ひがなり雑記帳

一瞬を永遠に残したいという建前の写真と独り言。

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(リサイクル記事)令和元年夏 北海道旅行記#2と帰り道(遠回りだよ)。

以前の北海道旅行記#1の続きです。長いので途中駅で分割します。なのでこの記事の続きは途中から当時住んでいた甲府までの移動記録のうち、途中の福島県内で終了です。帰り道は~♪帰り道は~♪遠回りを~♪したくなるよ~♪(ビブラート)

 

 

【4日目】9/1 札幌・小樽編

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まずは小樽に向かう。お土産購入と駅メモの赤新駅回収が目的だ。

 

ファッ?!

エアポートに乗ろうと思っていたのにローカルでまたF-1009が来た。急ぐ旅ではなかったのでこちらに乗っていく。目先の事ばかり考えるのはいくない。だから茨城ダッシュや山梨ルール、そして天下の名古屋走りみたいなご当地交通違反が後を絶たない。実際に運転マナーがやばいのは名古屋ナンバーより別の管轄だけどね。名古屋ナンバーも大概だけど、日本一台数が多いから目立つだけ。年内に3枠は名古屋308まで払い出されそう。

 

列車は順調に小樽へ…

 

 

向かっていきませんでした。車両不具合とのこと。手稲で降りることになってしまった。ガチョーン

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下の段が車両交換後の列車。臨時扱いになるんだね。ほしみではなく小樽に向かっていたので、おとなしくエアポートに乗った記憶があります。

 

函館本線の車窓から。いつ行っても海が綺麗。

 

線路なう(死語)

小樽港に向かう途中で線路に立ち入ってみました。手宮廃線なので各種法令には触れていません。敷地内に侵入して各種法令をほれほれと犯してまで電車を撮る害悪な撮り鉄の皆さん!今日も不祥事やってますか~?!見て見て僕も線路に入りました!うるさいよ。

 

小樽からは再び札幌方面に戻ったらしいけれど、冷静に考えて本当にバカ。小樽から先、余市倶知安方面を通って長万部に出てもよかろうに。とはいうものの、まだまだ北海道でやりたいことが沢山あると都合よく解釈しておこう。そうこうしているうちにキハ40はかなり引退してしまいました。あーあ。

普通江別 F-5102+5202

エアポートと同じ車両だけど、こちらはローカルなのでuシートも乗車券のみでおk。やった~!

 

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ありがとう。快適な移動時間だったのを覚えている。今ではuシートも値上げしてしまったけれど、まあ成田空港から東京までの成田エクスプレス特急券代よりは安いから多少はね?特急と快速だから一概に比較はできないけれど。

 

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銭函付近の車窓は何度見てもいいね。また行きたいねえ。

 

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なお乗車中のローカルは厳密にはいしかりライナー。札幌からは快速運転となるほか、お土産も買わなくてはならないので、いったん札幌で下車した。かなりの重さだったうえに、宅配便料金をケチってそのまま当時住んでいた甲府まで持って帰ったので、なんか手が痛かった気がしなくもない。一人暮らしで得たスキル第一位はケチること。値引きシールが貼られはじめる時間帯のスーパーが好きです。

 

北海道との別れが近づく。その前に少しだけ寄り道だ。

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最近は名古屋でも見られた機関車だね。ロゴはレッドビールと書かれています(違います)。

 

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本命さんいらっしゃい。

 

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ライラック26号 HE-102+HE-202編成

これを撮らずに帰るのはムリ~~!!!ってことで789系0代「ライラック」をお名残撮影。晴れてくれてよかった。

 

札幌駅に再び戻り、名残惜しいが帰路に就くとしよう。ここから甲府まで電車だったよ。うへえ。

 

【4日目】9/1 帰路編 さらば札幌

 (1)特急すずらん8号 札幌→東室蘭(←→室蘭)

前日の運用から「すずらん8号」で乗車できると確信して、えきねっとトクだ値の4割?値引きをありがたく利用する。18きっぷの旅とはいえ、使えるものは使っていたらしい。JR北海道といえば先の改正で大半の特急が全席指定になったのが記憶に新しい。詳しいことは知らんけど、まあえきねっとを使えばある程度は値引きもあることでしょう。

 

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こちらがuシート。各座席にコンセントがあるだけでもう本当にありがたかった。yourともかけてたんだっけ。あなたの座席。え~あなたの座席は蒲田で打切り、上り回送で、逆出発で平和島から普通で…なんでそうなる。

 

