おはようございます。今日は(今日も)過去画でお届けいたします。なんかすんません。
令和3年1月、東大宮に常駐していたE257系0代の成田臨があるため、キモヲタ代表で(代表はしていません)甲府から18きっぷで駆けつけた。てかだったら実家にも顔を出しとけこの親不孝者(笑)。なお18きっぷ使用にあたっては、この他にも伊豆旅行・名古屋遠征等がある。追って記事にしたいと思う…けど、いつ公開できるかは知らん。もはやネタがないからってスマホの過去画と当時の写真で無理くり記事書いてるようなもんですからねこれ。
本題。行程は覚えていないが、とりあえず東京駅での写真を発見。
E217系Y-44編成が廃車回送された数日後の写真。あれを見送った後は眼精疲労で前が見えなかったのだけど、でも普通にまだまだE217系がいるっていうね。この慢心が4年近く後の私さんを後悔させることになる。あと、せめて一眼で撮っておけや(笑)。バカが。

はい来ました錦糸町留置線での並び。こんなの当たり前過ぎて、写真より脳裏にあるものの方が多かったんだけどな。もしかしたらこの記事が世に出る頃(書き始めは一応令和6年9月末)にE217系自体がいないかもしれないと思うと、やはり本当に寂しい気持ちになる。この時は甲府に住んでいたんだけど、この色の電車を見ると千葉に帰ってきたことを実感して安心したものだった。それは甲府から名古屋に引っ越してからも変わらなかったし、まあそれを言ったらE235系も変わらないんだけどね。そして、ぎりぎりE217系が残っている令和6年に千葉に帰ってくることができて本当に良かった。

いやいきなり酒々井まで飛ぶんかい。その間は何をしていたのだろう。流石にもう覚えていないけど、当時の彼女さんとLINEでもしていたのだろうか。馬鹿言え、彼女なんかいたこともないキモヲタが(笑)。妄想の世界で彼女がいたと思っているなんて、将来が心配です。その対象にされている女の子に失礼です。

E217系の車内からE257系0代を見ていたってのがエモいんだよな。それこそ0代は私の地元である佐倉も通っていた訳だし。この時の撮影自体は記事にしているので末尾に関連記事として貼るが、今回はその往復のエピソードだと思ってお読みいただければ幸いだ。

成田ではE257系0代と209系が並ぶ。これは強烈な違和感があr…いや千葉で定期あずさ(当時の3号・30号)で普通に並んでいたんだというね。当時はいずれ佐倉に帰ると思っていたので、まさか私が千葉市民となり、それこそ千葉市民のくせに「山梨方面からの」ちばあずさユーザーになるなんて思いもしなかったな。育ちが悪くてすみませんでした~(笑)。

なんか成田発の臨時快速。年始によくありますよね。来年はどのようなメンツの成田臨があるのか気になるけど、車さえあれば怖いものはない(違反と事故は怖い)ので、可能な限り撮ろうと思う。この時に185系やE257系500代のそれも撮っておくべきだったのではないでしょうか。将来というか過去の行いもなかなか心配になります。

成田にあずさ・かいじがいるなんてね。やはりあの両列車はE257系0代が一番しっくりくるのかもしれない。また乗りたいなあ。←だったら5000代の臨時を狙えばいいと思います

冬の日没とE257系0代。成田はイオンがあるから遊ぶ場所があっていいなあと思ってしまうあたり、高校生時代のアレが染みついているんだろうな(八千代市内の高校に通っていました)。千葉市に住んでいて何があれかって、冨士見あたりで飲んでいると普通に高校生が繁華街で遊んでるんだよね。善悪ではなく、都会の高校生ってすごいなあって。青春があそこってのもね。まあ、自分の高校生時代には受験と趣味と部活のケガ以外の後悔がないのでいいんだけど(あれ、それは結構後悔しているのでは)。

この時はもうE653系K70編成が爆誕していたんだね。誰だったっけか、秋田で目撃が上がった時に「頭も3連休なのでゅわ~?」なんて抜かしていたの(笑)。誰でしょうねえ。ご冥福をお祈りいたします。

