今回も過去画の清算となります。昨日の公開は先週あたりの京成撮影記でしたが、今回はその10年前の話が中心です。多分あまり需要がないパターン。平成26年と27年のドイヒーな写真ばかりなので、いつも以上にひどい写真です。せめて10年前からちゃんと編成で撮っていて欲しかったです。頼むよもう。
手始めに京急ブルースカイトレイン。こちらはアクセス特急で、数少ない小遣いで乗りに行った記憶。そういえばヲタ席の反対側の席にいた同業の方がとある会社の車両部門の方で、とても有意義なお話に加えて名刺までいただいたのを覚えている。その節は年端も行かぬガキだった私に対して、本当にありがとうございました。お元気でいらっしゃるだろうか。
同年3月の撮影。しかし写真はSDカード内にこれしかなく、詳細は謎。アクセス線用車両が本線特急に充当されているだけで個人にレアすぎる*1んだが、当時は確か高砂で下り本線特急とアクセス特急で急急接続を取っていたので、高砂では下手したら3050形同士の接続だったのだろうか。逆に本線仕様の車両がア特だった可能性もある。趣味的には面白かったけど、まあでも初見からしたらアレだったんだろう。だから今では3150形も基本的にアクセス関連の運用のみだし。
あけぼの最後の1年。同年8月の帰省で利用した。これが24系ブルートレインに乗るのは最後だった。あけぼのは主に定期時代に帰省でたびたび利用したけれど、写真がせいぜいこんなもんなのがもう悔しくて悔しくて。ちゃんと撮ってなかったツケ♪ちゃんと撮ってなかったツケ♪
同年8月後半の撮影。品川で何をしていたんだろうか。一応書いておくが、この年の私さんは受験生。もう一度書く。この年の私さんは受験生だった。だから高校落ちるんだよ。結局進学した高校は楽しかったし、何なら人生で一番輝いていた気もするし、結果としてはオーライなんだけど。
同年9月の撮影。たぶん成田の高校の文化祭に行くときにでも撮っていたんだろう。
少年よ、その駅だったら下りでもエキセンで撮れるぞ。ああ、どうして…。そう言い残し、私は天に召されたのだった。…嫌だよそんな最期。AE100が懐かしい。引退まで1年少しといったところだが、既にAE100の劣化が目立つのが悲しい。
復路の写真はどっかで記事にしているので適当でいいか。AE138号車の塗装もなかなかドイヒーだったなあ。AE100形シティライナーの乗車率に関してはお察しだったものの、空港発着で今も残っていたらスカイライナーの廉価版として再び日の目を浴びていただろうになあと思ってしまう。AE100形自体も、もし残っていたらまあ間違いなく成田スカイアクセス線に入線する何かしらのツアー企画もあっただろう。なんか残念。いやまあ利用者数や車両自体の老朽化の問題もあっただろうから、仕方ないんだろうとは思うけどさ。
私が帰りに乗ったのはこちら。あ思い出した、文化祭じゃなくて模試の帰りの写真だわ。少年、お前何してんだよ。いやまあ結果として全く写真がないよりはいいけども。3748編成がこの6年後に悲惨な事故に巻き込まれたり、別の編成の事故の巻き添えをくらったりで編成のうち6両が廃車になってしまうなんて思わなかった。
翌年平成27年の3月に撮影。北総7260形は京成3300形2編成(3316編成と3308編成)をリースした電車で、晩年の3300形が京成線内でまったりと過ごしていたのとは対照的に、最後まで他社局線への直通列車で爆走していたのが印象的だった。
で、少年よ、そこの駅は下りでもエキセンで撮れるんだぞ。本当に頼むよ。お前のことは、私が代わりにあの世で謝っておくから。そう言い残し、私は息を引き取った。ご冥福をお祈りします。だからそんな死に方いやーん!