千歳線内での1枚。千歳線沿線は空が広くていいね。北海道、一度でいいから住んでみたい。冬の雪道での右左折時にどさくさに紛れてカウンター当てたいけど、実際の雪道の恐ろしさは知っているので多分無理。一度大雪の中央道をライトエース(RWD)で走ったことがあるけれど、楽しかったとはいえ終始念仏を唱えていた。南無南無ガチョンガチョン交通安全悪霊退散十人十色傍若無人生殺与奪魑魅魍魎。

 

苫小牧から先は室蘭本線。明るい時間の乗車は今回が初めてで、感動が500倍増しだった。脳内BGM:この空がトリガー

 

雄大なる北の大地でドライブしたい。調子に乗ってレーパトにやられないよう、道交法順守で。

 

東室蘭~室蘭は普通列車として運転される。室蘭に行こうが行くまいが行程はさほど変わらず、また18きっぷで乗車可能ということもあり、そのまま室蘭駅に行ってみることにした。

18きっぷにへの下車印とご当地入場券への押印をしてくださった駅員さんが本当に温かく対応くださったのが未だに印象的です。その節はありがとうございました。

 

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それにしても室蘭駅の駅舎がなかなか素敵です。ゆっくりと巡りたい、本当に。

 

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お隣からはキハ40の誘惑。

 

でも、もう785に乗ることも当面はないので今回はすずらん東室蘭に戻ろうと思う。

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今回は自由席車両にも乗ってみることにしました。

 

(2)普通列車長万部行 東室蘭長万部

東室蘭での待ち時間ではエキナカのセブンで夜食を調達。ご当地の母恋飯を夜食にしようと思ったが既に品切れでややショック。あ、夏なので少し涼しくなるかなと思って書いてみました。

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でも、これもこれでなんかよかった。

 

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このキハ40 353は3年前に引退していたらしい。その節はお世話になりました。

 

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あの時に乗っておいてよかったのかなあ。

 

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前はよく見かける塗装だね。

 

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日高本線仕様の300代は内装も紫っぽくなってました。

 

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そして令和の世に非冷房だったため、車内には扇風機が残っています。非冷房の車なんてなかなか乗ることがないから新鮮だったけど、ガンガンに回ってて寒かった気がしなくもないです。今となってはいい思い出。

 

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これで指定席料金がわかりやすくシンプルな体系になっても安心だね(笑)。皮肉じゃないですよ。

ただ真面目な話、今年の3月改正まで「成田エクスプレス」「あずさ・富士回遊」「しおさい新宿さざなみ新宿わかしお」の3種類が混在していた総武線特急に関しては本当にわかりやすくシンプルになりましたよね(笑)。何の話だよいきなり。

 

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列車は終着の長万部に到着。「ちょうまんぶ」と読みます。こういう寒いネタにマジレスが来ることもなくなっちゃって久しい。何だっけ、211系保存会とか大宮でどうやったらMax撮れますかとか(笑)。あと「一人暮らし始めたら某氏の家を体のいい宿にする」っての。人間はいろいろいるけれど、利用されていると思ったらすぐ切るのが最善策だと気が付きました。いや昔からそうだけどね。天上天下唯我独尊*1

 

(3)特急スーパー北斗22号 長万部新函館北斗

閑話休題。ここからは再び特急と新幹線の旅だ(新青森まで)。函館行最終のスーパー北斗22号に乗ろう。

画像はイメージ

編成はキロ261-1111、キハ260-1111、キハ260-1328、キハ260-1313、キハ260-1324、キハ260-1407、キハ260-1406、キハ260-1207、キハ261-1207だった。

キハ261系1000代のエンジンの音からしか得られない栄養素を存分に摂取しながら新函館北斗に向かおう。これ以来乗車できておらず、既に枯渇しています。

 

新函館北斗にて

また会う日を楽しみに。脳内BGM:探せダイヤモンドリリー

 

(4)はやて100号 新函館北斗新青森

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オリパラ(笑)のラッピングで草生やしました(笑)。そういやこんなのありましたね(笑)。この時はコロナで延期になるなんて思わなかったけど、延期してでも金のために頑張った偉いさん達には敬意を表します。

 

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北海道新幹線内完結の「はやて」で青森県を目指すとしましょう。乗車率はお察しですから特定特急券で十分なのが現状。今もそうなのでしょうか。

とはいえ北海道新幹線それ自体に需要がないとは全く思えません(個人の見解です)。

 

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「はやて」懐かしい名前です。いや、ご覧の通りフツーに定期運用はあるんですけども。

 

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お隣はおそらくH1編成だったかな。こうしてみるとE5系とH5系ってぱっと見だとマジで帯色しか違わないですね。実際は内装等も異なるけれど。

 