なおこの数か月後にM-105編成は長野総合車両センターに入場し、8月にOM-91編成(5000代)として出場しているので、成田までこの姿で来たのはこれが最後となった。というか0代の入線自体そうなんじゃないかな。コロナ禍だった割にはそこそこ鉄もいたけど、でもまあJR東日本ぐんま支社と高崎県警から感謝状をもらうような素晴らしい若い方が出発式のためにお見えになることもなければ、Twitter(自称X)にも超好かれまくりの優良ゆーちゅーばーの方もお見えになっていなかったので、そういう寂しさはあった。皮肉ですって?そんな、皮肉なんて書く訳ないじゃないですか。ドワッハッハ(笑)

臨時表示って何気に珍しかったんだよな。少なくとも覚えている限りでは、この3年ぐらい前の白馬臨でしか見たことがなかった…いやあれ団体表示だったか(笑)。別に快速表示でもよかったのだけど、それ自体は私さんも臨時のムーンライト信州で撮って乗っているので別にヨシ。

E259系が通過ちう。あのN'EXアニメーションだけは残ったものの、この頃の「成田エクスプレス」はいていないようなものになってしまったのが残念だ。そうか、したらE257系0代もE259系の当時の塗装ももう見られないのか。そんなあ。

ま、成田での撮影に関してはこの辺にしておきましょう。次は今でこそ回数が増えた(つっても最近行ってないな)四街道バルブのお話です。

これに乗って移動したのか、はたまたE217系だから撮ったのか。いずれにせよこういった写真だって貴重になる、というかY-17編成もいつの間にかいないのがとても悲しい。

敢えてピックアップするんであればだけど、車検を通って数か月は経っていたのに超ピカピカなNe017編成による成田エクスプレスからだろうか。そりゃまあコロナ禍は朝夕しか動いていないようなもんだったからな。今では日中の一部列車の千葉停車の恩恵に与ることもできれば、そもそもクソみたいな外人と同じ空気を吸わなければならない日が再び来るなんて、当時は思いもしなかった。あとデザインも変わっちゃったしね。しかしまあ、255系9両(564人ぐらい乗れましたっけ)をE259系6両(290人しか乗れましぇん)で置換えようと思ったJR東日本の偉い人さんはある意味天才だ。アレだね。コロナが終わったからソーシャルディスタンスも廃止して、見ず知らずの赤の他人と仲良く二人でご相席ってことか。ふざけんな(笑)
E217系も無論回収。三脚を立てて電車を待っていた私に対し、応援ハイビームがあったと当時の私が記事に残している。ありがたいことだ。実際ハイビームでも普通にかっこいいからこちらとしてはそこまでこれといったアレはないし、僕様ちゃんに限ればこうして書くネタも増えるので助かる(笑)。だから応援ハイビームってことなんだね。E217系をあと何回撮ることができるか、あと何回乗ることができるか、そう考えるとやはり寂しくなる。だってさ、この時なんて狙わずしてもあんなに当たり前のように来てくれていたんだよ。
なお編成はY-30+Y-138編成とのことで、執筆日時点ではY-138編成が廃車済。その節はお世話になりました。そしてY-30はあと少しどうかよろしく。
忘れちゃいけない209系。こちらはC615編成のローカルだ。こちらは停車後にわざわざ減光してくださったと当時の私が書いていた。総武本線って割とこの2択だよな、いや別にそこまで気にしてはいないんだけどさ。209系も執筆日時点では久しく撮っていない。でもこれを書いている明け方に酒を浴びているので、多分翌日の休みも家に籠って終わるんだろう。これはまた将来が心配ですなあ(笑)。ビールをあびーる←そのギャグを書いてしまうところも心配です
さて、四街道バルブ(三脚使用)の詳細は末尾に貼るであろう関連記事の方をご覧いただくとして、(当時の)私さんは甲府に帰ることとします。
これはどこかな、多分千葉駅だろうか。E217系車内からE217系を見る。これもう下手したら二度とできないのではないかと思うとなんか改めて後悔してしまう。佐倉育ちで巻舌ができるくせに今は千葉市に住んでいて指名手配犯にも似ているぐらい育ちが悪いと侮辱されただけありますな(笑)。一見法律に詳しそうな(刑法ぐらいはね)警察マニアに平気でそう侮辱されたので、もう死のうと思います。嫌ですまだ死にません。ジジイになっても大切な友達と楽しく遊びたいです。

E217系車内でE217系のバルブ撮影写真を現像。間違いなくこれはもうできない。僕はいない、夏の砂浜。君は誰と海を見るの。いやあの、冬の写真ですけど?
なおカメラは当時の大学のオンライン授業対策で物理的に塞いでいる(壊れていると言い訳をすればカメラオフで何とかなるので)。オンライン授業中にやっていたのは主に飲酒喫煙、または何か臨時回送等があればダッシュで最寄りの撮影地に行きダッシュで戻るなどしていた。

