おはようございます。今日も過去画ですみません。
多分これは成田空港で飛行機を撮った帰りの撮影のような気がするんで、
その時に撮った中華航空のボーイング747-400でも。この数年、それこそコロナ禍で一気に数を減らしてしまった印象だけど、744は本当に素敵な飛行機。私さんはキャセイパシフィック航空のそれに香港→成田で乗ったことしかないけれど、あれはよかった。あと機内食ね。とにかく美味かった。未だに覚えている。機内食を食べつつ映画を楽しむためだけに成田→香港→成田でキャセイ乗って日帰り香港なんてやってみたい。
本題。暗いじゃねえか(笑)。アレ待てこれ酒々井だよな。ということは沿線で何かを撮っていたのか。違うかもしれないけど。もう覚えてないです。この時は18ちゃいだったので当然お酒は飲んでいなかったのに、でも将来が心配になりますね(笑)。そういう酷いことを平気で言える人間と繋がっていなかったのでそういう意味ではハッピーだったけれど。
こちらは宗吾で撮影の5300形回送。11Tって運番がいかにも京成線内のT台って感じでいい(当社比)。11Tの響きだけで快速のような気がしたよ。だから愛してるの響きだけで~みたいな書き方すんな(笑)。アホが(笑)。
こちらは宗吾から佐倉を回送し、夜の快速に充当される606編成(ブルースカイトレイン)。当時はまだロゴがあったんだね。懐かしいな。夜間の回送なのに急行灯が点いていないと思ったけど、まあ始発駅の佐倉で撮ってるんだし、そもそも内部情報を渡してくれる「俺のダチ(ちゃんとドヤ顔でマウンティングしながら言いましょう)」もいないので、内部規定なんて当然知らない私さんがのれそれ言うのはお門違い。あの運転士さん俺の知り合い!みたいな自慢、別にいらないです(笑)。
京成編は以上。帰省していたのは確かだ。
次。別の日だが、当時からお世話になっている兄貴分に当たる先輩格の鉄の方と長野総合車両センターの無料公開に行ってきた。ヲタク2名でのNN入場って訳だ。当時我々が住んでいたのは甲府。なので甲府→長野→高崎→八王子→甲府という行程を組み(というかその方が安くなると教えていただき)、せっかくだからということで高崎→八王子はその日に運転されていた臨時快速「はちおうじやまどり」に乗っていくことにしたんだったな。
せっかくなのでちょっとだけ長野総合車両センター一般公開の様子を振り返ってみようのコーナー。まずはNNに廃車回送されてきた185系B4編成とE231系0代。なおこの長野総合車両センターでの撮影に関しては、どうも当時の記事が見当たらないので、また改めて記事を書かせていただこうと思う。
なので今回のNNでの写真はだいぶ間引いて手抜きをしております(笑)。そうか、そういえばこの時は訓練車が115系だったんだね。そして八高線にいた205系もいた。この子は結局再改造で富士急に来た編成だろうか。
そしてお久しぶりな253系0代。もうこの1両と、あとは長野電鉄のしかいないからね。こないだ長野までE217系配給を追っかけた時、長電も行けなかったのが悔しい。次回は行きたいな。そしてこの253系も綺麗に整備されて、どこかでしっかりと保存されることを切に願う。
長野のヌシといっていいのかは不明だけどDD16。もういないんだっけ。なおこの後に連結器と握手して実質的にDD16と連結したキモータヒッキーのブログがこちらになります。NN公開楽しかったな、なんかこの時の記事を書きなおすのもいいかもしれない。連勤中でアレだけど絶対にやります。年内に書けるかな…。
長野から高崎、というかいわゆる横軽(横川~軽井沢)に鉄路が存在しないこともあり、長野から高崎までの短い区間ながら新幹線でのワープを選択。これがE7系・W7系初乗車だったんだけど、唯一(ゆいいつ)ダメだと思ったのは快適すぎたことか。それだけ最高だった。車体傾斜装置がない分、E5系より気持ち足元も広く感じたし、座席も超快適だった。間違っても徹夜の時に乗ってはいけない新幹線だろう。そしてE7系がデビューしてから今年でもう10年ってのが本当に信じられない。あっという間に俺も30歳、40歳、50歳、60歳と年を重ねていくのだろう。