人生二度目となる青函トンネルを通過し、新青森ではやて100号を下車した。当時は青函トンネル内でWiFiが通じなかった記憶があるけど今では通じるんでしたっけ。細かいことかもしれないけど、ありがたいことです。

 

(5~6)ワンマン青森行/普通弘前行 新青森→青森→弘前

新青森から青森駅に移動した。これ以来青森駅を訪れていないけど、もうあの時の駅舎じゃないんだね。今年で65周年、おめでとうございます。←強引だね。

新しくなった青森駅もまた行きたいし、味噌カレー牛乳ラーメンも食べたい。

 

時系列が前後するけど新青森もおめでとうございます。

 

消えかかっているけど、スーパー白鳥が確かに青森に来ていた証。今はもう流石にないんだろうか。

 

弘前行最終 N15

宿を弘前に確保していたので、最終ローカルで弘前に向かう。祖父母の顔を見たかったのは山々だが、急な訪問で気を遣わせるのもできず、この時は会えなかった。

 

 

 

【5日目】弘前甲府

(1)特急つがる1号 弘前→青森

新幹線・特急ワープ用の乗車券を購入して、名残惜しいが弘前を後にする。何歳になっても弘前は大切な故郷だ。私にとってずっと大事な場所であり、そこにいる祖父母や親せきはずっと大切な存在だ。一気に時間が飛ぶが、この記事を書き直している令和6年の1月にみんなで集まったときは本当に楽しかった(そしてそこから半年経つまで下書きで寝ていたという)。

 

発車時刻を勘違いしていて乗り遅れそうになったのも良い思い出。行動それ自体は全くよろしくない。馬鹿なんじゃないの。

ちなみに元となった記事を書いていた頃の私の半値は「=あるふぉ」だった。今でもイコラブは好きという前提のもとで書くと、あの頃の私はお亡くなりになりました。あるふぉさんまだ若かったのにね。ご冥福をお祈りいたします。たぶん自身の冥福を祈るめでたい頭をしているのなんて僕ぐらい。私もすっかり老けた。友達はそうでもないのにね。きっと僕と違って心が清らかだからいつまでも若いんだろう。

 

津軽富士とも呼ばれる岩木山が切ない。そういえば記事作成時点で最後に帰省した際には雪によるホワイトアウト岩木山を見ることができなかったのが心残りだ。次回の帰省では是非とも拝みたい。

 

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なお乗車券は「弘前→仙台」、特急券は「弘前新青森」で購入していた。だがしかし私は青森駅に向かう。18きっぷで特急に乗ってもいいんですよ(コンデジだからみたいに言うな)*2。脚注には一応書いておいたけれど、18きっぷでは基本的に特急の乗車はダメですので、特例区間を除いてやらないでくださいね。こういう時に寒いマジレスしてくれる(ry

 

ありがとう

春改正からは1往復が「スーパーつがる」として新たな任務*3にも就くE751系。これからの末永く安全な活躍を祈念する。次の帰省では是非ともE751系で帰りたい。

脚注ではちょっと辛辣な言い方をしたけれど、スーパーつがる号はある意味で起死回生の一手と捉えることもできる。スーパーつがる号起爆剤となって、特急つがるが更に金の成る木になったら個人的には嬉しい。まあ別に今までの特急つがるもそこそこの乗車率ではある気がするけど(儲かりそうな弘前以北以外でも)。

 

(2)快速弘前行 青森→新青森

新青森に折り返すために快速弘前行に乗車したらしい。

この列車は元はと言えば浅虫温泉始発の臨時特急つがる52号だった*4485系3000代引退に合わせて快速になったんだっけか。つがる52号時代と今年1月の現行快速の乗車率に鑑みたら妥当と思えるのが寂しいものの、今ではこれ2両なんですわ。なんかなあ。

 

(3)はやぶさ18号 新青森→仙台

新青森からは東北新幹線ワープのお時間です。乗換えの時間を活用して新青森の駅そばで腹ごしらえし、いよいよ青森ともお別れの時間がやってきました。

はやぶさ18号 U24

仙台まで快適な新幹線で移動していく。新幹線が新青森を出た後は本当にいつも切ないものだ。

 

盛岡での連結も見つつ(見ない訳にいかないので)、仙台で下車。

脳内BGM:杜の都

仙台の上り副本線には山吹のE4系がいるのが当たり前だったのに、それを抜かしていくE2系すら運用が減りに減って、あっという間なんだなと実感。もちろん、その「あっ」(あっじゃねえんだよ)の間には数えきれない素敵な思い出が沢山ある。でもなんか寂しいね。

 

(4)東北本線常磐線 仙台→原ノ町

仙石東北ラインのHBを撮ってみたい気もしつつ、行程の都合で今回は断念。

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普通仙台行とE5系

というわけで東北本線の電車でも撮りましょう。もともと撮っておきたかったということを差し引いても、撮っておいて損はないというスタンスなので。

 