中略。当たり前だけど青春18きっぷで特急には乗れないので、ローカルしばりで甲府に帰ります。高尾からは安定の211系、もはやこっちが実家まである(お)。なお私は1度だけ18券で特急に乗ったことがあります。これはいけませんね。あれだろ、ここだけスクショして鬼の首取ったように晒して鼻の穴膨らませてドヤ顔(笑)。どうぞどうぞ。ちなみに僕が18券で乗った区間は奥羽本線特急つがる号の新青森→青森でした。

てか、なんで酒とコーヒー飲んでんだよ。なんだよその組み合わせは。いや冗談抜きにこの写真を見て普通にツッコミたくなった。マジでなんだこれ。現像と当時付き合っていた女の子とのLINE以外の記憶がないもの。ああはいはい彼女なんていたことないです。お前にはいないよです。あーはいはい(笑)。京〇バスの社員(笑)。

山梨というか中央東線にある程度明るい方であれば、甲斐大和とローカルというだけで特急通過待ちの響きがするはずだ。愛しているの響きだけで強くなれる気がするのと一緒。お前ちょっと黙れ(笑)。なお私レベルに肺と心が真っ白なヤニカスになると、甲斐大和の通過待ち即ち喫煙タイムという変換しかできない。ヤニ箱を忘れない、寒いホームを行く。だから黙れって。

甲斐大和で肺真っ黒ニコチン早死大作戦ののち、勝沼を過ぎると車窓からは甲府盆地の夜景を眺めることができる。勝沼だけからではないと気付くのはもう少し後の話となるが、それはまたいつか。さっき引用したスピッツさんのチェリーの歌詞を見ていて思い出したんだけど、居酒屋等でかかっている曲を歌いだしちゃう側の人種に生まれなくてよかったなとふと思った。天白区原の某飲酒運転幇助店の常連みたいな。まあ、この記事の写真を撮った時はそんな低俗な輩と出会うとすら思っていないんだけどな。

これを見ると甲府に戻ってきたんだなあ、なんて思ったもんだったっけか。あとアレだな、マジで多分このブログで書くのは初だけど、自由席があった頃のスーパーあずさって日によって一部号車が自由席だったり指定席だったりしたんだったよね。スーパーあずさの3号車みたいな。まだ中央線特急の客の8割が知恵遅れだと気が付く前に、最終のスーパーあずさ36号を待っている時にアホそうなクソリーマンに聞かれたことがあったっけか。その手に持っているスマホで調べる労力をも節約するあたり、さぞ仕事もできるんでしょうなあ。いつかそのスキルを是非ご教授ください。とまで書いたけど、金曜日の36号ってことはきっと出張終わりに飲んで仲間と楽しく帰るところだったのかもね。そこまで書くのも気の毒か。

実質的に貸切となっていた211系の車内。確証はないけれど多分これ0代ではなく1000代。そう思って当時の乗車メモを見てみるとN323編成だったとのことです。あとこの時に乗ったE217系はY-25編成とY-39編成とのこと。なんだろうな、何でこんなに好きなのにいちいちいつ乗ったって覚えていられないのか。それだけ俺の当たり前だったってことでいいのかな。
以上、現千葉県人が山梨在住時に青春18きっぷで千葉に遠征し、あろうことか実家に顔を出すことも無く帰ってきた最低な遠征記はここで終わりです。はい。なんかあんまりこう書けることが少なかったかも…
でもなんだろうな、あんだけE217系が当たり前だったあの頃でいいから、どうか戻ってやり直したい。それができれば私のブログもまた違ったものになっていることだろう。まあ今更なんだけどさ(笑)。
関連記事
この記事はこの撮影に関しての前後の話題、いわば続編というか余談というか、そんな感じです。四街道バルブに関してはこちらにお乗り換えくださいませ。

別の日だけど、当時行きつけだった居酒屋での(ぼっち)新年会。あれこれ誰と行ったんだっけ。いろんな人と行ったから覚えてないや←最低。でもマジでここの大将が仕入れる魚はマジでよかったし、酒も美味かった。また行きたいな。
ここの大将は本当に優しい方で、私さんに酷いことをした奴の愚痴を聞くなりソイツに怒鳴ってくれる(無論そこまで頼んでいないけれど)ような漢の中の漢だった。