お待たせしました、ようやく今回メインで扱う予定だった「臨時快速はちおうじやまどり」です。まあリゾートやまどりですね。この車両も老朽化のためか引退し、今はもういないのが残念だ。一方であくまでも座席指定の快速のため、運賃+520円程度であの超快適な座席に乗れたのは本当にお得だったとも思う。
ああこれ深夜3時に書く記事じゃなかったな。でも美味しかったのを覚えている。安い買い物でもないので毎日は無理だけど、でもたまに旅の時に食べる駅弁って本当に最高なんだよな。
自爆。夜中の3時に見る写真ではない。でもマジで美味しかった。というか、駅弁ってハズレがないようにも感じる。その点甲府は駅弁がなかったのはいただけないし、でも逆に名駅や東京駅なんかは駅弁も豊富でよかった。
あー腹減った。という訳で(どういう訳でしょうか)ここからはリゾートやまどりの車内の写真。実は乗るのは2年ぶり、しかし結局これが最後になってしまった。まあ高崎支社の車両に甲府地区で客扱いしてくれって言うのもアレだしな。結局これっきりですかい。そんなオチだと思った。
よく本人に見えるところでああいう暴言をTwitter(自称X)に書き込めるよなというのはさておき、まあこんな感じだった。懐かしいなあ。足回りは485系なので、特急つがるで乗り慣れたあの音だったのもよかった。ただ平成22年8月6日のつがる12号(だっけ)は僕らが乗っていた5号車指定席「だけ」エアコンが壊れて地獄だったけど。返金もなかったしな。確かに大変だったけど、でもああいう時に何の落ち度もない車掌さんにキレていたおっさんはみっともなかった。青森の恥。逆に、そちら側に行かぬよう育ててくれた親には感謝だ。
あー懐かしいな、そうだよ運転席直後にこんなフリースペースあったわ。でもこの列車は全席指定なので、指定券を持たず乗車券だけでここに居座るのはやめましょう。※そういう方々は全員お亡くなりになりましたのでご冥福をお祈りいたします。
そして肝心の座席がこれですよ。これ。グリーン車じゃなくて普通席なんですよ。宴や華といった他の485系ジョイフルトレインには乗ったことがないからアレだけど、でもこれ本当に快適だった。あと車内チャイムでJR東海の乗降促進だったり名鉄の乗降促進だったり、そういうのを積んでいたという点でも面白かった。
ご同行いただいていたヲタク氏と談笑していたらあっという間に終着の八王子に到着。高尾方に回ったら既に尾灯になっていたのが残念だけど、まあ贅沢は言うまい。
という訳で485系リゾートやまどりによる「はちおうじやまどり」の旅は終了。思えばジパングも乗れないまま引退してしまったっけか。あの中間2両、485系3000代の最後の生き残りだったから乗りたかったんだけどな。そしてこれが最後の485系乗車となった(多分)。
旅は更に続く。これは大月で乗換えの際に撮ったE233系0代の方向幕。中央快速といえば(その幕、思い切り各駅停車ですけど)今まさにグリーン車の話題でホットな路線。この記事をいつ公開するのかは執筆している10月上旬では決めていないが、でも公開するころにはグリーン車を組込んだ12両も走っているのだろうか。そんな中央線E233系の新たな歴史を心からお祝いしつつ、でもちょっと前には黄色い各駅停車もあったんだよってことで、最後にこれだけ載せてこの記事を終わらせていただく。もう少し書けることはあったし、貼りたい写真もあったんだけど、いかんせんタイトルが鬼のように長いのと字数も案外ちょうどいいので…。すんません。
本日もありがとうございました。