閑話休題。この7268編成の後継車は1つ前に貼った3748編成を7818編成としてリースする流れになった。なおその5年後にry
そんな種車となった3300形のラストランも行ってましたなあ。
高校の入試の帰りに4+4の試運転にぶち抜かれたのを今でも覚えているけど、アレがこのラストランのためだったなんてね。というか最後の花道のためにそこまでしてくれた京成さんって情にあついなあとも思う。ちゃんと編成で撮ればよかったなあ。編成でちゃんと撮った3300形って3304編成しかないもんなあ多分。※後期入試数日前の撮影です。まあ、前期入試の発表に際して「お前ら後期頑張れよ~!」って叫ぶようなのがいるレベルの高校だったし、落ちてよかったけどさ。なんか負け惜しみみたいでアレだな(笑)。
いずれ新3200形の次の車両は新3300形になることかと思うけれど、どのような車両になるのかは楽しみなところだ。もっとも、その頃まで生きているつもりはry
こちらは3月31日の撮影。もう少し撮ってはいると思うけど、一応この時に発掘できたのはこれだけだった。10年近く前の写真で何を言うかって話だけど、この運転士さんにめちゃくちゃガン見されたのは覚えている。ぼく鼻毛出てました?ブスですみませんでした。他にも撮った写真があったら記事で扱えたのになあ。どこ行っちゃったんだろう。
ごめんなさい、平成26年からもう1枚。確かこの時のダイヤは高砂始発の快速西馬込行で京急車の運用があったんだった。撮ってるってことは乗ったのかもしれない。今でこそ快速どころか高砂~宗吾参道に入線する運用も増えたけど、この時に戻ってこの列車を撮りたい気がしてきた。
当時は停車駅予報装置のない編成は基本的に高砂以東への入線はしない運用に入っていたけど、この快速は高砂始発で停車駅予報装置の必要性もないので、ご覧の通りそれがなかった編成も恒常的に充当されていた。
そのあとの写真あったわ(笑)。ということは多分泉岳寺で乗換えてこの快特に乗り鉄していたんだね。赤い2133編成ということで、最後まで歌っていた編成。ドレミファインバーターの大ファンだったので、中学生の数少ない小遣いで乗りに行っていたなあ。この頃からちゃんと編成で撮るってことを知っていて欲しかった。
2133編成は割とマジで未更新時代に一番遭遇した編成。何なら狙わずとも歌ってくれたわけで、とても嬉しかった思い出がある。もう10年前ですよ、10年前。少なくとも私の頭は成長していません。当時からブログとかTwitterとかできていたら、もう少し色々と情報を得られただろうにな。
ハロゲンの3000形が懐かしい。こちらは今でこそいつもお世話になるようになった千葉線での撮影。別に今の自分の写真がVだなんて思っていないけど、まあこの時は酷かったですね。写真は平成27年6月、ここからは高校生の時の写真。当時の私さんが千葉線を使う用事なんて陸上の大会以外の選択肢はなかっただろうから、まあたぶんそれ関連なんだろう。
平成27年の写真ももう少しあればと思ったんだけど、まあ見るに堪えないような写真ばかりだし、そもそもあまり球数もないということで、次回以降の清算事業で(平成28年3月撮影からの写真となります)また続きを書くということでよろしくお願いします。記事としての次回記事は最近の京成記事に戻りますので、そちらもよろしくお願いするます。
しかしまあ、今ここに貼った車両で今と同じ姿の車両の方が少ないってのがね。まあ10年前のアレだしさ。10年前はまだ中学生だったから色々とアレだったけれど、10年経つとなんか気にしていた自分もアホだなあって思ってしまうかもしれない。喉元過ぎれば熱さを忘れる訳ではないけど、自分の人生が楽しいかはさておいて、あの時に折れて負けなかった自分を少しだけ褒めてやってもいいかと思った。いや待て前言撤回、撮るもの撮ってないのでやっぱナシ。ほんと、10年前に戻って鉄したいものだ。
*1:3050の本線運用はK台が多かった印象