ゲーだけど、雨が降る中なんとかOM‐93側の表示が勝ってくれたのでいいだろう。湘南はまあ仕方ない。来年もまた河津桜の時期には5000代の踊り子を見ることができたら撮りたいし乗りたいと思う。いやまあ別に乗るなら2000代でもいいし、というかそもそもいい加減に伊豆に撮りに行かないといけないんだけどさ。
という訳で、臨時の踊り子60号に充当されていたのはOM-93(元M-111)編成。なんか個人的にこれを笹って呼んでいるのを見るとうわあ…ってなる。E235系をニサゴって呼ぶよりはマシか(笑)。いやそこは個人の自由だからそこまで批判するなって話だけどさ。
原形も好きだけど、見慣れた5000代と2000代も好き。もう0代消滅から3年経つんだなあ。500代の機器更新予備と最混雑列車の増車も兼ねて、3編成揃って幕張に転属してくれないものだろうか。お願いしますよ~。夢語れJR、増車してJR。いつも希望は東から生まれる。私たちの257(にーごーなな)。
さて、精算の後に千葉に帰ることとしよう。時計を見るとしおさい11号(当時)がちょうどいい時刻にあったので、したら惜別乗車から1時間半ほどして再び乗っていこうではないか。
Be-05編成が来てくれた。この編成に乗ったのはこれが本当に最後のことだった。一番車検期限がアレだったということもあり、6月には真っ先に廃車回送されてしまった。やはり一番の思い出は千葉に帰ってくるにあたり乗った雪の日のアレだろうか。この日に乗ったBe-01編成もBe-05編成ももう存在せず、また最初に乗ったE217系Y-26編成ももういない。1年でこんなに変わるかあ…。
という訳で、255系惜別乗車とE257系踊り子・湘南等東海道線の撮影について、またその往路のローカル旅についてもリメイク版ということで書かせていただいた。
こうして書いていると、またこうした小旅行でも企画したいなと思ってしまう。それこそE259系のしおさいはヲタ的には乗りたいけど、でもやはり混雑は気になってしまうので、そこで敬遠せざるを得ないのがなんか残念。