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仙台空港行 P-504編成

仙台空港アクセス線の電車ですね。

 

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常磐線原ノ町行 P4-3+F2-503

現行の新車であるE131系にも通じる何かを感じる。この写真撮ったときにはE131系の登場なんて知らなかったけど。

こちらの原ノ町行で南下していくことにした。ことにしたもクソも、もともと乗るつもりだったけど。

 

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いい景色ですが窓の汚れが気になるかも~。

 

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宮城県最後の駅、坂元から太平洋方向です。

この駅は津波で駅舎が流され内陸に移転したのこと。今はわからないけれど、当時遠目に沢山の重機が見えて生々しく感じたのを覚えている。

被災地とか復興とかそういう言葉がなくなるとき、福島の制限区域がなくなるとき、その時こそが真の復興なのだと思います。

 

(5)常磐線普通浪江行 原ノ町→浪江

原ノ町719系に乗換えです。この時はまさか常磐線719系に乗ることができるとは思ってもみなかった記憶があります。

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ボックスシートを確保してさらに南へと進んでいきましょ~。

 

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719系が浪江以北の常磐線にいたことや浪江行だったことを記録に残すことが必ずしも正解とは限らないかもしれない。何が正解なのかなんてわからない。

 

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既に半年後の全線復旧を見越していたのか、はたまた元々なのかこそわからないが、原ノ町では「いわき・水戸・上野」方面の案内だったのを今でも覚えている。

 

浪江に到着した。ここからは代行バスでの運転だったことをご存じの方も多いかと思う。

 

今でこそ常磐線が上野~仙台の*5全線で復旧したけれど、当時はまだそうじゃなかった。

 

(6)代行バスで浪江→富岡。次回との重複はご容赦を。

個人的に一番衝撃的だったのは、浪江駅に放射線量のメーターがあったことだろうか。震災から当時は8年半ほど経過していて、私自身は普通に生きていたし今も普通に生きていた。確かに頭では理解していると信じている。でも考えたくもないけれど、もしかしたらどこか他人事で私には関係ないとすら思っていたのかもしれない。

でもあの時、震災当時は小学生だった時に被災した身ながらも改めて衝撃を受けたことは忘れられない。忘れてはいけない。偽善だと思われるかもしれないけど。

 

代行バス 浪江→富岡

代行バスで富岡へ向かう。このバスでは比較的前の方に座れた記憶があります。

結局写真こそ撮りませんでしたが、帰還困難区域含め被災地の今を見て学んだことは決して少なくなったと思います。百聞は一見に如かずというか、ショッキングだったというか。

 

 

私自身が生で見ることができたのは良い勉強になりました。少なくとも、当時の小学校での馬鹿と偽善丸出しな授業なんかより、よっぽど。テレビや新聞なんかでは当時も今もほとんど報じられないけれど、あの辺ってあの震災の時から全てが止まってるんだってわかったんですよね。頭ではわかっていても、生で見たら何といっていいかわからない気持ちになったのを覚えています。

 

 

バスは国道から富岡を目指す。無論途中で降りさせてはもらえない。

通りに面した店はことごとく営業していなくて、ガラスの代わりにベニヤ板がはられて閉鎖されている。浪江駅の線量計では0.2マイクロシーベルト程度だった放射線量が大熊町線量計では2マイクロシーベルト超えてたのも確かに見た。警備にあたる皆さんの装備の物々しさから察するものもあった。

正直、この遠征全体の記憶こそ朧気だ。それでも制限区域の当時の現状は見るに堪えず、ここまで他人に興味のない僕でさえ胸が締め付けられたことは覚えている。

震災は13年前、実際に現地を生で見たのは5年前。その時その時で変わっていることも多々あるだろう。でも本当に胸が痛んだことは紛れもない事実。いつか何事もなかったかのようになることこそ復興なのではないかと、今改めて思った次第だ。

 

 

さて、思いの外長い記事になってしまったので、この先の帰路については思い出を頼りに次回以降の記事で書かせていただこうと思います。ではでは。いつもの倍の長さになってしまったです。

*1:これはそういう意味で言われたものではありません

*2:ご存じのとおり、奥羽線新青森~青森の1駅に限っては、有効な乗車券がある場合に限り特例で特急列車等への乗車が認められています。

*3:スーパーつがるも何も、停車駅を削っただけd....ゲホゲホ

*4:浅虫温泉→青森は乗車券のみで利用できる快速、青森からは大館行特急として運転

*5:日暮里~岩沼だろうというマジレスはいらないです。

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